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その後
しおりを挟む僕には付き合って1年になる恋人がいる。恋人の名前は藤原大成さんといって外資系の企業に勤めるサラリーマンだ。
彼には何と草太君という2歳になったばかりの可愛いお子さんがいる。
奥さんは草太君が7ヵ月の頃に他に恋人を作って出ていってしまったそうだ。
僕は悟と別れてから誰とも付き合えないでいた。また裏切られるんじゃないかという気持ちが働いて、誰にも心を許せないでいたからだ。
そんな時に僕は大成さんに出会った。
僕が公園のベンチでバイトまでの時間を潰していると、そこにベビーカーに草太君を乗せて現れたのが大成さんだった。
大成さんは、泣きじゃくる草太君を上手くあやすことが出来なくて困っていた。
このままだと他の人の迷惑になると思ったのだろう、公園から出て行こうとする大成さんに僕から声を掛けた。
「あの、よかったら赤ちゃんを抱っこさせて頂けませんか?」
今考えると随分と怪しいセリフだ、よく知りもしない男に大事な赤ちゃんを預ける親はいないだろう。
だが彼ははすがるような目でこちらを見て「すいません…お願いできますか。」と、言って赤ちゃんを僕に差し出した。
泣き続ける赤ちゃんを受け取りながら彼を見ると、ちょっと見ない程の男前で驚く。
僕が赤ちゃんに顔を向けると、赤ちゃんはこちらを見ながらしゃくり上げていた。
その悲しそうな顔に胸が痛む…。早く泣き止ませてあげたくて赤ちゃんあやし出す。
すると赤ちゃんは大きく目を見開いた後、可愛い声で笑い出した。
「あー」
「楽しい?楽しいの?良かったねぇ~、あばばばば~!」
「きひゃ!」
笑う赤ちゃんは本当に可愛い、赤ちゃんのパパに「可愛いお子さんですね。」と声を掛けようと顔を向けると、ひどく驚いた顔をしていた。
「…赤ん坊をあやすのが上手いんだね。」
「そうですか?甥っ子や姪っ子を良く預かるので、そのせいかもしれませんね。」
「大したものだよ、僕なんかずっと泣かせっぱなしだ。仕事ばかりして、ずっと育児は妻に任せっきりだったからね。」
どうやら仕事人間のパパのようだ。
「今日は奥さまは…」 「ふぇっ」
奥さんはどうしたのか聞こうとすると赤ちゃんが再び泣き出しそうなる。途端に彼は慌て出した。
「あぁ、また泣いてしまう。ご飯も食べたし、オムツも変えたのに…!」
「大丈夫ですよ、この泣き方は眠たいんじゃないかな?今日はどのくらいお昼寝しました?」
「お昼寝、…ずっと泣き通しだから昼寝なんて…。」
「じゃあ、やっぱり眠たいんですよ。」
赤ちゃんの背中をトントンと優しく叩いていると直ぐにスヤスヤと寝息をたて始めた。
「眠くてご機嫌が悪かったんですね。」
「…眠いと機嫌が悪くなるものなのか?」
「そうですよ~、赤ちゃんはまだ寝方が良く解らないんです。だから眠いのに寝れなくてイライラしちゃうらしいですよ。」
「寝方がわからない…。」
彼は驚いたようで、赤ちゃんの顔を繁々と見つめた。
どうやら本当に育児には参加していなかったらしい。
赤ちゃんのママは、良くこの人に赤ちゃんを任せたなと不思議に思ったが、人の家庭のことなど詮索するべきじゃないと思い、理由は聞かなかった。
眠ってしまった赤ちゃんをベビーカーに乗せる。そろそろバイトに行かないと…、とベンチから立ち上がると
「待ってくれ!」と腕を掴まれた。驚いて振り返ると真剣な眼差しとぶつかる。
「頼みがあるんだ。君にベビーシッターを頼みたい。」
「ベビーシッター…ですか?」
「あぁ、実は恥ずかしい話だが一ヶ月前に妻が出ていってしまってね。」
「!!」
「それで今もベビーシッターを雇ってるんだが、この子が…草太が懐かなくてね。ずっと泣き通しで困ってるんだ。」
衝撃的な話に驚く僕に構いもせずに彼は話を続けた。
「君は学生かな?短時間の契約でも良いんだ。君に負担が掛からない条件で良いから…。」
「大学は卒業しました。時間はあります。…でも、僕は素人ですし何の資格もありません。」
「構わないよ、草太が、この子が気に入っているだけで十分だ。草太は母親がいなくなってからずっと泣いていている…、いい加減可哀想だ。」
それを言われると弱い、僕は子供が大好きなのだ。この子が寂しい想いをしていると知って放って置けない気持ちになった。
「わかりました、ベビーシッターを引き受けます。」
僕はバイトを辞めて草太君専用のベビーシッターになった。
いくら姉の子を預かっているとはいえ、子育ての事に関して僕は素人だ。
本やネットで勉強し、試行錯誤しながらの子育てだが、草太君は良く懐いてくれたし、大成さんも協力的だったから少しも苦じゃなかった。
大成さんは本当に草太君の事を大事にしていた。その誠実な人柄に僕はどんどん惹かれて行ったが、彼は元々異性愛者だ。
好きになっても辛くなるだけだと気持ちに蓋をしようと努めていた。
そんなある日、彼の方から告白されたのだ。
最初から惹かれていた、奥さんとの離婚が正式に成立したから付き合ってほしいと。
躊躇う僕を懇願するように抱きしめた彼に嘘は付けず、僕は男と付き合ったことのある過去を話した。
好きだった男に浮気をされ続けた事、そのせいで誰にも心を許せないでいることを話すと彼は抱き締める力を強め、絶対に僕を傷つける事はしないと誓ってくれて僕たちは交際することになった。
それから順調に関係が進み、2ヵ月後には同棲を打診された。
関係が深くなることに躊躇いはあったが、僕が帰る度に泣き出す草太君に根負けする形で同棲を始めることになった。
彼に愛されて幸せだった。草太君が成長する様子が見れるのも嬉しかった。
だがどうしても時折不安に捕らわれる。
彼は元々異性愛者だ、いつまた女性に惹かれるかもわからない。
草太君の母親にと、女性を求めるようになるかもしれないし、それが二人の幸せなのかもしれない。
それを思うと堪らない気持ちにさせられた。
僕も元々は異性愛者だ、悟と付き合った時は考えもしなかったけど、もしかしたら悟もこんな気持ちだったのかも知れない。
いつか僕が女性に心変わりをするかもと不安になることもあったのかもしれない―――そう漠然と考える…。
だからといって僕は浮気なんか絶対にしないけど。
このところ大成さんの様子がおかしい、何か言いたげな顔で僕を見ることが増えた。
一緒に過ごしていても、心ここに有らずといった風で考え込んでいる事が多い。
恐れていたことが起きたと思った。
きっと彼は僕と別れたいと思っているのだろう。でも、優しい彼はその事を言い出せないのかも知れない。
二人の幸せ考えると覚悟を決めなければいけない…。
二人が新しい家族を迎えるというなら祝福しなければいけない…そう思いながら毎日を過ごしていた。
そんなある日、草太君と公園で遊んだ帰り道に、ふと近くのカフェを見ると、そこに見知った顔を見つけた。
大成さんだ、声を掛けようかと思案していると、彼の向かいに一人の女性が座るのが見えた。
「っ…!」
彼は嬉しそうに女性と話をしていた。まるで恋に浮かれるかのように…。
(彼女が大成さんの新しい恋人だ…。)
きっと近い内にこの関係は終わってしまう…そう確信した。
だって大成さんはあんなに幸せそうだ。
「にゃーちゃん?」
動かなくなった僕を不思議に思って、草太君が僕を呼んだ。小さな彼は僕を要とはまだ呼べなくて「にゃーちゃん」と可愛く呼んでくれる。
涙が溢れそうになって慌てて目元を手で覆った。
大成さんと離れたくない、草太君の成長だってもっともっと見守りたい。
あんなに苦しかった悟との別れよりも、ずっとずっと辛かった。
「要、大事な話があるんだ。」
その夜、草太君が眠り大成さんと二人きりになると、そう切り出された。
彼の方を向きながら、いよいよ別れを告げられるんだろうと覚悟を決める。
すると突然彼は床に膝まずき、ソファーに座る僕の手をとった。
傷付けないという約束を守れなかった事に謝罪し、土下座でもするつもりだろうか?
誠実な彼らしいと思っていると左手を引いて僕の薬指に指輪をはめた。
「俺と結婚してほしい。」
思いもしなかった言葉にキョトンとする僕に、尚も言葉を重ねる。
「男同士だから正式には結婚はできない、だから僕と養子縁組みをしてほしい。出来れば海外で式も挙げたい。草太と三人で…。」
「えっえっ?」
驚いてまともに話す事も出来ない僕に、大成さんは悲しそうな目を向けた。
「…ダメかな、俺じゃ要の夫にはなれない?」
その顔を見て、やっと何を言われているか理解した。
「…僕でいいんですか?昼間の女の人は?」
信じられない気持ちで問いかける。
「昼間の……、あぁ!知り合いのデザイナーだよ、この指輪を作ってもらっていたんだ。」
そう言って僕の左手を持ち上げる。そこには繊細なデザインの指輪が嵌められていた。
(浮気じゃなかったんだ…。)
安堵からじんわりと涙が浮かんできた。
「それは嬉し涙?オッケーだと思って良いのかな?」
「…でも、僕は男だし…。」
「関係ないよ、君に捨てられたら僕も草太も生きて行けない。」
そこまで言われると、もう疑うことはできなかった。
大成さんに抱きついて返事をする。
「僕も二人がいないと生きていけません。僕と結婚してください。」
「やった!」
強く抱き締め返された。そのまま横抱きにされて寝室に運ばれると優しくベッドに下ろされた。
何度も啄むようなキスや深いキスを繰り返される。
「ふっ、んっ」
うっすらと目を開くと、大成さんが欲情に燃える瞳でこちらを見下ろしていた。
その目に僕もひどく煽られる。
お互いにもどかしい気持ちになり、もつれる手で服を脱ぐと愛撫もそこそこに身体を繋げた。
「んっ、あっあっ」
激しい突き上げに声を押さえることができない。大成さんの背中に手を回し、彼の動きに合わせて腰を揺らすと信じられない程の快感が襲ってきた。
(気持ちいい、こんなに気持ちいいの初めて…!)
満たされた気持ちがこんなにも快感を呼ぶのだろうか。
「いつもより感じてるね、俺も凄く良い。」
大成さんの言葉に彼も同じ気持ちなのだと嬉しくなる。
「あっ、いくっ、いくっ!」
感じるところを何度も突かれて僕はあっという間に達してしまった。それと同時に僕の中に彼の精が吐き出される。
幸せだ、こんなに満たされたことなんて今までなかった。
彼を好きになって良かった。薬指に光る永遠の証に笑みが零れる。
「そんな顔をしてるとまた襲ってしまうよ」
大成さんが今度は背後から僕を抱き込んでくる。彼の半身は既に新たな欲望を示していた。余裕のない様子にクスクスと笑いが込み上げる。
「僕もまだしたい、して…?」
そう言うと彼は一瞬真顔になると、僕の腰を掴んでまた激しい抜き差しを始めた。
どうやら火が着いてしまった彼に何度も挑まれ、草太君が起き出す朝まで離してもらえず、僕はその逞しい腕に揺さぶられ続けた。
数日後、僕が草太君を連れてショッピングモールで買い物をしていると懐しい顔に出くわした。
(悟…!)
悟との未練を断ち切るようにファミレスのバイトを辞めてから、二年が経つ。
久しぶりに会う彼は相変わらず格好良かったが、どこかやつれているように見えた。
「久しぶりだね。」
動揺を悟られないように話す。
「久しぶり、ファミレスのバイト止めたんだな…。俺、お前の事探したんだぜ…。」
まるで責めるように言われた。
「そう、でも君とは別れたんだし教える義務はないよね。」
「義務って…、俺あれからもお前の事忘れられないんだよ。俺達やり直さねぇ?」
「っ、やり直す訳ないでしょう!今更」
「にゃーちゃん…。」
僕が声を荒げると不安そうに草太君が僕を呼んだ。慌てて抱き上げる。
「ごめんね、びっくりしたね。」
泣きそうな草太君をあやすとぎゅっと僕の首に腕を回して抱きついてきた。随分怖がらせてしまったようだ。
「何その子、要のお姉さんの子か?」
空気を読まずに悟が話掛けてくる。
「ううん、僕の子供。」
「へっ?」
「僕結婚したんだ。」
左手を上げて指輪を見せつける。
「そっ、そっかお前元々ゲイじゃねぇもんな、結婚したんだ。」
悟はあからさまに狼狽える。
「うん、相手は男の人だけど…、この子はその人の子供。」
「…男と結婚したのか…。」
「うん、今は凄く幸せ。だから悟と寄りを戻すことは絶対にないよ。」
「……。」
「じゃあ、もう行かないと…悟も元気でね。」
何も言わない悟に別れの言葉を口にすると「お前もな…」と一言だけ言ってその場を去っていった。
悟に出会わなければ、僕は男の人と付き合う事なんて考えもしなかっただろう。
普通に女の子と恋愛して、いつか結婚して…、大成さんと草太君に出会うこともなかった筈だ。
そう考えると悟との出会いと別れは必然のように思え、感謝の気持ちさえ沸いてくる。
なんだか無性に大成さんに会いたくなった。一緒に暮らしているのに不思議だ。
「草太君、このままパパを迎えに行こっか?」
「パパ、パパ!」
この幸せはきっと永遠に続く、僕が大成さんを疑うことは二度とない。
僕は嬉しそうにはしゃぐ草太君を抱き締めて、今の幸せを噛み締めた。
応援ありがとうございます!
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幸せになって良かったぁ☺️✨👏
その後の悟もどうなったか気になるけど…
とりあえずハピエンありがとうございます☺️👏👏✨
ご感想ありがとうございます!
要は浮気を疑う余地もないくらいに大切にされて生涯幸せになることでしょう✨✨
悟も救済の話を作ろうか迷い中です☺️
その場合は他のお話とちょっと混ざるかもです☝️
短めのお話でしたが考えさせられるものがありました。
北風と大成、もとい、太陽。
お互いを照らし合う暖かな愛情を育んでいる夫夫の幸せはもとより、愛するということを知らなかった男が、いつか、奪う事なく愛することの本当の意味を知る時が来ることを祈っています。
ご感想ありがとうございます!
愛情ってお互いに持って、ちゃんと伝え合わないとないと駄目ですよね。じゃないといつか関係が壊れてしまう。
悟は愛情を持ってはいたけど、要の愛を疑って確認行動をしていた。要は悟を愛していたけど、悟の確認行動のせいで愛を信じられなくなった。悟から始まった負の気持ちが二人の間で堂々巡りになって結局二人の関係は壊れてしまいました。
その点大成さんは奥さんに逃げられた経験からも、お互いの気持ちを伝え合う重要性がわかっているから上手くいったというのもありますね!!
いつか悟の救済話も書けたら良いなぁと思っています。
ご感想等ありがとうございます!
よくあるほだされて元サヤ展開は避けてみました(*´ω`*)
大事な人の大事な日も守れないやつには一途なお相手はもったいないのです。