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誦文歌
塗籠
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四条西洞院の辻を東へ折れて薬師堂の前を通り過ぎたら、更に一町先を南に折れて少し行った辺り。
もゆらが教えてくれた通りに一人で都を歩けるかどうか、美葛は少々不安だった。が、いざ進み出してみると思い悩むことなどなかった。一朶の雪雲が、ある屋敷の屋根に触れそうなほど低く降りているのが遠くからでもよく分かったからだ。どう見ても尋常のものではなかった。
駆け付けると、雪に降られ続ける河内忠親の屋敷の周りには物見高い都人たちが垣を成していた。
詫びを入れつつ何とか押し通った美葛を、門前で真咲が見つけてくれた。
「えらく遅かったな」
「ごめん。もゆらとあれこれ話してて」
「もゆらと?」
真咲は、今はそれどころではないと思ったらしい、根問いしてはこなかった。
促されるまま邸内に足を踏み入れた瞬間、美葛は外よりも遙かに身に堪える寒さと共にそれを悟った。呪いの気配。この雪は間違いなく何者かが狙って降らせている。しかも悪いことに、呪いは、本当に少しずつだが屋敷の外にも広がり続けているようだ。
美葛は改めて雪雲を見上げた。屋根にのしかかるようなそれは、間近に見るといっそう薄気味悪く、地響きめいた低い唸りさえ聞こえてくるようだった。
先に聞いていた通り、降り方はそれほど激しくはない。ただし僅かでも降り止むということもまたない。
つくづく忌々しいな、と真咲が空を仰いで舌打ちをした。
「あの雲、今朝より一回りも二回りも大きくなってるんだ。どうだ美葛、やっぱり術か何かでこんなことに?」
「間違いないと思う。屋敷の中からすごく嫌な感じがする。雪世様は?」
「塗籠の中だ」
「ぬりごめ」
「母屋の西側の、周りを壁で塗り籠めた窓のない一室。雪世様はそこで寝起きしていらっしゃる。忠親様をお見送りしてからこっち、中に籠ったまま、たまにしか出ていらっしゃらない」
そんな聞くからに穴倉めいた所に一人きりで。せめて灯りを点していればいいけれど、と美葛は雪世の心を案じた。天涯孤独の身になって巣穴に一匹で籠っていた時の、胸を塞ぐ暗い気持ちを思い出さずにはいられなかった。
「真咲、雪世様にご挨拶をさせて」
「やっぱりこの雪、姫様ご本人と関わりがあるのか」
「やっぱり?」
「お見かけすることはほとんどなくても、近くに控えていれば塞いでいらっしゃることくらいは分かる。忠親様が亡くなったことに、こう、引きずられていらっしゃるような感じもあって、それが、この暗くて重たい雪の空から受ける感じとよく似てる」
真咲は真咲なりの感じ方で何かを掴み取っているようだ。
美葛は頷いて応えた。
「お会いして、確かめてみよう。妙泉尼様が御札を書いてくださったの」
美葛は懐から、どことなく無骨な陸奥国紙の札を一枚取り出してみせた。知らない者の目には字とも印とも映るものが、触れれば壊れそうな釣り合いを取りながら墨書きされている。
「呪いの源になっているものを見つけて、この御札を貼るなり何なりすれば、きっと雪は止むだろうって」
「何でもおできになる御方だなあ」
忠親が世を去った今、屋敷に残る意味などないと思い定めた者は少なくなかったらしい。あれほどいた放免たちは五人にまでその数を減らしていた。屋根の雪下ろしと庭の雪掻きに当たる彼らを横目に、美葛と真咲は屋敷へ上がり込んだ。
真咲が妻戸を閉めると、中は静けさが耳に痛いほどだった。陰気臭くなりまさった屋敷の中は蔀戸という蔀戸を下ろしてあって、まだ日は高いはずなのにほとんど夜と変わらない。
美葛は狐火を灯した。真咲が先に立って導いてくれた。
西の庇の間の一隅では、今も看督長の赤い狩衣が衣桁に掛けられ、大きく袖を広げていた。太刀も弓も、矢を入れる筒も、前に訪ねた時と同じように飾られたまま、主がいないことを除けば何も変わっていない。
塗籠の前までやってきた美葛は、更に膝でにじり寄った。枢戸に手を添えて呼びかけた。
「雪世様、雪世様、いらっしゃいますか」
いることは間違いない。衣擦れの音が微かに聞こえた。
「先の《影法師》の一件でもお目にかかりました、美葛と申します。雪世様にお話し申し上げたいことがあるのですが、入らせていただいても構いませんか?」
どうかそのままでお願いをいたしますと、か細くも丁寧な応えがあった。
雪世の声は、戸板に隔てられているとはいえあまりにも小さかった。
「父の死に接して、喪に服しております。御用の向きは、恐れ入りますが、どうか放免の誰かを捕まえてお申し付けください」
「雪世様とお会いして、目を見てお話しさせていただきたいのです」
美葛は枢戸に額を付けるようにして続けた。
「何かご不便を忍んでいらっしゃるのではありませんか? 私にお手伝いできることはありませんか?」
「お心遣い、大変かたじけなく存じます」
慇懃な礼の言葉の後に、ですが、と弱々しくも確かな撥ね付けがあった。
「これといって、困ったようなこともございません。喪中でありますれば、どうかお引き取りくださいますよう、重ねてお願い申し上げます」
雪世の頑なさは筋金入りで、宥めてみても賺してみても一向に戸を開けてはくれない。
お手上げだな、とばかりに首を振る真咲に目で合図をして、美葛は訪ねた真意を明かすことにした。
「表では、妙なことに、こちらの敷地にだけ重たい雪が降り続いております。どうかするとお屋敷がひしゃげかねないとのことで、私、実はそのことの検分をしに伺ったのです。雪世様、このままお尋ね申し上げます。こちらの止まない雪について、何かご存知ではありませんか?」
「存じません」
すぐにそう返事があった。
「検分はどうぞご随意に。ただし、私のいるこの塗籠の中にまで踏み入ることは、どうかご遠慮ください」
そんな、と喉まで出かかった声を美葛はどうにか堪えた。
真咲が隣で、この辺りが落とし所だという素振りを見せたからだ。
一つ頷いた美葛は塗籠に向かって頭を下げた。
「……それでは、お言葉に甘えて始めさせていただきます」
もゆらが教えてくれた通りに一人で都を歩けるかどうか、美葛は少々不安だった。が、いざ進み出してみると思い悩むことなどなかった。一朶の雪雲が、ある屋敷の屋根に触れそうなほど低く降りているのが遠くからでもよく分かったからだ。どう見ても尋常のものではなかった。
駆け付けると、雪に降られ続ける河内忠親の屋敷の周りには物見高い都人たちが垣を成していた。
詫びを入れつつ何とか押し通った美葛を、門前で真咲が見つけてくれた。
「えらく遅かったな」
「ごめん。もゆらとあれこれ話してて」
「もゆらと?」
真咲は、今はそれどころではないと思ったらしい、根問いしてはこなかった。
促されるまま邸内に足を踏み入れた瞬間、美葛は外よりも遙かに身に堪える寒さと共にそれを悟った。呪いの気配。この雪は間違いなく何者かが狙って降らせている。しかも悪いことに、呪いは、本当に少しずつだが屋敷の外にも広がり続けているようだ。
美葛は改めて雪雲を見上げた。屋根にのしかかるようなそれは、間近に見るといっそう薄気味悪く、地響きめいた低い唸りさえ聞こえてくるようだった。
先に聞いていた通り、降り方はそれほど激しくはない。ただし僅かでも降り止むということもまたない。
つくづく忌々しいな、と真咲が空を仰いで舌打ちをした。
「あの雲、今朝より一回りも二回りも大きくなってるんだ。どうだ美葛、やっぱり術か何かでこんなことに?」
「間違いないと思う。屋敷の中からすごく嫌な感じがする。雪世様は?」
「塗籠の中だ」
「ぬりごめ」
「母屋の西側の、周りを壁で塗り籠めた窓のない一室。雪世様はそこで寝起きしていらっしゃる。忠親様をお見送りしてからこっち、中に籠ったまま、たまにしか出ていらっしゃらない」
そんな聞くからに穴倉めいた所に一人きりで。せめて灯りを点していればいいけれど、と美葛は雪世の心を案じた。天涯孤独の身になって巣穴に一匹で籠っていた時の、胸を塞ぐ暗い気持ちを思い出さずにはいられなかった。
「真咲、雪世様にご挨拶をさせて」
「やっぱりこの雪、姫様ご本人と関わりがあるのか」
「やっぱり?」
「お見かけすることはほとんどなくても、近くに控えていれば塞いでいらっしゃることくらいは分かる。忠親様が亡くなったことに、こう、引きずられていらっしゃるような感じもあって、それが、この暗くて重たい雪の空から受ける感じとよく似てる」
真咲は真咲なりの感じ方で何かを掴み取っているようだ。
美葛は頷いて応えた。
「お会いして、確かめてみよう。妙泉尼様が御札を書いてくださったの」
美葛は懐から、どことなく無骨な陸奥国紙の札を一枚取り出してみせた。知らない者の目には字とも印とも映るものが、触れれば壊れそうな釣り合いを取りながら墨書きされている。
「呪いの源になっているものを見つけて、この御札を貼るなり何なりすれば、きっと雪は止むだろうって」
「何でもおできになる御方だなあ」
忠親が世を去った今、屋敷に残る意味などないと思い定めた者は少なくなかったらしい。あれほどいた放免たちは五人にまでその数を減らしていた。屋根の雪下ろしと庭の雪掻きに当たる彼らを横目に、美葛と真咲は屋敷へ上がり込んだ。
真咲が妻戸を閉めると、中は静けさが耳に痛いほどだった。陰気臭くなりまさった屋敷の中は蔀戸という蔀戸を下ろしてあって、まだ日は高いはずなのにほとんど夜と変わらない。
美葛は狐火を灯した。真咲が先に立って導いてくれた。
西の庇の間の一隅では、今も看督長の赤い狩衣が衣桁に掛けられ、大きく袖を広げていた。太刀も弓も、矢を入れる筒も、前に訪ねた時と同じように飾られたまま、主がいないことを除けば何も変わっていない。
塗籠の前までやってきた美葛は、更に膝でにじり寄った。枢戸に手を添えて呼びかけた。
「雪世様、雪世様、いらっしゃいますか」
いることは間違いない。衣擦れの音が微かに聞こえた。
「先の《影法師》の一件でもお目にかかりました、美葛と申します。雪世様にお話し申し上げたいことがあるのですが、入らせていただいても構いませんか?」
どうかそのままでお願いをいたしますと、か細くも丁寧な応えがあった。
雪世の声は、戸板に隔てられているとはいえあまりにも小さかった。
「父の死に接して、喪に服しております。御用の向きは、恐れ入りますが、どうか放免の誰かを捕まえてお申し付けください」
「雪世様とお会いして、目を見てお話しさせていただきたいのです」
美葛は枢戸に額を付けるようにして続けた。
「何かご不便を忍んでいらっしゃるのではありませんか? 私にお手伝いできることはありませんか?」
「お心遣い、大変かたじけなく存じます」
慇懃な礼の言葉の後に、ですが、と弱々しくも確かな撥ね付けがあった。
「これといって、困ったようなこともございません。喪中でありますれば、どうかお引き取りくださいますよう、重ねてお願い申し上げます」
雪世の頑なさは筋金入りで、宥めてみても賺してみても一向に戸を開けてはくれない。
お手上げだな、とばかりに首を振る真咲に目で合図をして、美葛は訪ねた真意を明かすことにした。
「表では、妙なことに、こちらの敷地にだけ重たい雪が降り続いております。どうかするとお屋敷がひしゃげかねないとのことで、私、実はそのことの検分をしに伺ったのです。雪世様、このままお尋ね申し上げます。こちらの止まない雪について、何かご存知ではありませんか?」
「存じません」
すぐにそう返事があった。
「検分はどうぞご随意に。ただし、私のいるこの塗籠の中にまで踏み入ることは、どうかご遠慮ください」
そんな、と喉まで出かかった声を美葛はどうにか堪えた。
真咲が隣で、この辺りが落とし所だという素振りを見せたからだ。
一つ頷いた美葛は塗籠に向かって頭を下げた。
「……それでは、お言葉に甘えて始めさせていただきます」
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