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第二部
9:ジャスパーと画家のブライアン
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ぐっすりと眠ってしまったモニカを起こしに、再び部屋にやってきたブライアンはカーテンを開けた。
40分くらいは眠れただろうか。
「おい、起きろモニカ。髪食ってる」
ブライアンはスースーと気持ちよさそうに寝息を立てる彼女に近づくと、顔にかかった髪に触れる。
よだれを垂らして熟睡する姿はとても高貴な身の上とは思えない寝姿に彼はクスッと笑みをこぼした。
「触らないでもらえます?」
「……」
ブライアンは背後から聞こえた地を這うようなドスの聞いた声に思わず体をこわばらせた。
「…音もなく入ってくるな」
「一応チャイムは鳴らしましたよ」
「…聞こえなかった」
振り返ると、そこにいたのはモニカの騎士ジャスパー。
ドア枠にもたれかかり、腕を組んだ彼は恨めしそうな顔でこちらを見ていた。
「…俺はモニカのことをそういう目では見てない。わかってるだろ?」
ブライアンは何もしていないことを証明するかのように両手を上げると、すっとモニカから離れる。
するとジャスパーは彼と入れ替わるように彼女の近くにやってきた。
「…わかってますよ。ブライアンさんがアトリエの一室をノア様の絵で埋め尽くすくらいにノア様しか見てないことくらい」
「なっ!?何で知ってるんだよ!」
「少しだけドアが開いてたんで見えました。ノア様の絵を描かないのは、描かないのではなくモデルがいなくても描けてしまうだけだったんですね」
「う、ううううるせぇ!」
顔を真っ赤にしたブライアンはすぐさま廊下に出て、例の部屋の扉を閉めた。
誰にも秘密にしていた部屋を知られたことに、動悸がおさまらない。
そんな彼の姿にフッと乾いた笑みをこぼしたジャスパーは寝息を立てるモニカを軽々と抱き上げる。
「このまま連れて帰ります」
「起こせばいいだろうに」
「なんだか最近眠れていないようでしたので」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「誰のせいなんですか?」
キョトンと首を傾げるジャスパーにブライアンは怪訝な顔をした。
「誰のせいってお前のせいだろ。この浮気者が」
「浮気?」
心当たりがないのか、ジャスパーは眉間に皺を寄せて右斜め上を見て考え込む。
そんな彼にブライアンはモニカには悪いと思いつつも、この間、見たことのない女と仲睦まじく歩いている姿を目撃したことを伝えた。
「見たことない女?」
「泣きぼくろの南部系の顔の」
「ああ、彼女ですか」
「誰だよあれ」
「友人です。ちょっと買い物に付き合ってもらっていただけですよ」
鋭い目つきで睨みつけてくるブライアンに対し、ジャスパーはしれっとそう言った。
大事な買い物だったので、目利きの良い人に選んでもらいたかったのだと彼は語る。
「友人にしては距離が近かったと思うが?」
「夜のお店の女性なので、スキンシップは激しめなんです」
自分も困っているのだと、ジャスパーは肩をすくめた。
嘘くさい、とブライアンは思う。
「その顔は信じていませんね?」
「一ミリも信じていない」
「酷いなぁ」
「お前がモニカを想ってることは理解しているし、多分本命はモニカなんだろうが、なんかチャラいから、火遊び程度に浮気しそうだとは常々思っていた」
「俺って信用ないんですね」
「当たり前だろ。素行の悪さは聞いているからな」
「心外だなぁ。俺は例えば、姫様がこうして他の男と2人きりでいることも、他の男に触られることも、平然と公爵夫人としてノア様の横に立つことも全部許せないくらいに姫様のことを思っているのに」
どこに他所の女が入る隙間があるというのか、と彼は笑う。
その笑みに、ブライアンは何故だか悪寒が走った。
「…お前、ちょっと怖い」
「最近よく言われます」
危険な香りがするというブライアンの認識は間違っていなかったようだ。
「あ、もしかして、姫様って何か誤解してます?」
「してる」
「マジか」
「結構悩んでるぞ」
「…そうか、それで最近よそよそしかったのか」
ジャスパーは腕の中で眠るモニカに視線を落とすと、うっすらと口角を上げた。
そんな彼の一瞬の変化にブライアンは顔を顰める。
「嫉妬されて嬉しそうな顔してる男は信用ならない」
「嬉しくならない男なんています?」
「俺は少なくとも嬉しくはならないし、もし相手が自分が嫉妬していることに対して嬉しそうな顔をするのなら往復ビンタする」
「なるほど。では、ノア様にそう伝えておきますね」
「余計なことすんな。そういうことを言ってるんじゃないんだよ。不安にさせるようことをするなってことだ」
「不安にさせてるつもりはなかったんですけど…」
以後気をつけますと言って、ジャスパーは困ったように眉尻を下げた。
「では、失礼しますね」
「あ!まって、モデル代渡すから」
ブライアンは引き出しから茶封筒を出すと、それをジャスパーに渡した。
そして気まずそうに目を伏せつつも言葉を紡ぐ。
「…あ、あんまりモニカを責めるなよ。誤解したこととか、その、俺がはじめに浮気だとか言ったから。だからモニカは悪くない」
誤解して悪かったと、ブライアンは頭を下げた。
口は悪いが素直に謝れる奴だ。だからノアもモニカも彼が好きなのだろう。ジャスパーはそう感じた。
「大丈夫ですよ。わかっていますから。それに、姫様には今後2度と誤解なんてできないくらいに俺の愛を伝えようと思いますので」
ジャスパーはニッコリと微笑み、そう言い残してアトリエを出た。
「あ、後でノアに連絡しよう…」
不安にさせてしまったからと言って、その重い愛を全てモニカにぶつけられてもそれはそれで彼女の身が持たない。
ブライアンはその後すぐに速達で手紙を出した。
40分くらいは眠れただろうか。
「おい、起きろモニカ。髪食ってる」
ブライアンはスースーと気持ちよさそうに寝息を立てる彼女に近づくと、顔にかかった髪に触れる。
よだれを垂らして熟睡する姿はとても高貴な身の上とは思えない寝姿に彼はクスッと笑みをこぼした。
「触らないでもらえます?」
「……」
ブライアンは背後から聞こえた地を這うようなドスの聞いた声に思わず体をこわばらせた。
「…音もなく入ってくるな」
「一応チャイムは鳴らしましたよ」
「…聞こえなかった」
振り返ると、そこにいたのはモニカの騎士ジャスパー。
ドア枠にもたれかかり、腕を組んだ彼は恨めしそうな顔でこちらを見ていた。
「…俺はモニカのことをそういう目では見てない。わかってるだろ?」
ブライアンは何もしていないことを証明するかのように両手を上げると、すっとモニカから離れる。
するとジャスパーは彼と入れ替わるように彼女の近くにやってきた。
「…わかってますよ。ブライアンさんがアトリエの一室をノア様の絵で埋め尽くすくらいにノア様しか見てないことくらい」
「なっ!?何で知ってるんだよ!」
「少しだけドアが開いてたんで見えました。ノア様の絵を描かないのは、描かないのではなくモデルがいなくても描けてしまうだけだったんですね」
「う、ううううるせぇ!」
顔を真っ赤にしたブライアンはすぐさま廊下に出て、例の部屋の扉を閉めた。
誰にも秘密にしていた部屋を知られたことに、動悸がおさまらない。
そんな彼の姿にフッと乾いた笑みをこぼしたジャスパーは寝息を立てるモニカを軽々と抱き上げる。
「このまま連れて帰ります」
「起こせばいいだろうに」
「なんだか最近眠れていないようでしたので」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「誰のせいなんですか?」
キョトンと首を傾げるジャスパーにブライアンは怪訝な顔をした。
「誰のせいってお前のせいだろ。この浮気者が」
「浮気?」
心当たりがないのか、ジャスパーは眉間に皺を寄せて右斜め上を見て考え込む。
そんな彼にブライアンはモニカには悪いと思いつつも、この間、見たことのない女と仲睦まじく歩いている姿を目撃したことを伝えた。
「見たことない女?」
「泣きぼくろの南部系の顔の」
「ああ、彼女ですか」
「誰だよあれ」
「友人です。ちょっと買い物に付き合ってもらっていただけですよ」
鋭い目つきで睨みつけてくるブライアンに対し、ジャスパーはしれっとそう言った。
大事な買い物だったので、目利きの良い人に選んでもらいたかったのだと彼は語る。
「友人にしては距離が近かったと思うが?」
「夜のお店の女性なので、スキンシップは激しめなんです」
自分も困っているのだと、ジャスパーは肩をすくめた。
嘘くさい、とブライアンは思う。
「その顔は信じていませんね?」
「一ミリも信じていない」
「酷いなぁ」
「お前がモニカを想ってることは理解しているし、多分本命はモニカなんだろうが、なんかチャラいから、火遊び程度に浮気しそうだとは常々思っていた」
「俺って信用ないんですね」
「当たり前だろ。素行の悪さは聞いているからな」
「心外だなぁ。俺は例えば、姫様がこうして他の男と2人きりでいることも、他の男に触られることも、平然と公爵夫人としてノア様の横に立つことも全部許せないくらいに姫様のことを思っているのに」
どこに他所の女が入る隙間があるというのか、と彼は笑う。
その笑みに、ブライアンは何故だか悪寒が走った。
「…お前、ちょっと怖い」
「最近よく言われます」
危険な香りがするというブライアンの認識は間違っていなかったようだ。
「あ、もしかして、姫様って何か誤解してます?」
「してる」
「マジか」
「結構悩んでるぞ」
「…そうか、それで最近よそよそしかったのか」
ジャスパーは腕の中で眠るモニカに視線を落とすと、うっすらと口角を上げた。
そんな彼の一瞬の変化にブライアンは顔を顰める。
「嫉妬されて嬉しそうな顔してる男は信用ならない」
「嬉しくならない男なんています?」
「俺は少なくとも嬉しくはならないし、もし相手が自分が嫉妬していることに対して嬉しそうな顔をするのなら往復ビンタする」
「なるほど。では、ノア様にそう伝えておきますね」
「余計なことすんな。そういうことを言ってるんじゃないんだよ。不安にさせるようことをするなってことだ」
「不安にさせてるつもりはなかったんですけど…」
以後気をつけますと言って、ジャスパーは困ったように眉尻を下げた。
「では、失礼しますね」
「あ!まって、モデル代渡すから」
ブライアンは引き出しから茶封筒を出すと、それをジャスパーに渡した。
そして気まずそうに目を伏せつつも言葉を紡ぐ。
「…あ、あんまりモニカを責めるなよ。誤解したこととか、その、俺がはじめに浮気だとか言ったから。だからモニカは悪くない」
誤解して悪かったと、ブライアンは頭を下げた。
口は悪いが素直に謝れる奴だ。だからノアもモニカも彼が好きなのだろう。ジャスパーはそう感じた。
「大丈夫ですよ。わかっていますから。それに、姫様には今後2度と誤解なんてできないくらいに俺の愛を伝えようと思いますので」
ジャスパーはニッコリと微笑み、そう言い残してアトリエを出た。
「あ、後でノアに連絡しよう…」
不安にさせてしまったからと言って、その重い愛を全てモニカにぶつけられてもそれはそれで彼女の身が持たない。
ブライアンはその後すぐに速達で手紙を出した。
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