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第16章 おじさんと旅芸人の少女
第207話
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朝の空気は、昨日の賑わいが嘘のように静かだった。
村の広場はもう片付けられていて、焚き火の跡だけが黒く土を焦がしていた。
子どもたちの歓声も、祭り囃子の余韻も、もう風の中には残っていない。
俺の店の中も、いつも通りだった。
窓を開け、空気を入れ替え、カウンターを拭き、道具を所定の場所に戻す。
変わらない手順に、変わらない時間が流れる。
だが、それも束の間のことだった。
扉の鈴が鳴いた。
音のあとに、空気が少し変わる。
ああ、来たか。
カウンター越しに顔を上げると、見慣れた一団が立っていた。
旅芸人の一座。
先頭には、あの父親と母親。
その後ろに、一座の仲間たちが続いている。
華やかな装いではなく、長旅に備えた落ち着いた衣服。
荷を背負い、靴はすでに土埃をまとっていた。
父親が一歩前に出る。
「……世話になった」
言葉は短いが、真っ直ぐだった。
「この村は、本当に良い場所だった。
それは、間違いなく、君の店があったからだ」
母親も続けて笑みを浮かべる。
「トレシーが、あんなふうに歌ったの……あの子が生まれて、初めてだったのよ」
「ありがとう。……ほんとうに」
俺は応えず、ただ軽く顎を引く。
言葉は必要ない。
礼を言われるようなことは、なにもしていない。
ただ、店を開けて、珈琲と煙草を出していただけだ。
一座の面々も、それぞれのやり方で礼を示してくる。
無言の頷き、軽く拳を握った合図、帽子を軽く掲げる仕草。
どれも洒落た言葉よりも真摯だった。
言葉はなくても、伝わるものはある。
そのやり取りが終わったころ、最後に一歩遅れて入ってきたのが、トレシーだった。
背は小さいままだが、昨日までとは違う何かを纏っているようだった。
視線を逸らさず、俺をまっすぐに見て歩いてくる。
以前のように、躊躇いながらではない。
歩幅は小さいが、止まることはない。
「……ありがとう」
声は小さい。だが、はっきりと届いた。
「わたし……昨日、歌って、ちゃんとわかった気がする」
「歌うって……音を出すって……誰かに見せるためじゃなくて、自分が“ここにいる”って思えるためにあるって」
「だから……わたし、これからも歌いたい。
もっといろんな場所で、いろんな人と、いろんな音を感じて……」
「それを、自分の声にしていきたいの」
言葉を探しながら、それでも目を逸らさずに、しっかりと話す。
たどたどしくても、伝えたいという気持ちが確かにこもっていた。
俺は煙草を一本くわえ、火をつける。
紫煙がゆっくりと立ち上る中で、一言だけ返した。
「好きなことをして、生きろ」
トレシーは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
その笑顔は、昨日までの彼女にはなかったものだった。
扉のほうへと戻っていくその背中は、小さいままだ。
だが、不思議と遠く感じる。
村を出て、また旅に出る一座の一員として。
以前よりもほんの少し、背筋を伸ばして歩く姿があった。
そして、寄り添うように、小さな上半身にしっかりと抱えられた、彼女のものとなったリュートがあった。
村の広場はもう片付けられていて、焚き火の跡だけが黒く土を焦がしていた。
子どもたちの歓声も、祭り囃子の余韻も、もう風の中には残っていない。
俺の店の中も、いつも通りだった。
窓を開け、空気を入れ替え、カウンターを拭き、道具を所定の場所に戻す。
変わらない手順に、変わらない時間が流れる。
だが、それも束の間のことだった。
扉の鈴が鳴いた。
音のあとに、空気が少し変わる。
ああ、来たか。
カウンター越しに顔を上げると、見慣れた一団が立っていた。
旅芸人の一座。
先頭には、あの父親と母親。
その後ろに、一座の仲間たちが続いている。
華やかな装いではなく、長旅に備えた落ち着いた衣服。
荷を背負い、靴はすでに土埃をまとっていた。
父親が一歩前に出る。
「……世話になった」
言葉は短いが、真っ直ぐだった。
「この村は、本当に良い場所だった。
それは、間違いなく、君の店があったからだ」
母親も続けて笑みを浮かべる。
「トレシーが、あんなふうに歌ったの……あの子が生まれて、初めてだったのよ」
「ありがとう。……ほんとうに」
俺は応えず、ただ軽く顎を引く。
言葉は必要ない。
礼を言われるようなことは、なにもしていない。
ただ、店を開けて、珈琲と煙草を出していただけだ。
一座の面々も、それぞれのやり方で礼を示してくる。
無言の頷き、軽く拳を握った合図、帽子を軽く掲げる仕草。
どれも洒落た言葉よりも真摯だった。
言葉はなくても、伝わるものはある。
そのやり取りが終わったころ、最後に一歩遅れて入ってきたのが、トレシーだった。
背は小さいままだが、昨日までとは違う何かを纏っているようだった。
視線を逸らさず、俺をまっすぐに見て歩いてくる。
以前のように、躊躇いながらではない。
歩幅は小さいが、止まることはない。
「……ありがとう」
声は小さい。だが、はっきりと届いた。
「わたし……昨日、歌って、ちゃんとわかった気がする」
「歌うって……音を出すって……誰かに見せるためじゃなくて、自分が“ここにいる”って思えるためにあるって」
「だから……わたし、これからも歌いたい。
もっといろんな場所で、いろんな人と、いろんな音を感じて……」
「それを、自分の声にしていきたいの」
言葉を探しながら、それでも目を逸らさずに、しっかりと話す。
たどたどしくても、伝えたいという気持ちが確かにこもっていた。
俺は煙草を一本くわえ、火をつける。
紫煙がゆっくりと立ち上る中で、一言だけ返した。
「好きなことをして、生きろ」
トレシーは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
その笑顔は、昨日までの彼女にはなかったものだった。
扉のほうへと戻っていくその背中は、小さいままだ。
だが、不思議と遠く感じる。
村を出て、また旅に出る一座の一員として。
以前よりもほんの少し、背筋を伸ばして歩く姿があった。
そして、寄り添うように、小さな上半身にしっかりと抱えられた、彼女のものとなったリュートがあった。
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