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第四章【騒乱のアナトリア】
4-69.虎人族の娘(2)
しおりを挟む虎人族の少女奴隷は、鉄鎖を解かれて地下牢から連れ出された。アルベルトとミカエラに先導され、周りはアルタン率いる第七の騎士たちのほか魔術師団の厳選されたメンバーで固められている。
封魔の鋼枷はつけられたままだし、両腕と両足の鋼枷はそれぞれ鎖で繋がれているため、少女は自慢の体術も魔術も封じられたままだ。それを解っているのかいないのか、彼女は大人しく促されるまま歩いている。
程なくして一行は、地下牢エリアから少し離れた別の地下エリアに到着した。そこにあったのはやはり石壁で覆われた地下の一室だが、地下牢よりはずっと広く清浄な空間だった。
床には白く光る魔方陣がすでに描かれている。先に来ていたクレアが準備していたものだ。
「これは……?」
「おいちゃん、今から手順ば説明すっけん、言われた通りに詠唱してばい」
「えっ俺がやるの!?」
「今さっき説明したやんか。[契約]主ばおいちゃんに替えるっちゃけん、おいちゃんが唱えんでどげんするとよ」
「そ、そうか。そうだね?」
言いながら首を傾げているあたり、まだアルベルトはよく理解していなさそうである。
奴隷契約で従えるための[契約]、対象に絶対服従を強いる[隷属]、それに命令違反を犯した際に与える罰則を規定する[制約]。この三種の術式が虎人族の少女に掛けられていた。しかもそれを連動させるよう儀式魔術で複合化させ、特定の主人の命令にのみ反応するよう組まれている。
じっくりと解析して構造を解き明かし、縺れた紐をほどくようにひとつずつほぐしていけばそのうち解除できるはずだし、クレアとミカエラであればそれも可能だろう。だが解除するまでにどれほど時間が必要か読めない。少なくとも数日で何とかなるとは思えなかったし、アンキューラの皇城滞在だけでももう10日に及んでいるだけに、これ以上足止めされるわけにもいかなかった。
なので主人をアルベルトに書き換え、新たな主人の命令で洗いざらい吐かせようというのがミカエラの立てた作戦だった。
なぜアルベルトかというと、彼だけがこの獣人族の言語を理解していたからである。
正直ミカエラとしては、どんな事情があるにせよ親友を瀕死に追い込んだ虎人族の少女など赦せるはずもない。だが解析した結果が、絶対服従を罰則付きで強要する難解で複合的な奴隷契約である。身のこなしからしても相当な強者と見て取れるこの獣人族をもってして抗えない術式だと考えれば、おそらくこの少女も自分の意志など関係なしに命ぜられるままに動くしかなかったのだと理解せざるを得なかったのだ。
であれば、情状酌量も考慮しなくてはならない。勇者パーティの一員としても、神教の法術師としても、私怨で行動するわけにはいかない。
魔方陣の中央に虎人族の少女が立たされ、魔方陣の外にそれを囲むように三方にアルベルト、ミカエラ、クレアが立った。3人の間にもそれぞれ、魔術師団のメンバーがひとりずつ立ち並ぶ。
5人が聞こえるように声を上げて詠唱し、アルベルトがそれを追唱する。問題なく成立している術式に干渉して無理やり書き換えるのだから繊細さと大量の魔力が要求され、アルベルトは体内からゴッソリ霊力を持っていかれる感覚に苦しんだ。ミカエラもクレアも、それに魔術師団員たちも額に汗を浮かべている。
アルベルトは詠唱中に、あらかじめ渡されていたステラリアのポーションを3本飲み干した。自分の手持ちはダンジョン最下層で使い果たしていたので、これは魔術師団が準備したものだ。
長い詠唱が終わり、チリリと焼け付くような感覚にアルベルトは左手の甲に目をやった。
そこには見たこともない文様が、焼き印のように浮かび上がっていた。奴隷と契約していることを示す、隷紋だ。これと同じものが、奴隷の身体の同じ部分に現れているはずである。
「ふー、何とかなったばい」
額の汗を拭いつつミカエラが歩み寄ってきた。
「おとうさん、なにか命令してみて」
クレアも側に寄ってくる。
《おい。……これは、どういうことだ?》
アルベルトの脳裏で声が響く。虎人族の少女の声だ。
《もしや、術式を上書きしたのか?》
《ええと、どうやらそうみたい》
脳内に響く、つまり一種の念話のようなものだ。おそらくは主人と奴隷とで意志の疎通を可能にするために組み込まれていたのだろう。
《ということは、なにか?そなたが新しく我が主になったということか?》
《ええと、うん、そういうことになるみたいだね》
《…………何だか頼りないのう》
《ははは。それは申し訳ないけど我慢してもらえるかな》
《まあ良い、前の主は不快感しかなかったからな。それに比べれば誰であってもマシというものよ》
《じゃあ早速だけど、何か命令してみてもいいかい?》
《これは異なことを聞くな。主の命は絶対であり、下僕たる吾に拒否権などあるはずがなかろう》
《そっか。まあそうだね》
アルベルトは左右を見渡した。ミカエラもクレアも目の前まで来ていて、クレアは小首を傾げている。魔術師団員たちも寄ってきていて、きちんと成功したか確認したがっているようだ。
「じゃあこちらに来て。ここで跪いて名乗りなさい」
アルベルトは魔方陣の中央に佇んだままの虎人族の少女に手を差し伸べながら、敢えて現代ロマーノ語でそう命じた。すると少女は、理解ができないはずなのに素直に従いアルベルトの前までやって来る。
そして左膝をつき、右膝に右手を添えて左拳を地につけて、アルベルトに恭しく頭を垂れた。
「我が新たな主に挨拶申し上げる。華国は蓉州出身、虎人族の英傑たる孟 銀月が娘閃月、字は銀麗と申す。以後末永く、忠を尽くすとここに誓おう」
そうしてはっきりと、現代ロマーノ語で口上を述べたのだった。
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