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6 勝者と敗者

42 向上心

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 残念ながら、お姉さんの提案『アメーバ』の駆除は受けないことにした。
 無駄なことに命かけられるほど、僕は人生に悲観していない。まだ夢も達成していないわけだし。

「――とりあえず、僕はスキル向上を目指したいわけです」
 何の保証もしてくれない国に頼って生きていくのは明らかに不毛だ。
 だったら、自分の力で自分が出来ることを増やしていくことに重点を置いて依頼を受けていきたい。
 いかんせん、僕はこの役所に僕とアニー以外の冒険者がいたのを見たことがない。たまに何かを申請しに来たであろう一般人はいたけど。
 つまるところ、役所付きの冒険者という職業は廃れつつあるということだ。もし万が一、役所が冒険者に対する依頼を受け持たなくなった場合、僕は役所以外で依頼を受けなければならなくなるが、誰が実力のない相手に依頼するだろう。僕ならまずしない。
 お姉さんもそれを理解してくれてはいるのかもしれない。
 だからこそ、『アメーバ』の討伐なんていうボランティアみたいな依頼を進めてきたのだろう。――たぶん。

「なるほど……確かに向上心を持つことは大切です。もちろん、それに実力が伴えばですが、向上心なくしては上へと上がることも出来ません。もっと言うならば、一生初心者冒険者から抜け出すことも出来ないでしょう。アニーがいい例です」
 お姉さんが感心したように言った。
 それを否定するためにアニーが大げさに騒ぐ。
「お姉ちゃん、私は一応中堅冒険者だから!」
 それでもお姉さんは、妹を評価しない姿勢を変えない。
「じゃあ、中堅冒険者からは一生抜けさせない」
「ええ……」
 アニーは納得できなさそうだが、一応は心に響いているようで、部屋の隅に向かい座り込んだ。
 それを見たお姉さんは一瞬だけ悲しそうな顔を見せたが、咳払いをしてすぐにもとの表情に戻った。
「んっ! ともかく、一流の冒険者を目指さないのであれば、誰が好きで冒険者になんてなるものですか! 例え私が冒険者として再起不能になったからには、私が担当する人たちには一流の冒険者になってもらわなくちゃいけない! 私が昇進するためにも!!」
 お姉さんは恥ずかしげもなく言い切った。
 もしかしたら妹を元気づけるためにそんなジョークを言ったのかもしれないが、それにしてひどすぎる。他人の努力を自分の実績にするなんて、普通は口に出来ないことだ。しかしながら、思っていることをはっきりと口にしてくれる分、何を考えているかわからない他人よりかは大分信用できる。
「何とも利己的ですね……」
 思わず口に出してしまった僕の悪口に、部屋の隅で座り込んでいたアニーが反応する。
「お姉ちゃんは悪い意味で向上心の塊だから……いや、承認欲求の塊と言った方が正しいかも」
 中が悪いのか、それともよいのかはよくわからないが、どうやら彼女たちはお互いのことをよく理解しているらしい。
 僕は思わず感心する。
「なるほど、みんなに認められたいと」
 インターネットが普及した世界において、承認欲求というものはとてもわかりやすい物だった。だが、その世界とほとんど同じ規模で発達しているはずのこの国において、インターネットというものは存在しない。
 そうなると、承認欲求というものは可視化されにくい。誰かに認めてもらうためには、仕事で実績を残したり、何かの道で有名になるほかないのだから。だがしかし、そうなると承認欲求というものは見えにくくなる。世界とはなんとも面白いものだ。
 その点、お姉さんの承認欲求はわかりやすい。

「そりゃそうです!! 誰だって、誰かに認められるために生きていくんですから……目標を持たずにのらりくらりと生きていくよりはよっぽどいいと思いますけどね!!」
 すべてその口に出してくれるのだから。
 彼女は匿名性に隠れることもなく、恥ずかしげもなくそう言ったことを口に出来るのだから。
 だが一つだ気になることがある。
「アニーさん、お姉さんなんだか怒ってません?」
「ああ、たぶんイザベラさんのことだと思う」
 イザベラ……ああ、イチゴさんのことか。
「イチゴさんと何かあったんですか?」
「イザベラさんは、お姉ちゃんの憧れだから……今みたいにカフェの店長やっているのが気に食わないんじゃない?」
 なるほど、つまるところ、彼女が承認欲求持の高さは冒険者引退が原因だったということか。
 僕たちの会話を聞いていたお姉さんが、大きな声で否定した。
「聞こえてるわよ! アニー、いいこと? 私はイザベラ様に対して怒りなんて持ってない。ただ、昔のことを思いだしたらリグダミスの野郎にむかついただけだわ」
 顔に影を作りながら、お姉さんはそっぽを向いた。
 聞いてもいいのか少しだけ迷ったが、聞いておいた方がいいだろう。
「リグダミス・ロットワイラーと何かあったんですか?」
「あいつは……あいつは……いえ、これは口にしても仕方のないことです」
 お姉さんはこちらを振り向くこともなく、とても小さな声で言った。
 なんだか只ならぬ雰囲気だ。
 お姉さんに直接尋ねるのは憚られたので、アニーに軽く目配せしてみる。それに気づいてくれたようで、アニーは耳打ちする。

「リグダミス様は、お姉ちゃんとイザベラさんのパーティーメンバーだったらしい。でも何かがあって、リグダミス様は冒険者を引退して、お姉ちゃんとイザベラさんは引退せざるを得なくなったって、どこかの誰かがそんなことを言ってた気がする」
 なるほど、どうやら怨恨らしい。
 触らぬ神に祟りなしといいたいところだが、どうやら僕たちの会話はお姉さんの耳に入っていたようだ。
 よりいっそう、只ならぬ雰囲気だ。

「アニー、その話は私の前では二度としないこと! いいわね?」
 そう言ったお姉さんはなんとも形容しがたい顔をしている。
 それを見たアニーは震えた声で言う。
「顔が怖いよ」
「い・い・わ・ね?」
「う、うん……わかったよ」
 どうやら、姉というのは恐ろしい存在のようだ。
「いい子ね。まあそんな虫唾が走るような話はどうでもいいんです。それよりも、私は決めましたよ……ケン様。あなたが一人前の兵隊ソルジャーになるように、私が依頼をマネージメントしましょう」

 このタイミングで彼女がそんな話をし始めたのだから、怒りが僕にも飛び火したということはなんとなく理解できた。
 だがそれでも、僕にとっては好都合だ。
「え、いいんですか? 忙しいんじゃあ?」
 本来ならすぐにでも飛びつきたい話だ。だが一応、お姉さんを気遣っていますよ……的な雰囲気も見せた方がいいだろう。
 本来なら、やりたくもないことをやると言って、相手に断られたら引くのが常だ。だが今回に限っては違う。
 お姉さんにとっての仇敵であり、上司とも呼べる存在、リグダミス・ロットワイラーの存在があるからだ。

「もちろん、忙しいです。ですが、そんなことは些末な問題です。それよりも、あのリグダミスを見返すことの方がずっと重要です!」
 いつにもなく熱い口調でお姉さんは言い切った。

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