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冷ややかな朝と、沈黙
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窓の隙間から差し込む無慈悲なまでの朝陽が、まぶたを刺した。
セレフィーネが意識を取り戻したとき、最初に感じたのは、これまでの人生で一度も味わったことのない身体の重みだった。全身の節々が軋み、肌の表面にはまだ、自分のではない熱い体温の残滓がこびりついているような錯覚を覚える。
(……ああ、私……なんてことを……)
脳裏を過るのは、断片的ながらも鮮烈な昨夜の記憶だ。
銀糸のような髪が視界を埋め尽くし、自分を呼ぶ低く甘い声。騎士として鍛え上げられた指先が、容赦なく自分の秘められた部分を暴き、熱情の渦へと突き落としていった。媚薬のせいだと言い訳をしても、最後に彼を求めてその背中に爪を立てたのは、間違いなく自分自身の意思だった。
鉄の規律を誇る第一騎士団員として、そして厳格な父を持つ娘として、あってはならない醜態。
だが、絶望と同時に、セレフィーネの胸の奥には、一輪の花が芽吹いたような不思議な充足感が残っていた。剣を振るうことしか知らず、「自分に女性らしさなど欠片もない」と信じ込んできた十九年の歳月が、たった一夜で塗り替えられたような――そんな、あまりにも脆く美しい開花の予感。
しかし、その淡い期待は、シーツを握りしめ体を起こした瞬間に凍り付いた。
「……目覚めたか」
低く、抑揚のない声。
部屋の隅、賓客用の重厚な椅子に腰掛け、脚を組んでいる男がいた。
第一騎士団副団長、ユリウス・ヴァルト。
彼は既に、乱れ一つない軍服に身を包んでいた。昨夜、床に投げ捨てられたはずの剣帯も、今はその腰に完璧な位置で収まっている。書類に落とされていた彼の視線が、ゆっくりとセレフィーネへと向けられた。
そのオリーブ色の瞳には、昨夜見せた狂おしいほどの熱情など微塵も残っていない。そこにあるのは、部下を検分するかのような冷徹な、上官としての眼差しだった。
「副、団長……。私は……」
「何も言うな。身体の具合はどうだ。薬の影響は残っているか」
「……いえ。大丈夫、です。お騒がせいたしました」
セレフィーネは震える手でシーツを胸元まで引き上げた。剥き出しの肩に残る赤い痕が、彼に見られているのではないかと気が気ではない。しかし、ユリウスは彼女の裸身に興味を示す風もなく、手元の書類をパサリと閉じた。
「ならばいい。……本題に入る。昨夜の件、及びドルムント王子の陰謀については、既にマグノリア王女殿下を通じて陛下、そして我が団のアルベルト団長へも報告済みだ」
セレフィーネの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
国家間の陰謀を防いだ功績よりも、副団長と密通したという事実が、王宮内でどう扱われるか。考えただけで目の前が暗くなる。
「王子は既に拘束され、アルヴェリア国には厳重な抗議と賠償の請求が行われる。お前の功績は大きい。だが……それとは別に、我々の問題がある」
ユリウスが立ち上がり、一歩、また一歩とベッドへ近づいてくる。
軍靴が床を叩く規則正しい音が、まるで判決を待つ被告人へのカウントダウンのように聞こえた。彼はベッドの傍らで立ち止まると、冷淡な口調で告げた。
「貴殿の父上――第二騎士団副団長ダニエル殿にも、事の次第を伝えた。……俺と貴殿は、今日付で正式に婚約することになった」
「……え?」
思考が停止した。
婚約? 騎士爵家の娘である自分と、侯爵家の嫡男であり、次期当主のユリウス副団長が?あまりにも釣り合わない。そもそも、これは昨夜の不始末に対する「処置」ではないのか。
「お前の実直な気質と、昨夜の状況を鑑みれば、これが最も波風の立たない解決策だ。貴殿の家名に傷をつけるわけにはいかないからな。……これは、俺が取るべき『責任』だ」
『責任』。その言葉が、セレフィーネの胸を鋭く抉った。
( ああ、やっぱりそうよね。純血を散らした責任を負わされたのね…… 損な方 。)
彼は、自分を愛したからではなく、ただ「貴族としての義務」としてこの言葉を口にしている。遊び慣れた彼にとって、部下の純潔を奪ったという事実は、後始末の必要な事務仕事の一つに過ぎないのだろう。
昨夜のあの熱い愛撫も、耳元で囁かれた甘い言葉も、すべては媚薬に当てられた自分を鎮めるための、高度な「技術」だったのだ。
「不服はあるか? もし他に心に決めた男でもいるのなら、別の手を考えなくもないが」
「……いえ。そんな方は、おりません」
「なら決まりだ。詳しい手続きは両親と団長が進める。貴殿は今日一日、休暇を取れ。実家から迎えが来るはずだ」
ユリウスはそれだけ言うと、一度も振り返ることなく部屋を出て行った。
パタン、と閉まった重い扉の音が、二人の間に引かれた明確な境界線のように響いた。
一人残された部屋で、セレフィーネは膝を抱えて顔を埋めた。
昨夜、女として開花したばかりの喜びは、急速に色褪せ、冷たい現実へと変わっていく。憧れの人の婚約者になれるというのに、心にあるのは絶望に近い諦めだった。
( 副団長に、申し訳ないわ……)
彼は自由を愛し、華やかな女遊びを謳歌していたはずだ。そんな彼を、私の不手際のせいで「結婚」という名の窮屈な檻に閉じ込めてしまった。
(ましてや相手が、私のような可愛げのない女騎士だなんて……皮肉なものね)
自嘲気味に微笑んだセレフィーネは、シーツの下で自分の腕を見つめた。それは、夜会で見かける令嬢たちの白く細い腕とは、似ても似つかぬものだ。長年の鍛錬でしなやかな筋肉がつき、剣を振り回し、泥にまみれて生きてきた証が刻まれている。
ドレスを纏い、愛を囁かれるためにある腕ではない。
「……似合うはず、ないのに」
ぽつりと漏れた独り言が、静かな部屋に虚しく響いた。
ユリウスが自分に向ける視線に、今後「愛」が宿ることはないだろう。彼はただ、義務を果たし、自分を「責任」という名の冷たい箱に閉じ込めるのだ。
それでも、昨夜の熱を身体が覚えている。彼に触れられた場所が、まだ微かに熱を帯びて疼いた。
数時間後、王宮の門前には、娘の失態を聞きつけた父ダニエルと、血相を変えた兄ケビンの姿があった。
セレフィーネを待っていたのは、祝福の声ではなく、沈痛な面持ちの家族と、王宮内に広まり始めた「冷徹な副団長が、地味な女騎士を責任上引き取った」という、憐れみと嘲笑の混じった噂話だった。
セレフィーネの新しい人生は、そうして、あまりにも冷ややかな朝から幕を開けたのである。
__________
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セレフィーネが意識を取り戻したとき、最初に感じたのは、これまでの人生で一度も味わったことのない身体の重みだった。全身の節々が軋み、肌の表面にはまだ、自分のではない熱い体温の残滓がこびりついているような錯覚を覚える。
(……ああ、私……なんてことを……)
脳裏を過るのは、断片的ながらも鮮烈な昨夜の記憶だ。
銀糸のような髪が視界を埋め尽くし、自分を呼ぶ低く甘い声。騎士として鍛え上げられた指先が、容赦なく自分の秘められた部分を暴き、熱情の渦へと突き落としていった。媚薬のせいだと言い訳をしても、最後に彼を求めてその背中に爪を立てたのは、間違いなく自分自身の意思だった。
鉄の規律を誇る第一騎士団員として、そして厳格な父を持つ娘として、あってはならない醜態。
だが、絶望と同時に、セレフィーネの胸の奥には、一輪の花が芽吹いたような不思議な充足感が残っていた。剣を振るうことしか知らず、「自分に女性らしさなど欠片もない」と信じ込んできた十九年の歳月が、たった一夜で塗り替えられたような――そんな、あまりにも脆く美しい開花の予感。
しかし、その淡い期待は、シーツを握りしめ体を起こした瞬間に凍り付いた。
「……目覚めたか」
低く、抑揚のない声。
部屋の隅、賓客用の重厚な椅子に腰掛け、脚を組んでいる男がいた。
第一騎士団副団長、ユリウス・ヴァルト。
彼は既に、乱れ一つない軍服に身を包んでいた。昨夜、床に投げ捨てられたはずの剣帯も、今はその腰に完璧な位置で収まっている。書類に落とされていた彼の視線が、ゆっくりとセレフィーネへと向けられた。
そのオリーブ色の瞳には、昨夜見せた狂おしいほどの熱情など微塵も残っていない。そこにあるのは、部下を検分するかのような冷徹な、上官としての眼差しだった。
「副、団長……。私は……」
「何も言うな。身体の具合はどうだ。薬の影響は残っているか」
「……いえ。大丈夫、です。お騒がせいたしました」
セレフィーネは震える手でシーツを胸元まで引き上げた。剥き出しの肩に残る赤い痕が、彼に見られているのではないかと気が気ではない。しかし、ユリウスは彼女の裸身に興味を示す風もなく、手元の書類をパサリと閉じた。
「ならばいい。……本題に入る。昨夜の件、及びドルムント王子の陰謀については、既にマグノリア王女殿下を通じて陛下、そして我が団のアルベルト団長へも報告済みだ」
セレフィーネの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
国家間の陰謀を防いだ功績よりも、副団長と密通したという事実が、王宮内でどう扱われるか。考えただけで目の前が暗くなる。
「王子は既に拘束され、アルヴェリア国には厳重な抗議と賠償の請求が行われる。お前の功績は大きい。だが……それとは別に、我々の問題がある」
ユリウスが立ち上がり、一歩、また一歩とベッドへ近づいてくる。
軍靴が床を叩く規則正しい音が、まるで判決を待つ被告人へのカウントダウンのように聞こえた。彼はベッドの傍らで立ち止まると、冷淡な口調で告げた。
「貴殿の父上――第二騎士団副団長ダニエル殿にも、事の次第を伝えた。……俺と貴殿は、今日付で正式に婚約することになった」
「……え?」
思考が停止した。
婚約? 騎士爵家の娘である自分と、侯爵家の嫡男であり、次期当主のユリウス副団長が?あまりにも釣り合わない。そもそも、これは昨夜の不始末に対する「処置」ではないのか。
「お前の実直な気質と、昨夜の状況を鑑みれば、これが最も波風の立たない解決策だ。貴殿の家名に傷をつけるわけにはいかないからな。……これは、俺が取るべき『責任』だ」
『責任』。その言葉が、セレフィーネの胸を鋭く抉った。
( ああ、やっぱりそうよね。純血を散らした責任を負わされたのね…… 損な方 。)
彼は、自分を愛したからではなく、ただ「貴族としての義務」としてこの言葉を口にしている。遊び慣れた彼にとって、部下の純潔を奪ったという事実は、後始末の必要な事務仕事の一つに過ぎないのだろう。
昨夜のあの熱い愛撫も、耳元で囁かれた甘い言葉も、すべては媚薬に当てられた自分を鎮めるための、高度な「技術」だったのだ。
「不服はあるか? もし他に心に決めた男でもいるのなら、別の手を考えなくもないが」
「……いえ。そんな方は、おりません」
「なら決まりだ。詳しい手続きは両親と団長が進める。貴殿は今日一日、休暇を取れ。実家から迎えが来るはずだ」
ユリウスはそれだけ言うと、一度も振り返ることなく部屋を出て行った。
パタン、と閉まった重い扉の音が、二人の間に引かれた明確な境界線のように響いた。
一人残された部屋で、セレフィーネは膝を抱えて顔を埋めた。
昨夜、女として開花したばかりの喜びは、急速に色褪せ、冷たい現実へと変わっていく。憧れの人の婚約者になれるというのに、心にあるのは絶望に近い諦めだった。
( 副団長に、申し訳ないわ……)
彼は自由を愛し、華やかな女遊びを謳歌していたはずだ。そんな彼を、私の不手際のせいで「結婚」という名の窮屈な檻に閉じ込めてしまった。
(ましてや相手が、私のような可愛げのない女騎士だなんて……皮肉なものね)
自嘲気味に微笑んだセレフィーネは、シーツの下で自分の腕を見つめた。それは、夜会で見かける令嬢たちの白く細い腕とは、似ても似つかぬものだ。長年の鍛錬でしなやかな筋肉がつき、剣を振り回し、泥にまみれて生きてきた証が刻まれている。
ドレスを纏い、愛を囁かれるためにある腕ではない。
「……似合うはず、ないのに」
ぽつりと漏れた独り言が、静かな部屋に虚しく響いた。
ユリウスが自分に向ける視線に、今後「愛」が宿ることはないだろう。彼はただ、義務を果たし、自分を「責任」という名の冷たい箱に閉じ込めるのだ。
それでも、昨夜の熱を身体が覚えている。彼に触れられた場所が、まだ微かに熱を帯びて疼いた。
数時間後、王宮の門前には、娘の失態を聞きつけた父ダニエルと、血相を変えた兄ケビンの姿があった。
セレフィーネを待っていたのは、祝福の声ではなく、沈痛な面持ちの家族と、王宮内に広まり始めた「冷徹な副団長が、地味な女騎士を責任上引き取った」という、憐れみと嘲笑の混じった噂話だった。
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