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とある公爵家侍女の生涯
16.淑女は人前で涙など見せないの
しおりを挟む「貴女を誘いたい、とずっと思っていた」
「うわ本気なんだ」
「うぐ」
あっやっべ。即答で引いちゃった。
「あのですね」
しょうがなく、自分でフォローに回る。
「私はまあ、見た目はそれなりに自信あるつもりですし、学園に在籍してた頃は殿方と越冬祭で遊んだこともありますけれど」
あっラルフ様が目に見えてダメージ負ってる。
えっマジで?
遊んだって言っても健全な遊びよ?
「でも、今の私は賠償を抱えた罪人です。そんな浮かれる気分ではありませんし、浮かれていいとも思いません」
「だ、だから貴女は淑女だと──」
「その評価は個人的にすごく嬉しいです。けれどそれは外面を見ているだけです」
そう。本当の私は婚約者のいる殿方を多く誑かして破滅に追いこんだ最低の悪女。今ちょっと反省しているからといって、いつまたその本性が出ないとも限らないのだ。
もちろん個人的には、心の底から二度とそんな失敗は犯したくないと願っているし、二度と本性を現さないことが殿下の悪評を払拭する唯一の手段だと考えている。
だけれど、つい気を緩めて本性を出してしまったら。
私はそれが一番怖い。どれだけ地道に積み上げた信頼も実績も、たったひとつのミスで全て水の泡になるのだから。
それは、それだけはかつての私を見ても、シュザンヌ先輩を見ても明らかなこと。
だから私は浮かれてはダメ。
幸せになってはいけないのだ。
「………っ、貴女は、そこまで──」
ラルフ様のお顔がはっきりと歪む。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
そんな顔をされたいわけじゃないのに。
なのに。
「───だが!」
そう言って顔を上げたラルフ様は、そんな悲痛な顔などしていなかった。
「私は!貴女にも幸せになって頂きたい!」
一瞬、言われたことの意味が解らなかった。
私に、幸せに、なって………ほしい?
「貴女はもう、充分苦しんでいる!しっかりと罰を受けている!」
私をまっすぐ見つめる、ラルフ様の淡い緋色の瞳が、少しだけ揺れている。
「だが罪は罪として!罰は罰として!」
なんで?なんで貴方がそんなに悲しそうな瞳をしているの?
「償いながら幸せを目指して、何が悪いというのだ!」
ラルフ様が目の前に立つ。
私は呆然としたまま動けない。
私より頭ひとつ以上大きな彼の、分厚い胸板で視界が埋め尽くされる。
彼の両の掌が、私の肩をそっと掴む。
とても大きく、温かく、そして優しい掌。
「少なくとも!私は貴女に幸せになってもらいたい!」
なんで。
なんで。
「なんで………」
なんでそんな事を言うの?
そんな事を言われたら、私、折れちゃうじゃない。
ダメだって言い聞かせてきたのに。
諦めろって言い聞かせてきたのに。
諦めて、いたのに。
視界が揺れる。あっという間にぼやけて何も見えなくなる。
「いいんだ」
その声とともに、身体が力強く引き寄せられる。
次の瞬間、私の顔は彼の胸に閉じ込められていた。
「泣いてもいいんだ。辛かったら泣けばいい」
ダメだよ。
泣いちゃダメ。
淑女は人前で涙など見せないの。
「こうしていれば、誰に見られるものでもない」
そういう事じゃない。
そうじゃ、ない。
なのにもう、溢れ始めた涙は止まってはくれなかった。
「辛さを押し隠して、独り立とうとする貴女は強い女だ。私はそんな貴女を尊敬している」
やめて。
もうやめて。
それ以上、優しくしないで。
「だが、本当に辛いときは周りを頼って欲しい。
……………私を、頼って欲しい」
ダメだってば。
独りで立てなくなっちゃうじゃん。
「私にも、貴女の辛さを背負わせて欲しい。
その辛さを和らげる手伝いをさせて欲しい」
そんなこと。
そんなこと誰も言ってくれなかった。
殿下は私の隣に立つ資格なんてないとばかりに、遠くから見守ってくださるだけ。私もそれで充分だと思っていた。
お嬢様は傍で見守ってくれるだけ。手を差し伸べてはくれたけど、それ以上縋るのは許されない。
お父様がずっとお心を寄せてくださっているのは知っている。たくさんお手紙をくださって、私が心配しないように気遣ってくれる。本当に申し訳なくて、だから絶対頼れなくて。
オーレリア先輩は私が辛くなり過ぎないように支えてくれる。とてもありがたいけれど、一生一緒にいるわけじゃない。いつかは別々の道を歩むことになる。
結局、最後には独りなんだ。
だから、誰にも頼っちゃいけないんだ。
そう、思ってたのに。
「いいん、ですか?」
涙で声が震える。
その先は言っちゃダメだと頭では解ってるのに、心が分かってくれない。
「私、もう、」
「いいんだ」
思いもかけない穏やかな声音に、心臓が跳ねた。
「独りで立てなくても、私が支える」
私の肩を抱く腕に力が入る。
「だからどうか、支えさせてくれ。
コリンヌ嬢、貴女を愛している。どうか私と婚約して欲しい」
大きな掌が片方離れて、すぐに後頭部に添えられる。
その温もりが心に染みた。
見られたくなくて、聞かれたくなくて、彼の胸に顔を押し付ける。
震える両手で、彼の服を掴んでしがみついた。
だけど次の瞬間、そんなもの無駄な抵抗だとばかりに、私は全身で泣き出していた。
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