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影法師
傷者
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都には、悲田院と施薬院という、貧しい者や病める者に施しをしてくれる場所があるという。
もゆらから話を聞いた美葛は真咲と顔を見合わせ、そんなありがたい所があるなんてさすが都は違うといたく感心した。
が、いざ西の悲田院を訪ねてみるとその有様に唖然とさせられた。人手が足りていないのか、貧しさに痩せ衰えた者も病苦に喘ぐ者も、多くはそこらへ放ったままにされていたからだ。
「だから来たくなかったんですよ。ここへは」
もゆらが溜息まじりにぼやいた。憂鬱そうな顔をした役人を捕まえて安倍家の名を出し、門の内側で案内を待つ間、彼女はいつもの半眼をいっそう気怠げに細めっぱなしだった。
「掃き溜めと言ったら言葉が悪すぎますけれど、何だか都の良くないものを掻き集めたような、そんな感じがどうしてもするんです」
「あんまりな言いようだね」
「物持ちは腐るほど持っている。ただ、持たない者は何一つ持たない。持たないどころか、明日にも己の命さえ手放そうとしている。都にはそんな一面もあると私は思っています。残念なことですけれどね」
ややあって、病人じみた顔色の悪い役人が美葛たちを何棟かある建物の一つへと導いた。
美葛は血や膿の臭いの強さに思わず顔をしかめた。近付くだけでその調子なので、薄暗い屋内に入るといっそう胸が悪くなってしまった。怪我した者を、憩わせるというより押し込めておくための建物らしかった。
さして広くもない板敷きの堂宇を、列をなして横たわる者の多さがよりいっそう狭く見せていた。低く囁き交わす声の他には呻き声や啜り泣く声しかない。血膿と腐汁と汚物の臭いに、煎じたり煮詰めたりした草の汁の匂いが混じっていた。とても長居などできそうになかった。
真咲を盗み見ると、彼もまた辛そうな表情を浮かべていた。
「真咲、大丈夫?」
「お袋を看病してた頃のことを、嫌でも思い出す」
「……引き込んだ風邪をこじらせたんだったね」
「何せ山の中だからな。大したこともしてやれなかった」
母親を亡くす辛さなら美葛もよく知っているが、分かるよ、で済まされることでもない。
どう言って慰めたものか、弱り顔の美葛が何も言えずにいるうちに、役人が男を二人と女を一人連れてきた。
もゆらが是非にと請うて、話は外でさせてもらうことになった。
空は茜色に染まりつつあった。
男の一人は、まだ幼いと言って良い年頃の童だった。左目から頬骨にかけて広がる紫の痣が痛々しい。あの影のことは、とやけに平坦な声で言った。
「ただじゃ話したくない。何か見返りをもらえるんじゃないと」
美葛は目をぱちくりさせてしまった。しっかりしていらっしゃる、ともゆらが冷やかに笑った。
「持ち合わせは何もありませんけれど、安心なさい、後で役人を捕まえて、貴方に何かあげるよう話しておきます。安倍家の使いの頼みなら、彼らも嫌とは言わないでしょう」
童は、駄々をこねても詮ないと思ったらしい、諦め顔で話し出した。
「仲間と三人で市町にいたんだ。行商の婆さんと話をしてた。そうしたらいきなりあの影が現れて」
美葛は真咲と顔を見合わせて頷いた。市町で話をした薪売りの老婆のことだ。
「三人ともぼこぼこにされて気を失って、目覚めたら看督長の屋敷だった。痛いのに引きずり起こされて散々だった。他の二人はまだ寝てる。足の骨を折られたんだ」
「《影法師》は、どうして貴方たちにこんな酷いことをしたんだろう。何か覚えがある?」
美葛の問いかけに童は首を振った。
「分からない。ただ、あいつは何か繰り返しぶつぶつ言ってた。歌みたいに聞こえた。『つねならぬ』とか何とか」
虚ろな目で黙っていた後の二人、血の染みた布を目深に巻いた男と左腕を布で吊った女も、揃って頷いた。
「俺も、引きずられながら、あいつが何か言うのを聞いたぜ。『つゆのいのちを』だったか」
「私も、ぼんやりとですけれど、打たれて倒れた時に聞いた覚えがあります。腹に響くような低くて気持ちの悪い声で『すくせとて』。『またのよもうし』とも言ったような」
転んでもただでは起きないというか、散々な目に遭いながら、よくもまあそんなことを覚えている。感心しきりの美葛に、二人は訴える目つきで寄ってきた。
「この餓鬼が貰えるなら、お、俺たちも何かしら貰えるんだよな?」
「貰えるんでしょう? 怪我を押して、こうして話しに来てあげたんだからさ。ねえ?」
迫られた美葛は、彼らの目の奥に、卑しいだの浅ましいだの、そういった簡単な言葉では片付けきれない切実さを見る思いがした。良くも悪くも、生きるために懸命なのだ。困って助けを求めると、もゆらが細い肩を竦めた。
「怪我に響きますよ。きっと良いように伝えておきますから、騒がずに待っていて下さい」
まだまだ怪我の辛そうな三人に礼を言って、美葛たちも、今日の所は妙泉尼の庵へ引き上げることになった。
もゆらから話を聞いた美葛は真咲と顔を見合わせ、そんなありがたい所があるなんてさすが都は違うといたく感心した。
が、いざ西の悲田院を訪ねてみるとその有様に唖然とさせられた。人手が足りていないのか、貧しさに痩せ衰えた者も病苦に喘ぐ者も、多くはそこらへ放ったままにされていたからだ。
「だから来たくなかったんですよ。ここへは」
もゆらが溜息まじりにぼやいた。憂鬱そうな顔をした役人を捕まえて安倍家の名を出し、門の内側で案内を待つ間、彼女はいつもの半眼をいっそう気怠げに細めっぱなしだった。
「掃き溜めと言ったら言葉が悪すぎますけれど、何だか都の良くないものを掻き集めたような、そんな感じがどうしてもするんです」
「あんまりな言いようだね」
「物持ちは腐るほど持っている。ただ、持たない者は何一つ持たない。持たないどころか、明日にも己の命さえ手放そうとしている。都にはそんな一面もあると私は思っています。残念なことですけれどね」
ややあって、病人じみた顔色の悪い役人が美葛たちを何棟かある建物の一つへと導いた。
美葛は血や膿の臭いの強さに思わず顔をしかめた。近付くだけでその調子なので、薄暗い屋内に入るといっそう胸が悪くなってしまった。怪我した者を、憩わせるというより押し込めておくための建物らしかった。
さして広くもない板敷きの堂宇を、列をなして横たわる者の多さがよりいっそう狭く見せていた。低く囁き交わす声の他には呻き声や啜り泣く声しかない。血膿と腐汁と汚物の臭いに、煎じたり煮詰めたりした草の汁の匂いが混じっていた。とても長居などできそうになかった。
真咲を盗み見ると、彼もまた辛そうな表情を浮かべていた。
「真咲、大丈夫?」
「お袋を看病してた頃のことを、嫌でも思い出す」
「……引き込んだ風邪をこじらせたんだったね」
「何せ山の中だからな。大したこともしてやれなかった」
母親を亡くす辛さなら美葛もよく知っているが、分かるよ、で済まされることでもない。
どう言って慰めたものか、弱り顔の美葛が何も言えずにいるうちに、役人が男を二人と女を一人連れてきた。
もゆらが是非にと請うて、話は外でさせてもらうことになった。
空は茜色に染まりつつあった。
男の一人は、まだ幼いと言って良い年頃の童だった。左目から頬骨にかけて広がる紫の痣が痛々しい。あの影のことは、とやけに平坦な声で言った。
「ただじゃ話したくない。何か見返りをもらえるんじゃないと」
美葛は目をぱちくりさせてしまった。しっかりしていらっしゃる、ともゆらが冷やかに笑った。
「持ち合わせは何もありませんけれど、安心なさい、後で役人を捕まえて、貴方に何かあげるよう話しておきます。安倍家の使いの頼みなら、彼らも嫌とは言わないでしょう」
童は、駄々をこねても詮ないと思ったらしい、諦め顔で話し出した。
「仲間と三人で市町にいたんだ。行商の婆さんと話をしてた。そうしたらいきなりあの影が現れて」
美葛は真咲と顔を見合わせて頷いた。市町で話をした薪売りの老婆のことだ。
「三人ともぼこぼこにされて気を失って、目覚めたら看督長の屋敷だった。痛いのに引きずり起こされて散々だった。他の二人はまだ寝てる。足の骨を折られたんだ」
「《影法師》は、どうして貴方たちにこんな酷いことをしたんだろう。何か覚えがある?」
美葛の問いかけに童は首を振った。
「分からない。ただ、あいつは何か繰り返しぶつぶつ言ってた。歌みたいに聞こえた。『つねならぬ』とか何とか」
虚ろな目で黙っていた後の二人、血の染みた布を目深に巻いた男と左腕を布で吊った女も、揃って頷いた。
「俺も、引きずられながら、あいつが何か言うのを聞いたぜ。『つゆのいのちを』だったか」
「私も、ぼんやりとですけれど、打たれて倒れた時に聞いた覚えがあります。腹に響くような低くて気持ちの悪い声で『すくせとて』。『またのよもうし』とも言ったような」
転んでもただでは起きないというか、散々な目に遭いながら、よくもまあそんなことを覚えている。感心しきりの美葛に、二人は訴える目つきで寄ってきた。
「この餓鬼が貰えるなら、お、俺たちも何かしら貰えるんだよな?」
「貰えるんでしょう? 怪我を押して、こうして話しに来てあげたんだからさ。ねえ?」
迫られた美葛は、彼らの目の奥に、卑しいだの浅ましいだの、そういった簡単な言葉では片付けきれない切実さを見る思いがした。良くも悪くも、生きるために懸命なのだ。困って助けを求めると、もゆらが細い肩を竦めた。
「怪我に響きますよ。きっと良いように伝えておきますから、騒がずに待っていて下さい」
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