悪役令嬢になんてなりません、私はただの【お掃除係】です。前世の特殊清掃と遺品整理の技術で呪われた王宮を浄化します

旅する書斎(☆ほしい)

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第3話 ゴミ溜めに眠っていた、ふわふわの宝物

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「ガアアアアアッ!」

聖獣だったはずの怪物が、鼓膜を劈くような咆哮を上げた。
一振りで岩をも砕く鋭い爪が、私の頭上から振り下ろされる。
風圧だけで周囲の瓦礫が弾け飛び、衝撃波が私の頬をかすめた。

だが、私は一歩も引かない。
むしろ、踏み込んだ。

「遅い! あんたの攻撃、毛並みがゴワゴワすぎて動きが鈍いのよ!」

私は身を翻し、怪物の懐へと滑り込んだ。
そこは、この世のものとは思えないほどの腐臭と、粘着質な魔力の吹き溜まりだった。
普通の人間なら、この距離に近づくだけで瘴気に肺を焼かれ、即死する。

しかし、私は前世で「防護服なしで孤独死現場のウジの海に突っ込んだ」こともある女だ。
この程度の臭気、換気扇を回し忘れた焼肉屋よりはマシ。

「スキル発動! [高圧魔導ケルヒャー・ショット]!」

私は両手を怪物の腹部に突き出した。
掌から放たれたのは、破壊の光ではない。
超高圧で圧縮された、洗浄成分120%配合の「聖なる水」だ。

ドッ、という鈍い衝撃音と共に、怪物の巨体が後方へと吹き飛ぶ。
「ギャウン!?」
という、猛獣らしからぬ情けない声。

壁に激突した怪物に、私は追撃の手を緩めない。
「まだよ! 予洗いが終わっただけなんだから!」

私は指をパチン、と鳴らした。
すると、屋敷中の空気から水分が集まり、巨大な泡の塊となって怪物を取り囲んだ。
これは【徹底洗浄】の応用技、[全自動魔導泡パック]。

「グゥ……オォ……!?」
怪物はもがこうとするが、泡の中に含まれた「鎮静・中和成分」が、彼を縛り付けていた呪詛を溶かし、同時に神経をリラックスさせていく。

「暴れないで。その真っ黒な泥の下に、綺麗な毛並みが隠れてるんでしょ? プロとして、妥協は許さないわよ」

私は泡の中に手を突っ込み、魔力で構成した「特製シリコンブラシ」で、怪物の背中をごしごしと擦り始めた。
一掻きするごとに、どす黒いヘドロが剥がれ落ち、下から透き通るような、白銀の毛が見え隠れする。

(……あら、これ。想像以上に良い毛並みじゃない。カシミアより上質かも)

私の清掃魂に火がついた。
「次は肉球! 指の間に呪霊の卵が詰まってるわよ。ほら、力を抜いて!」

「キュ、キュゥゥ……」
さっきまで私を殺そうとしていた怪物が、今やなすがまま。
あまりの気持ちよさに、赤い瞳がトロンと虚空を見つめている。
呪詛とは、言うなれば「精神的な汚れ」だ。
それが物理的な洗浄によって洗い流される快感は、魔獣にとっても抗いがたいものらしい。

私は仕上げに、魔力で生成した「速乾・トリートメント」の風を浴びせた。
「さあ、お立ち会い!」

泡が弾け、眩い光がキッチンを包み込む。
そこには、さっきまでの禍々しい怪物の姿はなかった。

いたのは、雪のように白い、ふわふわの巨大な猫……もとい、白虎だった。
体長は依然として大きいが、その瞳は澄んだ青空のような色をしている。
首周りの毛は、私の腰まで届くほどのボリュームで、触らなくてもわかる。
これは、極上の、もふもふだ。

「……ふぅ。これでようやく、一頭分のスペースが綺麗になったわね」

私が額の汗を拭うと、白虎はおずおずと近づいてきた。
そして、巨大な頭を私の肩に、スリスリと擦り寄せてきた。

「グルル、ル……」
甘えるような、喉を鳴らす音。
さっきの咆哮が嘘のようだ。

「わかった、わかったから。そんなに密着しないで、せっかくの作業着が毛だらけになっちゃうでしょ」

と言いつつ、私はその真っ白な毛並みに顔を埋めた。
ああ。
いい匂い。
ミントと石鹸、そして日向の匂いがする。

「鑑定。……[伝説の聖獣:ヴァイス・タイガー]。ふーん、一国の軍隊を壊滅させる力があるんだ。でも今のあんたは、ただの『洗い立てのぬいぐるみ』ね」

私が鼻で笑うと、ヴァイスは嬉しそうに私の周囲を跳ね回った。
その勢いで、まだ掃除していないキッチンの棚がガシャリと倒れる。

「あ、ちょっと! そこはこれから掃除する予定なんだから、散らかさないで!」

私は白虎を叱り飛ばしながら、ふとキッチンの奥、さらに深い闇が潜む地下室への扉を見つめた。
白虎を洗ったことで、屋敷の一階部分はかなり浄化されたはずだ。
だが、地下からは、それすらも圧倒するほどの、濃密で冷徹な「闇」の気配が立ち上っている。

それは、荒れ狂う暴力的な呪いではない。
もっと静かで、深く、諦めに満ちた――「死の気配」。

「ヴァイス、あなた、あそこに誰がいるか知ってるの?」

白虎は、地下の扉を見た瞬間、ピタリと動きを止め、恐怖を堪えるように小さく震えた。
そして、私の服の裾を咥え、必死に「あっちへ行こう」と引っ張る。

「……なるほど。あそこが、この事故物件の本丸ってわけね」

私は、新しいブラシを取り出し、腰のポーチに予備の洗浄剤を補充した。
「嫌だと言われると、磨きたくなるのが清掃員の性なのよ」

私は地下への扉に手をかけた。
錆び付いた蝶番が、悲鳴を上げる。

階段を下りるごとに、気温が下がっていく。
吐き出す息が白くなる。
やがて、たどり着いた最深部の部屋。
そこは、数千枚の「封印の紙」で埋め尽くされていた。

部屋の中央。
ボロボロの玉座のような椅子に、一人の青年が座っていた。
彼の全身は、鎖ではなく、真っ黒な「霧の帯」によって雁字搦めに縛られている。
顔は俯き、長い睫毛の間から見える瞳には、何の光も宿っていない。

「……また、新しい犠牲者か」

青年の声は、掠れていて、今にも消えそうだった。
「早く逃げろ。私に近づけば、お前の魂まで、この黒い霧に食い尽くされるぞ」

彼こそが、この屋敷に幽閉されている、呪われし第二皇子。
王族から忌み嫌われ、この世の全ての穢れを押し付けられたという、生きるゴミ捨て場。

私は、彼を包み込む真っ黒な霧をじっと見つめた。
そして、大きく鼻を鳴らした。

「……何だ、この部屋」

皇子が、驚いたように顔を上げた。
死を覚悟した目。
そこに向けられたのは、憐れみでも恐怖でもなかった。

「埃は積もり放題、空気は淀みきってる。おまけに、その黒い霧……それ、酸性汚れの一種でしょ? 何日、同じ服着てるの? そんなに不潔にしてたら、運気も呪いも落ちるわけないじゃない!」

「……な、何を言っている。これは、不治の呪い……」

「呪いじゃないわ、ただのメンテナンス不足よ。ほら、じっとしてて。今、最高の気分にさせてあげるから」

私は、彼を縛る「黒い霧」の結び目に向かって、魔力の手を伸ばした。
皇子が目を見開く。

「触れるな! 死ぬぞ!」

「死なないわよ。私、汚れで死ぬほど軟弱じゃないから」

私の指先が、黒い霧に触れた。
瞬間、皇子の絶望が、私の脳内に濁流となって流れ込んでくる。
だが、私はそれを「ゴミ情報のノイズ」として一瞬でシャットアウトした。

「まずは、そのドロドロの霧から。……[超音波・汚れ分解]!」

私の手から、高周波の振動が放たれた。
皇子の体を縛っていた強固な呪いの鎖が、まるで振動で砕けるガラスのように、粉々に砕け散っていく。

「……え?」

皇子の体が、自由になる。
それと同時に、私は彼の顔を、特製の「魔導おしぼり」で力一杯拭い上げた。

「あがっ!? な、何をする!?」

「暴れない! 目の下にクマができてるわよ。あと、鼻の頭に角栓が溜まってる。皇子様なんでしょ? 少しは身だしなみに気をつけなさい!」

私は、呆然とする彼の襟元を掴み、そのまま立ち上がらせた。

「さあ、外に行きましょう。まずは日光消毒よ」

「待て……私は、外に出ることを許されていない……それに、私の呪いが……」

「呪いなんて、私の洗剤で全部落ちたわよ。ほら、見て」

私は、彼の背後の鏡を指差した。
そこには、さっきまでの「黒い霧の塊」ではなく、驚くほど整った、しかしどこか幼さの残る美貌の青年が、間抜けに口を開けて立っていた。

窓から差し込む光に、彼の肌が、本物の陶器のように白く輝いている。

「……呪いが、消えた……?」

「消えたんじゃなくて、落としたの。さあ、行くわよ。一階のキッチンはもう片付いたから、そこで熱い紅茶でも飲みなさい」

私は彼の背中を押し、地下室から連れ出した。
その時、屋敷の入り口から、数人の騎士たちが駆け込んでくる音が聞こえた。

「リリア・アルカディア! 生存確認に来たぞ! まだ息は――」

騎士たちのリーダーが、ホールで足を止めた。
彼が見たのは、血塗られた令嬢の死体ではなかった。

ピカピカに磨き上げられた床。
優雅に紅茶の準備をする、伝説の聖獣ヴァイス。
そして、呪いが解け、見たこともないような清々しい表情で佇んでいる、第二皇子の姿だった。

「……は?」

騎士が、剣を取り落とした。
私は、掃除を中断させられたことに不機嫌な顔をして、彼らに向かってホウキを突きつけた。

「土足で上がらないで。そこ、さっきワックスかけたばかりなんだから」
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