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8 新たなる武器

75 実戦にて 5

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 迫りくる炎に、僕はなす術もない。
 ただ、焼かれ、消え去るのを待つばかりで、一瞬たりとも安らげる瞬間は存在しなかった。
 熱気に体を焦される前に死を迎えるか、それとも、体が黒こげになかってようやく死を迎えるのか、それだけが気になった。
 誰しも、苦しんで死にたくはない。

「というか、二度目の死はごめんだ」
 あらがいようがないなら、ないなりに抗おう。
 僕は手に持っていた杖を魔物の方へ突き出す。その行動に何かしらの意味があったかと聞かれると、返事に困るが、ともかく、あの炎が魔力によって生じるものだとすれば、ほんの少しぐらいは威力を弱めることができるかもしれない。
 期待はできないが、何もしないよりかは遥かにマシだろう。

「無駄だ。我のブレスで生き残った獣人はただの1人たりともいない。それが犬種ともなれば、死は必然だ」

 笑っているのか、怒っているのか分からないほどに魔物が体を震わせている。
 もし、笑っているのだとしたら、やつは油断しているということだ。それで、ほんの少しでも力を緩めてくれればこっちのものだ。
「そうだとしても、僕は諦めない。せっかく生き返ったんだ……今度の人生は、少しでも長く生きてやる。妹のためにもな」
「妹? まさか、シスコンというやつか……くく、これはまた笑いものだ。犬種で異常性癖の持ち主とはな」
 なんとでもいうがいい。生き残ったもの勝ちだ。この世界において敗者とは、死んでしまったものだけを指す。僕は敗者にはならない。

「灰になるつもりはない!」
「ほざくな!」

 魔物の口から叫び声と同時に赤い炎が溢れる。
 赤い炎は青い炎よりか幾分か温度が低いらしい。それでも、人間が……獣人が耐えることのできる温度を遥かに凌駕している。
 思わず僕は唾を飲む。自分が吐き出した言葉が、いかに上っ面だけのものだったのかを思い知らされた。もし仮に、タイムマシンなるものが存在していたなら、言葉を口の中に留めておきたいぐらいだ。
 構えた杖をさらに前に突き出して、魔物の炎を受ける準備をする。

「来るなら……来いっ!」

 吐いた唾は飲み込めない。
 僕は出来る限り威勢がいいフリをして、魔物を挑発する。
 魔物は目にも止まらぬスピードで僕を吹き飛ばすことが出来るらしい。僕を絶命させるために選んだ攻撃手段が、口から放たれる炎だとするなら、きっとそれはそれに準じる速さを誇っているのだろう。
 一応躱すことも視野に入れながら、辺りをちらりと確認する。街に近い場所だとはいえ、所詮は森の中だ。躱せたとしても、きっと大惨事になるだろう。
 山火事といのは、広がるスピードが速い。万が一、生き残ることに成功したとして、地獄の始まりに過ぎないかもしれない。

「隠れる場所でも探しているのか……犬種?」
「まさか……獣人にとっても、魔物にとっても、森というのは重要な資源だろ? 僕が生き残ったとしても、それが消えたら意味がない」
「馬鹿な……貴様が生き残ることはないにしろ、我がそんな不始末をするはずがなかろう。お前だけを消し去ることなど容易なことさ」
「それを聞いて安心した」

 もはや猶予はない。

「では、サヨナラだ」

 迫りくる炎が目に映った時は、もうすでに熱が体に迫っていた。熱いと思うことすら間に合わず、次の瞬間には体が消滅したかに思われた。
 だが、僕の予想とは裏腹に、炎は体に到達する前に消えた。それと同時に、手の中に握られていた杖が熱を帯びる。

「一体どうなっているんだ……」

 何事もなかったかのように森の中に強風が吹く。いや、確かに何か熱気を帯びたものが存在していたような考えは残っている。
 残り火のような、ほんのり温かい感覚だ。もし仮に、これがあの炎の熱気だというのなら、全てが夢であったかと感じるほどに生暖かい。いうなれば、夏に吹く熱風。それが今しがた肌に触れたような感じだ。
「我の炎を……なるほど、ただの犬種ではなかったか。卓越した魔法の使い手……使者……神の御使い……呼び方は様々だが、幾千の武器を携え、世界の理を教える存在……『使徒』……面倒なことだ」
 魔物は言葉の通りさぞかし面倒臭そうに呟く。様子を見ているようで、攻撃を仕掛けてもこない。

 しかし、驚いた。まさか、職業を言い当てられるとは……受付のお姉さんは、知らない職だと言った。だがそれ以上に驚いたのは、目の前まで迫っていた炎がすべて杖に吸収されたことだ。それどころか、僕の体の奥底まで吸収された炎が流れ込んでくるような熱気を感じる。
 あまりの暑さに悶えそうなほどに、熱気は感覚を刺激する。それなのに痛みはまるで感じない。むしろ、先ほどまで体中が悲鳴を上げていたのにそれが消えた。

「まるでだ」
 何とも言い難いが、不快感はなく、体中に力がみなぎってくるようだ。

が通用しないなら、物理的に殺すまで……」
 どうやら魔物は待ってくれないようだ。
 ターン制バトルに興じているわけではない。これは実戦だ。相手が待ってくれるわけがない。

「なるほど、でも僕も殺されるわけにはいかない。抵抗はさせてもらう」
「無駄なこと……」

 無駄なことなどない。もう少しだ。ほんのもう少し、あともう少し持ちこたえれば、増援が来るはずだ。
 僕に出来ることは耐えることのみ。

「くるなら……こいっ……!」

 魔物はもはや一言も話すことはなく、ほんの一瞬にして僕の視界から消えた。見えるとか見えないとかの問題ではない。最初に感じたのは、巨大な質量が移動したことによる風圧。それが来てようやく魔物が動いたのだという事に気が付けた。
 次に僕の感覚を刺激したのは痛覚だった。

「っ……!」
 声にもならない悲鳴がこぼれたが、何とか足が地面から離れずにすんだ。それでも、地面には二本の短い直線が描かれていることから、かなりの衝撃だったことがわかる。
 最初に受けた攻撃と比べると、ずいぶんと優しい一撃だったが、それでもたかだか獣人ごときには堪える。先ほどのダメージを負ったままなら、すぐさまに昇天していたことだろう。

「なに……?」
 しばらくして魔物がそう呟いた。
 魔物の表情というのは、獣人の僕からしてみればまるで読み取れないのだが、それでも驚いているという事だけは何となく理解できた。その驚き故に、魔物は動きを止めたのだろう。
 これはチャンスだ。
 たぶん、僕の攻撃はまるで通用しないだろう。スピードも、防御力もほとんどない僕が唯一誇れるのは、犬として生まれ持った感覚だけだ。
「犬っていうのは……人間の1億倍近いらしい……お前に理解できるわかるかは知らないが、距離としては十分だ。でも、もう少しだけ粘らせてもらうとするよ」
 
 とは言っても、相手はあの巨体でとてつもない速度で攻撃を繰り出す。僕がどれだけ耐えられるかが重要になる。

「粘る? たった一撃でそれほどのダメージを負うような脆弱な存在が、我の攻撃にどれほど耐えられると言うのだ……笑わせてくれる!」
 口ではそういったが、魔物の表情に変化はない。
 もし仮に、どこかに変化があったというのなら、それは魔物の意思だ。おそらくもう、先程までのような僕をギリギリ殺せるであろう攻撃はせず、確実に殺せる一撃で来ることだろう。魔物にはもはやそれほどの余裕がない。だから自分の言葉に少しだけ後悔する。口は災のもととはよく言ったものだ。
 魔物は体中から光を発して、みるみる小さくなってゆく。
「なんだ……新しい能力か……」
 今ですら絶望的な戦力差だというのに、これ以上何を見せてくれると言うのだろう。こちらとしては、もはやお腹いっぱいだ。これ以上はいらない。
 
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