婚約破棄された【洗濯侍女】、実は汚れではなく呪いを落とす【因果浄化】の聖女でした。

旅する書斎(☆ほしい)

文字の大きさ
3 / 6

しおりを挟む
グレンツェ帝国の帝都は、サリスト王国とは比較にならないほど壮大で、そして、驚くほど「無機質」だった。

高い城壁は一点の曇りもなく磨かれ、道を行く人々もどこか整然としている。

だが、私の目には見えていた。

街の至る所に、人々の営みから生じる「生活の淀み」が溜まっている。

それは仕方ないことだ。人が生きるということは、汚れるということなのだから。

しかし、城の中へ入るにつれ、その様子が変わってきた。

「……何、ここ。異常なほど綺麗じゃない」

廊下の床は、鏡のように自分の顔を映し出している。

塵一つ、髪の毛一本すら落ちていない。

掃除が行き届いているというレベルを超えている。

これは、強迫観念に近い「拒絶」の現れだ。

「我が主、ジークフリート皇帝陛下は、不浄を極端に嫌われる。他人の魔力はおろか、視線ですら汚らわしいと感じるお方だ」

案内するアルベルトが、緊張した面持ちで囁く。

やがて私たちは、巨大な白銀の扉の前に辿り着いた。

扉が開くと、そこには広大な謁見の間があった。

一番奥の玉座に座っているのは、長い銀髪を流した一人の男だ。

ジークフリート・フォン・グレンツェ。

冷徹皇帝として恐れられる、この大陸最強の支配者。

彼の周囲には、目に見えるほどの冷気が渦巻いている。

だが、私が注目したのはその顔立ちではない。

彼の身体を包み込んでいる、あまりにも巨大で、あまりにも残酷な「因果の鎖」だった。

それは数百年にわたって帝国が積み上げてきた、戦争の記憶、虐殺の怨念、そして歴代皇帝が背負ってきた「統治という名の呪い」だ。

黒い鎖が、彼の喉を締め上げ、心臓を貫いている。

彼はその激痛と不浄に耐えながら、正気を保つために自分自身の魔力で周囲を凍りつかせ、すべてを拒絶しているのだ。

「アルベルト、貴様……。死に損なった挙句、どこの馬の骨とも知れぬ女を連れてきたか」

地を這うような低い声。

それだけで、謁見の間にいた家臣たちが一斉に平伏し、ガタガタと震え始める。

だが、私は一人でスタスタと、玉座の方へ歩み寄った。

「止まれ! 陛下に近づくな!」

近衛騎士たちが剣を抜こうとするが、ジークフリートがそれを手で制した。

彼の瞳が、私を射抜くように見つめる。

「……貴様、怖くないのか。私のこの、呪われた魔力が」

「怖いというより……、すごく汚いですね」

私の言葉に、謁見の間が凍りついた。

家臣の一人が泡を吹いて倒れ、アルベルトが「終わった……」という顔で頭を抱える。

皇帝の眉間に、深い皺が寄った。

「……今、何と言った?」

「その鎖、すごく邪魔じゃないですか? 錆びついて、嫌な臭いがします。洗濯物の生乾きの臭いよりも酷い」

私は鼻をつまみ、ジークフリートの目の前まで階段を駆け上がった。

騎士たちが制止する暇もないほどの速度。

というより、私の放つ「清浄な気配」が、彼らの戦意を無意識のうちに削ぎ落としていたのだ。

「貴様、死にたいのか……!」

ジークフリートが右手を振り上げる。

そこには、触れたものすべてを塵に変えるほどの、破壊の魔力が凝縮されていた。

だが、私はその手を、素手でガシッと掴んだ。

「ひゃうっ!?」

後ろの方で誰かが悲鳴を上げたが、無視だ。

「触るなと言っている……! 汚れる……、私が、貴様の不浄で……」

「逆ですよ。あなたが汚れているんです。大人しくしてください」

私は掴んだ彼の手に、直接スキル【洗濯】を叩き込んだ。

瞬間、ジークフリートの全身から、凄まじい衝撃波が放たれた。

それは彼の内側に溜まっていた、数十年分の呪詛が排出される反動だ。

ドォォォォォン!

謁見の間の窓ガラスが一斉に粉砕され、石造りの柱にヒビが入る。

「ぐ、ああああああああっ!」

皇帝が絶叫する。

だが、私の手は離さない。

私の視界の中では、彼を縛っていた黒い鎖が、次々とパリン、パリンと砕け散っていく。

鎖が砕けるたびに、中から彼自身の真の魔力が、黄金の奔流となって溢れ出していく。

「……ふぅ。頑固な汚れだったわ」

私は手を離し、額の汗を拭った。

静寂が、謁見の間を支配する。

粉塵が舞う中、玉座に座っていた男は、もはや先ほどまでの「死神」のような雰囲気ではなかった。

肌は透き通るような白さを取り戻し、瞳には理知的な光が宿っている。

何より、彼の周囲を漂っていたあの「生乾きの臭い」が、完全に消えていた。

「……消えた」

ジークフリートが、震える自分の手を見つめて呟く。

「ずっと、私を蝕んでいたあの声が、痛みが……。嘘のように、何も感じない……」

彼はゆっくりと立ち上がり、私の一歩前に立った。

私よりもずっと高い視線。

整いすぎた顔が、すぐ近くにある。

「貴様……、私に何をした」

「ただの洗濯です。あまりに汚れが酷かったので、少し強めに揉み洗いしておきました」

私が当然のことを言うと、ジークフリートは、く、と喉を鳴らした。

そして、次の瞬間。

彼は私の腰を引き寄せ、力強く抱きしめた。

「ちょっ……! 何するんですか、せっかく綺麗になったのにシワになるじゃないですか!」

「……暖かい。他人の体温が、これほどまでに清らかだと感じたのは初めてだ」

耳元で囁かれる低い声。

先ほどまでの威圧感はどこへやら、そこには深い安堵と、執着の炎が混じり合っていた。

「離さないぞ、洗濯女。貴様をサリストに返すなどあり得ない。貴様は今日から、この国の聖女だ。いや、私の、私だけの専属侍女になれ」

「はい? 私は自由に洗濯ができる場所を探しているだけで……」

「帝国全土を、貴様の好きに洗わせよう。予算も場所も、私の身体も、すべて貴様の自由だ」

私の身体も、という部分で少し引っかかったが、帝国全土という言葉の響きは魅力的だった。

「……本当ですね? 途中で辞めろなんて言わないでくださいよ?」

「誓おう。貴様がこの世界の汚れをすべて落とし切るまで、私は貴様を離さない」

ジークフリートの腕に力がこもる。

その時、廊下からバタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。

「報告します! サリスト王国との国境付近にある『迷いの森』の障気が、完全に消失しました! さらに、枯れていた霊脈が復活し、周辺の村々に奇跡的な豊作の兆しが……!」

伝令の兵士が転び込むようにして入ってきて、その場の光景を見て固まった。

最強の皇帝が、見知らぬ小汚い……いや、洗濯板を持った娘を溺愛の形相で抱きしめている。

その背後には、かつてないほど清浄な空気が満ち溢れていた。

「……さあ、仕事の話をしようか。まずは私の寝室の『清掃』から始めてもらおう」

「ちょっと、順番を守ってください。まずは、そのボロボロになったカーテンからよ」

私の新しい生活は、どうやら想像以上に忙しくなりそうだった。

そしてその頃、私を追い出したサリスト王国では、一つの異変が起きていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!

月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、 花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。 姻族全員大騒ぎとなった

宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです

ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」 宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。 聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。 しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。 冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。

転生後はゆっくりと

衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。 日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。 そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。 でも、リリは悲観しない。 前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。 目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。 全25話(予定)

聖女を追い出しても平気だと思っていた国の末路

藤原遊
ファンタジー
聖女が国を去った日、神官長は分かっていた。 この国は、彼女を軽く扱いすぎたのだと。 「聖女がいなくても平気だ」 そう言い切った王子と人々は、 彼女が“何もしていない”まま国が崩れていく現実を、 やがて思い知ることになる。 ――これは、聖女を追い出した国の末路を、 静かに見届けた者の記録。

婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています

ゆっこ
恋愛
 「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」  王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。  「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」  本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。  王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。  「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」

「君の回復魔法は痛い」と追放されたので、国を浄化するのをやめました

希羽
恋愛
「君の回復魔法は痛いから」と婚約破棄され、国外追放された聖女エレナ。しかし彼女の魔法は、呪いを根こそぎ消滅させる最強の聖なる焼却だった。国を見限って辺境で薬草カフェを開くと、その技術に惚れ込んだ伝説の竜王やフェンリルが常連になり、悠々自適なスローライフが始まる。 一方、エレナを追放した王国はパニックに陥っていた。新しく迎えた聖女の魔法は、ただ痛みを麻痺させるだけの「痛み止め」に過ぎず、国中に蔓延する呪いを防ぐことができなかったのだ。 原因不明の奇病、腐り落ちる騎士の腕、そして復活する魔王の封印。 「頼む、戻ってきてくれ!」と泣きつかれても、もう遅い。 私の店は世界最強の竜王様が警備しているので、王家の使いだろうと門前払いです。 ※本作は「小説家になろう」でも投稿しています。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...