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86.出立する者ー2
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魔法陣は修復中に詠唱を止めると使い物にならなくなる。人狼従属のための魔法陣は一朝一夕で用意できるものではない。
すべての条件がそろったあの日、使えなくするわけにはいかなかった。元第二十王子の攻撃を受けようとも、ディートは最後まで修復するつもりだった。ディートは己の身を犠牲にしてもデビーの悲願を叶える道を選ぼうとしていたのだ。そのデビーがディートをかばって瀕死状態になるまで。
デビーの行為に誰もが驚愕した。
何を置いても己が王位に就くことに執着している男だったからだ。
ある日デビーがどこかからか幼いディートを王宮に連れ帰り、専属の魔術師として教育したという経緯以外、彼らの間に何があるのか、誰も知らなかった。
「君のツンデレをまた聞きたかったのは勿論だけど、これを頼まれたんだ」
俊は一枚の羊皮紙を手渡した。俊が囚われている間にクレイグが発案し、シュバイツアーが改良を加えた郵便の魔方陣が描かれている。手紙も物品ももう一枚の切れ端を持つ相手、シュバイツアーへ直通だ。
「たまには手紙を寄越しなさいって」
ディートは目を見張った後、頬を紅潮させいそいそと紙を懐に仕舞った。
花国で何があったのか誰も語らないが、どうやら家族の再会は上手くいったらしい。
「……貴方は何かいりますか?」
「え?」
照れくささから不機嫌顔になったディートに聞かれ、間抜けな返事をすると間抜けですねとすかさず突っ込まれた。
続いた回りくどい長い口上から判ずるに、立場上、罪人を見送れない祖父に代わり手紙を届けてくれた俊に礼として異国の品物を届けてくれるらしい。
それなら一つある。
俊は修道院をちらりと一瞥し、デビーがまだそこにいるのを確認してからディートに囁いた。
「うちの世界の中国とかと同じような国があったら、と言うか李下って言葉があるんなら多分存在するんだけど、お米の稲を送って!」
「……は?」
必死の俊にディートは数秒の沈黙の後、腹を抱えて笑い出した。
笑い事ではない。
本当にどこを探しても白米はなかった。
狼国にも花国にも。
パンもパスタも確かに美味しい。だが弥生時代から脈々と受け継がれた農耕民族としてのDNAは米を渇望しているのだ。
稲作は稲刈り体験くらいしかやったことはないが、なんとしても青々とした水田を作り上げる気概はある。
「貴方の斜め上の発言、ちょっと懐かしくなりそうです」
期待せずに待っていてください。そう言い、彼は手を俊の前に差し出した。
「……元気でね」
「貴方も」
年相応に笑った少年と握手を交わし、俊は狼国へと戻った。
着替えを済まし、クレイグの部屋を従者に頼んで空けてもらう。
彼はまだ帰っていなかった。がらんとした広い部屋を見回し、こわばっていた肩から力が抜けた。
「明日の午後には出立いたします。……ご無理なさらぬように」
クレイグから鍵を預かっていた従者と、蝶国から側用人として連れてきたアリアは意味深な笑顔で去って行った。
「ご無理って……」
俊は苦い顔でソファに腰掛けた。
すべての条件がそろったあの日、使えなくするわけにはいかなかった。元第二十王子の攻撃を受けようとも、ディートは最後まで修復するつもりだった。ディートは己の身を犠牲にしてもデビーの悲願を叶える道を選ぼうとしていたのだ。そのデビーがディートをかばって瀕死状態になるまで。
デビーの行為に誰もが驚愕した。
何を置いても己が王位に就くことに執着している男だったからだ。
ある日デビーがどこかからか幼いディートを王宮に連れ帰り、専属の魔術師として教育したという経緯以外、彼らの間に何があるのか、誰も知らなかった。
「君のツンデレをまた聞きたかったのは勿論だけど、これを頼まれたんだ」
俊は一枚の羊皮紙を手渡した。俊が囚われている間にクレイグが発案し、シュバイツアーが改良を加えた郵便の魔方陣が描かれている。手紙も物品ももう一枚の切れ端を持つ相手、シュバイツアーへ直通だ。
「たまには手紙を寄越しなさいって」
ディートは目を見張った後、頬を紅潮させいそいそと紙を懐に仕舞った。
花国で何があったのか誰も語らないが、どうやら家族の再会は上手くいったらしい。
「……貴方は何かいりますか?」
「え?」
照れくささから不機嫌顔になったディートに聞かれ、間抜けな返事をすると間抜けですねとすかさず突っ込まれた。
続いた回りくどい長い口上から判ずるに、立場上、罪人を見送れない祖父に代わり手紙を届けてくれた俊に礼として異国の品物を届けてくれるらしい。
それなら一つある。
俊は修道院をちらりと一瞥し、デビーがまだそこにいるのを確認してからディートに囁いた。
「うちの世界の中国とかと同じような国があったら、と言うか李下って言葉があるんなら多分存在するんだけど、お米の稲を送って!」
「……は?」
必死の俊にディートは数秒の沈黙の後、腹を抱えて笑い出した。
笑い事ではない。
本当にどこを探しても白米はなかった。
狼国にも花国にも。
パンもパスタも確かに美味しい。だが弥生時代から脈々と受け継がれた農耕民族としてのDNAは米を渇望しているのだ。
稲作は稲刈り体験くらいしかやったことはないが、なんとしても青々とした水田を作り上げる気概はある。
「貴方の斜め上の発言、ちょっと懐かしくなりそうです」
期待せずに待っていてください。そう言い、彼は手を俊の前に差し出した。
「……元気でね」
「貴方も」
年相応に笑った少年と握手を交わし、俊は狼国へと戻った。
着替えを済まし、クレイグの部屋を従者に頼んで空けてもらう。
彼はまだ帰っていなかった。がらんとした広い部屋を見回し、こわばっていた肩から力が抜けた。
「明日の午後には出立いたします。……ご無理なさらぬように」
クレイグから鍵を預かっていた従者と、蝶国から側用人として連れてきたアリアは意味深な笑顔で去って行った。
「ご無理って……」
俊は苦い顔でソファに腰掛けた。
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