歌と狐と春の雪

夕辺歩

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物名歌

追求

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 結局、美葛も真咲と一緒に喜斉よしただに付いていくことを選んだ。
 何かの術の働きによるのかどうなのか、日が暮れて間もないというのに小路を行く都人の影は一つもなかった。青白い鬼火の先導で、牛車は焦れったいほどゆっくりと進む。

「もういいだろうその話は。忘れろよ」

 喜斉と不知也いさやを乗せた車の後について歩きながら、真咲がわずらわしそうに言った。喜斉の屋敷の庭で不知也が言った、真咲が滝夜叉姫たきやしゃひめの血に連なるという話のことだった。どうしても気になって、美葛はし返してみたのだ。じっと見上げる美葛から、真咲が後ろ頭をき掻き目を逸らした。

「確かに、誰が言い出したんだか、お袋と俺に板東武者ばんどうむしゃの血が流れてるって噂が里に流れたことはあった。一度か二度な。けど本当に、根も葉もないただの噂話だ。身のあかしになりそうな物は何一つなかったし、お袋は親兄弟のことなんか話しちゃくれなかったし」
行李こうりにたくさんあったという書物たちは?」
「あれだって出所でどころの知れない代物しろものだ。それにほら、残らず燃えたらしいからそもそも見たことがない。俺はただの炭焼きだ。誰が何と言おうとな」

 真咲はきっぱりと言って、心なしか胸さえ張ってみせた。
 当人がそれで良いと言うものを周りがとやかく言えはしない。
 しかし、そう分かってはいても、美葛は考えずにはいられなかった。
 前に信太しだの山の仲間から聞かされた話が確かなら、滝夜叉姫は世にも恐ろしい妖術使い。本当の名を五月さつき姫といって、何を隠そう、あの平将門たいらのまさかどの娘なのだから。
 常陸国ひたちのくにに生まれ育った美葛たちはもちろんのこと、東国にあって将門の名を知らない者はまずいない。将門は、朝敵として討たれはしたが、その血をさかのぼれば今の都を造った桓武帝にまで行き着くという人物だ。これはつまり、真咲もまた、世が世ならやんごとないお歴々れきれきの一人だったかもしれないということではないだろうか。
 美葛はごくりと唾を飲んで、上目遣いに真咲の横顔をうかがった。

「ねえ真咲、もしもだよ? もしも、不知也の力を借りれば、都でそれなりの身分になれるとしたら、真咲はどうする?」
「似たような話、この前もしなかったか」

 真咲は苦笑いで返した。

「都で何かの立場を得て、歌をもっと深く学ぶための伝手つてや何かも一緒に得られるとしたら、そんなありがたいことはないと思う。けど、それだけだ。高い位がどうとか身分がどうとか、そういうのはがらじゃない。俺はそんなこと、少しも望んでない」
「確かに、身分などどうでも良いことです」

 車の中から声がした。
 物見の窓を音もなく開けて、不知也が白い顔を覗かせた。ずっと聞いていたらしい。

「ただ、真咲殿、それは嘘偽りのない本当の気持ちですか?」
「本当の気持ち?」
御母堂ごぼどうが何も語ろうとしなかったのは何故か、世間と深く交わることを避けていたのはどうしてか、少しも考えたことがないとは言わないでしょう。火のない所に煙は立たない。かたくなな沈黙は、裏を返せば答えも同然」
「だから、だったら何だと言ってる。逆さにしても裏返しても、俺はただの炭焼きだ」
「貴方はそれでいいかもしれません。しかし亡くなった御母堂は? どのように感じておられたのでしょうね。朝敵のすえ逆賊ぎゃくぞくの一門。そんな汚名を一人抱えたまま世を去ることに、少しも無念を覚えてはいなかったと、果たして言えるでしょうか」
「おいおい……。頼む、もう止してくれ」
「私の父も、『新皇』将門公と同じく、朝廷に討たれたのだそうです。私が物心つく前のことでした」

 静かに告げる不知也の横顔から、美葛は一抹の寂しさを感じ取った。

「その無念とどう向き合うべきか、再興を望む同胞はらからの思いにどう応えるべきか、そして私自身はどうありたいのか、ずっとずっと、考え続けてきました。今でも考えています。私は、真咲殿、貴方にもどうか逃げずに考えていただきたい」
「俺が、逃げている?」
運命さだめと向き合うことを避けていらっしゃるようにお見受けします。身の内の荒ぶるものを、それと知りながら素知らぬ顔でやり過ごしてはいらっしゃいませんか? そして、どうしようもないそのたかぶりの、ぶつけ所としての役割を、歌に求めていらっしゃるのではありませんか? 貴方の歌の才は、もちろん天与の物でもあるのでしょうが、何より、必要に駆られて伸びた所が大きい。違いますか? だとすれば、私たちはとてもよく似ている」
「本当にもう止せ」

 怒りをはらんだ、それでいて静かな真咲の声だった。
 不知也はちらりと名残なごり惜しそうな顔を見せたが、求められた通り、素直に口をつぐんだ。
 やがて牛車が止まり、屋形の陰から黒づくめの者たちがわらわらと姿を見せた。彼らの手で車から下ろされた喜斉は、そのまま、物も言わずにやぶの中へと入っていった。
 後に続こうとする美葛と真咲のことを、不知也はもう止めようとはしなかった。最後に一つだけ、と声を張った。

「叶うなら、薫里の話も聞いてやってください。聞いた上で、それでもあれの行いを止める、二人を放っておかないとおっしゃるのなら、それもいいでしょう」

 不知也を乗せたまま、牛車は夜の向こうへごとごとと去って行った。
 あいつ――、と見送る真咲が思う所ありげに呟いた。

「ひょっとして、ただ寂しいだけじゃないのか」
「不知也のこと?」
「妙な奴。ただ、先に妙泉尼様から気を付けろと言われていたんじゃなきゃ、俺はあいつと、もっと親しくなろうとしてたかもしれないな」
「真咲……」

 不知也の言葉がすべて的を射たものだったかどうかは分からない。それでも、何かしら心に触れる物があったのだろう、美葛は真咲が揺らいでるのを感じた。
 行こう、と吹っ切るように真咲が言った。夜の林に分け入っていく喜斉を追って、進んで藪をぎ出した。美葛も覚悟を決めてその後に続いた。
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