元禄怪奇余話~千年の復讐

仮面の雪影

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生前の由希(二)

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……由希は強制的に右大臣・藤原家里の妾にされたとはいえ、それなりに不自由ない生活をしていた。家里も表向きは由希に優しく接していた。
 ところが由希が十九を迎えた年のことだった。桜の花も散りはじめる頃に事件はおきた。
 ある晩、家里は由希と夜を共にし、やがて寝床についた。ちょうど日付の変わろうかという頃、家里は便意をもよおして寝所から起きた。隣で由希が寝息をたてている。
 蝋燭の明かりを頼りに厠へと赴き、己の部屋へ戻ろうとした時のことである。女房が一人、廊下に膝をついて座っている。見慣れぬ顔である。
「そなたは新入りか? 名はなんと申す」
 しかし女房は沈黙したままである。今一度家里が名を訪ねた。その時である。
「我が名は、汝の手により無実の罪で隠岐に流罪となった藤原義介なり! 今こそ無念を晴らしてくれん!」
 叫ぶや否や、女房は刃をふりかざし家里に襲いかかった。家里は間一髪でこれをかわすも、こめかみのあたりから血が滴り落ちる。
「誰か! 誰かおらぬか!」
 必死に叫ぶも、夜分であるせいもあってか、誰も姿を現さない。ついに家里は転倒し、そこに女房が般若のような形相で刃を家里めがけてふりおろそうとした。
「危ない!」
 血しぶきが女房の顔面を真っ赤に染めた。しかしそれは、家里の血ではなかった。家里を守ろうとして立ちはだかった由希の太もものあたりを貫いたのである。
「狼藉者!」
 ようやく屋敷の者たちがこの異変に気付いて、女房を取りおさえた。しかしこの時、女房は口から泡を吹いて絶命していた。
 時は平安の世である。死者の怨霊が何者かに取りついて、己の無念を晴らそうとすることは、決して珍しいことではなかった。
 座が騒然となる中、人事不肖の由希は家里の部屋へ運びこまれた。


「それで由希の様子はどうなのじゃ?」
 さしもの家里も、由希の身を案じて医師にたずねる。医師の診断では命に別状ないという。そしてその日のうちに、由希は目を覚ました。
「もう大丈夫じゃ。医師が申すには、さしたることではないそうじゃ」
 と家里は優しくいった。
「それでは余は今宵も用があるので、ひとまず失礼する」
 家里は立ちさろうとする。しかし、その時背後で声がした。
「もう行ってしまわれるのですか?」
 思いがけない声だった。由希はここへ無理矢理連れてきて以降、表向きは従順でも本心では己をこばみ、抗っていること家里は重々承知していた。振り返ると、由希のしなやかな体が、ふわりとおおいかぶさってきた。
「梅妃様のもとへゆかれるのですね」
「違う、余にはまつりごとがある」
「恐ろしいのです。私はまことに大事ないのでござりましょうか? もし、このまま死んだら私の魂は一体どうなるのでありましょうや?」
「不吉なことを申すな!」
 と家里は、かすかに声を荒げる。
「仮に私がこのまま死んでも、魂は近くにいてもよろしゅうございますか? 右大臣藤原家里様」
 由希が目に涙を浮かべながらいうので、家里は思わず沈黙した。
「わしの方こそ、例え死んでもそなたのもとを離れぬ」
 と家里は由希に甘い言葉をかけた。
「ならば証を……」
 懇願する由希に、家里は懐からお守りを取り出し、それを由希にあたえる。
「そなたの魂と余の魂は一つじゃ」
 もちろん由希はまだ幼い。権力者の言葉の裏表など知るよしもなかった。
 
 やがて由希は女の子を産んだ。娘は「幸」と名付けられる。しかし生まれて数日しか、母のもとにいることは許されなかった。
 家里の母達子は、出自卑しい由希を気にいってはいなかった。ろくに教養もなく、学問もない由希のもとに孫を預けてはおけないと、自らのもとに引き取ってしまったのである。由希は反発したが、最後はどうすることもできなかった。
 一方、家里の正妻である梅妃は、家里のもとに嫁いでもう何年にもなる。しかし、いまだ子を授かっていなかった。そのため、由希に強い嫉妬の感情をいだくようになる。彼女は母の五条宮と結託して、おそるべき陰謀を計画するにいたるのである。
 ある時、達子は病になった。様々な薬湯をためしてみたが効果はなかった。そこで梅妃が、自らのもとに仕えている陰陽師に、達子の前で祈祷をさせることになった。しばらくおごそかな祈祷が続いたが、やがて陰陽師は、意味不明のさけびと共に昏倒する。次に発した言葉は衝撃的だった。
「子供を返して! 幸を返して!」
 陰陽師は七転八倒の末、ついには達子に襲いかかり首をしめようとさえした。
「何をする無礼者!」
「子供を返せ! 子供を返せ! さもなくば殺してやる!」
 座は騒然となった。その場にいた者達が必死に取りおさえはしたものの、祭壇はめちゃくちゃになり、噂はすぐに宮中の隅々にまで広まった。しかし実のところ、問題の陰陽師は梅妃に命じられて芝居をしていたのであった。
「恐れながら、これは子を取り上げられた由希の生霊の仕業では? あの女を宮中に置いておくかぎり病は癒えず、さらに良からぬ事がおこるやもしれませぬ」
 梅妃は、由希を宮中から追放せよというのである。しかし達子がそれに賛成しても、家里は由希を手ばなそうとしない。そのため梅妃と五条宮は、さらなる陰謀を計画するのだった……。

 ……将軍はようやく目を覚ました。
「夢であったか……」
 すでに将軍は、夢の内容さえうろ覚えであった。もちろん、由希に魂を半分乗っ取られたことに、まだ気づいていない。
 三月ほどして、将軍は再び牧野邸をたずねた。例によって例の如く能の鑑賞会が行われ、その後は将軍による儒学の講義である。しかしその後の将軍のふるまいは、儒家が説く理想の君主のふるまいからは、はるか遠いものであった。
 すでにお久里は覚悟していた。しかしこの日、将軍が夜伽の相手として指名したのは、お久里ではなかった。
「そなたはもうよい。安子とやら、そなたは残れ。他の者はさがってよいぞ」
 なんと将軍が指名したのは、お久里の長女の安子だったのである。
 さすがの将軍も、四十半ばのお久里の体にはすぐにあきた。そして今度は、長女の安子に若い頃のお久里の面影を見ていたのである。
「恐れながらお待ちくだされ!」
 これに反発したのは、安子の婿成時だった。あまりのことに一瞬、刀にさえ手がかかった。しかし成貞が鬼の形相で立ちはだかる。
 こうして、牧野の家は将軍の身勝手のためにめちゃくちゃになり、ほどなく安子は江戸城大奥へと連れ去れてしまうのだった。
  
 
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