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1 冒険者になる

1 犬……じゃない

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 異世界転生、そこに一ミクロンも期待がなかったといえば嘘になる。
 犬になれる喜びで、神にも感謝した。
 僕の考えていた世界と若干違っても、それでも転生してよかったと本気で思っていた。最初の頃の話だ。今はまるで逆、チート能力をなんでも1つ貰っておくべきだった。
 犬になれるという喜びで、舞い上がっていたために、僕は最大のチャンスをふいにした。

 大人になるにつれてわかったことだが、現実は非情に厳しい。そんな厳しい現実を知った今となっては、最初から僕の性格を知っている神に詐欺られたという疑いすら持っている。

「犬種ごときが、こんなところに来てるんじゃねぇ!」

 転生してから、早17年。ファミレスに入っただけで、こんな言われようだ。
 熊種の獣人は、ぼくを店から叩き出す。
 この世界は、もといた世界の日本に少し似ている。だがそれかなりに昔の日本に似ているだけで、技術的にはがかなり遅れている。
 発展途上国とでも言えばいいのか、発達した点と、していない点の差か大きい。ゆえにファミレスは、富裕層にしか入れない高級レストランのような扱いで、犬種はがあるので、すぐに追い払われる。

「兄ちゃん、これで、三件目……もうどこかで狩りをして、ご飯食べようよ……」

 そう話しかけてくるのは、妹のメリーだ。
 茶褐色の長髪をたなびかせて、くりくりとした黒目を僕の方へ向けている。犬好きの僕好みのピンっとまっすぐに空に向かった耳を立てて、お尻の方からすらりと伸びた尻尾を内側に丸まらせている。
 いわゆる獣人、それも人に近いほうの獣人だ。
 残念なことに、この世界には人も、犬もいなかった。いたのはその中間にあたる生き物たち、と魔物しかいない世界だったのだ。
 神よ、どうして僕を騙したのか……いや、説明をちゃんと聞かなかった僕に責任がまるでなかったとはいわないが、これじゃあ程のいい詐欺だ。

 悔やんだところで、なにも変わらない。こんな世界だ。せめて、妹にはいい暮らしをさせてやりたい。

「メリーよ、僕の名前を言ってみろ」
「ケン兄ちゃん」

 僕は「ケン」と名付けられた犬種の獣人で、種類は妹と同じで雑種。短い茶髪の上に、気持ち程度な短い犬の耳が乗っていて、尻尾は子供の頃に切れてなくなっている。これじゃあ、ほとんどただの人間だ。
 そんなほぼ人間であったとしてま、妹を悲しませるわけにはいかない。

「そうだ、ケン兄ちゃんだ! ケン兄ちゃんの辞書にはあきらめるという言葉は存在していない」

 妹を元気付けるために、冗談を言う。

「辞書なんて読めないじゃない!」

 妹は切れのいいツッコミで返した。
 流石はぼくの妹だ。
 
 妹の言う通り、僕は辞書なんて読めない。
 僕には前世の記憶がある。だから、日本語なら問題なく読めるのだが、この世界の文字であるベスティエ文字は全く読めない。
犬種が差別される存在だからだ。ヒエラルキーは下から見た方が早いくらいに低い。
……神め、どうしてもっと詳細に教えてくれなかったんだ。

 これじゃあ、犬として楽しく暮らすことも、犬と楽しく暮らすこともできないじゃないか!

「次はあそこに行くぞ!」

 頭に浮かんだ神に対する恨みを振り払い、僕は意気揚々と、次のファミレスに向かう。

「待ってよ。ケン兄ちゃん!」

 妹の手を引いて、僕は店のドアを勢いよく開けた。

「頼もう!」

 開けてびっくり、人がまるでいない。すたれゆく商店街の中にある喫茶店のようだ。中は純喫茶のように、アンティークな感じで、居心地はよさそうなのに人がいない。非常にもったいない。

「びっくりした……突然大きな声を出すんじゃないよ! あんた、客かい?」

 カウンター越しに店主っぽいバーテン服の女性が、両ひじをついてこちらを見ている。声は割と高めで、マスターと呼ぶには若く、大体30歳前後だろう。彼女の黒く長い髪の隙間からは、耳が垂れているのが見える。犬種の獣人だ。
 犬種が経営する店だから、客がいないらしい。

「あの、食事をしたいんですけど?」

 同種族の店、ここなら追い出されなくて済みそうだ。

「ああ。ここは食事処でもある、もちろんかまわないさ」

 田舎から出てきて、ようやく初めての食事にありつけそうだ。都会の厳しさにがっかりしていたのだが、『レットイットビー』、つまりは、なるようになるってことだ。
 妹も相当腹を空かせていたのだろう。おなかを鳴らしている。

「かわいいお嬢ちゃんだ。よし、気分がいいし、サービスしてやるよ……そこに座って待ってな」

 女性は嬉しそうに笑い、カウンター席に座らせた。

「ありがとうございます」

 照れて言葉を発せない妹の代わりに、僕は深々と頭を下げた。
 それにつられて、妹も小さく頭を下げた。ついでに尻尾も下げた。
 見た目はどうであれ、犬らしさはまだ残っているらしい。

「ほらよ」

 女性は何かを作り上げると、僕たちの目の前に二皿差し出した。
 なんだかよくわからないが、肉料理ではあるらしい。肉と肉と肉が混ぜられて、それになんか焼肉のたれみたいなのがかけられている。
 獣人以外の動物が存在しないわけで、肉なんてあるわけない。なんて思うかもしれないが、この世界は非常に危険な世界で、そこらかしこに魔物と呼ばれる存在がいる。そのどれもが共謀で、弱い犬種は魔物に殺され今もなお頭数を減らしている。
 これは、そんなにっくき魔物の肉だ。
 僕が好いている犬を絶滅させようとするなんて、本当に許せない。そう思って、倒せる魔物は遭遇するそばから討伐しているのだが、肉を食べるとやっぱり絶滅させるのは惜しいと感じる。
 それほどに美味だ。

「おいしいか?」

 女性はしきりに妹に訊ねた。
 たぶん母性本能というやつが働いているのだろう。
 妹はまだ8歳だ。獣人の寿命はおおよそ120年と人間よりも長命で、人間に換算すると大体6歳から7歳程度といったところだ。まだまだ幼い子供だ。

「うん、おいしいです!」

 とてもうれしそうに妹は返答する。
 餌付けされて喜ぶのも犬らしくて、愛嬌がある。

「本当にかわいいなメリーは」

 思わず僕は、メリーの頭を軽くぽんぽんと叩いた。
 人前だから抑えているが、本当なら、抱きしめてなでなでしたい。

「メリーか……羊みたいな名前でかわいいな」

 女性は目を輝かせながら、メリーの頭を撫でた。
 羨ましい。僕も撫でたいのに。

「私はイチゴだよ。メリー」

 イチゴ。それはたぶん彼女の名前なのだろうが、とんだきらきらネームだ。しかし、僕たちは結局は犬だ。犬の名前なんて、食べ物の名前とか、安直な名前が多い。それはこの世界でも同じだ。
 名前が覚えやすくていいのだが、デメリットもある。同じ名前の獣人が多いく、名前を呼ぶとき非常に困る。

「メリーさんですか、僕はケンです」
「そうか、ケン。それで、ケンよ、この街には何しに来た? 来ていかほど経つかはしらないが、犬にとって居心地のいい街ではないだろう」

 イチゴは心配そうに妹の方を見た。
 たしかにこの街は、犬にとっては最悪な環境だ。差別はされるし、口さえ聞いてもらえないことはあるし、何より、突然暴力を振るわれることすらあった。
 それでも、この街を出ていけない理由がある。

「実は……地元じゃ仕事がなくて」

 貧困差による、地域格差といやつだ。

「なるほど私と同じで、食い扶持減らしか……いまだにあの村はそんなことをしているんだな」

 どうやら、彼女も僕たちと同じく、村を追われたらしい。
 だったら、何か働き口を教えてくれるかもしれない。

「あの、仕事を紹介してくれないでしょうか?」

 神の加護なんてものを与えておきながら、まるで加護をもたらさない神にすがっても何もいいことはない。だったら、犬にすがる方がはるかにましだ。
 しかし、彼女の表情はかなり重たい。
 まるで、犬種には働き先などあるはずがないといったふうな感じだ。

「まあ、そうだな……一人ぐらいならここで雇ってやらんこともないのだが、二人は店の売り上げから考えても厳しい。私の知り合いには犬種を快く思っているのは少ないし……あとは冒険者になるぐらいか……」
「冒険者?」

 こんなに発展した世界でも冒険者なんて職業があるらしい。

「冒険者って言っても、開拓者みたいなもんだよ……給料は出来高制だし、命がいくつあってもたりない。仕事をもらえない人間が最後に行きつく場所さ」

 なるほど、そりゃ暗くもなるわな。
 だって、仕事がそれしかないって理解してるんだから。
 金があれば、イチゴのように店を持つことだって出来ただろうが、残念ながら、数日分の宿泊費と食費しか持ち合わせていない。

「冒険者で一発当てるしかないってことですね?」

 本当に最悪だ。ゆったり犬と暮らすというささやかな願いすら、神には無視されて、それとは正反対な冒険者しか職業の選択肢がない。
 しかも、犬になれるはずだった僕は、ほぼただの人間……それもこの世界においてはかなり弱い部類ときた。強いやつが冒険者になるのではなくて、弱いやつが冒険者になるなんて、それじゃあまるでディストピアだ。
 僕が望んでいたユートピアとは程遠く、果てしなく違う。

「妙に、落ち着いているようだけど、大丈夫か?」

 イチゴが心配そうに僕の顔を覗き込む。

「ええ、大丈夫です。ですが、妹は連れていけませんからね……」
「それなら問題はない。ここで働いてくれるというなら、メリーには住むところを提供してやるし、面倒も見てやる。ケンも稼げるようになるちょっとの間ぐらいなら、部屋も空いてるしそこをかしてやろう」

 なんということだ。流石は犬、優しすぎる。まるで、病気の時に心配して顔をぺろぺろなめてくるあれみたいだ。

「ありがとうございます!」

 僕は、彼女に深々とお礼をする。
 なぜだか、僕は彼女にものすごく深い恩義を感じてすらいる。一生ついていきたいほどだ。これも犬としての習性なのだろうか。
 だとするなら、といっても、あながち間違いではないのかもしれない。
 神を擁護するわけじゃないが、まあそういうことにしておこう。
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