ねえ、騎士様。妻の持参金で愛人を囲うのはどんな気分かしら?

恋せよ恋

文字の大きさ
3 / 4

伯爵家の進撃

しおりを挟む
  翌朝、ミランダは完璧な淑女の微笑みを湛えて食卓に現れた。

 昨日まで高熱にうなされていたとは思えないほど、その背筋は美しく伸び、肌には磁器のような滑らかさが戻っている。

「おはようございます、セバスチャン様。お義母様。」

「おや、ミランダ。もういいのかい? 無理は禁物だよ。君が倒れると、この家は火が消えたようになってしまうからね」

 セバスチャンは、いかにも良き夫といった風に目を細めて言った。その口調からは、昨日の応接間でデボラという平民の娘を褒めそやし、妻を「息苦しい」と断じた卑怯さは微塵も感じられない。

 ミランダは内心で冷笑しながらも、淑やかに頷いた。

「ええ。昨日は皆様の楽しげな笑い声が寝室まで届いておりましたから。……とても賑やかで、私まで元気をいただいたようですわ」

「……! あ、ああ。ヤスミンが来ていたからね。君の見舞いにと、美味しい茶菓子を持ってきてくれたんだ」

 セバスチャンの眉がわずかに跳ねた。罪悪感からか、あるいは「聞かれていたのでは」という疑念からか。だが、ミランダの顔に浮かんでいるのは、いつも通りの「従順で有能な妻」の仮面だ。彼はすぐに安堵し、再び傲慢な全能感に身を委ねた。

 義母ナタリーは、お気に入りの派手な宝石をジャラつかせながら、鼻を鳴らす。

「元気になったなら、溜まっている帳簿を片付けてちょうだい。あなたが寝ている間、家の管理が滞って本当に不便だったわ。ああ、それと、来月の夜会のドレスを新調したいの。伯爵家に、少し予算を融通してもらえないかしら?」

「左様でございますか。承知いたしました、お義母様。……すべて、手配いたしますわ。私の実家とも、しっかりと『お話』をさせていただきます」

 ミランダの瞳の奥で、冷たい炎がゆらりと揺れた。

 この義母はまだ気づいていない。自分が今、誰の金でその贅沢な暮らしを享受しているのかを。そして、その財布の紐を握っている人間を、これほどまでに踏みにじった代償を。

 ミランダは食後、自室に籠ると、信頼できる侍女に昨夜書き上げた手紙を託した。

「これを、今すぐレーゲン伯爵邸のギルバート兄様へ。誰にも見られてはなりませんよ」

「承知いたしました、奥様。……必ずや」

 侍女は、ミランダがこの家でどれほど孤独に、しかし懸命に尽くしてきたかを知っている。彼女もまた、セバスチャンの浮気と、義母の横暴に憤りを隠せない一人だった。


  数時間後。王都にあるレーゲン伯爵邸の書斎で、一通の手紙を読み終えた兄ギルバート・レーゲンは、手にしていた羽ペンをミシリと音を立てて握りつぶした。

「……あの、腐れ騎士風情が」

 二十四歳の若さで次期伯爵として辣腕を振るうギルバートは、社交界では「氷の麒麟児」と恐れられるほど冷静な男だ。だが今、その瞳には、愛する妹を冒涜されたことへの、凄まじいまでの殺気が宿っていた。

「ギル、どうした? そんな顔、戦場でも見たことがないぞ」

 ソファで書類に目を通していた男が、顔を上げた。

 エバンス伯爵家次男であり、王宮の外務補佐官を務めるアーサーだ。彼はギルバートの親友であり、そして学園時代からずっと、ミランダを遠くから見守り続けてきた男でもあった。

 ギルバートは無言で手紙をアーサーに投げ渡した。

 アーサーはそれを一読し、次の瞬間、彼の周囲の空気が凍りついた。

「……セバスチャン・マレーネが、ミランダ嬢の財産で平民の女を囲い、ヤスミン男爵夫人と共謀して彼女を精神的に追い詰めている……だと?」

 アーサーの声は低く、地を這うような響きを帯びていた。

 彼は学園時代、ミランダがセバスチャンに恋をし、頬を染めていた姿を見て、身を引いた。彼女が選んだ男なら、きっと彼女を幸せにするはずだと信じて。

 そのために、自分の恋心に鍵をかけ、仕事に没頭し、独身を貫いてきたのだ。

「ギル。今すぐ、我がエバンス家の伝手を使って、マレーネ子爵の素行調査を徹底的に行う。赴任先での『デボラ』という女との接触、そしてヤスミン男爵夫人との不適切な関係……。すべて、王宮に報告し、彼の騎士としての籍を剥奪する準備を始める」

「ああ、頼む。私はレーゲン伯爵家の名において、子爵家への全融資を即刻停止する。さらに、ミランダが結婚時に持ち込んだ持参金と、これまで彼らが浪費したレーゲン家の資産をすべて返還させるための訴訟準備に入る」

 ギルバートは立ち上がり、窓の外を見据えた。

「マレーネ子爵家は、妹の献身と我が家の財力によって支えられていた砂上の楼閣だ。ミランダという柱を失えば、どうなるか……あの愚か者どもに、身をもって分からせてやる」

 アーサーもまた、静かに立ち上がった。

「ギル、一つ約束してくれ」

「なんだ?」

「ミランダ嬢が離婚し、子供たちを連れて帰ってきたら……その後の彼女の人生は、僕が責任を持って守る。彼女が望むなら、一生をかけて、彼女が失った笑顔を取り戻してみせる」

 その言葉に、ギルバートはわずかに表情を和らげた。

「お前なら安心だ、アーサー。……だがその前に、まずはゴミを掃除しに行かなくてはな」


  その頃、マレーネ子爵家では、セバスチャンが「お掃除の時間ですわ」というミランダの言葉の意味も知らず、意気揚々と別邸へ向かおうとしていた。

「デボラ、寂しがっているだろうな。ミランダも体調が戻ったようだし、今夜は別邸でゆっくり過ごそう」

 彼は、自分が守られている世界が、すでに崩壊の一歩手前にあることに気づいていない。

 愛する妻の背後に、王国の経済を握る伯爵家と、王宮の中枢を担う若き実力者が、冷徹な死神となって迫っていることに。

 ミランダは子供部屋で、三歳のニコラスと一歳のエメリアを抱きしめていた。

「いい、ニコラス、エメリア。もうすぐ、おじいさまとおばあさま、そしてギルバート伯父様のところへ行くわよ。そこには、悲しい顔をする人なんて一人もいないわ」

 ニコラスが、小さな手で母の頬を撫でた。

「お母たま、もう泣かない?」

「ええ……もう、一生分の涙は昨日で使い果たしてしまったわ」

 ミランダの瞳は、もう曇っていなかった。彼女は、自分が守るべき宝物のために、最強の「盾」と「剣」を呼び寄せた。

 あとは、傲慢な夫がすべてを失い、地に伏せる瞬間を、高貴な椅子に座って見届けるだけだ。

 断罪の時間は、すぐそこまで来ていた。
__________

エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇‍♀️
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

元婚約者だったお兄様が後悔したと私に言ってくるのですが…

クロユキ
恋愛
親同士が親友だったと将来お互い結婚をして子供が生まれたら婚約を結ぶ約束をした。 お互い家庭を持ち子供が生まれたが一家族の子供は遅い出産だったが歳が離れていても関係ないとお互いの家族は息子と娘に婚約を結ばせた。 ジョルジュ十歳、オリビア0歳で親同士が決めた婚約をした。 誤字脱字があります。 更新が不定期ですがよろしくお願いします。

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました

青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。 それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。

【完結】婚約者は自称サバサバ系の幼馴染に随分とご執心らしい

冬月光輝
恋愛
「ジーナとはそんな関係じゃないから、昔から男友達と同じ感覚で付き合ってるんだ」 婚約者で侯爵家の嫡男であるニッグには幼馴染のジーナがいる。 ジーナとニッグは私の前でも仲睦まじく、肩を組んだり、お互いにボディタッチをしたり、していたので私はそれに苦言を呈していた。 しかし、ニッグは彼女とは仲は良いがあくまでも友人で同性の友人と同じ感覚だと譲らない。 「あはは、私とニッグ? ないない、それはないわよ。私もこんな性格だから女として見られてなくて」 ジーナもジーナでニッグとの関係を否定しており、全ては私の邪推だと笑われてしまった。 しかし、ある日のこと見てしまう。 二人がキスをしているところを。 そのとき、私の中で何かが壊れた……。

あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません

藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。 ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。 「君は分かってくれると思っていた」 その一言で、リーシェは気づいてしまう。 私は、最初から選ばれていなかったのだと。 これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。 後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、 そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

【完結】お父様の再婚相手は美人様

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 シャルルの父親が子連れと再婚した!  二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。  でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。

処理中です...