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誦文歌
霊験
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その瞬間、屋敷を押し潰した堆い雪の山が淡い桜色に光って爆ぜた。
あまりの出来事に、ある放免は腰を抜かし、ある者はその場に膝をついた。合掌して神仏に祈り出す者もあった。誰の顔も明るい色に照らされているのは、雪が残らず桜の花片に変わったからだ。どうどうと強い風も逆巻き始めた。桜が舞い踊り、次第に屋敷の姿が露わになっていく。
塗籠の中で目を伏せて集中する美葛には、それらの光景を見もせずに感じ取ることができた。無数の花弁と己の霊力とが、詠んだばかりの歌を通じて繋がり合っている。
生まれて初めて味わう異様な心地だが、怖くはなかった。かえって嬉しくて仕方がなかった。何しろ、誰かが詠んだものではなく、自ら詠んだ歌を誦文歌として扱えたのだ。気持ちの入りようがまったく違った。尽きることなく湧き出す力で、このまま何でもできてしまいそうな心地がした。
ただし、今はその慢心こそが大敵だった。少しでも力を軽んじたり、粗略に扱ったり手綱を緩めたりすれば、きっと何もかも台無しになる。迸る力に心が引きずられてしまわないよう耐えるのにはかなりの胆力を要した。
何もかも白く埋めるほどの雪をすべて桜の花片に変え、吹く風に散らしてしまう。これほど膨大な力がどこからやって来るのか。自ら詠んだ歌で事に臨んだお陰かもしれない、美葛は朧げながら気が付いた。これは歌を通じて美葛と繋がった、この現世に宿る力そのものだ。大地や木々との繋がりが今ほど深く感じられたことはなかった。
辺り一帯、河内家を中心にしておよそ三町かそれ以上、己の気力が及ぶ限りにおいてすべてが思いのまま。もしも普段の美葛であれば、このとんでもない事の運びに恐れおののき、すぐに術を放り出していただろう。そうせずに済んでいるのは、真咲が立ち尽くしているのが見えたからだった。
真咲は唇を引き結んで屋敷の方を向いていた。逆巻く風と桜の花片から身を守ろうともせずにいた。起きていることのすべてを心に刻もうとするような、そんな強い気持ちが感じられる眼差し。真咲はきっと、目の前の出来事が美葛の力によるものであることに気付いている。見守り、心で励ましてくれている。その頼もしさに、美葛はまた気持ちが昂ぶるのを感じた。
「……美葛殿! 美葛殿!」
雪世の声に目を開けた美葛は、ようやく塗籠の中に返ってきた心地がした。溢れる力のせいなのか、美葛の身体は無数の狐火に照らされていた。
少々ならず怯えてはいたが、雪世は青白い光を放つ美葛の姿を前にしても逃げようとしてはいなかった。目が合うと小さく頷いた。美葛も頷き返した。
「雪世様、そのまま、じっとしていてくださいね」
言い置いて、美葛は更に力を高めていく。春の目覚めに備えて地の底で眠っている木々の力を捉え、さあ起きなさいと強く念じた。あれよと言う間に床板の隙間から様々な緑が芽吹き、新芽はたちまち若木となり、見上げるほど伸び上がり始めた。
茨の術に落ちた薫里が大地と木々に働きかけたことを、美葛は覚えていたのだった。後から後から伸びていく草木が屋根につっかえ、傾いでいたのを持ち上げ、とうとうそのまま突き破った。塗籠に桜色の光が差した。
「綺麗……」
呆然と呟く雪世の、伸び上がり続ける緑を見上げる顔もまた光に照らされた。
美葛はようやく心からの安堵を覚えた。
そこで初めて、張り詰めていた力を抜いた。
一度高まったあらゆるものがそうであるように、辺りに満ちていた美葛の力もみるみる萎み始めた。
風が勢いをなくし、花片が地に舞い落ちる。木々が伸びるのを止め、葉擦れのざわめきが静まった。
美葛も、それにつれて気が遠くなっていくのを感じた。
「美葛殿!」
すぐ側にいる雪世の叫び声さえ、どこか遠く感じられた。
深い深い、あまりにも深い満足の中で、美葛は仰向けに倒れながらゆっくりと目を閉じた。
あまりの出来事に、ある放免は腰を抜かし、ある者はその場に膝をついた。合掌して神仏に祈り出す者もあった。誰の顔も明るい色に照らされているのは、雪が残らず桜の花片に変わったからだ。どうどうと強い風も逆巻き始めた。桜が舞い踊り、次第に屋敷の姿が露わになっていく。
塗籠の中で目を伏せて集中する美葛には、それらの光景を見もせずに感じ取ることができた。無数の花弁と己の霊力とが、詠んだばかりの歌を通じて繋がり合っている。
生まれて初めて味わう異様な心地だが、怖くはなかった。かえって嬉しくて仕方がなかった。何しろ、誰かが詠んだものではなく、自ら詠んだ歌を誦文歌として扱えたのだ。気持ちの入りようがまったく違った。尽きることなく湧き出す力で、このまま何でもできてしまいそうな心地がした。
ただし、今はその慢心こそが大敵だった。少しでも力を軽んじたり、粗略に扱ったり手綱を緩めたりすれば、きっと何もかも台無しになる。迸る力に心が引きずられてしまわないよう耐えるのにはかなりの胆力を要した。
何もかも白く埋めるほどの雪をすべて桜の花片に変え、吹く風に散らしてしまう。これほど膨大な力がどこからやって来るのか。自ら詠んだ歌で事に臨んだお陰かもしれない、美葛は朧げながら気が付いた。これは歌を通じて美葛と繋がった、この現世に宿る力そのものだ。大地や木々との繋がりが今ほど深く感じられたことはなかった。
辺り一帯、河内家を中心にしておよそ三町かそれ以上、己の気力が及ぶ限りにおいてすべてが思いのまま。もしも普段の美葛であれば、このとんでもない事の運びに恐れおののき、すぐに術を放り出していただろう。そうせずに済んでいるのは、真咲が立ち尽くしているのが見えたからだった。
真咲は唇を引き結んで屋敷の方を向いていた。逆巻く風と桜の花片から身を守ろうともせずにいた。起きていることのすべてを心に刻もうとするような、そんな強い気持ちが感じられる眼差し。真咲はきっと、目の前の出来事が美葛の力によるものであることに気付いている。見守り、心で励ましてくれている。その頼もしさに、美葛はまた気持ちが昂ぶるのを感じた。
「……美葛殿! 美葛殿!」
雪世の声に目を開けた美葛は、ようやく塗籠の中に返ってきた心地がした。溢れる力のせいなのか、美葛の身体は無数の狐火に照らされていた。
少々ならず怯えてはいたが、雪世は青白い光を放つ美葛の姿を前にしても逃げようとしてはいなかった。目が合うと小さく頷いた。美葛も頷き返した。
「雪世様、そのまま、じっとしていてくださいね」
言い置いて、美葛は更に力を高めていく。春の目覚めに備えて地の底で眠っている木々の力を捉え、さあ起きなさいと強く念じた。あれよと言う間に床板の隙間から様々な緑が芽吹き、新芽はたちまち若木となり、見上げるほど伸び上がり始めた。
茨の術に落ちた薫里が大地と木々に働きかけたことを、美葛は覚えていたのだった。後から後から伸びていく草木が屋根につっかえ、傾いでいたのを持ち上げ、とうとうそのまま突き破った。塗籠に桜色の光が差した。
「綺麗……」
呆然と呟く雪世の、伸び上がり続ける緑を見上げる顔もまた光に照らされた。
美葛はようやく心からの安堵を覚えた。
そこで初めて、張り詰めていた力を抜いた。
一度高まったあらゆるものがそうであるように、辺りに満ちていた美葛の力もみるみる萎み始めた。
風が勢いをなくし、花片が地に舞い落ちる。木々が伸びるのを止め、葉擦れのざわめきが静まった。
美葛も、それにつれて気が遠くなっていくのを感じた。
「美葛殿!」
すぐ側にいる雪世の叫び声さえ、どこか遠く感じられた。
深い深い、あまりにも深い満足の中で、美葛は仰向けに倒れながらゆっくりと目を閉じた。
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