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間章2【マリア様は今日も呑気】

【幕裏】13.請願(1)

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 アプローズ号内の蒼薔薇騎士団専用の寝室。その二床二段の計四床あるベッドの下段のひとつに、レギーナが寝かされていた。意識はなく、上半身だけ鎧を脱がされて、胸から左肩の衣服が切り取られて顕わになっている。バストはテリー織りの織り布をかけられていて最低限の配慮はされていた。
 クレアが額に汗を流しながら、レギーナの左肩に必死に[浄化]を施していた。だがその彼女にしてももう霊力切れ寸前で、しかも[浄化]は怪我の治療には何の効果もない。彼女もそれは分かっているはずだが、やれるだけの事をして少しでもレギーナの命を繋ぎ止めたいのだろう。

「クレア様、あとはお任せを」

 マリアはそう声をかけて、クレアと場所を替わった。クレアは声をかけられて初めてマリアに気付いたようで、青い瞳を見て明らかに安堵し、ヴィオレもいることを確認してから場所を譲った。そのままへたり込んでしまったのを、ヴィオレが優しく抱き上げて隣のベッドに寝かせた。
 レギーナの左肩の状態は酷かった。出血こそ止まっているものの、大きな獣の爪で抉られたように肉がごっそりと削がれて骨が見えている。これは間違いなく筋肉だけでなく肩関節まで粉砕されたはずで、[治癒]の効き方次第では彼女の勇者としての人生はここで終わるだろう。
 だがマリアの目には、骨には何の異常も確認できない。

「ミカエラ様は、[請願]を請われたのですね?」

 ここまで酷い傷なのに骨には異常が見られない、ということはつまり、粉砕骨折は[治癒]だけでは手の施しようがなく[請願]に頼ったということだ。そして[請願]を請うたことで骨は元通りにしたが、ミカエラの霊力がそれで尽きてしまって傷そのものまで手が回らなかったのだろう。

「見ただけで分かるのね。⸺そう、だから傷が治せないの。お願い、頼めるかしら」
「お任せを。ですが、できれば何があったか聞かせて頂けますか?」

 少し逡巡してから、ヴィオレは語った。皇城の地下にダンジョンが発生したこと、蒼薔薇騎士団で生成直後のダンジョンを制圧したこと、疲労困憊で地上に戻ったところで正体不明の獣人族の少女に襲われたこと、そしてその刺客に毒を使われたことまで。

(この大きな爪、毒を使う獣人族……まさか、いえ)

 引っかかりを覚えるが、考えるのはとりあえず後回しだ。マリアは胸の前で手を組み、精神を集中させて、神への祈り⸺[請願]を発動させる。祈る先は青加護の癒やしの神と、黒加護の回復の神。請う効果はもちろん、レギーナの左肩の筋肉や腱、血管や神経などの再生だ。
 そして[請願]は問題なく受理された。みるみるうちに傷が塞がり、鍛え抜かれた肩の筋肉が盛り上がっていく。魔術の[治癒]ではこうはいかない、というかマリアはレギーナの裸身を見たことがないのでそもそも元に戻せない。[治癒]で元の状態に戻すのは、元がどうだったかを詳しく知っていることが不可欠だ。
 傷が塞がるのを見て、背後で見ていたヴィオレが心底から安堵の吐息を漏らしたのが分かった。

「では次に、解毒を」
「それはいいわ。解毒薬を飲ませたもの」
「解毒薬があったのですか?」
「表に寝かせている彼が少しだけ持っていたのよ」

 アルベルトが解毒薬を持っていた、となるとやはり懸念は当たっているらしい。

「おそらくは古い薬です。完全には抜けていませんので、これも癒やします」

 虎人族レェン・フーの用いる特殊な毒のことはかつて聞いたことがある。その古い記憶を呼び起こしながら、マリアは[解癒]を発動させた。
 記憶に誤りはなかったようで、レギーナの身を蝕んでいた毒は問題なく抜けた。すでに解毒薬を使われていたことも功を奏した、というかその解毒薬の効果を高めるだけでよかった。

 額に汗の浮いていたレギーナの表情が少しだけ柔らかくなった。もう大丈夫だろう。あとは失った血と、微細な末梢神経や毛細血管の再生のために数日静養すれば済むはずだ。

「これでもう大丈夫なはずです」
「ありがとう、助かったわ。本当になんとお礼をしていいか分からないくらい」
「頭をお上げ下さい。世を救う勇者様がたをお助けするのはわたくしどもの義務ですから」

 おそらくヴィオレは、自分がなんの役にも立たないことが悔しくてならなかったことだろう。頭を下げて感謝を述べる彼女に微笑みかけて、マリアは付け加えた。

「寝室の外のおふたりも癒やしますね」


 マリアはそのままアルベルトの元へ行き、まず[治癒]で傷を塞いでから[解癒]で毒を抜いた。彼はレギーナとは違って爪撃を受けると分かっていて、防御した上で食らったのだろう。傷は深かったが致命傷級というほどでもなかった。
 むしろ毒のほうが深刻で、おそらくは解毒薬もレギーナに飲ませた残りしか飲まされなかったのだろう。ちょっと怒りが湧いたが、重要度と優先度を考えればやむを得ないことだ。だからマリアも不満を飲み込みアルベルトを癒やした。久々に兄さんを癒せる喜びに、ちょっとだけ頑張ってしまった。
 そのあとミカエラにも白属性の[平静]をかけ、悔しさのあまりか唇を噛み切っていたので軽く[治癒]した。今のマリアは瞳の色からして白加護が抜けていて、それで[平静]が思ったより効きが悪かったのもまた不満だが、まあそれは些細なことだ。

「ヴィオレ様は、黒加護でいらっしゃいましたわね?」
「ええ、そうよ」
「ミカエラ様には[回復]をお願いできますか?クレア様にも」
「そうね、分かったわ。⸺だけれど貴女、ずいぶん霊力が高いのね。普通は請願だけで手一杯ではないかしら?」

 そのヴィオレの疑問はもっともだ。一般の術者の霊力平均は4から6ほど、4ならば一度でも[請願]を請えばその日はほとんど何もできなくなるのが普通で、5でも二度の[請願]で霊力切れを起こす。6以上あるなら二度まで[請願]が請えるが、他にはほとんど何もできなくなってしまう。
 霊力が8のミカエラであっても、三度の[請願]が限界だ。そのミカエラはダンジョンから地上に戻るまでに霊力の大半を使い切っていたから、一度の[請願]で霊力が尽きた。それも通常の[請願]で消費する量の霊力さえ残っておらず、だから肩関節の骨だけしか戻せなかったのだ。

「これは内緒ですけれど、その通りなんです。でも普段は隠してますの。あまり目立ちたくはないのです」
「そうだったのね。貴女、名前はなんと仰るの?」
「私はマリ⸺」

 あっしまった、本名名乗ったら容姿変えた意味ないじゃない!

「マリ、ナと申します」

 慌てて、つい前世の友人の名を口走ってしまった。ごめん茉莉奈、今度埋め合わせ……ってそれも無理かぁ。

「マリナ、ね。憶えておくわ。後日正式に蒼薔薇騎士団の名義で謝礼を届けさせるわね。届け先はアンキューラの神殿で構わないかしら?」
「あっ、いえいえそんな、お気になさらず」

 慌ててマリアは辞退したが、窮地を救ってもらったのに謝礼もしないなど勇者パーティとしても有り得ないしレギーナ自身も納得しないだろうから、と言われて困ってしまう。マリア的にはアルベルトを直接癒せただけで充分以上にご褒美だったのだが。
 とはいえ、ヴィオレの言うことももっともだ。なので困った挙げ句に、マリアはまたしても苦し紛れの嘘をついた。

「では……ええと、巫女神殿のアグネス宛で頂戴できればありがたく思います」
「巫女神殿の、アグネス?」
「はい、なのです。あの子への仕送りも、なかなか大変で」
「そうなのね。⸺分かったわ、レギーナとミカエラには話しておくわね」

 まずったかなあ、ミカエラちゃんならアグネスが次期巫女候補で私に付いてるって知ってるから、また私がやらかしたってバレるよね……?
 でももう、言ってしまったものはどうにもならない。まあ仕方ない、ミカエラあの子が目覚める前に逃げちゃえ。





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