『チート作家の異世界執筆録 〜今日も原稿と畑で世界を綴る〜』

第17話 静かな日常、給仕係を探しながら

　昼下がりの厨房亭は、ピーク時の喧騒が嘘のように落ち着きを取り戻していた。窓から差し込む柔らかな陽射しが、木目の床を温かく照らし、壁に飾られたスパイスやハーブの瓶が淡く輝く。熱気はゆっくりと引いていき、店内には食後の満ち足りた余韻だけがそっと残り、空気はふんわりとやわらかい。まるで、今日の賑わいを優しく抱きしめているかのようだ。

「ふぅっ……今日も無事に終わったたい」

　お盆を抱えたまま、ルナは椅子にどかりと腰を下ろす。肩の緊張が解ける音が聞こえてきそうなほどの大きなため息が、店内に小さく響いた。その顔には、一日の疲れと達成感が入り混じっている。
　
「にんじんサラダが完売でした～！　ティアさんの精霊ハーブ、やっぱり効いたみたいです！」

　フィナは笑顔をはじけさせながら、満足そうに報告する。その瞳はキラキラと輝き、まるで自分事のように喜んでいる。隣でティアは、手元の帳簿を優雅に閉じると、品の良い頷きを返した。

「ええ。魔力浸透率を精密に計算し、最高の香りと渋みのバランスを狙った甲斐がありましたわ。モモ、今日の感想と改善点を日誌にまとめてくださる？」

「はーい、“今日もぴょんぴょん美味しかった”って書いとくね！」

　モモの朗らかな声に、ルナは思わず目を丸くして苦笑した。その頭には、今にもぴょんぴょんと跳ね出しそうなウサギの耳が見えるようだ。

「それ、感想帳じゃなくて日誌なんだけど……」

　ルナのツッコミも、モモにはどこ吹く風。相変わらずマイペースなモモに、場にはほんわかとした空気が流れる。

　厨房の奥からは、鍋を片付けるカチャカチャという小気味良い音とともに、ミランダの澄んだ声が漏れてきた。

「リュウ、まかないできたわよ。今日はジャガイモとセロリのスチーム煮。きみの芋、しっとり甘くて本当に美味しいわ」
「了解～。じゃあ、みんなで囲んで食べよっか。……その前に、これ貼っておくか」

　リュウは立ち上がり、カウンター脇の空いた壁に新しい紙札をぺたりと貼った。紙札に書かれた文字は、彼のまっすぐな人柄を表すように、少しだけ朴訥とした筆跡だ。

【給仕係、募集中】
　筆の家で、一緒にごはんを届けてくれる人、歓迎します

「人手不足やもんなぁ……」

　リュウがぽつりと呟くと、ルナは深く頷いた。彼女の表情には、日々の忙しさが刻まれている。

「注文を通し、配膳して、会計して、笑顔を届けて……このサイクル、朝から晩まで止まらんもんな！」
「リュウさん、それって毎日筋トレ級だよ？」

　エルドがからかい気味に吐き捨てると、ティアがクスリと微笑む。その微笑みには、どこか達観したような知性が宿っている。

「“給仕は一種の魔術”ですわね……」

「厨房で寝落ちしとる姿、もう何度も見たばいね」
　ルナが苦笑する横で、リュウは自嘲気味に頭をかいた。確かに、彼はよく厨房の片隅で眠りこけている。

「誰か、いい人いないかなぁ……」

　その言葉に、モモが期待を胸に目を輝かせ、フィナも優しく微笑んで頷いた。皆の視線が、貼り出されたばかりの紙札に集まる。

　ほどなくして、湯気を立てるあつあつのスチーム煮と、トマト＆バジルのふんわりパンがテーブルに並べられた。食欲をそそる香りが、ふわりと広がる。まかないの時間は、厨房亭の中でいちばん静かで、そして温かいひとときだ。

「うん……やさしい味やね。ミランダの料理って、派手じゃないけど、心にじんわり染みる」
　リュウが一口食べると、じんわりと口の中に広がる優しい味に、ほっと息をつく。

「そうですね……ふわっと優しくて、身体の隅々まで温まる感じ」
　エルドが目を閉じ、味を噛み締めるように呟いた。

「まるでスープが“帰っておいで”って声をかけてくれてるみたい……」
　フィナは湯気の向こうに目を細め、どこか遠い目をする。

　リュウはふと、黙々と皆の様子を見守っているミランダの横顔を見つめた。少し疲れたような表情に隠された優しさが、湯気の向こうにじんわりと滲んで見える。彼女の料理が、疲れた心と体にどれほど染み渡るか、リュウは知っている。

「ねえ、ミランダさんって……もし失礼だったらごめんばってん」
　ルナが突然、真面目な声で口を開いた。その声には、どこか覚悟を決めたような響きがある。
「ミランダさんって、今独り身とやろ？　こんなに料理上手で素敵なのに、どうしてかなって思とばってん」

　その瞬間、空気が一瞬止まった。場にいる全員の動きがぴたりと止まり、沈黙が訪れる。ティアとフィナがちらりと目を合わせ、言葉を失う。モモはパンをもぐもぐしながら、「え？　だめだった？」ときょとんとした顔をする。そんなモモの様子が、かえって場の緊張感を高めた。

　ミランダは手を止めず、ただ、やさしく微笑んで答えた。その微笑みは、いつもと変わらない穏やかさで、しかしどこか深い悲しみを秘めているように見えた。

「……あら、もうそんな風に見えちゃうのね。隠してたわけじゃないけれど……」

　そして、ぽつりと話し始めた。その声は、まるで遠い記憶を辿るかのように静かだった。

「若いころ、騎士だった人と結婚したの。優しくて、強くて、正義感のかたまりみたいな人だったわ」
「その人との間に、息子がひとり。利発でね。魔法よりも剣が好きで、父に憧れて同じ道を選んだの」
「でも……その“同じ道”が、仇になったのよ」
「魔王軍との戦いで、夫の部隊に息子が初陣として入れられた。王国としては安心と判断したのだけれど」
「結果は、二人とも、帰ってこなかった」

　一瞬の静寂が、再び場を支配した。誰もが言葉を飲み込み、食卓の手が止まる。スチーム煮の湯気だけが、静かに立ち上っていた。リュウはミランダから目が離せない。

　ミランダは変わらずお茶を一口含んでから、静かに続けた。その瞳には、遠い日の悲しみが浮かび上がる。

「それからしばらく、私は何も食べられなかった。味は消え、心は凍りついて……。でも、厨房だけは裏切らなかった。包丁の音は、私を生かし続けてくれた」

　リュウが静かに、しかししっかりと訊ねる。
「……それでも、料理を続けたんだね」

「ええ。料理しか、私に残された道はなかったから」
　だがミランダは、微かに笑みをこぼしながら言った。その表情には、悲しみだけでなく、確かな光が宿っているように見えた。
「今はね……こうしてまた、誰かのためにごはんを作れる。この家に来て、みんなと分かち合い、笑顔をもらって。まるで家族がまた増えたみたいで、すごく幸せなのよ」

　ルナはそっと涙を拭い、ぶっきらぼうに呟いた。その声は、震えている。

「やけん、ズルいって言ったと！」
「ふふ……ありがとう」
　ミランダは優しく笑った。その笑顔は、厨房亭に温かい光を灯すようだった。皆の心に、温かい何かがじんわりと広がっていく。

　王都ルミアステラの夕刻。橙色に染まった空の下、筆の家・厨房亭の前にふたたび王宮御用達の黒漆四頭立て馬車が静かに停まった。重厚な扉がゆっくりと開くと、金色の眩しい装飾ではなく、凛と整ったメイド服に身を包む三人の女性が現れた。それぞれが異なる雰囲気と、しかし共通してどこか品の良い佇まいを見せている。

「お届け物でーす♪　人手、三名！　締切なし、即戦力でございます！」
　末っ子のミィが、その小柄な身体からは想像できないほどの明るい声で呼びかけると、控えめな一人が「ミィ、声が大きい。中心街では特に静かにしなさい！」とたしなめた。たしなめられたミィは、頬を膨らませながらも、どこか楽しそうだ。

　長女、セリス。年齢不詳（たぶん二十代前半）。白いエプロンが映える清潔感あふれる立ち居振る舞いと、一音一句まで崩れない敬語が、まさに〈王宮模範メイド〉の風格を漂わせる。その凛とした佇まいは、周りの空気を引き締めるようだ。
　次女、ラミナ。淡い紫の髪をひとつに束ね、無表情ながらも目鼻立ちは凛とし、どこか毒を帯びた言葉を吐く。その冷静沈着ぶりは、厨房の裏方仕事にこそ向いているだろうと、誰もが直感した。
　三女、ミィ。小柄で元気いっぱい。鮮やかなトマト色のリボンを髪に結び、なぜかトマトの小さなぬいぐるみをいつも胸に抱えている。その愛らしい姿は、思わず抱きしめたくなるほどだ。盛り付けのセンスが抜群で、子どもたちを中心に大人気だという話も頷ける。

「……おかげで、また一段とにぎやかになったな」
　リュウは笑いを噛み殺しつつ、ラグレス内大臣からの手紙を改めて見つめた。そこには、内大臣らしい回りくどい表現で、しかし的確に彼女たちの能力が記されている。

『厨房亭の人手が足りぬと聞き、信頼のおける補佐人員を三名派遣した。　一人は“皿を絶対に割らぬ天才”、一人は“時間ぴったり女史”、最後の一人は“謎の逸材”見事な布陣だ。』
　
「“謎”って、つまりミィちゃんでしょ？」
　ルナが肩を竦めると、ミィはぴょこりと手を振った。その動きは、まるで小さな妖精のようだ。

「はいはい、謎のミィです！　盛り付けは“魂”でやります！」
　ミィが自信満々に皿を掲げると、そこにはにんじんを星型にくり抜いた一皿が。まるで小さな夜空を切り取ったように愛らしく並んでいる。その繊細な仕事ぶりに、誰もが目を奪われる。

「……うん、これは確かに芸術点、高いわね」
　ラミナがそっと頷き、セリスは厳かに微笑んだ。普段表情をあまり変えないラミナのこの言葉は、ミィの才能を認めざるを得ないという証拠だろう。

　その日から三姉妹は即戦力として厨房亭を支えた。それぞれの個性が、見事に厨房亭の日常に溶け込んでいく。
　セリスはホールの統率とオーダーの一本化を担当。お客様の顔と頼む一品を一瞬で記憶し、エプロン越しでも優雅に動くその姿は、まさに完璧なメイドだった。
　ラミナは裏方の達人。大量の洗い物も備品管理も静かに完遂し、調理補佐では食材の下ごしらえを漏れなく進める。彼女がいるだけで、厨房の作業効率が格段に上がった。
　ミィは盛り付けの魔術師。お子様プレートから大皿まで、色とりどりの野菜を星や花に似せて飾り付けていく。彼女の盛り付けた料理を見るたびに、「かわいい！」という歓声が耐えない。

「これで、筆の家の“休める暇がない”問題も少しは解決したな」
　ティアが紅茶をひとすすりすると、モモはミィが生み出した星型にんじんを頬張りながら、大きく頷いた。その口元は、幸せそうに緩んでいる。

「ねえ、またお姉ちゃんが増えて、うれしい！」
　フィナはそっと微笑み、「家って、にぎやかだとあったかいんだね……」と呟いた。その瞳には、温かい光が宿っている。

　その夜。リュウはいつものようにノートを開き、再び筆を走らせた。

《筆の家に、セリス・ラミナ・ミィの三姉妹メイドが加わった。一人は静かに笑い、一人は黙々と働き、最後の一人は星型にんじんを並べる。家はまた一段と、にぎやかで、あたたかくなった》

　厨房では、まかないの片付けを終えたミランダが、まな板に手を添え、小さく微笑んだ。その表情は、どこか満ち足りたものだった。

「……家族って、こうして増えていくのね」

　ミランダの言葉に、リュウもふっと笑う。彼の顔にも、穏やかな満足感が浮かんでいた。

「さて、次は……部屋を増やすか」

　夕暮れが深まり、暖かな灯が窓の向こうに灯る。新たな風を告げる三姉妹の笑い声とともに、筆の家の物語はまた一歩、前へ進んでいく。温かい光が、彼らの新たな日常を優しく包み込んでいた。