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本編
36:動き出す歯車(1)
夜会からふた月ほど経った頃、公には伏せられているが、王が病に倒れたらしい。シャロンの父であるジルフォード侯爵は王とともに東の離宮に篭り、つきっきりで看病しているそうだ。
王の容体は側近達にも伏せられているようで、息子であるヘンリーすらも王の様子を窺い知ることはできていない。
(何とも不可解だ)
確かに王の体調不良を公にすると混乱を招く可能性がある。だが、なぜ王太子であるヘンリーにまで容体を隠さねばならないのか。
わざわざ建物が老朽化しているという東の区画の先にある、人が寄り付かないような離宮で静養する意味は何なのか。
理由がわからない。
ベストなタイミングで給仕される朝食を眺めながらシャロンは悶々としていた。
「ごめんね、シャロン。3日ほど帰れそうにない…」
アルフレッドは手に持っていたナイフを置いて、ふうっと小さく息を吐く。そして眠気を紛らわすように眉間を指で抑えた。
一向に進展しない捜査への苛立ちと、ここ最近の王の代わりに公務を務めるヘンリーの護衛で家を空ける事が多くなった彼は、かなりお疲れ気味だった。
(私は特に問題ありませんけれど…)
夫の不在を特になんとも思っていないシャロンは心の中で呟いた。
「…何か力になれる事はありませんか?」
あの夜会以降、度々城を訪れては捜査に協力していたシャロンは、暗に王城への動向を申し出た。だが、
「ありがとう。とりあえず、今はこの前渡した被害者リストから何か気になることがあれば言って欲しい」
と、アルフレッドは彼女の申し出をやんわりと断った。
王の不調という混乱の中、妻を王宮へ連れて行き、守り抜ける自信が彼にはなかったのだ。
シャロンは少ししょんぼりとした様子で、スカートのポケットから小さな布袋を取り出し、それをアルフレッドの前へと差しだす。
「これは?」
「ラベンダーのポプリです。気休めかもしれませんが、ラベンダーの香りは心を落ち着かせる効果がありますので…」
「そうか。ありがとう」
自分の体調を思って自分のために作ってくれたことが嬉しくて、アルフレッドはその布袋をぎゅっと握りしめた。
しかし…。
「よければ妃殿下とお付きの方に渡してあげてください」
「…え?」
妃殿下に、というシャロンをアルフレッドは間抜けな顔で見る。
シャロンはそんな彼の表情の変化に気づくことなく続けた。
「この間、妃殿下が中々眠れていないのだと王太子殿下が仰っていらしたので作ってみたのです」
「そ、そうか。渡して…おくよ…」
とんだ勘違いにアルフレッドは、恥ずかしさで指先から徐々に体温が高くなるのを感じた。
何度シャロンに期待して恥をかけば覚えるのか。
後ろに控えるセバスチャンは額を抑えた。
「あ、旦那様にはこちらをご用意しました」
シャロンはシノアに目配せする。
すると彼女はグラスに入った薄桃色の飲み物を主人の前に置いた。
「こ、これは…」
「栄養ドリンクです。これを飲めば元気が出ますよ」
少し苦味はありますが、というシャロンの忠告も聞かずに、今度こそ自分のために用意されたことが嬉しいアルフレッドはそれを一気に飲み干した。
「に…」
「に?」
「にっっっが!?」
「だから苦いって言ったじゃないですか」
「いやいやいや、限度があるだろう!?人殺せるくらい苦いぞ!これ!」
「人を殺すときは寧ろ飲み干せるように甘く作ります」
何とも言えない苦みに悶絶するアルフレッドに、シャロンは物騒なことを口走りつつ水を差し出す。
アルフレッドはそれをすぐさま喉に流し込んだ。
「一気飲みするものではなかったんですけど…」
「できればそういうことは先に言って欲しい」
「言おうとしたら先に飲み干したのは旦那様です」
「そういえばそうだった…」
テーブルに項垂れるアルフレッド。
セバスチャンがお行儀が悪いですよの意を込めて咳払いするが、無視された。仕方なくセバスチャンは扉付近に控えるシノアに視線を送る。
シノアはセバスチャンからの視線を受け取り、シャロンにそっと耳打ちした。
シャロンは首を傾げながらも、言われた通りアルフレッドに声をかけた。
「お口直しに、イチゴ食べますか?」
「食べる…」
アルフレッドが顔を起こすと、フォークに突き刺さされたイチゴを自分の方に向けるシャロンの姿があった。
「…へ?」
「旦那様、あーん」
恥ずかしげもなくイチゴを食べさせようとしてくる可愛い後妻。
アルフレッドは何とも言えない感情に襲われつつも、言われるがままに口を開けた。
「あーん」
ぱくっと口に含んだイチゴを咀嚼する。気のせいだろうか、いつもより甘い。
「美味しいですか?」
「…おいしい」
よかったと少しだけ柔らかい表情で言うシャロンと、そばに控えるニヤニヤとした笑みを浮かべる使用人達。
王宮は戦場だが公爵邸は今朝も平和だった。
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