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第二章前半【いざ東方へ】
2-6.最初の街ブルナム
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ブルナムには思ったよりずいぶん早く到着した。
というのも、ティレクス種のスズが走るスピードが思ったよりかなり早かったのだ。ラグからブルナムまでおよそ600スタディオン、だから朝の遅い時間に出立して、昼食の休憩を挟んでも陽神が西に傾いて空が茜色に染まる前までには着くと計算していたのだが、実際にはまだ明るいうちに到着してしまったのだ。
実際、道中でもハドロフス種やイグノドン種の牽く脚竜車を何台も追い越して来たので、ずいぶん早く着くだろうと途中から判ってはいたのだが、それでも想定より早くてアルベルトは驚くほかはない。
「もう着いたの?まあまあ近かったのね」
「いや、距離的には600スタディオンあるんだけど、かなり早く着いちゃったね」
「600!?450ぐらいじゃないの!?」
レギーナが勘違いするのも無理はない。ハドロフス種やアロサウル種と比べても1.2倍くらいのスピードで到着したのだ。
しかもそれでいて、スズには疲れた様子も見えない。これは旅程表を計算し直さないといけないな、とアルベルトは考えていた。
スタディオン、とは古代ロマヌム帝国時代から使われる距離の単位である。陽神が地平から姿を現すと同時に歩き始め、陽神が地平から離れて完全に浮き上がるまでに人間の男が歩ききれる距離、それがスタディオンだ。
もちろん歩く人間によって距離が異なるため、古代帝国時代は地域によってスタディオンの距離もまちまちだったというが、ある時皇帝がひとりの足の速い男を選んで歩かせ、それを基準として定めることで全国的な単位統一を図ったのだという。
そうして決められた『1スタディオン』は、地球での距離に換算すれば約200メートルになる。
ちなみに距離の単位としての最少は『フット』である。人間の男が二歩歩く距離を『ニフ』といい、メートル換算で約1.6メートル。フットはニフの5分の1なので約32センチメートルになる。
これらもやはり古代帝国時代からの単位だが、なぜ採用されたのかは今となっては不明である。一応、人間の爪先から踵までの長さがフットだと言われているが、現在の人間でそんな大きな足を持つ者はいない。巨人なら分からなくもないが、今度は二歩の長さが変わってくるので、やはり謎である。
なお“長さ”の最小単位は『デジ』で、メートル換算で約2センチメートルになる。人間の男の指の一番太い部分、すなわち第二関節の幅が基準となっている。
ニフの1000倍を『ミリウム』と言い、距離の基準単位としてはスタディオンとミリウムが併用されている形になる。街道筋には4ミリウムごとに里程票が設置されていて、旅人はそれを目安に自分がどの辺りまで来ているのかを知る。
4ミリウムは32スタディオンになる。メートル換算で約6400メートルだ。
ということで、600スタディオンは約120キロメートルに相当する。
それをスズは約5時間半、朝五に出発して昼食休憩を挟み、昼五の中ごろに到着したのだった。なおアルベルトの当初の見立てでは昼七に入る頃が到着予定時刻であった。
「ほんならひとまず宿ば取って、領主公邸さい挨拶して、ほんで…」
「いや、ブルナムの辺境伯は今まだ空席のはずだよ」
「空席?断絶しんしゃったとかいな?」
「いや後継はいるんだけど、確かまだ成人してないはずなんだ」
古来から交通・戦略上の要衝として人も物資も集めていたブルナムが今寂れているのは、それが理由だ。
先代のブルナム辺境伯が流行りの伝染病で亡くなってから、もう10年になる。幸い、当時生まれたばかりだった世継ぎは伝染病の難を逃れて生き残り、そのため近隣のラグ辺境伯とサライボスナ辺境伯が彼の成人まで支援することになっている。
ということでブルナムは今、市民から選ばれた議会が合議制で治めていて、表立った政治的な動きが取れないので旨味を感じない商人たちが寄り付かない。次期辺境伯が成人して襲位するまでは、少なくともこの状況は続くだろう。
「そげなことな。ならウチらが公邸さい挨拶行っても困らせるだけかも分からんね」
「うん。だから一泊だけして先を急いだ方がいいと思う」
「じゃ、そうしましょ」
「宿だけれどね。〈スパス山の要塞〉亭に予約を入れてきたわ」
「そう。じゃあ西門をくぐったら直行ね」
いつの間にかいなくなっていたヴィオレが突然姿を現して、まるでそれが当然であるかのようにレギーナが言葉を続ける。というか姿を見せて初めて、彼女がいなくなっていたことに気付いた程である。
予約を入れてきた、と言うがここはまだブルナム西門の外である。早く着きすぎたので街に入る前に対応を協議していたところなのだ。というか街から見える場所に停まっていては車両も脚竜も目立ちすぎて守衛隊を刺激しかねないため、今はブルナムまでの最後の里程票を過ぎて城壁が見えた時点で停まっていて、街まではまだ10スタディオンほど距離があるはずだ。
停めてからもそう時間は経っていないのだが、一体いつの間に街まで行って予約なんて入れてきたのだろうか。というか停めてから行って帰ってきたとすれば、明らかにスズより速い計算になるのだが。
「…ヴィオレさんていつもこんな感じ?」
「そうばい?」
「そうなんだ…」
さすがは勇者パーティの探索者を務めるだけのことはある。仕事が早いなんてものではなかった。
ちなみに御者台から連れ去られてずっと泣いていたクレアは、今は車両を停めて室内に入ってきたアルベルトに後ろから抱きついている。めっちゃ背中に当たってるんだがアルベルトは極力気にしないようにしていて、レギーナもミカエラもそれを咎めるとまたグズり出すので引きはがせないでいる。
西門の通過は先にヴィオレが往復していたおかげでスムーズだった。そのために入城の際に彼女は助手座に座っていてくれて、彼女の顔を見た守衛たちはすぐに勇者一行だと理解して、それで手続きも極めてスムーズに終えられた。
この調子だと、この先の都市もずいぶん助けられそうな気がする。
なおクレアはまた補助座に座るかと思っていたが、どうやら人に見られるのは嫌なようで居室内で大人しくしている。
「公邸に挨拶状を届けてきたわよ」
「お。ご苦労さん」
宿に着いて、一番いい部屋にレギーナたち4人と、階下の一般客室にアルベルトがチェックインして、旅程を打ち合わせたいアルベルトが彼女たちの部屋に顔を出したところでまたヴィオレが戻ってくる。いや有能すぎんかこの人。
だがともかく挨拶状を届けたことで顔を見せない不義理も回避し、なおかつブルナム議会の顔も立てたので、あとは事実上自由行動である。とはいえ見るべき名所も遊ぶべき施設もそうないので、今後の旅程を協議して晩食を終えれば後は寝るだけだ。
ちなみにアプローズ号とスズは守衛たちや道行く人や亭主をそれぞれ驚かせたものの、それ以上の混乱は起きなかった。通常より大きいとはいえ車両そのものは長いだけで幅は長距離旅行用脚竜車としては通常サイズだし、スズも噛み付き防止用口輪を嵌められて大人しくしていたので、宿の従業員たちも安心したようだ。
まあ、アルベルトがやった餌を食べている姿は恐怖を煽ったようだったが。何しろその巨大な口で斑牛一頭分くらいペロリと平らげたのだから。
「この調子じゃ、街に泊まるたびに餌を買わないといけないわね」
「身が太かけんしゃあないばってん、こら餌代も計算し直さなつまらんね」
「街道上でお昼を取る時は、一旦放して狩りをさせてはどうかしらね?」
「うーん、それだと知らない人が見たらパニック起こさないかな…」
逃げる危険性はないと全員が判断しているが、それでも放して自由に狩りをさせるのはちょっと問題がありそうである。ティレクス種自体は広く知られていて、これは草原地帯に生息する脚竜種だから、まかり間違えばそうした野生個体とも思われかねない。地域のギルドに討伐依頼でも持ち込まれたら少々面倒だ。
結局、ある程度食べて満足したのかスズは脚竜用厩舎で蹲って寝てしまい、アルベルトたちは商工ギルドを通じて肉屋を呼んで、餌の保管庫が一杯になるまで屑肉を持ってこさせた。
それから自分たちも晩食を取り、今後の旅程を協議した上で解散し就寝することになった。下手するとクレアが『アルベルトと一緒に寝る』とか言い出しかねないので警戒していたが、さすがにそこは彼女も一般常識は弁えていて彼の寝室には来なかった。
そんなこんなで翌朝になり、朝食をみんなで頂いたあとチェックアウトしてブルナムの街を出た。次の目的地は宿場町をひとつ飛ばしてサライボスナである。
というのも、ティレクス種のスズが走るスピードが思ったよりかなり早かったのだ。ラグからブルナムまでおよそ600スタディオン、だから朝の遅い時間に出立して、昼食の休憩を挟んでも陽神が西に傾いて空が茜色に染まる前までには着くと計算していたのだが、実際にはまだ明るいうちに到着してしまったのだ。
実際、道中でもハドロフス種やイグノドン種の牽く脚竜車を何台も追い越して来たので、ずいぶん早く着くだろうと途中から判ってはいたのだが、それでも想定より早くてアルベルトは驚くほかはない。
「もう着いたの?まあまあ近かったのね」
「いや、距離的には600スタディオンあるんだけど、かなり早く着いちゃったね」
「600!?450ぐらいじゃないの!?」
レギーナが勘違いするのも無理はない。ハドロフス種やアロサウル種と比べても1.2倍くらいのスピードで到着したのだ。
しかもそれでいて、スズには疲れた様子も見えない。これは旅程表を計算し直さないといけないな、とアルベルトは考えていた。
スタディオン、とは古代ロマヌム帝国時代から使われる距離の単位である。陽神が地平から姿を現すと同時に歩き始め、陽神が地平から離れて完全に浮き上がるまでに人間の男が歩ききれる距離、それがスタディオンだ。
もちろん歩く人間によって距離が異なるため、古代帝国時代は地域によってスタディオンの距離もまちまちだったというが、ある時皇帝がひとりの足の速い男を選んで歩かせ、それを基準として定めることで全国的な単位統一を図ったのだという。
そうして決められた『1スタディオン』は、地球での距離に換算すれば約200メートルになる。
ちなみに距離の単位としての最少は『フット』である。人間の男が二歩歩く距離を『ニフ』といい、メートル換算で約1.6メートル。フットはニフの5分の1なので約32センチメートルになる。
これらもやはり古代帝国時代からの単位だが、なぜ採用されたのかは今となっては不明である。一応、人間の爪先から踵までの長さがフットだと言われているが、現在の人間でそんな大きな足を持つ者はいない。巨人なら分からなくもないが、今度は二歩の長さが変わってくるので、やはり謎である。
なお“長さ”の最小単位は『デジ』で、メートル換算で約2センチメートルになる。人間の男の指の一番太い部分、すなわち第二関節の幅が基準となっている。
ニフの1000倍を『ミリウム』と言い、距離の基準単位としてはスタディオンとミリウムが併用されている形になる。街道筋には4ミリウムごとに里程票が設置されていて、旅人はそれを目安に自分がどの辺りまで来ているのかを知る。
4ミリウムは32スタディオンになる。メートル換算で約6400メートルだ。
ということで、600スタディオンは約120キロメートルに相当する。
それをスズは約5時間半、朝五に出発して昼食休憩を挟み、昼五の中ごろに到着したのだった。なおアルベルトの当初の見立てでは昼七に入る頃が到着予定時刻であった。
「ほんならひとまず宿ば取って、領主公邸さい挨拶して、ほんで…」
「いや、ブルナムの辺境伯は今まだ空席のはずだよ」
「空席?断絶しんしゃったとかいな?」
「いや後継はいるんだけど、確かまだ成人してないはずなんだ」
古来から交通・戦略上の要衝として人も物資も集めていたブルナムが今寂れているのは、それが理由だ。
先代のブルナム辺境伯が流行りの伝染病で亡くなってから、もう10年になる。幸い、当時生まれたばかりだった世継ぎは伝染病の難を逃れて生き残り、そのため近隣のラグ辺境伯とサライボスナ辺境伯が彼の成人まで支援することになっている。
ということでブルナムは今、市民から選ばれた議会が合議制で治めていて、表立った政治的な動きが取れないので旨味を感じない商人たちが寄り付かない。次期辺境伯が成人して襲位するまでは、少なくともこの状況は続くだろう。
「そげなことな。ならウチらが公邸さい挨拶行っても困らせるだけかも分からんね」
「うん。だから一泊だけして先を急いだ方がいいと思う」
「じゃ、そうしましょ」
「宿だけれどね。〈スパス山の要塞〉亭に予約を入れてきたわ」
「そう。じゃあ西門をくぐったら直行ね」
いつの間にかいなくなっていたヴィオレが突然姿を現して、まるでそれが当然であるかのようにレギーナが言葉を続ける。というか姿を見せて初めて、彼女がいなくなっていたことに気付いた程である。
予約を入れてきた、と言うがここはまだブルナム西門の外である。早く着きすぎたので街に入る前に対応を協議していたところなのだ。というか街から見える場所に停まっていては車両も脚竜も目立ちすぎて守衛隊を刺激しかねないため、今はブルナムまでの最後の里程票を過ぎて城壁が見えた時点で停まっていて、街まではまだ10スタディオンほど距離があるはずだ。
停めてからもそう時間は経っていないのだが、一体いつの間に街まで行って予約なんて入れてきたのだろうか。というか停めてから行って帰ってきたとすれば、明らかにスズより速い計算になるのだが。
「…ヴィオレさんていつもこんな感じ?」
「そうばい?」
「そうなんだ…」
さすがは勇者パーティの探索者を務めるだけのことはある。仕事が早いなんてものではなかった。
ちなみに御者台から連れ去られてずっと泣いていたクレアは、今は車両を停めて室内に入ってきたアルベルトに後ろから抱きついている。めっちゃ背中に当たってるんだがアルベルトは極力気にしないようにしていて、レギーナもミカエラもそれを咎めるとまたグズり出すので引きはがせないでいる。
西門の通過は先にヴィオレが往復していたおかげでスムーズだった。そのために入城の際に彼女は助手座に座っていてくれて、彼女の顔を見た守衛たちはすぐに勇者一行だと理解して、それで手続きも極めてスムーズに終えられた。
この調子だと、この先の都市もずいぶん助けられそうな気がする。
なおクレアはまた補助座に座るかと思っていたが、どうやら人に見られるのは嫌なようで居室内で大人しくしている。
「公邸に挨拶状を届けてきたわよ」
「お。ご苦労さん」
宿に着いて、一番いい部屋にレギーナたち4人と、階下の一般客室にアルベルトがチェックインして、旅程を打ち合わせたいアルベルトが彼女たちの部屋に顔を出したところでまたヴィオレが戻ってくる。いや有能すぎんかこの人。
だがともかく挨拶状を届けたことで顔を見せない不義理も回避し、なおかつブルナム議会の顔も立てたので、あとは事実上自由行動である。とはいえ見るべき名所も遊ぶべき施設もそうないので、今後の旅程を協議して晩食を終えれば後は寝るだけだ。
ちなみにアプローズ号とスズは守衛たちや道行く人や亭主をそれぞれ驚かせたものの、それ以上の混乱は起きなかった。通常より大きいとはいえ車両そのものは長いだけで幅は長距離旅行用脚竜車としては通常サイズだし、スズも噛み付き防止用口輪を嵌められて大人しくしていたので、宿の従業員たちも安心したようだ。
まあ、アルベルトがやった餌を食べている姿は恐怖を煽ったようだったが。何しろその巨大な口で斑牛一頭分くらいペロリと平らげたのだから。
「この調子じゃ、街に泊まるたびに餌を買わないといけないわね」
「身が太かけんしゃあないばってん、こら餌代も計算し直さなつまらんね」
「街道上でお昼を取る時は、一旦放して狩りをさせてはどうかしらね?」
「うーん、それだと知らない人が見たらパニック起こさないかな…」
逃げる危険性はないと全員が判断しているが、それでも放して自由に狩りをさせるのはちょっと問題がありそうである。ティレクス種自体は広く知られていて、これは草原地帯に生息する脚竜種だから、まかり間違えばそうした野生個体とも思われかねない。地域のギルドに討伐依頼でも持ち込まれたら少々面倒だ。
結局、ある程度食べて満足したのかスズは脚竜用厩舎で蹲って寝てしまい、アルベルトたちは商工ギルドを通じて肉屋を呼んで、餌の保管庫が一杯になるまで屑肉を持ってこさせた。
それから自分たちも晩食を取り、今後の旅程を協議した上で解散し就寝することになった。下手するとクレアが『アルベルトと一緒に寝る』とか言い出しかねないので警戒していたが、さすがにそこは彼女も一般常識は弁えていて彼の寝室には来なかった。
そんなこんなで翌朝になり、朝食をみんなで頂いたあとチェックアウトしてブルナムの街を出た。次の目的地は宿場町をひとつ飛ばしてサライボスナである。
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