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あなたが言ったこと

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「そもそも、この婚約は王家からのによって半ば強引に組まれたもの。わたくしとしましては正直申し上げてでございました」
「な………!?」
「王家の狙いが我が伯爵家の財力にあることは明白。とはいえ臣下の身としては王命には逆らえませぬ。本当に済まない、と父に頭を下げられ、わたくしは受諾するより他にありませんでした」

 伯爵家は先代からの貿易事業が大きな成功をもたらし、巨額の資産を築いていた。直轄領が甚大な災害に見舞われ収入が激減した王家がそこに目をつけて、半ば強引に組んだのが第三王子と伯爵家令嬢との婚約だったのだ。
 王家の血を分け与え、縁戚として今後厚遇する代わりに資金援助をして欲しい。それこそが王の、王家の偽らざる本音だった。
 だがそれは当事者同士の内輪の話であり、世間一般には知られていない。ある意味で王家の恥でもあるのだから当然のことだ。

「そ、そんなデタラメを言うな!」
「わたくしからは四度、陛下からも二度にわたって聞かされておられるはずですが、本当に憶えておられませんのね殿下は」

 イザベラの目に嘲りが浮かぶ。口元はすでに開いた扇で隠されている。

「そ、そもそも我らの婚約は伯爵家から」
「そんなわけがないでしょう?何故我が家の資産を王家に進んで譲り渡さねばならないのですか」
「そ、それは王家の血を欲しがって」
「おりません」

 王子の必死の反論を、バッサバッサと切り落としてゆくイザベラ。その言葉に一切の容赦も手心もない。

「そもそも、『婚約者のある殿方に馴れ馴れしくしないように』とご忠告申し上げたのはわたくしではありません」
「……………は?」
「わたくしの友人たちが、わたくしの心情を慮って代弁して下さっただけ。わたくしはただ、彼女たちに愚痴をこぼさせて頂いただけでございます」

「そ、そら見ろ!お前が取り巻きを使って暴言を言わせたのじゃないか!」

 自分は直接手を下さず、人を使って気に食わぬ者を虐げるとは何たる傲慢かと、王子が俄に息を吹き返す。

「あら。真っ当な忠告を“暴言”と仰るのですね」

 では臣下の諫言も殿下への誹謗中傷ということになりますわね。そう続けられて王子の顔面が蒼白になる。そんな暴虐な発言をしたつもりはない。だが遠巻きに見ている貴族たち、ことに宮仕えの臣下たちからの非難の視線が突き刺さる。
 そんなわけがない。そう言いたかったが咄嗟に言葉が出てこなかった。言えばイザベラの“忠告”を責めることができなくなるのは明白だ。

「思えば殿下は子供の頃から努力がお嫌いで、人と比べられるのがお嫌いで、そのくせプライドだけは人一倍。ご自身を高める努力もなさらないのに、ご自分が一番でないと気が済まない。
そんな我侭で傲慢な方に、多少見目が良かろうともわたくしが思慕するなどあり得ません」
「お、お前!この私を侮辱するつもりか!」
「事実を述べて侮辱になるというのなら、それでも構いませんが?」

 ですけれどそれを聞く者たちに、どう受け止められるでしょうね?
 うっそりと微笑まれてそう言葉を続けられ、またしても王子は黙り込む。

「き、貴様だって!」

 王子は喘ぎながらも、何とか挽回の一手を探る。

「私を立てることもなく、私の婚約者としてその身を美しく着飾ることもせず、王子わたしの婚約者としての務めも果たしておらんじゃないか!自分のことを棚に上げて、よくも私ばかり罵ってくれたな!そういうことは、せめて自分でも相応の努力をしてから言え!」

 だが出てきたのは程度の低い罵倒でしかなかった。
 昔から努力が嫌いで、おべんちゃらで気分を良くしてくれる者たちばかりを周囲に置いていた王子には、咄嗟に出てくる論理的な反論もなければ、ウィットに富んだ返しを捻り出す機転もなかった。

「まあ。それもお忘れになったのですね」

 対してイザベラは落ち着いたものだった。どちらがより冷静で理知的か、比べるまでもない。

「わたくしのこの装い、元はといえば殿下がお命じになったことですのにね」

「なん………だと………!?」

 驚き絶句する王子の目の前で、彼女がスッと眼鏡を外した。その分厚いレンズの下から現れた琥珀色の輝きに、王子も、王子の胸に縋りつく愛人も、周囲で見守る貴族たちも息を呑む。

「本当に憶えておられませんの?婚約者としての初顔合わせの際、開口一番『僕より目立つなんて許さない。お前はダサい格好で僕の後ろに控えていればいいんだ!』と仰ったではありませんか」

 そう言って彼女は眼鏡を放り投げ、後頭部の髪を留めていたピンを抜き取った。
 艶やかで長い髪がふわりと拡がりハラリと流れ落ちた。漆黒と思われていたそれは、シャンデリアの光を受けて美しい紫色に輝く。
 紫檀。はるか東方より輸入される最高級木材の醸す濃い紫の色合いだ。色が濃いため、後頭部でまとめて光の透過しない状態では黒く見えていただけだったのだ。

 眼鏡を外し、髪をほどいただけだというのに、その美しさに会場の誰もが息を呑んだ。王子も、その愛人も驚きで目をみはるばかり。
 ドレスは地味なままだったが、それさえも彼女の美を引き立てる舞台装置に早変わりしたかのよう。透き通るかのような白皙の肌に、心なしか艶やかさを増したような赤い唇が、妖艶さの彩りまでも添えていた。

「な………」

 子供の頃からおよそ10年も婚約者として共に過ごしてきたというのに、その彼女がこれほどまでに美しく成長していると、王子は気付いていなかった。イザベラは邸宅ではもちろん素の自分を出していたから家族も使用人も悔しがったものだが、王子と会う時や、王子と会わずとも外へ出向く際には、彼女は命じられた通りに努めて地味な装いを心がけていた。『僕より目立つな』という理不尽な命令にずっと従っていたのだ。

「ああ………やっとだ………」

 広間のどこかで呟きが漏れた。おそらく招かれて会場に来ている、彼女の父親である伯爵のものだろう。





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