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【レティシア5歳】
009.公爵閣下と公女様
しおりを挟む「やあやあ、すっかり待たせてしまったね゛っ!?」
立ち上がり、騎士の最敬礼で深く頭を下げた副団長とアンドレの頭頂部に降ってきた声は、途中でいやに不自然に止まった。何だか声も裏返っていた気がする。
頭に思い起こしていた鈴を転がすような可憐な声ではなく壮年、というか青年と言ってもいい男性の声だ。
ああそうか、これが公爵様のお声だ。
そう思ったはいいものの、その後何の声掛けもない。場の空気がいやに緊張を増して、アンドレの背筋にも冷や汗が伝い始める。
えっまさか、まだ何もしてないのに機嫌を損ねた!?
そう思って恐る恐る、チラッとだけ顔を上げて確認したら、冷や汗をダラダラ流しながら執事長や侍従たちに支えられた、キラキラしい美丈夫の男性がそこに立っていた。
年の頃はおそらく30代半ば、となるとやはり公爵様だろう。
「ああ、いや、済まない。少しだけ驚いてしまった。顔を上げて座ってくれて構わないよ」
しばらく経ってからかけられたその声で、ようやくホッと息を抜く。どうやら初っ端から粗相をしでかしたわけではなさそうだ。
というかまあ、おそらくきっといつものやつだろう。
許可が出たので姿勢を直して副団長とふたり、再びソファに腰を下ろす。うん、やっぱりもう二度と立ち上がれない気がする。
テーブルを挟んだ向かいに公爵が腰を下ろす。そしてその隣にちょこんと座ったのは、金糸雀色の髪に金色の瞳を輝かせた可憐なお姫様。抜けるような白い肌の、頬を少しだけ紅潮させて、心なしかソワソワしているように見える。
「もう、おとうさまったら。言ったでしょう?おどろかないでくださいね、って」
聞き間違えるはずのない、忘れることもきっとできない、鈴を転がすような可憐な声。目の前に座っているのは確かにあの時助けたお姫様だ。
それにしても、随行して入ってきた侍従も侍女も護衛たちまで揃って警戒と恐怖の目を向けてくるのに、お姫様だけそんな様子が微塵もないのはどうしたことだろうか。
「ははは。いやあ、まさかこれほどとはね。
ああ、申し遅れて済まない。私がノルマンド公爵、オリヴィエ・ド・ノルマンド・ロベールだ。よろしく頼む」
「お言葉を賜り恐悦至極に存じます公爵閣下。西方騎士団副騎士団長、ボードレール伯爵家当主のサロモン・ド・ボードレールでございます。そしてこちらが──」
「くまみたいなおっきなきしさま、またお会いできてうれしいです!」
ノルマンド公の名乗りを受けて名乗り返し、そのままアンドレを紹介しようとした副団長の言葉は、よく通る鈴音の声に遮られた。
「これレティ、はしたないぞ」
「あっ、ごめんなさいおとうさま」
苦笑しながら公爵が娘をたしなめ、レティシアは顔を赤らめて申し訳なさそうに俯く。
「いや済まないね、この子がどうしてもまた君に会いたいと言って聞かなくてね。──ほらレティ、ご挨拶しなさい」
そう言われてレティ、レティシアが立ち上がる。
そしてペコリとお辞儀をした。
「くまみたいなおっきなきしさま。あの時は助けてくださってありがとう!」
「レティ?」
「あっ!」
花が開くような笑みでアンドレに向かってお辞儀する彼女に、公爵がニコニコと微笑みながら一言名を呼ぶ。それだけで彼女は驚くような仕草を見せ、それから慌ててスカートの裾をちょこんとつまんで、膝を曲げて淑女礼をして見せた。
おそらくは習いたてなのだろう。せっかく覚えたのだからお客様にそれでご挨拶するように、とか何とか言われていたのに忘れてしまっていたのだろうか。だが彼女が改めて見せてくれた淑女礼は、まだ5歳とも思えないほど可憐に決まっていた。
「わたくしはレティシア。レティシア・ド・ノルマンド・リュクサンブールともうします。どうぞレティシア、とお呼びください」
彼女はそう自己紹介して、にっこりと笑う。やり切ったとでも言うような、天使のようなキラッキラの満開の笑顔で。
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