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第二章後半【いざ東方へ】

【幕間】秘密が多めの……(2)

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 と、その時。
 上空から風が吹いた。

 今夜はよく晴れていて陰神つきが煌々と白銀の光を降り注いでいた。それは路地の奥にまで届くようなものではなかったが、それでも路地の上空はずいぶんと明るかった。
 その明るい夜空に、影が舞った。

 陰神の明かりを反射させた刃を振りかざして、影がホワイトをめがけて降ってくる。

「ぬお!?もう嗅ぎつけたか!」

 それに目ざとく気付いたドワーフが、ホワイトが反応するよりも早く腰に差していた投斧トマホークを影に向かって投げつける。しかし影は、建物の壁を素早く蹴ると跳ぶ方向を変えてあっさりとそれを躱した。
 だが影は、それ以上ホワイトには近付けなかった。どこから現れたのか、またしても別の男が現れて地上に降り立った影に斬りかかったのだ。

 ヒュン、と鈍い刃鳴りを響かせて新たな男が影に向かって刃を振るう。その刃は黒く塗られているのか陰神の光を反射していない。そんなものをこんな路地で振るわれたら、避けることさえ難しそうだ。
 だが影は余裕を持ってそれをも躱す。躱しざま、手に持った短刀で斬りつけてくる刃を払う。
 キィン、という金属同士のぶつかる涼やかな音が、路地に満ちた。

 キィン、キィン、ヒュン、キィン。

 そのままふたりは打ち合いを始めた。技量は拮抗しているようで、どちらも決定打を与えられないように見える。

「眺めとる暇はないぞ。さ、こっちじゃ」

 思わず立ち尽くしてそれを眺めていると、ドワーフの男に腕を引っ張られた。そして彼女は、またしてもその場を逃れることになった。

「あの、どうして助けてくれるんですか?」

 もはや小走りになりながら先導していくドワーフに、我慢できなくなってホワイトは声をかけた。だって誰も彼も見ず知らずの初対面で、なのにみんな彼女を助けてくれるのだ。
 そう、もう彼女は自分が命を狙われたのだと理解していて、彼らの行動が自分を助けて逃がすためのものだということも理解していた。
 相手は刃物を持っているのだから、助けて逃がすだけでも命をかけねばならない。だが彼らに、命をかけてまで自分を助ける義理があるとはとても思えない。しかも彼らはみな見るからに平民で、冒険者のような戦う力があるようには見えなかった。それがありそうだったのは、最後に現れた黒塗りの刃の男だけだ。

「なあに、簡単よ」

 ドワーフは振り返らずに言った。

「嬢ちゃんがラグに住んでおって、ワシらもラグに住んどる。住民同士助け合うのは当然じゃろ?」

 なにそれ小父おじさんカッコいい。
 でもカッコつけて怪我したら元も子もないじゃない?

「じゃが、はちと手練じゃから面倒じゃな。一応、増援を呼んでおくか」

 小父さんドワーフはそう呟いて、懐から小さな笛のようなものを取り出すと、それに息を吹きかけた。

 音は鳴らなかった。だがドワーフは満足そうに「よし」と言って、それから初めてホワイトを振り返った。

「なあに。心配せんでも今夜中に家に帰してやるから安心せい」

 そう言って彼は、人懐っこい顔でニッと笑った。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「チッ………くそ」

 駆けながら、悔しそうに男が呟く。
 その手には半ばから断ち切られた黒塗りの刃があり、それを握る右腕から赤い血が滴って、路地に点々と落ちていく。
 血を止めなくては逃げ切れない。だが血を止めたところで奴に敵うとは思えなかった。
 今までの“敵”は自分ひとりでも何とかできる相手ばかりだったが、流石に今回は厳しそうだ。そう思った時、不意に頭上に影が落ちた。

「─────っ!!」

 辛うじて身を投げだし、埃まみれの路地を転がって何とか躱す。だが見上げるまでもなく、敵は目の前に立っていて自分は無様に倒れ込んでいる。しかも敵の手には血に濡れた刃があり、自分の手には折れた武器しかない。

 くそ、ここまでか。

「なかなか手こずらせてくれる。だがもう終わりだ」

 どうやら敵は“本命”を片付ける前に、まず邪魔を排除することにしたようだ。まあ正解だろう。だって自分は生きている限りコイツの邪魔をするのだから。

「それは困りますねえ」

 不意に場違いなほどのんびりとした声が響いて、ふいと風が吹いた。
 その風がいやに生温く感じて、思わず男は首を竦めた。

 それまで誰もいなかったはずの路地の隅に、ひとりの人物が立っていた。病的なほどの細身の長身で、その身体にぴったり纏わり付くような外衣ローブを身に付けている。左手を身体の後ろへ回し、右手は左肩に添えて、微動だにせず立っている姿はまるで等身大の蝋燭のよう。
 しかし何より異質で目を引くのは、その人物が道化師の面を被って顔を隠していたことだ。

 ああ、今回はアンタが出てきたのか。
 頼むから、のは敵さんのだけにしてくれよ?

「きっ、キサマ、まさか!?」

 その異様な風体を見た影の声が驚愕に歪む。どうやら見知った者であるらしい。

「アナタほどの男がこんなつまらない仕事に手を出すものではありませんよ、“影跳び”」

 道化師の面の人物は影の外衣を“影跳び”と呼んだ。

「アナタは大人しくブロイスで遊んでおればよいのです。わざわざこんな所まで来て、屍を晒すことはないでしょうに」

「………そんな事を言いながら、逃がすつもりなど毛頭ないのだろう、“死神”?」

 一方で影のほうは道化師を“死神”と呼んだ。


 “影跳び”はブロイス帝国やポーリタニア王国を中心に暗躍する暗殺者アサシンの異名である。正規の冒険者ギルドには登録していないが、実力的には凄腕アデプトに匹敵すると言われている。事実、各地で暗躍するたび懸賞金が懸けられ冒険者たちに追い回されるが、今まで誰ひとりとして仕留められた者はいない。
 一方で“死神”は、およそ5年前まで西方十王国を中心に猛威をふるい、裏社会も表社会も恐怖のどん底に突き落とした暗殺者の呼び名だ。その後はぱったりと噂を聞かなくなって、一説には勇者に討たれて死んだとか、どこぞの裏ギルドのマスターになったとか色々言われてはいるが、杳としてその行方は掴めない。

 その二名が、今目の前で相対しているわけだ。
 やれやれ、とんだ所に居合わせちまった、とため息を吐く黒塗り刃の男。自分も腕に覚えはあるが、流石にこのふたりの戦いに割って入れるだけの力はない。
 だがまあ、“死神”は『こっち側』だから、その点は安心か。


 ふたりの凄腕は、一見すると無言のまま見つめ合っているようにも見える。だが周囲の空気が、チリチリと音を立てて燃焼しているかのような錯覚を男は感じた。
 錯覚だ、錯覚のはずだ。だがその燃焼が臨界点に達した時には両者の間で決着が付いているだろうことも容易に想像できた。

 そしてそれは程なく臨界に達した。どちらともなく、音もなく前触れもなしに、両者は同時にゆらりと身体を揺らして互いに駆け寄り───

「あいや、暫く、暫く」

 そしてひとりの老人に止められた。



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