婚約者に大切にされない俺の話

ゆく

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62. キス

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 宏樹と泰樹くんをマンションに受け入れてから二週間少し。十二月に入ると、街は完全にクリスマス一色になった。夜、帰宅後にベランダに出れば、少し離れた位置にイルミネーションで彩られた駅周辺の景色が見える。


「風邪ひくよ」


 そう言って、薄着を心配したらしい泰樹くんが、俺には大きめなカーディガンを羽織らせた。鮮やかな青色のそれは、さっきまで泰樹くんがリビングで着ていたものだ。

 柵に両腕を乗せて夜景を眺める俺の隣に並び立つと、ほぅ、と白い息を吐く。


「何見てたの?」
「駅のイルミネーション」


 指をさして教えると、垂れ気味の大きな目をこれでもかと細めた。


「ええ? ちょっと待って……ここからじゃ小さすぎて見えない」
「あ、泰樹くんも? 俺も見えないもん」
「もん、って……」


 可愛い言い方やめて……、と両手で顔を覆ってつぶやかれた。
 そんなつもりはなかったんだけれど、泰樹くんには俺が可愛く見えるらしい。

 否定すれば、真顔で俺のどこが可愛いと思うのかを熱く語られることがわかってるから、否定せずに笑ってスルーした。


 そう、あの三人で添い寝した夜以降、泰樹くんはもう完全に俺への好意を隠さずに接してくるようになった。

 想像してみてほしい。今まで弟だと思っていた存在に、ことあるごとに「可愛い」「好き」だと言われる俺の心労を。

 朝起きれば「寝起きの真緒ちゃんも可愛い」だの、着替えれば「オフィスカジュアルな真緒ちゃんもきれい」だの、どうしてこうなった? と小一時間問いただしたくなる。


(問いただしたら、どうせまた熱く語られるだろうからしないけど……)


 せめて二人きりの時ならいいのに、宏樹が在宅の時や、尚樹さんが訪ねてきた週末でも勢いが衰えないから怖い。

 宏樹は必死で泰樹くんから俺を引き離そうとするし、尚樹さんは「若いってすごい」と謎に感心していたりする。

 何より謎なのは、その泰樹くんの甘い言葉を、嬉しく思ってる自分自身なんだけども。


(好きって言われてから意識するとか、俺も現金だよなぁ)


 景色を見るフリをしながらこっそり隣を横目で見ると、まさかの目が合った。気づかないうちにじっと見つめられていたらしい。


「ふふ、目が合ったね」


 思わずどきっとした俺の心を見透かしているような、優しい目は夜に溶けてしまいそうに甘い。顔を反対側に反らして、心臓が跳ねまくるのをごまかした。

 俺を口説くようになってから敬語も少しずつ減って、そのせいで余計に「弟感」がなくなってしまっている気がする。

 宏樹が快復するまでの同居なのに、宏樹よりも一緒にいる時間が長い。それを自覚しているのか、年下のくせに、俺への態度にどことなく余裕さえ感じるのが悔しい。

 そっぽを向いた俺の、柵に乗せた手を取ってそっと繋がれる。その自然な動作に思わずため息が出て、俺はもう一度正面を向いた。


「真緒ちゃん、次のヒートはいつです?」
「……あと二週間くらいかな」
「次も、一緒に過ごしていいですか」
「……泰樹くんは受験目前だろ?」
「受験よりも真緒ちゃんの方が大事です。……って言い切りたいところだけど、多分真緒ちゃんが想像してるような試験じゃないし大丈夫ですよ」
「そうなの?」
「学科と面接くらいだから」


 握った手を揉みしだいて、泰樹くんは目を細めた。


「ね、だから俺も一緒に過ごしていいでしょう?」
「…………わかった。でも約束してよ、絶対無理しないって」
「もちろん。ところでナオたちにはもう話したんですか?」
「まだ。話す前に泰樹くんに聞かれたから」


 そう、まだ三人のうち誰にも話していなかった。
 何となく言いそびれて、言いにくかった。
 ヒートを一緒に過ごそうと誘うってことは、つまりはセックスの誘いなわけで。往生際が悪い俺はまだそこまでの覚悟ができてなくて、何となく気がひけてしまうのが本音だった。

 何より、セックスができるかどうかもわからない俺のヒートに、三人を付き合わせてしまうのは、三人の時間を無駄にしてしまってる気がする。


「…………真緒ちゃん、また何か変なこと考えてない?」


 手を握々していた泰樹くんは俺の顔を無理やり自分の方へ向かせると、シワの寄った俺の眉間に指の腹をあててぐりぐりと動かす。


「一人で考え込まないで。変なこと考えるくらいなら、絶対に俺と一緒にいる時に考えて。俺も、ナオも、ヒロも、みんな真緒ちゃんが好きだから、ヒートを一緒に過ごしたいだけだからね。好きな人と過ごしたいのは別におかしくないでしょ?」
「……うん」
「大丈夫、真緒ちゃんの嫌がるようなことは絶対しないって誓うから」
「うん」
「あとね、セックスがすべてじゃないから」
「…………。」
「俺はこうして真緒ちゃんと手を繋いでるだけでも幸せ感じてるよ」
「…………泰樹くんの幸せ、安すぎない?」
「そう?」
「うん、安すぎ」
「…………真緒ちゃんに言われるのはちょっと心外だなぁ」


 そう言いつつも本当に幸せそうに笑う泰樹くんの表情に俺は救われる。

 だからつい俺も、年上ぶってしまって――キスくらい、ねだってくれてもいいのに――そう俺が聞こえるか聞こえないかくらいの小声で目を伏せ言うと、俺の手を握る泰樹くんの手がぴたりと止まった。


「………………しても、いいの?」
「え、」


 俺がイエスと答える前に、握っていない方の手を頬に添えられる。頬を赤くした泰樹くんの顔がゆっくりと近づいて、軽く、短く唇が触れた。一瞬だけ触れた唇が名残惜しそうに離れる。


「…………もう一回、いい?」


 問われて、今度は俺の方からもう一度唇を重ねにいった。

 一回目と同じ触れるだけのキスなのに、今度はどうしても離れがたくて、何度も何度もお互いの唇の感触を確かめ合っていた。
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