没落(寸前)令嬢は隣国の皇子とお仕事がしたい!〜金の国と山の国〜

織部ソマリ

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前編

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 煌びやかな宮殿では夜会が開かれていた。
 ダンスに勤しむ紳士淑女に音楽隊、並ぶ料理はこの国にしては洒落たもの。給仕に衛兵、並ぶ馬車。

 今夜はここが、『山の国』と呼ばれるこの国で最高の場所だ。

 しかし、浮かべた笑顔の下で彼は思っていた。

 ――退屈だ……こんなパーティより商談がしたい、と。



 彼、カイル・アル・ジャヒルディーン。
 褐色の肌に映える翠玉の瞳、そして漆黒の夜色の髪を持つ男。

 今、この国を騒がせている『エキゾチックな砂漠の国の皇子』だ。

 彼が纏う衣服はこの国よりもだいぶ緩やかで、しなやかな生地は幾重にも重ねられている。そしてそこに輝くのは繊細な金細工と宝石たち。これだけでは嫌味になりそうなものだが、彼の引き締まった身体と肌の色。それが絶妙なバランスで魅力的に仕立てていた。



 ◆金の国の男◆


「殿下、社交も大切なお仕事ですよ。大好きな商談の前段階です」 

 こそり、側に控えた侍従が耳打ちする。もちろん笑顔のままでだ。

「分かっている。だから連日こうして大人しく出てるんだろうが」

 声は低く不機嫌そうだが、やはり同じく顔には穏やかな笑みをたたえている。
 そして思っているのはこんなこと。

 ああもう、毎日毎晩うんざりだ。



 この国の酒は重厚なウィスキー。煙草はシーシャじゃなくてスモーキーな葉巻。ダンスは剣舞でも肌を競う踊り子たちでもなく円舞曲ワルツ
 そして、野暮ったく無駄に広がったドレスに気味が悪いくらいに絞ったウエスト、これでもかと張り出された胸。

「……商談にならん」

 カイルは呟き、内心で深く溜息を吐いた。





 ――この国は同じ大陸にあって、『金の国』と呼ばれる我が国とも、海を隔てた周辺国とも違う。
 海に囲まれ海岸線は断崖、内陸は山に隔たれ、その隣は隣国の砂漠。保守的で変わらない事が美徳にもなろう。

 対して我が『金の国』は、同じく海に囲まれてはいるが穏やかな内海を持ち、港も砂浜も、豊かな漁場となる入江もある。内陸の多くは乾燥した砂漠ではあるが、オアシスも地下水も豊富だ。砂漠を緑化する研究も進めている。

 山で隔たれてはいるのが、隣接しているのはこの国『山の国』だけ。

 そして『金の国』と呼ばれるには勿論理由がある。単純に金や宝石が採れるからだ。砂漠の色もあろう。
 主な交易品はシルクと宝飾品の加工。我が国のデザインは先進的で、海のあちら側からするとエギゾチックだとかで人気があるのだ。

 我が国は恵まれている。
 しかし、海が荒れれば交易は滞るし、あちらの大陸の情勢に左右されるばかりでは不安定だ。

 だからだ。同じ大陸なのだ。交易をしたい、と我が国の商人たちの声が上がった。
 隣国とは言え砂漠と高い山で隔たれており、国交は開かれていても交流は盛んではない。難しいからだ。

 しかし皇家といえど、今や富と縁を持った彼らの声を無視することは出来ない。
 一応は皇子である私が交渉役を務めるほどには。

 しかし、これで成果なしだったらことになるかもなあ。
 そんなことを思い、また一つ溜息を吐いた。

 今の皇家はややこしく不安定だ。
 例えば、私は第一皇子だが皇太子ではなく、更に言うと嫡子ではなく庶子という立場だ。

 ――ああもう、不安定で危険で窮屈な皇家から早く出たい。

 実は、今回は持ってこいの機会で、私が力を得て目的を達成させる第一歩になるはずであった。

 この『山の国』が、ここまで価値観が違うと知るまでは、だ。

 デザイナーも連れて来たと言うのに、滞在十日目で未だ注文はゼロ。よく人目を引き人当たりも良い、商談上手の皇子と評判の私がだ。あり得ない!

 ドレスの生地はこの国にはないシルクで最高級品。下着だってギチギチのコルセットと萎えるドロワーズではなく、動きやすくてしなやかで、華やかなレース付き。望めば宝石だって散らせる。

 華やかさとしなやかさ、機能性、それに遊び心を兼ね備えた我が国のドレス商品は興味を引き羨望の的となるはずなのに、何故、注文ゼロなのだ!?



 ◆山の国の女◆


 帰りたい――が、帰るわけには行かない。

 いわゆる壁の花となりながら、女――メリッサ・アリスティアは思った。

 女性にしては少し高い身長に豊かな金の髪。理知的な印象の紺碧の瞳は少し憂いを帯びているが、健康的な色味の肌とシャンとした立姿が、それをうまく隠していた。


 ◆


 ここのところ頻繁に催されている夜会にやっと出れたのだ。個人的にはあまり来たくなかったけど、来ないわけにはいかない理由が……私にはある。

 アリスティア家は没落貴族と呼ばれて久しい。
 元々は地方の豪族で、何やら商売の功績を認められ貴族に召し上げられたらしい。平和で良く言えば穏やか、悪く言えば守る事に徹し変化を厭うこの国。商売から自身の手を離した当主たちは、領地経営も部下に任せ、のんびり貴族としての生活に浸っていた。

 しかし、曽祖父の代でやらかした。
 曽祖父は悪い人でもお馬鹿さんでもなかったと思う。でもこの国には合わなかったのだ。
 特に山深い領地に変化をもたらそうと、隣国との繋がりを持とうとした。
 だがお隣さんは高く険しい岩山を越え、更に砂漠を越えた先。海は漁村がせいぜいで、大陸をぐるっと回って航海できるような船はこの国にはない。それに我が領地は山奥だ。

 そんな土地条件とのんびりとした国風に家風。困難しかない山越え砂漠越えを断行すれば結果は当たり前のものだった。
 いや、それを行う情熱が領地と人にあれば成功したかもしれない。だが、難しかったのだ。

 そうして、アリスティア家は代々相続してきた財産を潰し、領地経営はギリギリの没落(寸前)貴族となった――。


 ――うん。仕方ない!
 帰りたくなっても仕方ないじゃない!?

 何しろそんな懐事情だからこの王都になんて滅多に来ないし、王宮での夜会にだって三年前のデビュタント以来よ!? お友達もいなければ……仕事を離れられないからって理由で男爵である父すらいないんだもの! 一人でどうを達成させろと!?

 男爵令嬢としては自慢にならないが、貴族として身と教養と社交に励むより、我が家では労働が推奨――というか、必然的に必要で幼い頃からよく動いていた。

 使用人は屋敷の維持に最低限だけ、侍女なんてものもいない。
 基本的な下働きは使用人がするが、私たち家族も『自分の事は自分で、出来る事は出来るだけ、領地の事はみんなで』をモットーに暮らしてきた。

 だから、この令嬢としては無駄に引き締まった身体も、優雅さに欠ける仕草も、商家の令息でもあったなら好ましかっただろう言葉使いも(これでも対外的には最大限『おっとり』を装っている)造形は悪くないが健康的すぎる容姿も、全てが王宮では浮いていた。
 そして、埋もれてもいた。

 ――私には役目と目的があるというのに。

 やらかした曽祖父に似ているらしい自分の性質が、こんなにも仇となるなんて。
 自分では嫌いじゃなかったそんなところが、この社交界では異端扱いだという現実を目の当たりにさせられた。

 容姿と中身が可愛らしい令嬢であれば、ほら。皇子の方が気になって声をかけてくれたり、令嬢のお友達が沢山いて繋がりからの援護や同盟? 組合? のような、皆でお話しをしに行くようなこともできたらしいし、今もそんな同盟組合の第何弾かがあらあらウフフと談笑している。

 なるほど、自分がどれだけ貴族令嬢として足りていなかったのか。
 今まで必要性も重要性も感じていなかった可愛らしさとは、色んな意味で得であり、力なのだなと私は実感として学んだ。

 ああもう、ひいお爺様が焦がれ、私たちが欲しい『金の国』への取っ掛かりがそこにあるのに……!

 デザインは骨董品だけど見事な光沢のある曽祖母のドレスと、私のデビュタントのドレスを組み合わせ、夜会に出れるドレスを仕立て直したというのに。

 没落(寸前)から脱却するために、あの『金の国』の皇子に近づきたいのに。

 誤解のないように言っておきたいが、それは何も自分の家だけのためではない。領民のためでもある。
 領主が貧しければ領民も割りを食う。領主が愚かならば領民が苦しむ。領主に貴族としての力がなければ、領地としての力も弱い。

 弱い領地は、領民の生活を守れないのだ。

 だから、何とか面識を得て、あわよくば交易に興味を持ってもらい、更に我が領地へ足を運んでもらいたいのに……! それを期待されて、没落(寸前)貴族のくせに様々やり繰りして夜会に出てきたのに!!

 ――参ったわ。

 いつまで経っても皇子の周りには人が多すぎる。
 ダンスで面識を得るにも男性から申し込むものだし、辿ってお願いできる伝手もない。何度か突撃したけど「あらあらウフフ」と優雅な組合に妨害されてしまったし! 可愛さと場所をとる広がったドレスは武器だった!!

 そして、慣れないヒールに足が痛すぎて、もう令嬢っぽく優雅っぽく動けないだなんて。
 ちょっと壁の花もやめて、人目のないバルコニーで休憩しても良いだろうか? 靴を脱ぎたいし、せめて手摺にもたれてドレスの重さから逃げたい。

 正直言うと、ドレスを着るためのコルセットも肉と肋骨に食い込んで痛くて苦しいし、レースはチクチクして不快だし、ああ、皆は豪快なクリノリンだけど私は精一杯重ねたパニエなところだけが今夜の救いだ。

 情けない……。元は商家だというのに、そこにある金に手を……いや、足を伸ばせないだなんて。

 ごめんなさい、ひいお爺様。
 全部ヒールがいけない。


 ヒョコ、と傷んだ足をかばいつつ、私はホールとバルコニーを区切る薄いカーテンに手をかけた。
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