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32:幼馴染の変化
しおりを挟む翌日の昼過ぎ。真上に登る太陽の下、ジェレミーとの約束通りに城を訪れたリリアンは、西門まで迎えに来たベルンハルトに怪訝な目を向けた。
騎士らしく、馬車から降りようとするリリアンに手を差し伸べる彼の微笑みが、人好きのする優しい笑みなのに何処か不気味だったからだ。
「久しぶりね、ベルン」
「ああ、久しぶり。リリー」
「出来ればハイネ嬢と呼んでほしいわね。私は貴方の幼馴染だけれど、ジェレミー殿下の婚約者でもあるのだから。この間も指摘されたでしょう?」
「ジェレミー殿下の前では呼ぶなと言われただけだよ。それにしても、ヨハネス殿下と婚約している時はそんなこと言わなかったのに……。ああ、束縛されてるんだね。可哀想なリリー」
「そんなんじゃないわ。その言い方は不快だからやめて。それよりクライン卿は? ジェレミーが来られない時は、いつも彼が来るのだけど」
「クライン卿は別件で城をあけているんです」
「そう……」
「僕じゃ不満?」
「そういうわけじゃないけど、見慣れなくて緊張するわ。ベルンの騎士服」
「大丈夫、すぐになれるよ。さあ、行こう?」
「う、うん……」
騎士になったからなのか、いつもよりも紳士的な振る舞いをするベルンハルトに居心地の悪さを感じつつも、リリアンは大人しくベルンハルトの手を取った。
ベルンハルトに案内されたのはリリアン専用に改装された第二王子宮で一番大きな応接室……、ではなく、普段は使わない応接室だった。装飾品などは特に飾っておらず、一般的な応接セットしか置いていないような、質素な部屋だ。
ベルンハルトはリリアンを部屋の中に案内するや否や、鍵を閉めた。
カチャっという音に驚いたリリアンが振り向くと、そこには変わらず不気味なほどに爽やかな笑顔を貼り付けた彼がいた。
リリアンは本能的に身構える。
「嘘をついたわね?」
「まあね」
「頼まれてもないのに勝手にジェレミーの名を騙るのは不敬よ」
「だって仕方がないだろう? ジェレミー殿下は僕が君に近づくことを許さないのだし、こうでもしないと君と話もできないじゃないか」
「話? ジェレミー殿下は私が頼めば貴方と話す場くらい用意してくれるわ。わざわざこんな事をしなくても良いのよ」
「それだと殿下の目があるじゃないか。殿下と君のことについて、君に忠告したいんだよ」
ベルンハルトは本当に心配しているような顔をして、リリアンに一歩近づいた。
すると、リリアンは一歩後ろに下がる。これは無意識的な防衛本能。
3年会っていなかったせいだろうか。目の前にいる幼馴染が、リリアンには何だか別人に見えて怖いのだ。
3年前までのベルンハルトは、リリアンに少し強い口調で言い返されただけで押し黙ってしまうほどに気弱だった。表情だって、いつもの不貞腐れたような顔をしていたし、笑う時は大きく口を開けて笑う人だった。
だからこんなに紳士的な微笑みを浮かべることも、リリアンの言葉に吃ることなく言い返すのも、彼女からすればベルンハルトらしくないように思える。
3年のうちに変わってしまったということなのか。リリアンは難しい顔をした。そんな彼女にベルンハルトは肩をすくめる。
「どうしてそう警戒するの? 幼馴染じゃないか」
「……幼馴染だろうと、今の私はジェレミー殿下の婚約者なの。密室で他の男と二人きりなんて外聞の悪い状況で、警戒しないわけないでしょ」
これはヨハネスの時も気をつけていたことだ。そう言って鋭く睨むリリアンを、ベルンハルトは鼻で笑った。
「婚約者、ねえ……。本当にあの男と婚約して幸せになれると思ってるの?」
「……何ですって?」
ジェレミーのことを『あの男』呼ばわりするベルンハルトに、リリアンは目を見開いた。これは紛れもなく不敬だ。
「貴方、そんな無礼な人だったかしら」
「ねえ、リリアン。僕は心配なんだよ。第二皇子は皇帝陛下の血を引いていないんだよ? そんな人に嫁ぐなんて、君が可哀想だ」
「口を慎みなさい、ベルン」
「君は知らないかもしれないけど、あの男は血も涙もないやつなんだ。討伐に行って負傷した騎士を助けることをせず、狂気に満ちた笑顔で魔獣を切り刻んでいたこともあるらしい。血に飢えているんだよ。悪魔だ」
「負傷した騎士がいるのなら、代わりに彼が前に出るのは当たり前のことでしょう。魔獣の群れにとって騎士の負傷など関係ないわけだし、血の匂いに誘われて数はもっと増えるもの。討伐に行ったことがないくせにそんなこと言わないで」
リリアンは口調を強めた。彼女の低い声色は荒くれ者を統括するハイネ公爵とよく似ていて、普通の人ならピンと背筋が伸びるか、もしくは恐怖のあまり先手を打ち、謝るかだ。
しかし、ベルンハルトは眉尻を下げ、困ったように笑う。まるで聞き分けのない子どもに手を焼いている母親のような、そんな表情だ。
「じゃあ、これは知っているかい? あの男、ずっとリリアンの絵をパパラッチから買っていたそうだよ? まるでストーカーだね」
「ベルン、やめなさい。それ以上言うと本当に怒るわよ」
「それに、等身大の女の人形と銀の長髪のカツラを買ったらしい。それでナニしていたんだろうね。気持ち悪いよ」
「気持ち悪いのは貴方よ、ベルンハルト。どうしてそんな事を言うの?」
「ねえ、リリアン。あの男は普通じゃないんだ。だから君には相応しくない。今からでもヨハネス殿下の元に戻ったほうがいい」
「貴方に指図される謂れはないわ。もしかして、ヨハネス殿下の派閥の人から何か支持された? それともイライザ・ミュラーに何か吹き込まれた?」
「いいや? 僕が幼馴染として君の幸せを願っているから忠告しているんだ。僕は君にとって家族も同然だろう? 家族の忠告は素直に聞いたほうがいい。それに、公爵邸の使用人たちもみんなジェレミー殿下は君にふさわしくないって言っているんだろ? きっと母上だって本当はヨハネス殿下とヨリを戻してほしいと思っているはずさ」
「……え? 今、なんて?」
「母上もヨハネス殿下の方が良いと言っているって言ったんだ。母上は君を本当の娘のように思っている。だから君の幸せのためにも……、ね?」
ベルンハルトは困惑の表情で自分を見つめるリリアンの髪にそっと触れると、彼はそれが君のためだと言った。
リリアンはフッと乾いた笑みをこぼすと、彼の手を払い除けた。
「……本当に、誰に何を言われたの?」
ここまでベルンハルトがジェレミーとリリアンの関係に踏み込んでくるのには理由がありそうだ。もし第一皇子の派閥、師匠のイライザに何か吹き込まれたのだとしたら、早々にベルンハルトを矯正せねばならない。
いろいろと面倒なことになりそうだとリリアンは思った。
「どうやっても僕の忠告を聞いてくれないの?」
「心から私を心配しているから故の忠告なら、胸な留めておいてやらないこともないわ」
このただの悪口に近い忠告を、本当に心から心配して言っているのなら、リリアンだってちゃんと耳を傾ける。でも、言葉の節々からそうじゃないと伝わるからリリアンは彼の忠告を聞いてやるつもりはない。
リリアンの強気な態度に、これ以上は無駄だと思ったのか、ベルンハルトはため息をこぼした。
「……わかった。今はそれだけで十分だよ。ありがとう」
「もう話は終わり?」
「うん。とりあえずは」
「じゃあ、私はもう行くから」
「ごめんね、強引に連れてきて」
「本当よ。二度としないで」
「ははっ。わかったよ。ごめん」
「……じゃあ、また」
「うん、また」
リリアンはドアノブに手をかけ、ベルンハルトをジッと見つめた。
爽やかな笑顔で手を振る彼におかしなところはない。だが……。
(なんだろう、この感じ。……気持ち悪い)
騎士になったから変わってしまったのだろうか。
そんな簡単に人は変わるのだろうか。
ベルンハルトに対する違和感を抱えたまま、リリアンはもういいでしょう、と彼に背を向けて部屋を出た。
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