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【レティシア12歳】

038.デート帰りのレティシア

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「お帰りなさいませ、レティシアお嬢様」
「ええ、今帰ったわジョアンナ」

 この花季はるになってセーの街に建てさせたレティシア専用の別宅。完成したのは雨季も終わりに近くなってからで、レティシアが引っ越してきておよそ半月ほど経つ今はもう、すっかり暑季なつの陽射しが降り注いでいる。
 その邸の正面玄関前の馬車停まりに寄せた専用馬車から、馭者の手を借りてレティシアが降りると、侍女頭のジョアンナが恭しく頭を下げて出迎えてくれた。

「それで、どうでしたブザンソン様は?」
「もう、二言目にそれなの?」

 頭を上げたそばから待ちきれない様子で聞いてくる侍女頭に、レティシアも苦笑するしかない。

「わたくしの記憶に間違いがなければ、貴女伯爵夫人よね?」
「レティシアお嬢様の明晰な記憶力に間違いなどあるはずがございませんし、わたくしは10年前からアルドワン伯爵夫人ですわ」
「だったらもっと、なさったらいかが?」
「だってそれ以前に、わたくしはデボラ様の教え子でお嬢様の侍女でございますもの」

「もう、ホントに変わらないんだから」

 目を爛々と輝かせて主のコイバナを聞きたがる侍女頭に、レティシアも呆れるばかりだ。だが決して不快ではない。
 物心ついた頃にはもう世話係として仕えてくれていて、今も変わらず傍にいてくれる。この20歳歳上の侍女がレティシアは大好きだ。彼女の前ではレティシアも、ノルマンド公女としてではなくただの12歳の子供でいられる。
 そしてそんなふたりを放っておいて、ジョアンナの後ろに控えていた侍女たちが馬車から次々とレティシアの荷物を取り出して運んでゆく。レティシアが赤ん坊の頃からお気に入りのクッション、馬車内で喉が乾いた時に茶を淹れる専用の茶器、いつでも身だしなみを整えられるよう積み込まれた化粧品一式と美容用品の数々。ちなみに鏡台は馬車内に据え付けてある。レティシア専用馬車なので彼女のためだけにカスタマイズされているのだ。
 なおレティシア専用のほうも内外装はほぼ同じである。違うのは主に基部と足回り、つまり力が強く脚の速い脚竜が曳いても壊れないように頑丈に作られている。

「………この荷物の多さも、そろそろ何とかした方がいいかも知れないわね」

 周りの侍女たちの働きをチラリと目の端に捉えて、レティシアが小さく息を吐く。

「とんでもございませんよお嬢様。お嬢様にいつでも完璧に一瞬たりとも何の不便もなくお過ごし頂くために、これは必要なことでございますから」

 さも当然、と言った様子で堂々と断言するジョアンナに、レティシアはまたしても苦笑する。まあ確かに、彼女がそう主張し毎回準備するおかげでレティシアはこの別宅に移っても、首都の公爵家公邸にいた頃と何ひとつ変わらない生活が送れている。
 だがそれでいいのか、とも思ってしまうのだ。

「だけれど、アンドレさまに嫁いだらわたくしは男爵夫人よ?」
「それは旦那様が伯爵あたりに引き上げて下さいますから」

 もしかすると陛下から侯爵位をもぎ取ってくるかも知れませんね、とさも当然みたいな顔のジョアンナ。確かにレティシアも、あの公爵パパならやりかねないと思ってしまったりする。
 レティシアがアンドレとという点については、ふたりとも触れない。彼女たちの中では彼との婚姻はだ。

 実際問題、レティシアが手っ取り早くアンドレと婚姻したければ、どこぞの侯爵家へ形の上だけでも養子に取ってもらえばいいのだ。そうすれば身分的にも釣り合うし、ノルマンド公爵家とそちらの侯爵家の後ろ盾があれば彼個人に害意を向けられることもおそらくは無くなるだろう。
 高位貴族としての礼儀作法や教養などはおいおい学んでいけばいい。アンドレに対して、今さらそんなものを求めるレティシアではないし、それはおそらく父オリヴィエも同じだろう。そのあたり、父は元王子とも思えぬほど寛容だ。

 だが、それではだとレティシアは知っている。子爵家に生まれ育って騎士として生きてきたアンドレが高位貴族の権謀渦巻く社会で生きていけるとも思えないし、逆にそんなものに馴染まれても困る。レティシアは朴訥で飾らない控えめなアンドレだから好きなのだ。

 だから、アンドレが男爵のままで嫁ぎたい。少なくともレティシアはそう考えている。

「とりあえず、お父様にはアンドレさまを勝手に陞爵しょうしゃくさせないように今のうちから念押ししておかなければダメね」

「な、何故でございますか!?」

 レティシアの呟きに、ジョアンナが驚いて反応した。
 伯爵家に生まれて伯爵家に嫁いだジョアンナにとって、貴族がより高位を目指すのは自然で当たり前の事だった。だからこそ彼女には、アンドレは男爵のままでいい、陞爵しなくていいというレティシアの想いが分からない。
 だからレティシアはきちんと彼女に説明してやった。

「だってジョアンナ、考えてもみなさい?あのアンドレさまが貴族らしく振る舞っておられるところを想像してみて?」
「………………………わたくしが間違っていたようです。大変申し訳ございません」
「解ってくれればいいのよ」

 煌びやかな礼服を纏ってワイングラスを手に、高位貴族特有の本心を悟らせない微笑を浮かべて、回りくどい婉曲な言い回しで貴族同士の化かし合いに興じるアンドレの姿を思い浮かべて、無いわー絶対無いわと悟ってしまったジョアンナである。
 似合わないこと甚だしいし、そもそもあの強面に微笑が浮かんでるところがもう想像できなかった。笑うなら絶対悪人面になるし、なんなら表記も「嗤う」のほうがしっくり来る。

「さ、お茶にしましょう」
「畏まりました。では用意をさせますので、しばしお待ちを」

 そしてレティシアとジョアンナは、揃って邸の中に消えて行った。





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