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第5話 ゴミ屋敷の在庫一掃セール
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ポルタでの最初の朝は、宿屋の食堂から始まる。
そこから聞こえる、賑やかな声で目が覚めた。
「木漏れ日亭」の朝食は、質素ながらも心のこもったものだ。
焼きたてのパンには、野菜がたっぷり入ったスープが添えられている。
そして、搾りたての新鮮なミルクもあった。
女将さんが、私とフェンのために特別に多く用意してくれたらしい。
「さあ、たくさんお食べ。長い旅で疲れたでしょう」
女将さんは優しい笑みを浮かべ、私たちの皿にスープを注ぎ足してくれる。
フェンの前にも、ミルクが入ったお皿と小さくちぎったパンが置かれた。
フェンは行儀よく、音を立てずにそれを食べている。
その姿は、どこか気品さえ感じさせた。
「本当に賢い子だねえ。バエルさんから話は聞いたよ」
女将さんは、フェンの頭を優しく撫でた。
「この子が山賊を追い払ってくれたって。まるで、おとぎ話に出てくる聖獣様みたいだ」
フェンは、気持ちよさそうに目を細めている。
聖獣という言葉に、食堂にいた他の客たちがちらりとこちらに視線を向けた。
あまり目立つのは本意ではないが、こればかりは仕方がないだろう。
朝食を終えて部屋に戻ると、すぐに控えめなノックの音がした。
入ってきたのは、行商人のバエルさんだった。
「リリア殿、おはようございます。昨夜はよく眠れましたかな」
その顔には、期待と不安が入り混じっている。
「はい、おかげさまで。ベッドがふかふかで、ぐっすり眠れました」
私は、笑顔で答えた。
「それはようございました。して、早速で恐縮なのですが」
バエルさんは、もじもじと指を組んだ。
「約束通り、私の店を見てはいただけませんかな。正直なところ、一刻も早くこの赤字経営から抜け出したいのです」
彼の目は、真剣そのものだった。
よほど、切羽詰まっているのだろう。
私にとっても、好都合な申し出だ。
早く仕事を片付けて、この街の美味しいものを探しに行きたい。
「分かりました。すぐに案内して下さい」
私がそう言うと、バエルさんの顔がぱっと明るくなった。
「なんと、ありがたい。では、参りましょうか」
バエルさんに連れられて、私たちは宿屋を出た。
彼の店は、宿屋から歩いて十分ほどの場所にある。
少し、裏路地に入ったところだった。
「バエル雑貨店」と書かれた看板は、埃をかぶって薄汚れている。
店の前には、商品なのかガラクタなのか分からないものが雑然と置かれていた。
店の中は、外観の印象を裏切らないものだった。
いや、想像以上かもしれない。
狭い空間には、ありとあらゆる種類の品物がある。
それらが、所狭しと積み上げられていた。
村で仕入れたという木彫りの人形や、色褪せた布地が見える。
錆びついた農具に、奇妙な置物まであった。
商品には値札もついておらず、整理整頓という概念が存在しないかのようだ。
物が多すぎて、人が歩くスペースもほとんどない。
「これはまた、ひどいですね」
アルム村のパン屋を見た時と、同じ感想が思わず口から漏れた。
「うっ、やはり、そう思われますか」
バエルさんは、気まずそうに頭を掻いた。
「自分でも、どこに何があるのか、もうほとんど把握できておりませんで」
その言葉に、私は深いため息をつきたくなった。
「まずは、帳簿を見せてください」
私は、気を取り直して言った。
「へい、こちらに」
バエルさんがカウンターの奥から出してきたのは、一冊の汚れたノートだった。
クラウスさんのものより、さらに状態が悪い。
表紙は油で汚れ、ページはところどころ破れていた。
中身は、想像通りだった。
日付と売れた品物の名前、そして金額が順不同に書き殴られているだけだ。
仕入れの記録は、別のページにまとめて書かれている。
しかし、いつどこでいくらで仕入れたのか、詳細な情報はほとんどない。
「バエルさん。この帳簿では、お店の経営状態は分かりませんよ」
私は、きっぱりと告げた。
「はあ、やっぱり、そうですか」
彼は、がっくりと肩を落とした。
「まず、売上と仕入がごちゃ混ぜなのが問題です。これでは、月ごとの正確な損益が計算できません」
私はノートの余白に、簡単な図を書いて説明を始めた。
「それから、商品ごとの利益率も、全く考慮されていないようです」
「例えば、この木彫りの人形を見てください」
私は棚の奥から、埃をかぶった人形を一つ取り出した。
「これを村で銅貨十枚で仕入れて、ポルタで十五枚で売ったとします。利益は、銅貨五枚ですよね」
「へい、その通りです」
バエルさんは、こくりと頷いた。
「では、この人形を村からポルタまで運ぶのにかかった馬車代は。途中で食事をした費用は、どうですか」
私の質問に、バエルさんは口をぽかんと開けている。
「それらは、全て経費として計上しなければなりません。もしかしたら、この人形は売るほど赤字になっている可能性だってあるんですよ」
「なっ、赤字ですと」
バエルさんの顔が、さっと青ざめた。
「あり得ない話ではありません。商売の基本は、売上から経費を引いた利益を最大化することです」
私は、落ち着いて説明を続ける。
「そのためには、まず自分のお店の金の流れを、正確に把握する必要があります」
「お金の、流れ」
バエルさんは、私の言葉を繰り返した。
「そうです。そのために、複式簿記というものを導入します」
「ふくしき、ぼき」
初めて聞く言葉に、バエルさんは目をぱちくりさせている。
この世界にはまだ存在しない概念なのだから、当然の反応だ。
私は、根気強く説明を始めた。
「簡単に言えば、お金の動きを二つの側面から記録する方法です」
私は新しい羊皮紙に、ペンを走らせた。
「資産、負債、資本、収益、費用の五つです。このグループに分けて、全ての取引を記録していきます」
「そうすれば、お店の財産が今いくらあるのかが分かります。借金はどれくらいか、そしてどれだけ儲かったのかも、誰の目にも明らかになるんです」
私は前世の知識を、できるだけ分かりやすい言葉に噛み砕いて説明した。
最初は戸惑っていたバエルさんも、私の説明を聞くうちに瞳に知的な光が宿り始めた。
「すごい、なんだか、魔法みたいですな。そんな方法があったとは」
彼は、感嘆の声を漏らした。
「魔法ではありません。ただの、合理的な計算方法です」
私は、静かに言った。
「これを導入すれば、バエルさんのお店は必ず立て直せます」
「おお、是非、そのふくしきぼきとやらを、私に教えてはいただけませんか」
バエルさんは、興奮した様子で私の手を握った。
その手は、長年の苦労を物語るように節くれ立っていた。
私は、彼の目をまっすぐに見つめ返した。
「もちろん、そのつもりです。ただし、いくつか条件があります」
私は冷静に、こちらの要求を切り出した。
「まず、私をこの店の経理顧問として、正式に雇用してください。契約書も、作成します」
「け、経理顧問。もちろんですとも、喜んで」
彼は、力強く頷いた。
「次に、報酬です。月々の固定給として銀貨十枚を、それに加えてお店の利益が増加分の二割を成功報酬としていただきます」
少し強気な設定かとも思ったが、それだけの価値を提供できる自信はあった。
それに、相手が本気で店を立て直したいのなら、この条件を飲むはずだ。
「銀貨十枚に、利益の二割。分かりました、その条件で結構です」
バエルさんは、二つ返事で了承した。
彼の決断の速さに、私は少し驚いた。
それだけ、追い詰められていたということだろう。
「最後に、もう一つ。これが一番重要です」
私は、念を押した。
「私がこのポルタで活動するにあたって、バエルさんに私の保証人になっていただきたいのです。商業ギルドに登録する際などに、必要になるかと思いますので」
身寄りのない四歳の子供が、この大都市で生きていくためには信用の置ける後ろ盾が不可欠だ。
これが、私にとっての生命線だった。
「保証人。お安い御用です」
バエルさんは、胸を叩いて請け合った。
「命の恩人であるリリア殿の保証人になれるなど、光栄の極み。このバエル、命に代えても、あなた様をお守りいたしますぞ」
彼は感極まったように叫ぶと、その場に膝をついて私に傅こうとした。
「や、やめてください、そういうのは」
私は、慌ててそれを止めた。
あまり大袈裟にされると、かえって動きにくくなる。
私はあくまで、ビジネスパートナーとして対等な関係を築きたいのだ。
「と、とにかく、契約成立ということでよろしいですね」
私は咳払いをして、話を進めた。
「はっ、もちろんです。それでは早速、契約書を」
「契約書は、私が作成します」
私は、バエルさんの言葉を遮った。
「法律的に有効で、お互いに不利益にならないような、正式なものを作りますので、紙とペンを貸してください」
「なんと、契約書まで。リリア殿は、一体何者なのですか」
バエルさんは、呆然と私を見つめている。
「もしかして、どこぞの偉い貴族のご令嬢が、お忍びで」
「ただの、リリアですよ」
私はそれだけ言うと、バエルさんから受け取った羊皮紙に向かった。
さらさらと、契約書の文面を書き連ねていく。
前世で何度も目を通した、業務委託契約書の内容を思い出しながら。
事業者名、業務内容、報酬、契約期間、秘密保持義務。
必要な条項を、漏れなく記載していく。
その様子を、バエルさんは息を飲んで見守っていた。
四歳の子供が、淀みなく難解な法律用語を書き連ねていく光景は、常人には理解しがたいものだろう。
契約書を書き終え、私とバエルさんがそれぞれ署名を済ませる。
これで、私は正式に「バエル雑貨店」の経理顧問となった。
ポルタでの、記念すべき第一歩だ。
私の胸に、確かな手応えが湧き上がってきた。
「さて、では早速、仕事に取り掛かりましょうか」
私は、気持ちを切り替えて言った。
「まずは、この店の在庫を全て洗い出します。商品リストを作成して、それぞれの仕入れ値と現在の在庫数を正確に把握しますよ」
「は、はい。分かりました」
バエルさんは、緊張した面持ちで頷いた。
「フェン、あなたはお店の隅で、大人しく待っていてね」
私が声をかけると、フェンは賢く一声鳴いた。
「わん」
そして、商品の山に囲まれた一角にちょこんと座り込み、丸くなった。
私とバエルさんの、途方もない在庫整理が始まった。
まずは、店の中にあるものを一つ残らず外に出す。
店の前の通りは、あっという間にガラクタの山で埋め尽くされた。
道行く人々が、何事かと遠巻きに眺めている。
「こんなに、こんなにたくさんの物を、仕入れていたのか」
バエルさんは、目の前の光景に愕然としている。
「これが、在庫管理ができていない、ということです」
私は、淡々と指摘した。
「売れないものを仕入れ続け、それが店のスペースを圧迫し、さらに新しい商品を仕入れる。悪循環ですよ」
私は埃まみれの商品を、一つ一つ手に取り仕分けを始めた。
「これは、まだ売れる可能性がありますね。少し磨けば、綺麗になりそうです」
「この布は、もう虫に食われています。廃棄です」
「この壺は、何に使うのか分かりませんが、物好きな貴族なら買うかもしれません。保留にしておきましょう」
私の的確な仕分けに、バエルさんはただただ感心するばかりだった。
朝から始めた作業は、昼を過ぎても終わる気配がない。
そんな時、宿屋の女将さんが顔を出した。
お昼ご飯にと、サンドイッチを差し入れてくれたのだ。
「頑張るねえ。バエルさんのお店、綺麗になるのかい」
女将さんは、興味深そうに尋ねた。
「もちろんです。一ヶ月後には、この通りで一番の繁盛店にして見せますよ」
私の言葉に、女将さんはにこにこと笑っていた。
サンドイッチを頬張りながら、私は店の前に広げられた商品の山を眺める。
これは、ただのガラクタの山ではない。
私にとっては、宝の山だ。
この中から価値のあるものを見つけ出し、適正な価格で市場に流す。
そうすれば、死んでいた商品が再びお金を生み出す資産に変わる。
経理とは、ただ数字を計算するだけではない。
会社の資産を管理し、その価値を最大化させることが本当の役割なのだから。
そこから聞こえる、賑やかな声で目が覚めた。
「木漏れ日亭」の朝食は、質素ながらも心のこもったものだ。
焼きたてのパンには、野菜がたっぷり入ったスープが添えられている。
そして、搾りたての新鮮なミルクもあった。
女将さんが、私とフェンのために特別に多く用意してくれたらしい。
「さあ、たくさんお食べ。長い旅で疲れたでしょう」
女将さんは優しい笑みを浮かべ、私たちの皿にスープを注ぎ足してくれる。
フェンの前にも、ミルクが入ったお皿と小さくちぎったパンが置かれた。
フェンは行儀よく、音を立てずにそれを食べている。
その姿は、どこか気品さえ感じさせた。
「本当に賢い子だねえ。バエルさんから話は聞いたよ」
女将さんは、フェンの頭を優しく撫でた。
「この子が山賊を追い払ってくれたって。まるで、おとぎ話に出てくる聖獣様みたいだ」
フェンは、気持ちよさそうに目を細めている。
聖獣という言葉に、食堂にいた他の客たちがちらりとこちらに視線を向けた。
あまり目立つのは本意ではないが、こればかりは仕方がないだろう。
朝食を終えて部屋に戻ると、すぐに控えめなノックの音がした。
入ってきたのは、行商人のバエルさんだった。
「リリア殿、おはようございます。昨夜はよく眠れましたかな」
その顔には、期待と不安が入り混じっている。
「はい、おかげさまで。ベッドがふかふかで、ぐっすり眠れました」
私は、笑顔で答えた。
「それはようございました。して、早速で恐縮なのですが」
バエルさんは、もじもじと指を組んだ。
「約束通り、私の店を見てはいただけませんかな。正直なところ、一刻も早くこの赤字経営から抜け出したいのです」
彼の目は、真剣そのものだった。
よほど、切羽詰まっているのだろう。
私にとっても、好都合な申し出だ。
早く仕事を片付けて、この街の美味しいものを探しに行きたい。
「分かりました。すぐに案内して下さい」
私がそう言うと、バエルさんの顔がぱっと明るくなった。
「なんと、ありがたい。では、参りましょうか」
バエルさんに連れられて、私たちは宿屋を出た。
彼の店は、宿屋から歩いて十分ほどの場所にある。
少し、裏路地に入ったところだった。
「バエル雑貨店」と書かれた看板は、埃をかぶって薄汚れている。
店の前には、商品なのかガラクタなのか分からないものが雑然と置かれていた。
店の中は、外観の印象を裏切らないものだった。
いや、想像以上かもしれない。
狭い空間には、ありとあらゆる種類の品物がある。
それらが、所狭しと積み上げられていた。
村で仕入れたという木彫りの人形や、色褪せた布地が見える。
錆びついた農具に、奇妙な置物まであった。
商品には値札もついておらず、整理整頓という概念が存在しないかのようだ。
物が多すぎて、人が歩くスペースもほとんどない。
「これはまた、ひどいですね」
アルム村のパン屋を見た時と、同じ感想が思わず口から漏れた。
「うっ、やはり、そう思われますか」
バエルさんは、気まずそうに頭を掻いた。
「自分でも、どこに何があるのか、もうほとんど把握できておりませんで」
その言葉に、私は深いため息をつきたくなった。
「まずは、帳簿を見せてください」
私は、気を取り直して言った。
「へい、こちらに」
バエルさんがカウンターの奥から出してきたのは、一冊の汚れたノートだった。
クラウスさんのものより、さらに状態が悪い。
表紙は油で汚れ、ページはところどころ破れていた。
中身は、想像通りだった。
日付と売れた品物の名前、そして金額が順不同に書き殴られているだけだ。
仕入れの記録は、別のページにまとめて書かれている。
しかし、いつどこでいくらで仕入れたのか、詳細な情報はほとんどない。
「バエルさん。この帳簿では、お店の経営状態は分かりませんよ」
私は、きっぱりと告げた。
「はあ、やっぱり、そうですか」
彼は、がっくりと肩を落とした。
「まず、売上と仕入がごちゃ混ぜなのが問題です。これでは、月ごとの正確な損益が計算できません」
私はノートの余白に、簡単な図を書いて説明を始めた。
「それから、商品ごとの利益率も、全く考慮されていないようです」
「例えば、この木彫りの人形を見てください」
私は棚の奥から、埃をかぶった人形を一つ取り出した。
「これを村で銅貨十枚で仕入れて、ポルタで十五枚で売ったとします。利益は、銅貨五枚ですよね」
「へい、その通りです」
バエルさんは、こくりと頷いた。
「では、この人形を村からポルタまで運ぶのにかかった馬車代は。途中で食事をした費用は、どうですか」
私の質問に、バエルさんは口をぽかんと開けている。
「それらは、全て経費として計上しなければなりません。もしかしたら、この人形は売るほど赤字になっている可能性だってあるんですよ」
「なっ、赤字ですと」
バエルさんの顔が、さっと青ざめた。
「あり得ない話ではありません。商売の基本は、売上から経費を引いた利益を最大化することです」
私は、落ち着いて説明を続ける。
「そのためには、まず自分のお店の金の流れを、正確に把握する必要があります」
「お金の、流れ」
バエルさんは、私の言葉を繰り返した。
「そうです。そのために、複式簿記というものを導入します」
「ふくしき、ぼき」
初めて聞く言葉に、バエルさんは目をぱちくりさせている。
この世界にはまだ存在しない概念なのだから、当然の反応だ。
私は、根気強く説明を始めた。
「簡単に言えば、お金の動きを二つの側面から記録する方法です」
私は新しい羊皮紙に、ペンを走らせた。
「資産、負債、資本、収益、費用の五つです。このグループに分けて、全ての取引を記録していきます」
「そうすれば、お店の財産が今いくらあるのかが分かります。借金はどれくらいか、そしてどれだけ儲かったのかも、誰の目にも明らかになるんです」
私は前世の知識を、できるだけ分かりやすい言葉に噛み砕いて説明した。
最初は戸惑っていたバエルさんも、私の説明を聞くうちに瞳に知的な光が宿り始めた。
「すごい、なんだか、魔法みたいですな。そんな方法があったとは」
彼は、感嘆の声を漏らした。
「魔法ではありません。ただの、合理的な計算方法です」
私は、静かに言った。
「これを導入すれば、バエルさんのお店は必ず立て直せます」
「おお、是非、そのふくしきぼきとやらを、私に教えてはいただけませんか」
バエルさんは、興奮した様子で私の手を握った。
その手は、長年の苦労を物語るように節くれ立っていた。
私は、彼の目をまっすぐに見つめ返した。
「もちろん、そのつもりです。ただし、いくつか条件があります」
私は冷静に、こちらの要求を切り出した。
「まず、私をこの店の経理顧問として、正式に雇用してください。契約書も、作成します」
「け、経理顧問。もちろんですとも、喜んで」
彼は、力強く頷いた。
「次に、報酬です。月々の固定給として銀貨十枚を、それに加えてお店の利益が増加分の二割を成功報酬としていただきます」
少し強気な設定かとも思ったが、それだけの価値を提供できる自信はあった。
それに、相手が本気で店を立て直したいのなら、この条件を飲むはずだ。
「銀貨十枚に、利益の二割。分かりました、その条件で結構です」
バエルさんは、二つ返事で了承した。
彼の決断の速さに、私は少し驚いた。
それだけ、追い詰められていたということだろう。
「最後に、もう一つ。これが一番重要です」
私は、念を押した。
「私がこのポルタで活動するにあたって、バエルさんに私の保証人になっていただきたいのです。商業ギルドに登録する際などに、必要になるかと思いますので」
身寄りのない四歳の子供が、この大都市で生きていくためには信用の置ける後ろ盾が不可欠だ。
これが、私にとっての生命線だった。
「保証人。お安い御用です」
バエルさんは、胸を叩いて請け合った。
「命の恩人であるリリア殿の保証人になれるなど、光栄の極み。このバエル、命に代えても、あなた様をお守りいたしますぞ」
彼は感極まったように叫ぶと、その場に膝をついて私に傅こうとした。
「や、やめてください、そういうのは」
私は、慌ててそれを止めた。
あまり大袈裟にされると、かえって動きにくくなる。
私はあくまで、ビジネスパートナーとして対等な関係を築きたいのだ。
「と、とにかく、契約成立ということでよろしいですね」
私は咳払いをして、話を進めた。
「はっ、もちろんです。それでは早速、契約書を」
「契約書は、私が作成します」
私は、バエルさんの言葉を遮った。
「法律的に有効で、お互いに不利益にならないような、正式なものを作りますので、紙とペンを貸してください」
「なんと、契約書まで。リリア殿は、一体何者なのですか」
バエルさんは、呆然と私を見つめている。
「もしかして、どこぞの偉い貴族のご令嬢が、お忍びで」
「ただの、リリアですよ」
私はそれだけ言うと、バエルさんから受け取った羊皮紙に向かった。
さらさらと、契約書の文面を書き連ねていく。
前世で何度も目を通した、業務委託契約書の内容を思い出しながら。
事業者名、業務内容、報酬、契約期間、秘密保持義務。
必要な条項を、漏れなく記載していく。
その様子を、バエルさんは息を飲んで見守っていた。
四歳の子供が、淀みなく難解な法律用語を書き連ねていく光景は、常人には理解しがたいものだろう。
契約書を書き終え、私とバエルさんがそれぞれ署名を済ませる。
これで、私は正式に「バエル雑貨店」の経理顧問となった。
ポルタでの、記念すべき第一歩だ。
私の胸に、確かな手応えが湧き上がってきた。
「さて、では早速、仕事に取り掛かりましょうか」
私は、気持ちを切り替えて言った。
「まずは、この店の在庫を全て洗い出します。商品リストを作成して、それぞれの仕入れ値と現在の在庫数を正確に把握しますよ」
「は、はい。分かりました」
バエルさんは、緊張した面持ちで頷いた。
「フェン、あなたはお店の隅で、大人しく待っていてね」
私が声をかけると、フェンは賢く一声鳴いた。
「わん」
そして、商品の山に囲まれた一角にちょこんと座り込み、丸くなった。
私とバエルさんの、途方もない在庫整理が始まった。
まずは、店の中にあるものを一つ残らず外に出す。
店の前の通りは、あっという間にガラクタの山で埋め尽くされた。
道行く人々が、何事かと遠巻きに眺めている。
「こんなに、こんなにたくさんの物を、仕入れていたのか」
バエルさんは、目の前の光景に愕然としている。
「これが、在庫管理ができていない、ということです」
私は、淡々と指摘した。
「売れないものを仕入れ続け、それが店のスペースを圧迫し、さらに新しい商品を仕入れる。悪循環ですよ」
私は埃まみれの商品を、一つ一つ手に取り仕分けを始めた。
「これは、まだ売れる可能性がありますね。少し磨けば、綺麗になりそうです」
「この布は、もう虫に食われています。廃棄です」
「この壺は、何に使うのか分かりませんが、物好きな貴族なら買うかもしれません。保留にしておきましょう」
私の的確な仕分けに、バエルさんはただただ感心するばかりだった。
朝から始めた作業は、昼を過ぎても終わる気配がない。
そんな時、宿屋の女将さんが顔を出した。
お昼ご飯にと、サンドイッチを差し入れてくれたのだ。
「頑張るねえ。バエルさんのお店、綺麗になるのかい」
女将さんは、興味深そうに尋ねた。
「もちろんです。一ヶ月後には、この通りで一番の繁盛店にして見せますよ」
私の言葉に、女将さんはにこにこと笑っていた。
サンドイッチを頬張りながら、私は店の前に広げられた商品の山を眺める。
これは、ただのガラクタの山ではない。
私にとっては、宝の山だ。
この中から価値のあるものを見つけ出し、適正な価格で市場に流す。
そうすれば、死んでいた商品が再びお金を生み出す資産に変わる。
経理とは、ただ数字を計算するだけではない。
会社の資産を管理し、その価値を最大化させることが本当の役割なのだから。
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