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褐色の神子様

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 少しだけ垂れ目がちな瞳も、神秘的な闇色。厚みのある身体は俺よりも頭一つ分飛び出て大きくて。
 俺とは人種的な違いを感じるものの、目の前にいるのはどこからみても穏やかな男前だった。
 この数ヶ月ですっかり見慣れたはずのそれに、一瞬だけ見蕩れてしまう。
 くう……顔が良いって反則だ。おおらかなその顔を見ていると、皿を割ったくらいどうでもいい気さえしてしまうのだ。
「んもう……怪我、してませんか? してないならいいですけど」
 俺の言葉に、神子様は泡だらけの両手をパッと見せてくれる。神子様が無傷なら、それでいいか。
「ワ××××、メゴ、××××××、ワリ××××!」
「んもう……。だからやらなくて良いって言ってるのに。気持ちは嬉しいんですけどね、逆に俺の仕事が増えるんですよ?」
 おおらかで明るいこの人は、大きな身体にあわせたように、何をさせても雑で不器用だ。こちらを手伝ってくれようとする優しさは有り難いが、正直俺の仕事が増えるだけなので止めて欲しい。
 そう何度も伝えているというのに、神子様は懲りること無くこうして手を出してくるのだ。全くもう、困った人だ。
「ははは! ワリワリ、メゴ、ワリワリ! ×××××、××××……」
「謝れば良いと思ってるでしょう! もう……」
 全く悪びれた様子も無く、あっけらかんと笑う神子様。普通なら苛立ちかねないかれど、この人のどこまでも明るくおおらかな態度は、それをあっさりと許してしまう魅力がある。
「ワリ、ワリ」
 ワリ、という言葉が「ごめんなさい」に該当するらしい。彼はこうして反省の様子なく、いつだって楽しそうに笑うのだから、本当にそうなのかは定かでは無い。
 彼と暮らすこの数ヶ月で、俺が勝手にそう判断しているだけなのだから。
「……本当に。神子様も、言葉が喋れたらなあ」
 割れた皿を拾い上げる。
 放っておけば悪素に侵されるこの世界では、数十年に一度異世界から神子様を喚ぶ。そして代々伝わる祝詞を読み上げてもらい、悪素を祓って貰うことで正常を保つことができるのだという。
 代々の神子様はこことは全く違う世界にある、ニホンという国から喚ばれるらしい。
 彼らはすぐに、こちらの言葉を喋ることが出来たそうだ。読み書きはできずとも、言語が翻訳されるのか意思疎通はもちろん、祝詞だって問題無かったとか。
 だというのに俺の神子様は、言葉は理解している様子はあるものの、喋ることができない。祝詞を復唱させても、何とも意味の分からない節を付けて復唱するものだから、正しく発音することが叶わない。
 そうなると結局神子としての本務を果たすことが出来ず、失格との烙印を押されてこの第十宮殿――宮殿とは名ばかりのあばら屋に追いやられてしまったのだ。
 神子様が異世界から召喚されて一年、そして俺と二人でここで暮らして半年が経つ。
 こちらの言葉は理解している神子様の、簡単な単語ならこちらも理解出来るようになってきた。ワリ、はゴメンという意味らしい。悪い、と言う言葉に似ているので直ぐに分かった。
 独特の節が歌うようにも聞こえる、神子様の言葉。
 彼の響くような低音も重なって、零れる言葉はまるで一つの音楽のようでもある。いつまでもそれを聞いていたいな、なんて。
 最近の俺はちょっとおかしいのかもしれない。
「メゴ? ナジョシトァ?」
「な、なんでもない!」
 散乱する破片をぼんやりと眺めていると、神子様がひょいと顔を覗き込んできた。
 近い! 本当にこの方は、人との距離が妙に近いんだから。勝手にドキドキするんだから心臓に悪い。
「ンダァガァ」
 神子様はその男っぽい表情をにこりと崩して、その大きな手で俺の頭をよしよしと撫でた。
「俺……もう二十三なんだけどな。神子様、俺の事子供だと思ってない? 神子様たぶん二十歳前後でしょ……俺の方が多分年上なんだけど」
「メゴ、ナンボデモエエナヤァ。メンゴィイシノゥ。イイアンデェ」
 ぐりぐりと撫でる。俺の言葉は分かってるのに、神子様の言葉は分からないのがもどかしい。身振り手振りでやりとりは伝わるけれど、俺は今よりもっと、彼のことが知りたいのに。
 言葉も喋れるようになったら、きっと立派な神子様になれる気がしているのに。
 だけど目の前の彼は、神殿からも王族からも見放されてしまっている状況だ。
「はあ……。第十宮殿まで追いやられちゃったもんなあ」
 ヌキアの言っていた事は悔しいけれど、多分事実だろう。祝詞の唱えられない、つまり浄化と再生を行うことの出来ない神子様は、失格の烙印を押されている。
 悪素はこの世界の人間では消滅させることができない。つまりこのままでは、世界は緩やかに滅んでいく。
 疫病が流行り、作物の育たない土地になる。今は大丈夫だけど、それが何年保つかどうか。
 最初の一ヶ月は言葉が通じない神子様に、偉い人たちがあれこれと言葉を教えていたらしい。穏やかで笑顔を浮かべるその態度は実に神子然としていて、上の人たちはそれはもう期待していたらしい。
 でも結局それは祝詞を上げられないだけで、手のひらを返す程度だった訳で……。
 そうモヤモヤと考えていると、指に鋭い痛みが走る。
「う……っ!」
 人差し指を見れば、食器の欠片で切ってしまったらしく時間をおいてじんわりと血が滲む。
 そんなに深くない。ギュッと押して滲む血を出し切ったら、直ぐに止まるだろう。
 そう思い押したその指を、神子様がペロリと舐めた。
「んな……!?」
 やけに赤く映る舌が、べろりと滲んだ血を舐め取る。
「チョスナヨ? ああ、メジョケネニャー。メゴ、メジョケネ」
 そのままパクリと指を咥えられて、俺は顔に血液が集まってくるのを自覚した。
 神子様の口の中は酷く熱くて、その中で舌が指をねぶっている。
「ちょ、ん」
 背筋をゾワゾワとしたものが這い上がる。傷口がほんの少しチリリと痛んで、そしてそこが一気に熱を持つ。
 いま、神子様の舌が、俺の指を。
 考える前に、身体が勝手に神子様の肩を押しのけた。
「む、ムリ……!」
 顔がどれだけ茹だっているのか、ここに鏡が無い事に感謝した。
 にんまりと笑う神子様は、酷く楽しげだ。
 も、もう……! 俺が慌てるのが面白くて仕方ないんだろう……困った人だ。
 キッと彼を睨み付けても、はははと笑って首を傾ける。
「メゴダバ、メンゴノォ? メゴ……ショウシィナガ? オメダバァタダバシメゴクデノォ」
「も、もう……! 揶揄って……! ご飯作りませんからね!?」
「ワリワリ……ワリチャ。メゴ、ワリ」
 顔を隠すようにしてそっぽを向くと、神子様が機嫌を取るようにして背中から絡みついてくる。大柄の彼の腕の中に、俺はすっぽりと埋まってしまう。
 別の世界から来た神子様と、ただの平民の下男の距離感では無い事を俺だって理解してる。
 だけど……ここの宮なら。
 この宮の中でなら、二人きりだから。
「もう……」
 分かってる。グリグリと頭を撫でてくるこの人が、俺はもう可愛くて愛しくて仕方ない。
 美しい見た目と優しい人柄。大型犬のような愛嬌で、親しく一緒に暮らしていたら、分不相応な情が湧いたって仕方ないじゃないか。
「ハイハイ、作ります、ちゃんと作りますから。あっちでいいこにして待っててくださいね!」
「ハイハイ」
 彼が神子様じゃなくなったら、俺が養っても良いかもしれない。給料に不安があるけど、少し離れた土地なら安く家を借りられるだろう。それに、何か別の仕事も始めれば、神子様にも少しは美味しい物を食べさせてあげられるかもしれない。
 この気持ちは伝えられなくても、彼とずっと傍に居られるなら幸せだろう。
 野菜を刻みながら、俺は勝手に来るかも分からない未来のことを思い描いていた。
 包丁を持つその指に、あるはずの傷が消えていた事には、すっかり気付かずに。
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