夜と初恋

残月

文字の大きさ
上 下
1 / 7

1   

しおりを挟む
 十二月の鈍い光が濃茶こいちゃ色の遮光カーテンの隙間から落ちてきて、沖 一彬かずあきはその眩しさで目を覚ました。
 ワイドキングのベッドの上でまだ寝足りない身体を宥めつつすがめた視線をヘッドボードのデジタル時計にやると、あと五分で正午を告げようとしているところだった。
「寝すぎた……。もう昼か……」
 ベッドへ横になったまま腰窓に掛けられたカーテンを片手で開けると、窓の外には薄い水色の空を覆うように、鈍色にびいろの雲が広がっていた。
 沖は大柄な身体をベッドから起こし、ウォールナットの床に敷かれた毛足の長い純白のラグに足を下ろすと、ひとつ伸びをしてから立ち上がって寝室のドアに向かって歩きだした。
「おっと……マズいな」
 レバー式のドアノブに手をかけたところで、自身が半裸であることを思い出す。きびすを返し、寝室と隣の空き部屋をつなぐウォークスルークローゼットへ入ると、中からアンダーと細いストライプの入った白のワイシャツ、黒のトラウザーズをチョイスして身につける。ワイシャツの袖ボタンもきちんと留め、置いてある姿見で全身を念入りに確かめた。それでも素足なのはご愛嬌だ。
 着替えを済ませてようやく寝室のドアを開けると、そこはキッチンから漂う良い匂いで一杯だった。想像するに、ナポリタンかチキンライスといったところか。ケチャップの香りが、起きたばかりの沖の食欲を刺激した。
 廊下を挟んで寝室の向かいにあるリビング兼応接間を通り越し、ダイニングキッチンへと足を運ぶと、三口のビルトインコンロの前で料理をする青年が見えた。
「おはよう」
 その後ろ姿に声をかけてから、八人掛けの大型ダイニングテーブルの椅子を引いて腰を下ろす。
「おはようございます」
 こちらに背を向けたまま、抑揚のない声が返ってくる。
 彼の名は狩野かのう りつ。誕生日がくれば十九歳だが、早生まれなのでそれは来年らしい。沖とはまったくの他人だが、訳あって一週間前から自宅で一緒に暮らしている。
「先に洗面をすませてきてください。それと、今日は午後から外出されますか」
 ボウルで卵を溶きながら無表情でこちらを振り返る律に、思わず微笑む。
「いや」
 沖の答えに頷くと律はくるりと向きを変え、溶き卵をフライパンに流し込んだ。今日の昼食はオムライスのようだった。


 律と二人で食事をしたあと、一時間ほどで寝室に戻ってベッドに寝転がる。さっきと違っているのは、服を着たまま腕の中に律を抱え込んでいることだった。
「寝るぞ、律」
「沖さん……お酒臭いです」
「それはお前の雇い主に言え。早朝まで付き合わされたのは俺のほうなんだぞ。雪下ゆきしたのやつ、俺に『律くんのことお願い』とか言っておきながら、一週間目で明け方近くまで引っ張り回すとかありえないだろう」
「……すみません」
 消え入りそうな声で謝る律を、沖は胸元に抱き込む。
「律のせいじゃないから、ちゃんと寝ろ。いっぱい食っていっぱい寝て、それ以外のことはゆっくり考えればいい」
 沖が羽根布団を律に被せると、律は頷いてゆっくりと目を閉じていった。

   ◇    ◇

 話は十二月最初の日の、一週間前に遡る。
 沖は長年の友人である雪下に呼び出されたため、彼が経営する『Snow White』という、歓楽街から少し外れたところにあるバーへと足早に向かった。
「いらっしゃいませ」
 落ち着いた色の木製のドアを開けると、間接照明を少しだけ絞った店内から声がかかる。その声は少ししてから、落胆したものに変わった。
「なんだ、一彬か……」
 緩くウエーブのかかった肩まである茶色い髪を後ろでひとまとめにした雪下が、入ってきた沖の姿を見てバーカウンターの中で嘆息した。
「自分から呼び出しておいて、その態度はどうなんだ」
 店はまだ開店したばかりの時間だ。木の温もりを生かして作られた店内にまだ客はおらず、BGMすら流れていなかった。
 だからこそ、この時間を狙ってやってきたのだが。
 互い違いに八つほど置いてあるテーブル席のあいだを縫ってカウンターのある奥まで行くと、コートを脱いでからスツールのひとつをぐっと手前に引いて腰掛けた。
 ほかの客には高めに作られているのだろうが、高身長の沖にとっては窮屈な机と椅子に腰掛けるようなものだった。だからいつもバックヤードに近い奥まった席で、邪魔にならないようカウンターから少し離れて座ることにしていた。
「三ヶ月も一彬の顔を見てないし、最近ご機嫌はどうなのかと思ってさ」
 雪下は小さなグラスひとつと外国製の瓶ビールを持って沖の前に移動すると、ビールの蓋を開けてグラスに注いだ。
「こっちは大して変わらんな。色々と来年に持ち越しそうだ」
「ふうん」
 雪下はそれだけ言うと自らグラスをあおり、空になったそれへ再びビールを注ぐ。このビールの支払いは、もちろん沖だ。
「お前はどうなんだ、雪下」
 そう尋ね返すと目の前の男は少し間を置き、その美しい顔立ちに困った表情を浮かべた。
「実はちょっと……」
 雪下が小声で沖にその秀麗な顔を近づけてきたとき、バックヤードから見知らぬ青年が現れた。
「雪下さん、酒屋さんが伝票にサインをくださいって……」
 随分と綺麗な子だなと、沖は思った。
 さらりと伸びた長めの青みがかった黒髪。その髪と同色のアーモンド型をした澄んだ瞳。細いが意志の強そうな眉。張りのある滑らかな白い肌と、ふっくらした朱鷺とき色のくちびる。
 彼が男であることを加味しても、色気が加われば引く手数多あまたのミステリアスな美人になるだろう。
 手足のバランスも申し分ない。しかし百七十五センチほどの身長の割には痩せ気味なようだった。
 彼は横にいる沖のことなどまるで見えないかのように、雪下だけを見つめて酒屋の伝票を手渡した。借りものなのだろう、大きいがゆえに折り曲げられた店の制服のシャツから覗く手首は、つかめば簡単に折れそうな気がした。
「ありがとう。……はい、じゃあこれ酒屋さんに渡してきて。それと、この人の食べ物もらってきてくれるかな。『沖さんがきた』ってキッチンの子に言えばわかるから」
 雪下に言われ、初めて彼は沖を視界に入れた。こちらを窺うその真っ直ぐな視線も美しいと思った。
 しばらく視線を交わしたあと彼は沖から目を逸らすと、雪下がサインをした伝票を受けとった。それから雪下に表情のないままこくんと頷いて、再びバックヤードへと入っていく。
 背筋をぴんと張った後ろ姿もとても綺麗だったが、まるでこの世界のすべてを拒絶しているようにも思えた。
「あれだよ、最近の悩みのタネ」
 彼を見送ってから大きくため息をつくと、雪下は苦笑いをした。
「新しい従業員か。随分と若いな」
「従業員っていうか、ひと月前に拾ったんだ」
「拾った……」
 雪下から明るく投げられた聞き捨てならない言葉に、自然と眉間にシワが寄る。
「十一月の頭だったんだけど……最後のお客を見送りがてら外に出たら、ちょうどあの子がフラフラしててさ」
「ひとりでか」
 雪下は沖の言葉に頷いた。
「最初は道にでも迷ったのかと思ったんだけど、もう電車もない深夜の二時過ぎだったし、しばらく様子を見てたんだ。なんていうか本当にフラフラって歩いてて。この辺りも深夜はわりと物騒だから、気になって声かけて少し話をしたんだよ。そしたら張り紙を探して歩いてたみたいで……」
「もしかして、求人のか」
 急ぎの求人ほど求人媒体には出さず、張り紙をしている店舗が多くある。それが飲食店ならば、軽い面接くらいで雇い入れるケースがほとんどだろう。
「ご名答。だからうちでアルバイトでもしてみるかって聞いたら、お願いしますって……」
 その半月前の十月半ばまでは定職に就いていたらしいが、職場で折りあいが悪くなり解雇されてしまったのだそうだ。
「解雇の理由がさ、彼……律くんが笑わないからだって。正社員だったらしいけど、でもそんなことで解雇されたりするのかな。会社の名前を聞いたら有名どころでびっくりしたんだけど」
 確かに四六時中あの頑なな表情では、いくら綺麗な子だからといっても居心地はよくないのかもしれない。
 沖自身、人のことを言える柄ではないが。
「ほかにもなにか理由があったんだろうが、それに関しては心から彼に同情するよ」
 表情筋が活用されてないだの仏頂面の三白眼だの、沖も子供の頃からよく言われたものだ。
 もちろんそれはいまも変わらず、百九十を超える高身長と格闘家にも劣らないガタイの良さが、更に輪をかけて威圧しているとは目の前の雪下の言葉だった。
「でも一彬は仕事になるとちゃんと愛想笑いできるじゃない? まあその顔で笑っても怖いんだけど」
「お前、褒めるか貶すかどっちかにしとけよ」
 その言葉に雪下が、アハハと笑う。
「律くんにはそれができないみたいなんだよ。無愛想っていうよりは、心を閉ざしてるって言ったほうがいいのかも」
 まだあどけない少年の面影を充分に残しているというのに、彼にそうさせるなにかがあったのだろうか。
「……歳は幾つなんだ」
「早生まれで誕生日は来年みたい。だからまだ十八歳だって」
「じゅうはち……俺達のほぼ半分じゃねえか」
 沖と目の前の友人は来年で三十六を迎える。
「ねえ、一彬。こんなこと聞かされたらさ、少しは律くんのことが気になるよね」
 にっこりと微笑まれて、目の前の友人に罠を張られていたことにようやく気づいた。
「……俺は忙しいんだが」
 そうはいくかと飛んできた火の粉を払おうとしたとき、大きめのトレーを抱えた律がこちらへ向かって歩いてきた。
「沖さんのご飯です」
 きちんと言葉を放っているのに、それが目の前にいる厳めしい男のことだと認識していないような、そんな表情だった。
 トレーに乗っていたのは白飯に味噌汁、鯖の塩焼きと漬物だ。それを慣れた手つきでカウンターの上に配膳していく。無駄な動きがなく、とても綺麗な所作だった。
「ありがとう」
 沖の言葉に律がふっと顔を上げ、二人は再び視線を交えた。律の透き通った濡羽色の瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
 そうしてしばらくののち、律の睫毛がゆっくりと伏せられた。それを合図に彼はくるりと踵を返すと、何事もなかったかのように元来た道をスタスタと戻っていった。
「へえ、めずらしい」
 沖が手に茶碗を持って箸で鯖をつつき始めると、雪下が心なしか目を輝かせたような気がした。
「なにが」
「さっきもそうだったけど、律くんが誰かとちゃんと目をあわせるとこ、初めて見たよ。いつもすぐ逸らしちゃうから」
「……単にバーで定食屋みたいな飯を食べる奴がめずらしかったんじゃないのか」
「ああ、なるほど。時々こうやってご飯を食べにくるって、伝えておかないとね」
「まるで怪しいおじさんだな」
 雪下は沖の言い草に、言い得て妙だと一頻り笑った。
「一彬にイイコト教えてあげる。律くんね、前の職場の配属は経理部だったらしいよ」
「ほう」
「一彬、前に事務員探してるって言ってたよね。あれってまだ募集中?」
「お前……なに企んでるんだ」
「あの子、しばらく一彬のところで預かってもらえないかなーと思って」
 そうはいくかと雪下にはなにも答えず、沖は定食もどきを黙々と食べ進める。最後に豆腐と油揚げの味噌汁を啜って完食したところで店内の照明が薄暗く落とされ、同時に落ち着いた音楽が流れ始めた。そろそろ客が入り始める時間だった。
「……冗談だろ」
 いつまでも目でうるさく訴えかけてくる雪下に、ようやくいらえを返す。
「本気だよ。ひと月……いや、半月だけでもいいから」
「バカ言え。俺がいまどういう状況なのか、お前がいちばんわかってるじゃないか」
「そうだけど、でも……」
 二人で言いあいのようになっていると、店のドアが開いて客が入ってきた。二十代半ばくらいの、男の三人連れだった。
「……っ、いらっしゃいませ」
 雪下の表情と声音が仕事モードへと変わる。
 その雪下の声を聞きつけた従業員が三人の座ったテーブル席へオーダーを取りにいくと、リーダー格の男が座ったまま雪下に声をかけてきた。
「マスター、律は?」
 逆立てた髪を金に染め、片耳にピアスを五つもつけた男だった。
「律くん今日はお休みなんですよ。いつものボトルでよろしいですか」
「休み? まあいいや。腹も減ってるからテキトーになにかちょうだい」
「かしこまりました」
 雪下の笑顔がめずらしく強ばっている。それに律の所在に対しても嘘をついた。これはなにかあるなと沖は勘繰る。
 雪下は別の従業員にキープされたウイスキーの用意をさせると、予想通り沖にバックヤードへ入るよう目配せをしてきた。
 客三人の視線を背中に感じつつ、脱いだコートを片手に先を行く雪下のあとを追う。バックヤードの奥のドアの先は、事務所兼休憩室だった。
「あー、もう!」
 テーブルを挟んで置かれている三人掛けのソファにどっかりと腰を下ろすと、雪下はネイティブアメリカンが描かれた銘柄の煙草に火をつけた。不機嫌なまま吸っては煙を吐いて、見た目は天使なのにまるで暴れ出す前の獣のようだった。
「なんだ、アレ。律とか言ってたが、さっきの子のことだろう」
 沖もその向かい側に座り、雪下の吐き出した紫煙の行く先をしばらく目で追う。
 雪下はなにも言わずに煙草を一本吸い終わると、テーブルの上のガラス製の灰皿にこれでもかと吸殻を押しつけ、ため息をついた。
「あいつ、律くんが言うには遠い親戚らしいんだ」
「遠い親戚……ね」
「あいつを初めて見たのが半月ほど前かな。親戚だってこと知らなくて、律くんに惚れた客だと思ってたんだ。その頃には彼目あてにくる客も増えてたし。でも二回目にきたとき、律くんへの絡みかたが普通の客と違うっていうか……ちょっとおかしかったから、それからはホールには出さずにキッチンで仕事してもらってる」
「お前にはあの子からなにか説明があったのか」
 沖の言葉に、雪下は長く伸びた前髪をかき上げながら頷いた。
「二回目のときに、少しだけ……。律くんには家族がいないらしくて、遠縁にあたるあいつの家で、あいつの両親と何年か一緒に住んでたんだって。最終的にはそこを出たらしいんだけど、その……」
「なんだ」
 上目でこちらを見る雪下に、沖は視線で話の先を促した。
「家を出る原因が、あいつに乱暴されたからだって……」
 雪下はそう言ってくちびるを噛んだ。
「本人がそう言ったのか」
「根掘り葉掘りは聞かないけど、そんな感じ。ここをどうやって嗅ぎつけたのか知らないけど、律くん……いま住んでる家を知られたくないからって、あいつがきてからここで寝泊りしてるんだ」
 雪下の視線を追うと、部屋の隅にロッカーを動かして衝立にした寝床スペースが見えた。
「まさか……この季節に、こんな部屋でか!? もう十二月だぞ!」
 気が一瞬遠くなった。店内とは違ってコンクリート打ちっぱなしの、断熱材も入っていないこの事務所に、いくらエアコンがあるとはいえ半月も寝泊りしているというのは正気の沙汰ではない。今年は特に酷寒だというのに。
「あいつに律くんのことをごまかすの、そろそろ限界なんだよ。ちゃんとした生活をさせてあげたくてもオレの部屋には連れて帰れないから、一彬のところでしばらく律くんを預かって欲しいんだ。なにかあったらオレが責任持つから……」
「……いま俺が預かると、非常にややこしくなるんだが」
「わかってるよ。でもお願い! 頼れるのは一彬しかいないんだ。ね、お願いっ」
 目の前で両手を合わせて自分を拝み倒す三十年来の友人に、沖は大層弱かった。そのためにこれまで幾度となくトラブルを持ち込まれたのだが。
「……本人と話してみないとわからん」
「ホントっ! じゃあ呼んでくるから! ちょっと待ってて」
 雪下は歓喜に白皙の頬を淡桃うすももに染め、うきうきと厨房にいる律を呼びに行き、三人で話しあった結果、雪下の望み通り律は沖が預かることとなった。

   ◇    ◇

 明け方近くまでの酒のせいか、律との午睡に目が覚めれば午後三時を回っていた。腕の中で眠る律を起こさないよう、沖はゆっくりと身体を離しベッドから離れる。
 律の眠る姿はひどくあどけなく、起きているときよりも表情がある気がした。
 寝室を出てキッチンへと向かい、ミルで丁寧に豆を挽いて眠気覚ましのコーヒーを淹れる。
「連日の腕枕で肩が凝ったか……」
 肩のつけ根からぐるぐると腕を回し、身体をほぐす。ここしばらくはジムにも通えていないので、少し運動不足だ。
 このまま律は、長ければあと三時間は起きてこない。断続的に目を覚ますこともあるので時々様子を見に行き、律の身体を思っていつも夕方までは寝かせつけていた。
 だから夕飯は必然的に沖の担当だった。コーヒーを飲み終えたあと、冷蔵庫を開けて食材を物色する。
「……なにもないな」
 そんなときは外食だ。
 律は沖との外食を遠慮しがちだったが、律がまたパニックに陥ることを思えばほかに選択肢はなかった。
「律が起きてから店を決めるか」
 シンクでコーヒーカップを洗い、水切りカゴヘ伏せる。キッチンの窓から見る空はどんよりと薄暗く、いまにも泣き出しそうだった。
 律が最初に沖の部屋へきたのは、雪下との話しあいのあとすぐだった。ちょうど店の給料日だったのでひと月分の賃金を雪下から手渡しされ、裏口から出てそのままここへとやってきたのだ。
 そして初日の寝室で、律が夜に眠ることができないのだと知った。とくに深夜から未明にかけての時間帯がまったく眠れないようだった。
 雪下の店では閉店中の日が高いあいだに寝ていたようなので、ここでもそうすればいいと律に言った。
 それからもうひとつ。
 眠りについてから目が覚めたとき、家の中にいるべき人間がいないとパニックになる。これは三日目に知ったことだった。
 その日は今日のように冷蔵庫になにもなく、律が寝ているあいだに夕飯の買出しに行って戻ってみれば、玄関のドアを開けた途端、顔色をなくして床にへたり込んでいる律が目に飛び込んできた。
「どうしたんだ、よく眠れなかったのか」
「ちが……い、ます」
「じゃあ気分が悪いのか、それとも熱があるのか……。顔色が悪いぞ」
 ふるえながら首を横に振る姿を見て心配になり、買い物袋を床に置いて律を抱き寄せた。
「沖さん、よかった……帰ってきた……」
 初めて見る安堵の表情でそう言葉にすると、どうしてそうなったのか理由も言わず、律は沖の腕へすがりついたまま眠りに落ちてしまった。
 そのことがあって以来、買い物や外出は律が比較的起きていることの多い午前中にするという決まりができた。今日は沖が朝帰りで眠っていたので、買い物に行けなかったのだが。
 ついでに律が眠りにつくときは、必ず抱きしめて添い寝をすることにした。体温が心地よかったのだろうか、沖の腕の中で眠った律のやわらかな表情が忘れられなかったからだ。
 沖にとって律は、犬や猫と同じようなものなのだと思う。飼ってしまえば情が湧き、少しでも懐いてくれると可愛く思える。
 あとは心からの笑顔を見せてくれれば、言うことはないのだが。
「……もしかしなくても父性が有り余ってるのか、俺は」
 十八歳の男子相手に笑顔が見たいなど、どうかしている。まずは自分自身、目の前の問題を解決する必要があるというのに。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

側室は…私に子ができない場合のみだったのでは?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:16

ハメカフェ[年末・受けイチャの場合]

BL / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:23

側妃のお仕事は終了です。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,470pt お気に入り:7,955

声を失ったSubはDomの名を呼びたい

BL / 連載中 24h.ポイント:3,203pt お気に入り:881

忘却な君に花束を

BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:16

処理中です...