歌と狐と春の雪

夕辺歩

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誦文歌

呪術

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 改めて、美葛と真咲は薄暗い母屋の中に入った。
 決して豊かではない屋敷にそれでもあった、調度と呼べるような物たちはほとんど姿を消していた。多くは、市町で売るなどして始末されるか、郷里へ去る放免たちへの施しの料に当てられたらしい。なければ雪世が困るだろうような日用の具と、看督長かどのおさの証とも言うべき赤い狩衣かりぎぬなど、忠親ゆかりの、思い出深い品々しか残されていないと真咲が言った。
 そんな調子で、どこを見てもがらんとしているにも関わらず、主が生きていた頃よりもいっそう陰気に感じられるのは不思議なことだった。美葛には、下ろし切った蔀戸の隙間を漏れてくる外の光が、かえって屋内の暗さを際立たせるようにも見えた。
『ゆきがさね』なるまじないの何たるかを美葛も真咲も知らない。ただ、大方の所は察しがついた。かけたのは不知也なのだから歌を用いた術と見て間違いない。呪いにまつわる一首をしたためた短冊なり何なりがあって、それが屋敷のどこかに貼り付けてあるのだろう。

「多分こっちだ」

 真咲には思いついたことがあるらしかった。先に立って屋敷の東側を目指す。
 狐の鼻をもってしても覚束おぼつかないものをもう見つけたのかと、美葛は目を丸くした。

「真咲、どこに呪いの源があるか分かったの?」
「『ゆきがさね』なんだろう? 雪重ね。と名の付く品が怪しいに決まってる」

 そんな品が今この屋敷のどこにあるというのだろう。美葛にはまったくぴんと来ない。
 生前の忠親が床を延べていた、病と薬の臭いが染み付いた一間ひとまに入った。
 美葛は改めて狐火をともした。
 青白い光に、大きく袖を広げた狩衣が浮かび上がった。まるで主の帰りを待つかのようだと、美葛はひどく切なく感じた。衣を掛けてあるのは黒漆塗りの衣桁いこう。鞘に納められた太刀は太刀置きに、弓はつるを外して弓置きに置いてあった。矢筒には矢が三筋。真咲によれば帯やひとえなどが畳んで収められているという、一つだけある行李こうりの蓋は閉まっていた。
 他はきれいさっぱり何もない。それでも、真咲は自信ありげな顔付きを崩さなかった。

「『ゆきがさね』。同じ響きの言葉を重ねて意味や力を強めるってのも、やっぱり言霊だな。不知也はきっと、言葉の霊力ってやつの引き出し方や扱い方を、かなり深く飲み込んでる。歌のことについて言えば、あいつは俺よりずっと上を行くと思う。忠親様の時といい薫里の時といい、相手の思いを深く汲んで一首に表わす手際が凄い。厄介な相手だ」

 手放しに不知也を褒める真咲は、厄介とは言いながら、まんざら悪い気分でもないように見えた。
 私たちはとてもよく似ている。美葛は、いつか不知也が真咲にかけたそんな言葉を、牛車の窓から覗く白い顔と一緒に思い出した。狩衣に向かって歩み寄る真咲に後ろから問いかけた。

「立場が違えば、不知也と親しくなれた?」
「……どうだろうな。人も、人じゃないのも、歌に気持ちを揺さぶられることはあるみたいだし……。そうすると、解り合える所がなくはないって、考えたっていいのかもな」
「いやに歯切れが悪いけど、要するに?」
「親しくなれたかもしれない」

 真咲が手に取ったのは、美葛には矢筒としか思えない品だった。三筋の矢を抜いて床に横たえると、彼は右手でごそごそと中を探り始めた。

「この矢を納めておく道具。これを『ゆき』と呼ぶらしいんだな」
「え! そうなの? 矢筒じゃないの?」
「俺も都に来てから知ったんだ。毎日、学ぶことばかりだな」

 狐火にかざしたり覗き込んだりしながら靫を調べることしばし、真咲はとうとう中から一葉の短冊を引きがした。
 なるほど、そこにはいかにもこの止まない雪の源であるらしい一首がしたためられていた。

 降りしきる 雪はき世を なげくらし うずかくさぬ かたもなければ

 止まず降りしきる雪はこの辛い世の中を嘆いているのだろう。白く埋めて、隠してしまわない所は一つもないようだから。
『古今和歌六帖』に毎日のように目を通す美葛には、こうした歌の意味が以前よりもすんなり分かるようになっていた。
 の光は厚い雲に隠れ、誰一人いない庭面にわもは一面の白。明るい白ではない。そのすぐ下に世の生き辛さや苦しさを秘めた暗い白だ。美葛の脳裡に、そんな思い描くだに寒々しいけしきが浮かんだ。程度の差こそあれ、それは今この屋敷で起きていることそのものだった。
 どうみたいかはどうりたいか――。
 美葛は、いつか妙泉尼が呟いたそんな言葉を思い出した。
 やっぱりな、と真咲が言った。

「そうとは書いちゃいないが、書いてあるも同然だ。詠み手は不知也だ。忠親様の時の『宿世すくせとて』の歌の暗さに通じるものがある」
「だね。不知也は、今度は誰の心を歌に?」
「そりゃあ一人しかいないだろう。……ところで、見つけたは良いけど、こいつをこれからどうしてやればいいんだ?」
 
 真咲が指先にまんだ短冊をひらひらと揺らした。

「破ればいいのか? 呪いの道具だと思うとちょっと気が引けるな、術を解くための手順みたいなものがありそうで」
「あ、ほら、妙泉尼様から頂いた御札があるよ。貼り付けろって仰ってたやつ」
「そうだったな。試してみるか」

 懐から札を出して真咲に渡した時だった。
 影でも掴まれたような悪寒が背筋を走った。美葛は目をいて硬直した。
 真咲も遅れて気が付いたようだった。
 揃ってゆっくりと振り向いた。
 誰もいなかったはずの暗い母屋の奥に、何か動くものの気配があった。
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