王女に奪われた婚約者? どうぞ差し上げます、家ごと!

恋せよ恋

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天使の微笑み、商談の裏側

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 学園からの帰路、馬車の窓に映る自分の顔は、相変わらず非の打ち所がない「天使の微笑み」を湛えていた。
 けれど、心の中ではすでに巨大な計算盤が音を立てて動いている。

(エミリオ、あなたは本当に救いようのない馬鹿ね。私があなたの不実を「大目に見てくれる」と本気で信じているなんて)

 彼は知らないのだ。ユング侯爵家が代々守ってきた葡萄の果樹園が、どれほどの手間と誇りを持って維持されているか。そして、私がその経営と品質管理において、父ダニエルの右腕としてどれほど冷徹に采配を振るってきたかを。

 屋敷の車寄せに馬車が止まると、私は足早に父の執務室へと向かった。
 扉を叩き、中へ入ると、そこには父ダニエルと、母の兄であり私の叔父であるガルト公爵チャールズが、深刻そうな顔で地図を広げていた。

「お帰り、オードリー。……帰国したエミリオ君には会えたかい? 顔色が優れないね」
 父ダニエルが心配そうに私を見つめる。三十歳という若さで侯爵家を切り盛りする父は、親友であるチャールズ叔父様と共に、私の最大の理解者だ。

「お父様、チャールズ叔父様。……お話ししなければならないことがございます」
 私は、部屋の扉を閉め、周囲に誰もいないことを確認した。

 そして、先ほどまで学園で身に纏っていた「ふわふわとした天使」の空気をつるりと脱ぎ捨てる。背筋を伸ばし、新緑の瞳に鋭い光を宿して、私は淡々と報告を始めた。

「エミリオ様が帰国されました。ですが、隣国の第三王女、ユリエル王女殿下を連れて。彼は公衆の面前で彼女とじゃれ合い、私に対し『結婚までの遊びは大目に見てくれ』と言い放ちましたわ。王女殿下からも、ユング侯爵家を侮辱する言葉を賜りました」

 部屋の温度が、一気に氷点下まで下がった。
 父の手にあったペンが、みしりと音を立ててしなる。チャールズ叔父様は、低く、地を這うような声で笑った。

「ほう……。あの小僧、我らが掌中の珠であるオードリーを蔑ろにしたばかりか、ガルト公爵家の血を引く娘に『遊びを許せ』と言ったのか」

「それだけではありませんわ。ユリエル王女殿下はエミリオ様を追って留学してきたとのこと。ルナリア王国との外交問題に発展する可能性を盾に、エミリオ様は彼女の我儘をすべて押し通すつもりでしょう」

 私は椅子に腰掛け、侍女が淹れてくれた紅茶に口をつけた。
「お父様、ヴォイル侯爵家との共同事業ですが……予定よりも早く切り離すべきだと判断します。彼らは販路を握っていることに胡座をかいていますが、我が家の葡萄は、今や彼らの力なしでも世界が欲しがっているわ」

 ユング侯爵家のワインは、その独自の醸造法と葡萄の質により、近年では大国ローゼンタールの社交界でも注目の的だ。
 これまではヴォイル侯爵家の商網を利用するのが最も効率的だったが、それはあくまで「誠実なパートナー」であることが前提だ。

「オードリー、お前の言う通りだ。ヴォイル侯爵も、息子の留学を機に少々増長していた。……だが、販路の急激な変更は我が家の経営にも一時的な打撃を与える。そこをどう埋めるつもりだい?」
「それについては、心強い『協力者』が現れましたわ」
 私の脳裏に、あの黒髪のクールな青年――パトリス様の顔が浮かぶ。

「ローゼンタールのトルドー公爵家次男、パトリス様です。彼は今日、エミリオ様の前で私を庇ってくださいました。それも、単なる騎士道精神ではなく、明らかに『ユング侯爵家の価値』を理解した上での行動です」

 チャールズ叔父様が興味深げに片眉を上げた。
「パトリスか。あの冷徹な若者が、誰かを公然と庇うとは珍しいな。ダニエル、これは面白いことになった。ローゼンタール公爵家と直接繋がることができれば、ヴォイル侯爵家など最早、足枷でしかない」

「ええ。エミリオ様には、せいぜい王女殿下との『真実の愛』に溺れていただくことにしましょう。……そして、気づいた時には足元の葡萄一粒すら残っていないことに気づけばいいのです」
 私は冷たく微笑んだ。

 父と叔父様は、私のその表情を見て、頼もしそうに頷き合った。
 この家族は知っている。オードリー・ユングは「天使」などではない。
 敵対する者には一切の慈悲を与えず、一族の利益のためには冷徹な計算を厭わない、最も美しく気高い「支配者」であることを。


 翌日。私は学園へ向かった。
 いつも通り、金髪の毛先を揺らし、おっとりとした仕草で廊下を歩く。

 すれ違う生徒たちが「可哀想なオードリー様」「婚約者が王女様を連れてくるなんて」と囁き合っているのが聞こえる。

(そうよ、もっと憐れみなさい。私が被害者であればあるほど、後の断罪が輝くのだから)

 すると、前方の廊下で人だかりができていた。
 中心にいるのは、エミリオとユリエル王女だ。

「ねえエミリオ、放課後はこの街で一番高級な宝飾店に連れて行って? 王宮にあるものより高価なものがあるとは思えないけれど、あなたの誠意を見せてほしいわ」
「もちろんだよ、ユリエル。君の銀髪には、きっとこの国のサファイアがよく映える」
 エミリオは昨日のことなど忘れたかのように、彼女の肩を抱いている。

 そこへ私が通りかかると、エミリオは気まずそうな顔一つせず、むしろ私に「手本を見せろ」と言わんばかりの態度で声をかけてきた。
「ああ、オードリー。ちょうどいい。ユリエルが今日、街へ出たいと言っているんだ。君も付いてきて、彼女の好みに合う店を案内してくれないか?」

 あまりにも無神経な言葉に、背後にいた私の親友であり従兄、リチャード――ガルト公爵家の嫡男が怒りを覚えたのが伝わってきた。彼は私の本当の性格を理解したうえで、変わらず守ると誓ってくれている。

「エミリオ、お前……いい加減にしろ。オードリーは君の婚約者であって、付き人ではない」
「いいのリチャード、気にしないで」

 私はリチャードを制し、エミリオに向かって花が開くような笑顔を向けた。

「エミリオ様、お誘いありがとうございます。ですが残念ながら、今日は先約がございまして。……お父様から、大切な客人の接待を任されているのです」

「客人の接待? 君一人でかい?」
 エミリオが不審げに眉を寄せた。

 その時、背後から冷徹な、けれど私を呼ぶ時だけは微かな熱を帯びた声が響いた。
「――その通りだ。彼女は私と、今後の『事業』についての打ち合わせをする予定になっている」
 現れたのは、パトリス様だった。

 彼はエミリオを一瞥だにせず、私の隣に立つと、当然のように私の腰をその大きな手で引き寄せた。

「な、パトリス殿……! また君か!」

「ヴォイル侯爵令息。君は王女殿下のエスコートで忙しいのだろう? ならば、暇を持て余している婚約者の相手を私が代わってやる。……感謝こそされても、文句を言われる筋合いはない」
 パトリス様の黒い瞳が、獲物を狙う鷹のようにエミリオを射抜く。

 エミリオは毒気を抜かれたように言葉を失い、ユリエル王女は悔しそうに私のドレスを睨みつけた。

「さあ、行こうか。オードリー」
 パトリス様に促され、私はエミリオたちの前を悠然と通り過ぎる。

 すれ違いざま、エミリオにだけ聞こえるような微かな声で、私は囁いた。
「エミリオ様。どうぞ、存分に楽しんでくださいませ。……ワインの香りも、今が一番芳醇な時ですから」

 エミリオは、その言葉の本当の意味を理解していない。
 彼が浮かれている間に、ヴォイル侯爵家の富の源泉である「ユング侯爵家の葡萄」が、すべてトルドー公爵家の手へと移り変わろうとしていることを。
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