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第四章【騒乱のアナトリア】

4-19.突然の訪問者(3)

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 ララ妃が告げたことは、分かってはいたことだった。晩餐の間じゅうずっと、皇太子は品定めでもするかのようにレギーナを見つめていたのだから。
 だが改めて告げられると、やはりゾッとする。皇太子本人が魅力を感じない、有り体に言えば到底モテそうもないひどい印象であったこともそうだが、レギーナを勇者としてではなく、ひとりの女としてしか見ていないという事実がもう嫌悪しかない。しかもララ妃が言うように皇太子妃とする意向であるというのなら、そこにレギーナ自身の意思は介在しないのだ。

 おそらく、彼はレギーナが当然受け入れると信じて疑ってもいないのだろう。

「いや待って?皇太子妃ってもういるのよね?」

 そう。皇太子アブドゥラの妃はすでにいて、それが異母姉であるアダレトなのだ。

「殿下は…その…」

 さすがに言いづらいのか、ララ妃が言葉を濁す。
 だがこの場に蒼薔薇騎士団と自分の配した侍女しかいないことに背中を押されたか、ついに彼女は重い口を開いた。

「妃殿下を疎んじておられて…」
「あーまあね。お姉さん、だっけ?」
「はい。陛下のお子で皇太子殿下より歳上であられるのはアダレトさまだけなのです。わたくしはあまり詳しく存じ上げませんが、なんでもご幼少のみぎりから殿下は姉君には頭が上がらなかったそうでして」

 つまり皇太子アブドゥラにとってアダレトは、姉であり逆らいづらい相手であり、要は目の上のたんこぶに等しいわけだ。

「でも、それなら私を皇太子妃に、なんて言ったら逆鱗に触れるんじゃないかしら?」
「そこのところは何やらお考えがおありのようですが、わたくしには何とも」

 だがそれでも、アダレト妃を皇太子妃から側妃へと落とすことが出来れば彼女の力を削ぐことができ、皇太子との力関係も逆転するだろう、とララ妃は続けた。

「ははあ。それで姫ちゃんなわけや」
「どういうことよミカエラ?」
「やからね、ってこったいね」
「???」
「その通りですわ」

 要するに、すでに決まっている皇太子妃を引きずり下ろすためには、新たに迎える妃がアダレト以上の“特別な存在”でなければならないわけだ。それは例えば他国の王女であったりと、アダレトよりも地位や名声が高くなければならず、これはもはや必須条件と言っていい。
 そして、そこへ都合よくやってきたのが勇者レギーナなのだ。世界から特別な尊崇と待遇を受ける、各国の王や皇帝と建前上は対等に振る舞える勇者であれば、現皇帝の娘に過ぎないアダレトよりもなのは誰の目にも明らかなのだ。

「勇者様であれば、近親婚でなくとも皇太子妃として認められる可能性が高いでしょう」

 それはそうだ。世界の救世主たる勇者を婚姻によって自国に縛り付けられるのだから、その価値は計り知れない。そしてことに、今代の勇者は女なのだ。

「控え目に言って最低ね」

 それまで黙って話を聞いていたヴィオレが吐き捨てた。

「よし、ぼてくりこかそう」

 ミカエラが右拳を左の掌に打ち付けた。
 ぼてくりこかす、つまりは足腰立たなくなるまでボッコボコにして再起不能にする、という意味のファガータ弁で、言葉だけでなくミカエラの表情にももう殺意が漲っている。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「いーや。ウチの大事な姫ちゃんば食いものにしようとする無法者やからに慈悲やら要らん」
「だからって、この国を抜けられなくなったら意味ないでしょ!」

 ていうか普段はあなたがブレーキ役なのに、率先して暴走しないでよ。そう言ってくれるのは嬉しいけど。とレギーナにそう言われて、ミカエラの殺気がみるみる薄まってゆく。

「もう、姫ちゃん優しかぁ。そして可愛かぁ」
「優しいとかそういう事じゃなくてね?行きも帰りもこの国を通るの。分かるでしょ?」
「まあ姫ちゃんがそげん言うとやったら、らすだけで勘弁しちゃろう」
なぐるのは決定事項なんだ…」

 別にレギーナがことさらに優しいわけではない。先にミカエラが怒り心頭に発してしまって怒れなくなっただけである。
 だがまあ、殴りたいのはレギーナとて同じなので、そこはもうそれ以上ツッコまない。
 ちなみに東方世界へ行く上でアナトリア国内を通らないルートは事実上ないに等しい。それ以外となると、沿岸諸国の複雑な制海利権の絡み合う暗海を船で渡るか、その北岸の“大樹海”を突破するか。だが大樹海はただでさえ魔獣や魔物の巣窟とされており、しかも北岸は、長らく鎖国状態で戦争以外での外交をほとんど行わない、謎多き軍事超大国・帝政ルーシの勢力圏だと言われている。とてもではないが無事に抜けられるとは思えない。

「まあ、実際に事を起こすのは最終手段として、対策を考えなければならないわね」
「は、はい。そのためにもわたくしが直接皆様の元を訪ねたのです。陰ながらお力になれるかと思いますわ」

 ヴィオレの建設的な意見に、ララ妃も頷く。若干青ざめているのは目の前でミカエラの殺気を浴びたせいだろう。

「とりあえず、私はの元へ嫁ぐ気はないわね」

 それでなくとも蛇王封印という使命があるためアナトリアに留まるわけにはいかない。もっとも使命を終えて戻ってきても嫁ぐつもりなどないが。

「それによほどのことがない限り、何をしてきたとしても私が受けなければそれで終わりよね」

 そしてレギーナには堂々と拒否する権利も、それを押し通すだけの力もある。
 そもそもレギーナの婚姻に関してはエトルリア王家の承認が必要になってくるはずだが、姪っ子を溺愛していることで有名なヴィスコット3世がそうやすやすと受諾するとも思えない。

「まあばってん、ドゥノニアの姫ば陰謀で手に入れようとするくらいやけん、何かしら企んでくるやろうね」
「とりあえず今はまだ情報が足らないわ。ララ妃、侍女この子たちをお借りしてもいいかしら?」
「はい、そのために選りすぐっておりますので、存分にお使い下さいませ」
「何だか悪いわね。お返しに何かできるといいのだけど」

 レギーナのその言葉に、この部屋へ来てから始めてララ妃の瞳に力が籠った。

「それでしたら…」

 そうしてララ妃は、蒼薔薇騎士団に自分の望みを語った。それを聞いてレギーナたちは必ずその望みを叶えてやると確約し、それで初めて安心したように彼女は息を吐き出し、深々と頭を下げて、そうして静かに部屋を後にして行ったのだった。





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