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9話 Cecil
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駅前のバス停にはバスを待つ幾人かの人だかりが見受けられた。
セシルと陽菜もその中に加わってバスを待つ。
「白百合先生が書いてくれた地図によると、ここから三駅行った所で降りるみたい。それでね、セシルくんにお願いがあるんだけど聞いてくれるかな?」
「勿論です。僕に出来る事であれば何なりと言って下さい」
「そんなに難しい事じゃないの。実はね、バスを降りた所から程近い所に翔の家があるの。セシルくんを送った後に、私一人で行く事も考えたんだけど、お願い。一緒に付いて来てくれないかな。もしかしたら、翔は私に何も告げずに、一人で勝手に家に帰ってただけかもしれない。『見つかってしまったか』ってそう言って笑うかもしれない。それだったら私もどんなに気が楽だろう・・・。だけど、もし・・・。もし、そうじゃ無かったら、翔が消えてしまった事を翔のパパやママに説明しなくちゃいけない。私だけじゃ、二人にきちんと説明出来る自信も無いし、二人が悲しむ姿を見るのは、とても辛いの・・・」
陽菜さんは声を震わせながら言った。翔さんが彼女に何も告げずに、家に戻ったという可能性はどうも考えられない。しかし、僅かでもその可能性が残されている以上、そこに縋り付くより外ない。実際にその目で確かめないと気が済まないのだ。
バスを降りると閑静な住宅街が広がっている。
庭先に犬小屋があったり、子供の三輪車があったり、手入れの行き届いた花壇があったり。この世界に生きる人々の確かな息遣いを感じる。
数分歩いた所で、不意に陽菜さんの足取りが重くなっているのを感じた。どうやら、翔さんの家は近くに迫っているらしい。
陽菜さんは一軒の家を指差し、そこが翔さんの家なのだと言った。
住宅街の一角にある白を基調とした平屋建ての一軒家。他の家と同じく、幸せな家族の画が思い浮かぶ。
陽菜さんは一度はチャイムに手を掛けたが、押すのを躊躇い手を離した。
目を閉じ深呼吸をする。彼女の覚悟が決まるまで僕は待つ事にした。
再び彼女がチャイムに手を掛けた時、ボタンを押すよりも早く玄関の扉が開いた。
「あら?もしかして陽菜ちゃん?」
扉を開けた女性は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに満面の笑みをたたえた。
「ええ。お久しぶりです。おばさん」
どうやら彼女は翔さんの母親らしい、その柔和な顔立ちから、優しい女性である事が伺える。
「お隣の方は初めてよね?」
「はい。申し遅れました。僕はセシルと申します」
彼女は僕と陽菜さんを家の中に招じた。リビングに案内され僕達は、勧められるがまま、ダイニングチェアーに腰を下ろした。女性は食器棚から急須を取り出していたが、出し抜けに何かを思いついたのだろうか、僕達に視線を向けた。
「あっ、そうだ。二人ともちょっと待ってて。お父さん呼んで来るわね。陽菜ちゃんが来てくれたって知ったら、きっと大喜びするわ」
「は・・・はい・・・」
陽菜さんは、消え入る様な声で力なく言った。
女性は廊下に飛び出し、家中に通る声で呼び掛けた。
「あなた~。陽菜ちゃんが来てくれましたよ~」
その数秒後、端正な顔立ちの男性がむっくりと顔を出した。
「おおー、陽菜ちゃん久し振りだね」
男性は横並びに座る僕と陽菜さんのテーブルを隔てた椅子に腰かけた。
盆の上のお茶を配り終えた女性も、男性の横に並んでゆっくりと腰を下ろした。
二人と向き合う形となった陽菜さんは、伏し目がちになり唇を震わせた。これから二人にとって、辛い話をしなければならないのだ。久し振りの再会を喜ぶ二人の笑顔が余計に彼女の心を締め付ける。
「僕からお二人に話しましょうか?」
「大丈夫。私からちゃんと話すから」
彼女は唇を噛み締めながら、目の前の二人を仰ぎ、真っ直ぐその目を見据えた。
「すぐには信じて貰えないかもしないんですけど・・・。実はさっき学校で、突然翔が目の前から消えてしまったんです・・・・。もしかしたら、家に帰ってるかと思って、こうして翔の家に来たんですけど、どうやら帰って来て無さそうですし・・・。どこに行ったのか、いつ戻って来るのか、ちゃんと戻って来れるのか、それすら分からないんです。それで私・・・、私・・・どうしたら良いか分からなくて・・・」
彼女は涙声で訥々と話をした。
二人はお互いの顔を見合わせ、当惑の表情を浮かべた。
「ちょっと待ってくれ陽菜ちゃん。さっきから話に出て来る、その翔くんって子は一体どこの誰なんだい?」
「翔はおじさんとおばさんの息子じゃないですか!変な事言わないで下さい!」
どういう事だ?二人が冗談で言っている様には見えない。二人の反応は、初めて聞く名に対してであると考えるなら至極当然。しかし、今話しているのは十八年間同じ屋根の下で暮らして来た彼等の息子の話だ。忘れるはずが無い。何かが狂っている。
『ガタン!』
陽菜さんが、勢いよく椅子から立ち上がった。
「翔は二人の間に生まれた長男でしょ!妹の愛ちゃんの面倒もしかっり見る優しいお兄ちゃんじゃないですか!けん玉が得意で、町内の大会で優勝もして・・・納豆が嫌いで、それと同じくらい勉強も嫌いで・・・たまに意地悪するけど、根は優しくて・・・もし忘れたと言うなら、思い出して下さい!」
陽菜さんは目に涙を湛えながら必死に訴えた。
「長男・・・?陽菜ちゃんも知っての通り、うちの子供は娘の愛だけじゃない。男の子なんて私、産んだ覚えないわよ」
「おばさんまでそんな事言ったら、翔が戻って来ても帰る場所が無くなっちゃう・・・」
陽菜さんは全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。
陽菜さんと白百合先生には、翔さんがこの世界に存在したという、確かな記憶が残っている。記憶を失っているのは翔さんの御両親だけなのだろうか。
二人は陽菜さんに対して、「ごめんなさい、本当に知らないの」と申し訳なさそうに繰り返した。これ以上の進展は見込めない。
僕と陽菜さんは二人を意味も無く困惑させてしまった事を詫び部屋を後にした。
上がり框に差し掛かった所で、廊下を駆ける小さな足音が聞こえる。
「うぅ・・・。陽菜お姉ちゃーん!」
髪をツインテールに結んだ小学校低学年位の女の子が陽菜さんの元に駆け寄った。右手には小さなウサギのぬいぐるみの耳を掴んでいる。
陽菜さんが少女を胸の中に抱き締めると、少女は彼女の胸の中で堰を切った様にワンワン泣いた。泣きたい気持ちを誰にも話せずに、ずっと我慢していたのだろう。
「うえーん、陽菜お姉ちゃん!パパもママも変なの!翔お兄ちゃんの事知らないって言うの!」
陽菜さんは泣きじゃくる少女の頭を優しく撫でながら、少女に不安を与えない様に、自らの嘆きや不安を押し殺して、気丈に振る舞った。
「愛ちゃん。大丈夫!翔はきっと大丈夫だから・・・」
それはまるで、彼女が自分自身に言い聞かせている様にも見えた。
セシルと陽菜もその中に加わってバスを待つ。
「白百合先生が書いてくれた地図によると、ここから三駅行った所で降りるみたい。それでね、セシルくんにお願いがあるんだけど聞いてくれるかな?」
「勿論です。僕に出来る事であれば何なりと言って下さい」
「そんなに難しい事じゃないの。実はね、バスを降りた所から程近い所に翔の家があるの。セシルくんを送った後に、私一人で行く事も考えたんだけど、お願い。一緒に付いて来てくれないかな。もしかしたら、翔は私に何も告げずに、一人で勝手に家に帰ってただけかもしれない。『見つかってしまったか』ってそう言って笑うかもしれない。それだったら私もどんなに気が楽だろう・・・。だけど、もし・・・。もし、そうじゃ無かったら、翔が消えてしまった事を翔のパパやママに説明しなくちゃいけない。私だけじゃ、二人にきちんと説明出来る自信も無いし、二人が悲しむ姿を見るのは、とても辛いの・・・」
陽菜さんは声を震わせながら言った。翔さんが彼女に何も告げずに、家に戻ったという可能性はどうも考えられない。しかし、僅かでもその可能性が残されている以上、そこに縋り付くより外ない。実際にその目で確かめないと気が済まないのだ。
バスを降りると閑静な住宅街が広がっている。
庭先に犬小屋があったり、子供の三輪車があったり、手入れの行き届いた花壇があったり。この世界に生きる人々の確かな息遣いを感じる。
数分歩いた所で、不意に陽菜さんの足取りが重くなっているのを感じた。どうやら、翔さんの家は近くに迫っているらしい。
陽菜さんは一軒の家を指差し、そこが翔さんの家なのだと言った。
住宅街の一角にある白を基調とした平屋建ての一軒家。他の家と同じく、幸せな家族の画が思い浮かぶ。
陽菜さんは一度はチャイムに手を掛けたが、押すのを躊躇い手を離した。
目を閉じ深呼吸をする。彼女の覚悟が決まるまで僕は待つ事にした。
再び彼女がチャイムに手を掛けた時、ボタンを押すよりも早く玄関の扉が開いた。
「あら?もしかして陽菜ちゃん?」
扉を開けた女性は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに満面の笑みをたたえた。
「ええ。お久しぶりです。おばさん」
どうやら彼女は翔さんの母親らしい、その柔和な顔立ちから、優しい女性である事が伺える。
「お隣の方は初めてよね?」
「はい。申し遅れました。僕はセシルと申します」
彼女は僕と陽菜さんを家の中に招じた。リビングに案内され僕達は、勧められるがまま、ダイニングチェアーに腰を下ろした。女性は食器棚から急須を取り出していたが、出し抜けに何かを思いついたのだろうか、僕達に視線を向けた。
「あっ、そうだ。二人ともちょっと待ってて。お父さん呼んで来るわね。陽菜ちゃんが来てくれたって知ったら、きっと大喜びするわ」
「は・・・はい・・・」
陽菜さんは、消え入る様な声で力なく言った。
女性は廊下に飛び出し、家中に通る声で呼び掛けた。
「あなた~。陽菜ちゃんが来てくれましたよ~」
その数秒後、端正な顔立ちの男性がむっくりと顔を出した。
「おおー、陽菜ちゃん久し振りだね」
男性は横並びに座る僕と陽菜さんのテーブルを隔てた椅子に腰かけた。
盆の上のお茶を配り終えた女性も、男性の横に並んでゆっくりと腰を下ろした。
二人と向き合う形となった陽菜さんは、伏し目がちになり唇を震わせた。これから二人にとって、辛い話をしなければならないのだ。久し振りの再会を喜ぶ二人の笑顔が余計に彼女の心を締め付ける。
「僕からお二人に話しましょうか?」
「大丈夫。私からちゃんと話すから」
彼女は唇を噛み締めながら、目の前の二人を仰ぎ、真っ直ぐその目を見据えた。
「すぐには信じて貰えないかもしないんですけど・・・。実はさっき学校で、突然翔が目の前から消えてしまったんです・・・・。もしかしたら、家に帰ってるかと思って、こうして翔の家に来たんですけど、どうやら帰って来て無さそうですし・・・。どこに行ったのか、いつ戻って来るのか、ちゃんと戻って来れるのか、それすら分からないんです。それで私・・・、私・・・どうしたら良いか分からなくて・・・」
彼女は涙声で訥々と話をした。
二人はお互いの顔を見合わせ、当惑の表情を浮かべた。
「ちょっと待ってくれ陽菜ちゃん。さっきから話に出て来る、その翔くんって子は一体どこの誰なんだい?」
「翔はおじさんとおばさんの息子じゃないですか!変な事言わないで下さい!」
どういう事だ?二人が冗談で言っている様には見えない。二人の反応は、初めて聞く名に対してであると考えるなら至極当然。しかし、今話しているのは十八年間同じ屋根の下で暮らして来た彼等の息子の話だ。忘れるはずが無い。何かが狂っている。
『ガタン!』
陽菜さんが、勢いよく椅子から立ち上がった。
「翔は二人の間に生まれた長男でしょ!妹の愛ちゃんの面倒もしかっり見る優しいお兄ちゃんじゃないですか!けん玉が得意で、町内の大会で優勝もして・・・納豆が嫌いで、それと同じくらい勉強も嫌いで・・・たまに意地悪するけど、根は優しくて・・・もし忘れたと言うなら、思い出して下さい!」
陽菜さんは目に涙を湛えながら必死に訴えた。
「長男・・・?陽菜ちゃんも知っての通り、うちの子供は娘の愛だけじゃない。男の子なんて私、産んだ覚えないわよ」
「おばさんまでそんな事言ったら、翔が戻って来ても帰る場所が無くなっちゃう・・・」
陽菜さんは全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。
陽菜さんと白百合先生には、翔さんがこの世界に存在したという、確かな記憶が残っている。記憶を失っているのは翔さんの御両親だけなのだろうか。
二人は陽菜さんに対して、「ごめんなさい、本当に知らないの」と申し訳なさそうに繰り返した。これ以上の進展は見込めない。
僕と陽菜さんは二人を意味も無く困惑させてしまった事を詫び部屋を後にした。
上がり框に差し掛かった所で、廊下を駆ける小さな足音が聞こえる。
「うぅ・・・。陽菜お姉ちゃーん!」
髪をツインテールに結んだ小学校低学年位の女の子が陽菜さんの元に駆け寄った。右手には小さなウサギのぬいぐるみの耳を掴んでいる。
陽菜さんが少女を胸の中に抱き締めると、少女は彼女の胸の中で堰を切った様にワンワン泣いた。泣きたい気持ちを誰にも話せずに、ずっと我慢していたのだろう。
「うえーん、陽菜お姉ちゃん!パパもママも変なの!翔お兄ちゃんの事知らないって言うの!」
陽菜さんは泣きじゃくる少女の頭を優しく撫でながら、少女に不安を与えない様に、自らの嘆きや不安を押し殺して、気丈に振る舞った。
「愛ちゃん。大丈夫!翔はきっと大丈夫だから・・・」
それはまるで、彼女が自分自身に言い聞かせている様にも見えた。
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