【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(十九)梁川城

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 八月二日の朝。

 本庄繁長の命令を受けた斯忠つなただは配下五百名を引き連れて、盛大に見送られることもなく、静かに福島城を後にした。

 見込まれてのことと素直に信じたい気持ちは斯忠の中にあるものの、やはり上泉泰綱をはじめとする組外衆との折り合いが悪くなっていたことが全く無関係とも思えない。

 悔しさと、清々した気持ちとが半ばであった。

 新たな任地である梁川城までは、約四里の道中となる。

 梁川城周辺は伊達の煽動による領民の蜂起も起きており、上杉領内とはいえ必ずしも安全とは限らない。

 加えて、先日の桜田元親のように思わぬところから伊達勢が侵入してくる可能性も皆無とは言えない。
 そのため、善七郎に命じて風車衆に物見を先行させた上、兵にも警戒を促し、得物を持たせて敵地さながらの行軍となる。

「領内を移動するだけでもこれだけ気を配らなきゃならねぇってのは、面白くねぇな」
 愛馬・大黒の鞍上でぼやく斯忠であるが、四方の警戒は怠らない。

 幸い、油断を見せなかったことが良かったのか、何事もなく日暮れ前には梁川城北の大手門前に到着することができた。

 斯忠が見る限り、外からみた梁川城は、外郭の一部が普請の最中であるようだった。

「こりゃあ、また土運びを手伝わされそうだな」
 目ざとく息づいた兵の中からも、そんな声があがる。

 若干、気勢が削がれる思いで斯忠は到着を告げる先触れを走らせると、待つことのほどもなく大手門はすんなりと開いた。

「よう参られた。それがし、横田大学氏信と申す。須田様もお待ちかねでござるぞ」
 入城した車勢を出迎えた横田大学が、やたら明るい調子で話しかけてくる。

 妙に若やいだ雰囲気のため年の頃はしかとは判りかねたが、すくなくとも斯忠よりは年下であろう。

 聞けば、横田大学も梁川城城主・須田長義の家臣ではなく、直江兼続の采配で援軍として派遣されて組下についているのだという。

「そいつはご苦労さんだね」

「白河口に配されなかったのは残念ですが、誰かがこの城を守らねば、上杉は裏から崩れるゆえ、大事な御役目でありましょう。ところで、車殿の手勢はいかほどの人数でござろうか」

「およそ五百といったところかな」
 いきなり兵数を尋ねられるのは斯忠にとってあまり気分のよいものではなかったが、そんなところで怒ってみても仕方ないし、隠すつもりもない。正直に告げる。

「この城にはすでに増援として千五百ほど入っておりますゆえ、あわせて二千となりますな。油断さえなければ、伊達が総力を振り向けてきたとて、数日は持ちこたえられましょう」

「数日じゃ、困るんじゃねぇか」

「仰せのとおり、数日生き永らえるだけなら意味はございませぬ。ただ、こちらに敵手の主力が来るならば、福島城からは後巻を期待できましょう。無論、先に福島城に向かったなら、その折は我等が後詰を出さねばなりませんが」

 そんな話をしながら、横田大学は、斯忠らを普請中の北側の曲輪へと案内する。

「この曲輪は、それがしが我が手の人数と、当地の領民を動員して共に築いておるものにござる。普請にあたっては、須田様にそれがしが示した縄張の案をほぼそのままお認めいただいた。須田様は若年ながら、なかなかの器量人にござるな」
 横田大学は大規模に手が入れられている土塁を指し示し、得意げな口調で斯忠に説明する。

 斯忠はほうほうと相槌を打ち、曲輪の出来栄えを確認する風を装いながら、横田大学の横顔に注意を払っている。

「なにしろ、元をただせばこの梁川城はかつては伊達の本拠。政宗も、強みも弱みも承知してござれば、その気になればいつでも攻め落とせると高をくくっておりましょう」
 それゆえ、大規模な普請を行い、城の姿を変える必要があったのだ、と横田大学は続ける。

 斯忠の探るような視線に気づいている様子はない。

「ひとは、それがしの名をとり、この曲輪を大学館と呼んでおるようにござる」
 横田大学は鼻高々といった調子で、己の手掛けた曲輪を自慢したくて仕方がない様子がうかがえた。

「大学曲輪じゃなくて大学館なのかい」
 たいしたことではないが、斯忠は少し気になったのて訊ねてみる。

「なんでも、この城の本丸の南にある曲輪には、援将の一人である築地修理亮様の御屋敷があるのですがが、そこは桜の古木があって桜館と呼ばれておるようで。それに倣った呼び方のようですな」

「桜館、か……」
 口の中で転がすようにその言葉を呟き、斯忠は頬を緩め、横田大学の肩を親しげに叩く。

「なかなか、いい城じゃねぇか」

「左様でございますか。ただ、築地様は新参者があまりお気に召さぬようで、それがしといささか反りがあいませぬ。間に車殿が入っていただけると、それがしとしても心安んじることができますな」
 新参者嫌いというからには、築地修理亮は越後以来の上杉の家臣なのだろう。

 だが、斯忠は横田大学の言い分に首をひねった。
「新参者嫌いってんなら、どっちにしろ駄目じゃねぇか。俺だって新参者だぜ」

「そこはそれ、流れ者のそれがしとは異なり、車殿は佐竹の重臣でござりましたから」

 そんなことを話しているところに、数名の小者を連れたいかめしい面構えの武者がのしのしと歩み寄ってくる。

「築地様にござる」
 横田大学が斯忠に小声で耳打ちする。

 心なしか、斯忠の背中に隠れるような位置取りになるのは、よほど築地修理亮を苦手にしているのだろう。

「車丹波殿とお見受けいたす。須田大炊介様がお待ちかねじゃ。疾く本丸御殿までお越しになられよ。横田殿もじゃ」
 築地修理亮は斯忠に向かって言いたいことだけ言うと、返事も聞かずにくるりと背を向けて、来た時と同じようにのしのしとした足取りで立ち去ってしまう。

 その間、横田大学には一瞥もくれない。

「なるほどねぇ。横田殿もご苦労なことだ」
 正直、横田大学のことをあまり好きにはなれない斯忠なのだが、築地修理亮の人もなげな態度には、さすがに同情してしまい、その背中を二度三度と叩く。

「……まあ、ああいう御仁です」
 横田大学は顔をゆがめつつ、肩をすくめた。

***

 大学館に建ち並ぶ陣屋の一部が、援軍を見越して開けられていた。
 とりあえず陣屋に配下を入れてから本丸に向かった斯忠は、本丸御殿の広間に招き入れられた。

「須田大炊介にござる。此度は手勢を引き連れてのご参陣、かたじけなく存ずる」
 上座に座る須田長義は、丁寧な口ぶりで頭を下げた。

 しかし、福島城の大手門前で見かけたときと同様、細面の凛とした端正な面立ちに卑屈さは感じられず、ひたすらに前向きな心根を感じさせた。

「率いる手勢が少なく、申し訳ございませぬ。本来なら、倍も欲しいところではございますが」
 斯忠は、まず恐縮してみせた。

 その様子を、景勝の命を受けて梁川城に入城している鬼生田大膳、金子美濃、大塔小太郞、住谷太郞左衞門、島倉孫左衞門といった諸将に加え、先ほど顔を合わせた横田大学と築地修理亮が見ている。

 本庄繁長から茶室で密かに聞かされた話が正しいのであれば、彼らの中に伊達に内応している者がいる可能性がある。

 もっとも、この場でその事実を明らかにする訳にはいかない。

 なんらかの形を作って、長義と直接話す機会を持ちたいところだ。

「なんの。福島城の守りもおろそかに出来ぬことは承知してござる。名にし負う車丹波守がこの城に籠っておると聞けば、伊達の兵は震えあがりましょう」
 斯忠の思案をよそに、長義は声を弾ませる。

「そううまくゆけばよいのですが。格好の兜首とばかりに狙われては、たまりませんな」
 己の首筋が寒いとばかりに斯忠が右手でさすってみせると、諸将の間から好意的な笑いが漏れた。

 上座の長義も笑みを浮かべている。

 ただ、そんな中にあっても築地修理亮だけはむっつりと黙り込んでいる。

(どうにも、合わない野郎がいるな)
 斯忠の脳裏に、和田昭為の分別顔が浮かぶ。

 文官として重きをなす和田昭為と、鑓働き一筋といった風情の築地修理亮とはまったく似ていない。

 それでもとにかく、斯忠にとって相性が悪い相手といえば、すなわち和田昭為なのである。

「本来であれば車殿を歓迎する酒宴と行きたいところであるが、万が一にも隙はみせられませぬ。いずれ埋め合わせはいたしまする故、本日より大学館の守りについていただきたい」

「かしこまって候」
 台詞を読むような口ぶりで承知の意を示した斯忠は、殊更に居住まいをただして頭を下げた。

 大学館に割り当てられたのは、屋敷と呼ぶほどのものではない急ごしらえの陣屋だった。

 城兵の増員を見越して新たに建て増ししたものだとの横田大学の説明どおり、まだ生活の匂いが染みついていない。

 梁川城の駐留がどれほどの期間になるのかは判らないが、自分たちが暮らしやすいように手を入れられる部分には手を入れたいところである。

 五百という人数は、軍勢としては決して大きなものではないが、これだけの人数が新たに暮らすとなれば部屋の割り振りすら一苦労である。

 住み心地が良さそうな場所を巡って、早速あちこちで騒ぎが起こっている。

 面倒な部屋割りの采配を嶋左源次に任せた斯忠は、己の部屋に善七郎を呼ぶ。

 梁川城への入城にあたり、善七郎は足軽の恰好をして何食わぬ顔で配下の中に紛れ込んでいた。

「城の守りはともかく、本庄様が言うところの内応者が気になる。かといって、知らぬ相手に聞いて回る訳にもいかねぇ」

「本当に内応者がいるのであれば、城外から伊達の間者が接触を計っているものと思われます。そちらを押さえましょう」
 応じる善七郎の表情も険しい。

 ただ、伊達の間者といえば、伊達政宗肝煎りの黒脛巾である可能性が高い。

 大名お抱えの忍び衆が相手では、規模も練度も風車衆では太刀打ちできないことは言うまでもない。

「現場を押さえられるならば言うことはねぇが、あまり無理はするなよ。忍び同士で斬り合いになったって、なんの手柄にもなりゃしねぇからな」
 さすがに心配になって、斯忠は念を押す。

「承知しております。しかし、そう簡単には……、あ」
 善七郎が何かを言いかけて、ぽかんと口を開けた。彼がこのような様子を人目に晒すのは珍しい。

「どうした。何か気づいたか」

「はっ。もしや、このように悠長に話している場合ではなかったやも知れませぬ。内応者がいかなる手立てで事を起こすか判りませぬが、いずれにせよ五百の増援はとっては想定外の筈。であるならば、それを必ず伊達勢に伝えようとするのでは」

 善七郎の言葉に、斯忠も膝を打つ。

「そうだ! なにかしらの合図を送って、間者を呼び寄せようとするに違げぇねえ。そこをとっ捕まえるんだ」
 思わず斯忠は勢い込んで口から泡を飛ばすが、話はそう簡単ではない。

 彼らは梁川城の縄張り自体、ろくに把握していないのだ。

 手元にあるのは、善七郎が外観を伺って描いたおおざっぱな絵図面が一枚のみ。

 かろうじて外郭の縁の形と高櫓の位置が判る程度で、内部の曲輪の縄張りについてはほとんど白紙であるが、この程度でもいわゆる軍事機密であり、大っぴらに出来ないものである。

 どこから間者が忍び寄り易いのかは、経験に基づく勘働きで読み取って見張るしかない。

「簡単にはいかぬでしょうが、事は急を要しますゆえ、これにて御免」
 善七郎は頭を下げ、その場からそそくさと姿を消した。

 城の内外に配下を配置して見張らせる手筈を整えるのだろう。

 不安は残るが、斯忠としてもここは善七郎の手腕に任せる他にない。

***

「旦那ぁ、ちょっとお越し願えませんでしょうか」
 何か他に講じる手立てがないものか、と絵図面を前に思案する斯忠の耳に、団吉の申し訳なさそうな声が聞こえてきた。

 斯忠はやむなく腰を上げて戸口から顔を出す。

 眉を八の字にした団吉が、額に汗を浮かべて立っていた。

「どうにも面倒なことになっておりまして」

「なんでぇ、面倒ごとって」
 配下が騒がしいのはいつもの事とて気にしていなかった斯忠も、団吉に呼び出されたのでは知らぬ顔もできない。

 団吉に連れられるまま陣屋の外に出てみると、大学館の一角に人だかりが出来ていた。

「なにやってんだ、お前ら。どきやがれ、こら」
 斯忠は人垣に分け入って、時には頭をはたきながら輪の中心に身体をねじ込む。

 そこには、たすき掛けして薙刀を小脇にかいこんだ女性が、数名の女中を引き連れている姿があった。

「見回りたぁ、ご苦労だね」
 斯忠の口からはつい軽口が飛び出る。

 年の頃は二十代半ばと見えるその女性の周辺にだけ、まるで光が射し込んでいるかように見えた。

「於きた様の御見回りと知っての狼藉か。直江様配下の組外衆と申せ、無体は許せませぬ」
 於きたという名らしい女性より十歳ばかり年上と思しき女中が、眉を吊り上げて進み出た。

「お牧。控えなさい。わたくしが話します」
 於きたが鋭い声を放つと、呼びつけられたお牧は小さく頭を下げて引き下がった。

「車様ですね。わたくし、須田相州が娘、きたと申します」
 於きたの切れ長の目にまっすぐ見据えられて、斯忠の脳裏に閃くものがあった。

(この眼は……。まあ、須田相州の娘ってことは、大炊介殿の姉君ってことか。なるほど、確かにたいした器量良しだ)
 本庄繁長の言葉を思い出して納得しつつ、詰まっていた言葉を喉から押し出す。

「ああ、こりゃどうも。車丹波守斯忠にござる。この度は……」

「失礼ですが、お引き連れになられた兵の規律が緩んでいるやに思われます。是非とも引き締め直してくださいませ」
 於きたはにこりともせず、厳しい口調で言葉を遮る。

 斯忠は面食らいつつ、反射的に何か言い返したくなった。

 しかし、険しい顔をしていても美しさを隠しようもない於きたを前にしては、その舌鋒も緩む。

 第一、最前線に着陣した高揚感からか、配下が意味もなく騒いでいる以上、どちらに非があるのかは明らかだった。

 きたは凛とした佇まいを崩さず、その傍らではお牧が身を挺してでも彼女を守ろうと身構えている。

 しかし、女中のなかには、荒くれ男どもの好奇の視線に曝されて怯えている者もいる。

(こりゃ、こっちの分が悪いか)
 斯忠は早々に、意地を張ることを諦めた。

 相手が男ならいくらでも喧嘩は買うが、「掃き溜めに鶴」を絵に描いたような今の状況では、我を張る気にもなれないのが、車丹波と言う男である。

「いや、こりゃ申し訳ない。どうにも女に飢えているのか、情けない次第で。こいつらは後でシメておきますんで、どうかここは穏便に。……おい、てめえら、見世物じゃねぞ。散れっ、散れ!」

 斯忠は、周りにいた配下の頭を手当たり次第にパンパンと平手ではたいていく。

 すると、さすがにぶつくさ言う者はいるものの、人垣が崩れていく。

「ささ、どうぞお通りください」

「いつ、伊達が攻め寄せてもおかしくはありません。初めてお会いする方に申し上げるのは不躾とは存じますが、このような有様では、心配です」
 於きたは臆することなく、斯忠の目を見据えて言い募る。

「いや、於きた様。お会いするのは二度目ですよ」

「二度目?」

「福島城の城下で、目があったと思いましたがね。あの折は、白銀に輝く当世具足をお召しでしたな」

「あっ」
 むくつけき男どもに囲まれていても崩れることのなかった於きたの顔に、はじめて狼狽の色が走り、慌てた様子で周囲を見回す。

 彼女にとって幸いなことには、斯忠と女中衆以外に、二人の会話を耳にしている者はいなかった。

「兜と面頬で面立ちは見えませなんだが、その目はしっかり見ておりました。いや、大炊介殿の姉御に、このような形でお会いするとは思いませんでしたな」

「……忘れよ、とは申しません。ただ、あまりそのことは吹聴しないでください」
 頬を紅潮させて睨んでくる於きたのことを、斯忠は年甲斐もなく、可愛い、と感じてしまった。

 そうなれば彼女を困らせる真似はできない。

「誓って、我が秘事と致しましょう」
 斯忠は緩む表情を懸命に引き締めてみせたが、於きたはぷいと顔を背けると、そそくさとその場を立ち去ってしまった。

 当然、お牧以下の女中も慌ててその後に続く。

「いやはや、たいへんな姫様ですな」
 これから先が思いやられる、とばかりに嶋左源次が首を振りつつ斯忠の傍らにやってくる。

「うるせぇ、源公。騒ぎ一つも鎮められねぇくせに、何言ってやがる」
 斯忠が左源次の頭をはたく。

「あ痛ぇ」

「しかしまあ、ずいぶん楽しいことになりそうじゃねえか」
 頭を押さえる左源次を横目に、斯忠は口の端をあげて笑みを刻んだ。
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