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二章【“天使”なふたりの大騒動】
03.アーニー、“天使”と出会う(1)
しおりを挟む「こんにちわ」
アルコールの入った樽を背負ったアーニーが訪れた診療所は、今日も朝からごった返していた。
「ああ、いらっしゃい。悪いね朝っぱらから」
アーニーを出迎えたのは診療所の助手たちのリーダー格、この町ではモズリブと呼ばれている女性だ。歳は30歳を少し超えたあたりだろうか、看護の経験が豊富で年齢的なものもあり、この診療所を事実上取り仕切っている。
本人が頑なに明かそうとしないので、彼女の本名は誰も知らない。診療所に勤める若い看護助手たちの間で最初はおかんと呼ばれていたが、本人がそれに激しい抵抗を示したため今では姐さんと呼ばれている。助手たちのリーダーという意味で、そのまま「ペナエス」と呼ばれることもある。
「いえ、いいんですよ。アルコール類は酒場の担当ですからね」
「済まないねえ、昨夜のうちに切らしちゃってさ。朝っぱらから大量に使うこともないだろうけど万が一ってこともあるからさ」
「大丈夫ですよ。樽はいつもの場所でいいですか」
「それで頼むよ。診療所も男手がないからねえ、助かるよ」
診療所に勤める助手はモズリブを含めて数名いるが、男性は所長の老医師だけである。所長は痩せぎすの小柄で総白髪で、年齢は誰も知らないがおそらくは相当な高齢のはず。なにしろゴロライに住む老人たちが口を揃えて「子供の頃から年寄りだった」というほどなのだ。
そしてそんな老所長は腰も曲がり杖が手放せず、しかもいつ見てもプルプル震えていて今にも卒倒しそうで目が離せなかったりする。それでモズリブが診療所の運営その他を取り仕切っているわけだが、老所長はそんなだから町民たちから「もう千年くらい生きてるらしい」だの「ヒベルニアに伝わる古の精導師だって聞いたぞ」などと噂されていて、それでデルウィズと呼ばれている。
ちなみにデルウィズとはカムリリア語でドルイドを、つまり精霊による導きを人に教え伝える者のことを指す。要するにこの医師は、ただの人間ではない、ある意味で超自然的存在のように思われているわけである。
アーニーはいつもアルコール樽を置いてある用具室に背負ってきた樽を置き、空になった樽と入れ替える。
この樽は中のアルコールが蒸発しないよう、内壁に弾樹脂の皮膜を貼り付けた専用容器だ。通常のエールやワインなどであれば消費されてすぐ無くなるし、アルコール濃度もそこまで高くないため容器の樽に特別な処理は必要ない。だが医療用の高純度アルコールは揮発しやすく、通常の樽では気がついたら目減りしていたりするので、対策を施された専用樽が必要になるわけだ。
高純度アルコールは患部や器具の消毒や洗浄に使われる。そして当然だが飲用ではない。飲ん兵衛の患者がくすねて飲んだりしないように「度数が高すぎて、昔くすねて飲んだやつが即死した」などと助手たちが事あるごとに吹聴しているが、信じるか信じないかはあなた次第というやつである。
「じゃあ、この空き樽は持って帰りますね。⸺あれ、まだ少し入ってる?」
「ああ、まだ少し残ってるかも知れないけどね、それ樽ごとひっくり返しちゃったんだよ」
「ああ、そうなんですね」
医療用アルコールなんて雑菌が入り込むだけで使えなくなるものだ。だが本当に雑菌が混じったかなんて見えやしないので、少しでも怪しいと思えば使うのをやめるに限る。
ちなみに飲料用樽には底に近い部分に蛇口が取り付けてあり、いちいち蓋を開けなくても中の液体が出せる仕組みになっている。この高純度アルコール専用樽も作りは同じで、使いたい時に使いたい分量だけ出せて中のアルコールには触らずに済む。
なお「蛇口」や「雑菌」などという用語は約百年ほど前から西方世界に少しずつ流布し広まったもので、実のところそれがどういうものか、どんな仕組みなのか理解している人は多くない。それまでのどこの国にも存在しない物や概念だったから、おそらくは特定の誰かが発明して広めたのだろう。
蛇口のほうは分解すれば仕組みが分かるから簡単だが、“雑菌”とは一体なんなのか。というか医療用高純度アルコールだって“滅菌処理済み”などとされているが、何を滅しているのか医療関係者でもよく分かっていなかったりする。
ただまあ、経験則としてなら分かる。野外で怪我をした際には手持ちの酒をぶっかけると傷口の化膿がなぜか抑えられるし、ただの酒よりも医療用アルコールを塗るほうが効果が高い。おそらくその“菌”とやらが傷口に作用して悪化させていて、それをアルコールが抑えてくれるのだろう。
ま、細かいことなんて分からなくとも、青加護の術者に[治癒]をかけてもらえば多少の怪我なら問題なく治るのだけれど。
ただ法術師のいる神殿で施術してもらうには怪我や病気の程度に応じた寄付が必要になるし、たいていの庶民は高い寄付金なんて払いたくないもの。だからこそ安価で手当してもらえる町の診療所が各地にあって、貧しい庶民の強い味方になっているわけだ。
「おーい、クレイちょっと来ておくれ」
「はーい!」
アーニーがほぼ空になったアルコール樽を担いだところで、モズリブが用具室の外に声をかける。硝子棒のぶつかり合うような涼やかな返事とともに現れたのは、見たこともないとんでもない美貌の美少女だった。
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