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聖女の日々32

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 私の言葉に、兄様は小さくため息を吐いた。

「いいさ。ーー俺はお前の『兄様』で、騎士だからな」

 兄様の体温と匂いに包まれた途端、心地良い眠気が訪れるのが分かった。
 今日もまた、きっと昔の夢を見るのだろう。
 前世の記憶を思い出す前の、兄様に守られるだけの幸せな子どもだった頃の夢を。

「………おやすみ。ディアナ」

 頬に落とされた兄様の口づけは、唇の端を僅かに掠った。



 目が醒めると、兄様は既に隣にいなかった。
 けれど、代わりに「朝の鍛錬があるから、帰る。夜にまた来るから」と書かれたメモを見つけ、ほっと安堵のため息を吐く。
 昨夜までの不安定だった精神が、すっかり凪いでいるのが分かった。

「……大丈夫。私は今日もちゃんと、割り切れる」

 何があっても動じずに、ちゃんと「聖女」でいることができる。ーー兄様がその力をくれたから。



 兄様は約束を守って、その日から毎晩隣で眠ってくれた。
 兄様の口づけが、唇の端を掠める頻度は増えた。だけど、あんな脅しをかけながらも、それ以上何かするでもなく、ただ抱き締め寄り添って、一緒に眠ってくれる。
 眠りが浅いのか、朝になる度眠そうにしている兄様に申し訳ない気持ちになりながらも、私はひたすら兄様の優しさに甘えた。

 今日、拒否した患者は、命に別状はなかった。ーーだから、大丈夫。

 今日、王宮の外で聖女を出せと怒鳴っていた国民は、騎士に連れて行かれた。ーーきっと、私なしでも大丈夫な方法を取り計らってくれるんだ。

 「災厄の魔女の呪い」しか治せないと公言してもなお、それを信じることなく、聖女が持つ万能の治癒の力を求める民の数は、減らない。
 聖女は、あらゆる傷病を治すことができる癒し手だと伝わっているのだから仕方ないのかもしれないけれど、真実を伏せて治療者を制限している身としては、その事実がひたすら苦しくて仕方ない。

 できないと言っているのに、何故信じてくれないの。

 どうか、どうかそんな恨みがましい目でみないで。

 最近では、病ならば「災厄の魔女の呪い」でなくても治癒してくれるのではないかと疑って、わざと病名を偽って城に来る患者まで現れ始めた。



「どうか……どうか、私の夫をお救いください! 聖女様!」

 そして、とうとうーー恐れていた日がやって来た。
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