36 / 129
本編
35:アルフレッドは堕ちている自覚がない(3)
暖かな陽気のなか、鳥の形に見える雲がゆっくりと青空を旅している。
アルフレッドはあの空の向こうにいるエミリアに心の中で誓った。
(大丈夫。私には君だけだから)
前を歩くシャロンが「早く」と振り返る。
動くたびに揺れるワンピースのプリーツが上品な大人の女性の姿を演出しているのに、高い位置で結われた艶のある黒髪は揺れるだびに純真無垢な少女の姿を演出している。
そのアンバランスな少女とも女性とも言えない彼女にアルフレッドが心を惹かれているのは間違いない。
だが、いくらシャロンが可愛くて良い子であろうと、妻として愛するわけにはいかない。愛してはいけない。
アルフレッドはそう自分に言い聞かせた。
いつの間にか『愛せない』から『愛してはいけない』に変わっていることに気づいていない彼は、少し早足でシャロンの横に並んだ。
「あ、そういえば、一つお願いがあるんですけど」
シャロンは思い出したようにパンと手を叩き、隣を歩くアルフレッドを見上げる。
「なんでも言ってごらんと言いたいところだけど、虫の飼育はちょっと…」
青い顔で「実は虫が苦手なんだ」と話す彼に、シャロンは「違いますよ」と返す。
(虫苦手なのか…)
これは時間をかけても虫の飼育は無理そうだ。交渉するのはマウスだけにしておこうとシャロンは心に誓った。
「そうじゃなくて、公爵様の呼び方を変えたいなと思いまして」
「え?呼び方?」
「はい。ずっと『公爵様』とお呼びするのもどうかと思いまして…」
先程シノアに耳打ちされたのだ。
『旦那様の呼び方をもっと親しみのある呼び方に変えてあげてほしい』と。
確かに、仮にも夫である人間をずっと『公爵様』と爵位で呼ぶのはいかがなものかと、シャロンも思ったので提案した次第である。
「そ、そうだね。『公爵様』はちょっと距離を感じるしね、うん」
シャロンからの思わぬ提案に、アルフレッドは自然と顔がにやけてしまう。
「では…、親しみを込めて…」
少し俯いて言いづらそうに、手元をいじるシャロン。
「だ、旦那様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
意を決したように顔をあげた彼女は、確かに『旦那様』と言った。
「…だ、だんなさま」
親しみをこめた呼び名がまさかの『旦那様』。どの辺に親しみがこもっているのだろうか。
「馴れ馴れしすぎましたか?」
「いや、むしろもう少し馴れ馴れしい呼び方を期待していた」
アルフレッドはガクッと肩を落とした。
なぜ彼が残念そうにしているのかわからないシャロンは、キョトンと首を傾げる。
アルフレッドはその顔がなんだか腹立たしくて、彼女の頬をムニッと掴んだ。
「にゃにするんでふか」
思いの外伸びる柔らかい頬に、アルフレッドはフッと笑みをこぼした。
「リスみたいだ」
「はにゃしてください」
シャロンは仕返しと言わんばかりに、少し背伸びをして、アルフレッドの頬を掴んだ。
その冷たくて柔らかい手の感触に驚き、彼は思わずシャロンの頬から手を離してしまった。
「仕返しです」
ニカっと悪戯をする子どものような笑みを浮かべて、アルフレッドの頬を引っ張るシャロン。
間違いなく自分に向けられたその笑顔に、彼の心臓はどくんと跳ねた。
自分の頬を掴む彼女の手に自分の手を重ねると、そのまま少し屈み、彼女に自分の顔を近づける。
その時…。
「旦那様。後ろにデニスがおりますぞ」
背後から初老の庭師の声がした。
その声にアルフレッドはハッと我に帰った。
「旦那様?」
首を傾げるシャロンの顔を見て、アルフレッドの体温は一気に上がった。
「ご、ごめん!」
あと数秒遅かったら間違いなくシャロンに口付けていた。
夫婦なのだからなんの問題もないのだが、ついさっき雲の向こうにいるエミリアに誓ったばかりだ。
アルフレッドはいたたまれなくなり、またしても光の速さでその場を走り去ってしまった。
「行っちゃった。やっぱり変な人だわ」
「奥様。奥様は先程の旦那様の行動に何か思うことはないのですか?
「え?別に…」
デニスは主人の行動の意図が何ひとつ伝わっていない後妻に残念なものを見るような視線を向けた。
その後シャロンとデニスは、お茶を運んできたセバスチャンと共に、温室でのお茶の時間を楽しんだ。
アルフレッドはあの空の向こうにいるエミリアに心の中で誓った。
(大丈夫。私には君だけだから)
前を歩くシャロンが「早く」と振り返る。
動くたびに揺れるワンピースのプリーツが上品な大人の女性の姿を演出しているのに、高い位置で結われた艶のある黒髪は揺れるだびに純真無垢な少女の姿を演出している。
そのアンバランスな少女とも女性とも言えない彼女にアルフレッドが心を惹かれているのは間違いない。
だが、いくらシャロンが可愛くて良い子であろうと、妻として愛するわけにはいかない。愛してはいけない。
アルフレッドはそう自分に言い聞かせた。
いつの間にか『愛せない』から『愛してはいけない』に変わっていることに気づいていない彼は、少し早足でシャロンの横に並んだ。
「あ、そういえば、一つお願いがあるんですけど」
シャロンは思い出したようにパンと手を叩き、隣を歩くアルフレッドを見上げる。
「なんでも言ってごらんと言いたいところだけど、虫の飼育はちょっと…」
青い顔で「実は虫が苦手なんだ」と話す彼に、シャロンは「違いますよ」と返す。
(虫苦手なのか…)
これは時間をかけても虫の飼育は無理そうだ。交渉するのはマウスだけにしておこうとシャロンは心に誓った。
「そうじゃなくて、公爵様の呼び方を変えたいなと思いまして」
「え?呼び方?」
「はい。ずっと『公爵様』とお呼びするのもどうかと思いまして…」
先程シノアに耳打ちされたのだ。
『旦那様の呼び方をもっと親しみのある呼び方に変えてあげてほしい』と。
確かに、仮にも夫である人間をずっと『公爵様』と爵位で呼ぶのはいかがなものかと、シャロンも思ったので提案した次第である。
「そ、そうだね。『公爵様』はちょっと距離を感じるしね、うん」
シャロンからの思わぬ提案に、アルフレッドは自然と顔がにやけてしまう。
「では…、親しみを込めて…」
少し俯いて言いづらそうに、手元をいじるシャロン。
「だ、旦那様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
意を決したように顔をあげた彼女は、確かに『旦那様』と言った。
「…だ、だんなさま」
親しみをこめた呼び名がまさかの『旦那様』。どの辺に親しみがこもっているのだろうか。
「馴れ馴れしすぎましたか?」
「いや、むしろもう少し馴れ馴れしい呼び方を期待していた」
アルフレッドはガクッと肩を落とした。
なぜ彼が残念そうにしているのかわからないシャロンは、キョトンと首を傾げる。
アルフレッドはその顔がなんだか腹立たしくて、彼女の頬をムニッと掴んだ。
「にゃにするんでふか」
思いの外伸びる柔らかい頬に、アルフレッドはフッと笑みをこぼした。
「リスみたいだ」
「はにゃしてください」
シャロンは仕返しと言わんばかりに、少し背伸びをして、アルフレッドの頬を掴んだ。
その冷たくて柔らかい手の感触に驚き、彼は思わずシャロンの頬から手を離してしまった。
「仕返しです」
ニカっと悪戯をする子どものような笑みを浮かべて、アルフレッドの頬を引っ張るシャロン。
間違いなく自分に向けられたその笑顔に、彼の心臓はどくんと跳ねた。
自分の頬を掴む彼女の手に自分の手を重ねると、そのまま少し屈み、彼女に自分の顔を近づける。
その時…。
「旦那様。後ろにデニスがおりますぞ」
背後から初老の庭師の声がした。
その声にアルフレッドはハッと我に帰った。
「旦那様?」
首を傾げるシャロンの顔を見て、アルフレッドの体温は一気に上がった。
「ご、ごめん!」
あと数秒遅かったら間違いなくシャロンに口付けていた。
夫婦なのだからなんの問題もないのだが、ついさっき雲の向こうにいるエミリアに誓ったばかりだ。
アルフレッドはいたたまれなくなり、またしても光の速さでその場を走り去ってしまった。
「行っちゃった。やっぱり変な人だわ」
「奥様。奥様は先程の旦那様の行動に何か思うことはないのですか?
「え?別に…」
デニスは主人の行動の意図が何ひとつ伝わっていない後妻に残念なものを見るような視線を向けた。
その後シャロンとデニスは、お茶を運んできたセバスチャンと共に、温室でのお茶の時間を楽しんだ。
あなたにおすすめの小説
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
逆行転生、一度目の人生で婚姻を誓い合った王子は私を陥れた双子の妹を選んだので、二度目は最初から妹へ王子を譲りたいと思います。
みゅー
恋愛
アリエルは幼い頃に婚姻の約束をした王太子殿下に舞踏会で会えることを誰よりも待ち望んでいた。
ところが久しぶりに会った王太子殿下はなぜかアリエルを邪険に扱った挙げ句、双子の妹であるアラベルを選んだのだった。
失意のうちに過ごしているアリエルをさらに災難が襲う。思いもよらぬ人物に陥れられ国宝である『ティアドロップ・オブ・ザ・ムーン』の窃盗の罪を着せられアリエルは疑いを晴らすことができずに処刑されてしまうのだった。
ところが、気がつけば自分の部屋のベッドの上にいた。
こうして逆行転生したアリエルは、自身の処刑回避のため王太子殿下との婚約を避けることに決めたのだが、なぜか王太子殿下はアリエルに関心をよせ……。
二人が一度は失った信頼を取り戻し、心を近づけてゆく恋愛ストーリー。
病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで
あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。
怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。
……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。
***
『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
結婚5年目の仮面夫婦ですが、そろそろ限界のようです!?
宮永レン
恋愛
没落したアルブレヒト伯爵家を援助すると声をかけてきたのは、成り上がり貴族と呼ばれるヴィルジール・シリングス子爵。援助の条件とは一人娘のミネットを妻にすること。
ミネットは形だけの結婚を申し出るが、ヴィルジールからは仕事に支障が出ると困るので外では仲の良い夫婦を演じてほしいと告げられる。
仮面夫婦としての生活を続けるうちに二人の心には変化が生まれるが……
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。