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第31話 難攻不落の「鷹ノ巣城」
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『鷹ノ巣城』は、その名の通りまるで鷲の巣だった。
切り立った崖の上に、しがみつくようにして建てられた灰色の城。
空を突くようなその姿は、近づく者を拒む強い意志を感じさせた。
城へと続く道は、細く険しい山道が一本だけだ。
その道も、いくつもの見張り台と頑丈な柵によって固く守られている。
あれを正面から突破するのは、戦いに慣れた軍隊であっても不可能だろう。
ましてや、私たちはたったの六人と二匹だ。
「……こいつは、思った以上に厄介な城だな。」
森の中に馬車を隠し、遠眼鏡で城の様子を見ていたゼロ兄様がため息まじりに言った。
その声には、珍しく困難を楽しむ色はない。
「どうするんだい、ボス。あんな場所、空でも飛ばなきゃ入れねえぜ。」
小柄な盗賊のピップが、木の枝に座って面白そうに言った。
彼は、こういう状況ほど燃えるタイプだ。
元傭兵のバルガスも、腕を組んで唸っている。
その顔は、とても険しい。
「ううむ、あの守りは本物だ。噂通りの、臆病な皇子様らしい。あれでは、こちらから話し合いを持ちかけることすらできんな。」
紅一点のリラも、美しい眉をひそめていた。
長い髪を、風が揺らしている。
「無理に近づけば、矢の的にされるのがオチね。どうするの、リリアちゃん。」
仲間たちの視線が、私に集まった。
彼らは、この絶望的な状況を私がどうやって乗り越えるのか見ている。
その目には、期待と好奇心が混じっていた。
私は、遠眼鏡から目を離した。
そして、にっこりと微笑んでみせた。
「ええ、本当に完璧な守りですわ。だからこそ、こちらの作戦がうまくいくのです。」
「作戦、だと?」
ゼロ兄様が、不思議そうな顔で私を見る。
「はい。あの城に閉じこもっているフランツ皇子は、噂によれば『病弱』で『気弱』。そして、二人の兄君にひどく怯えている、とのことでしたわね。」
「ああ、それがどうした。」
ゼロ兄様の声は、少し尖っていた。
「臆病で、怯えている人間が一番欲しいものは何だと思いますか?」
私の問いかけに、仲間たちは首をひねった。
森の木々が、風にざわめいている。
「そりゃ、金か、兵隊だろう。」
バルガスが、単純に答える。
「それもそうですが、もっと根本的なものですわ。それは、『安心』と『奇跡』よ。」
私は、きっぱりと言い切った。
私の言葉に、みんなが集中する。
「病弱な彼には、自分の体を癒す奇跡の薬を。臆病な彼には、自分を守ってくれる絶対的な力を。私たちは、その両方を彼に差し出すのです。」
「だが、どうやってだ。門が、閉まっているんだぞ。」
バルガスが、もどかしそうに言った。
「だから、正面から行く必要はないのですわ。」
私は、盗賊のピップに視線を向けた。
彼は、枝の上で楽しそうに足を振っている。
「ピップ、あなたにしかできない仕事があります。あの城に、こっそり忍び込んでほしいのです。」
「忍び込む!?」
ピップは、目を輝かせた。
不可能に思える挑戦ほど、彼の心をくすぐるものはないらしい。
「面白そうだ、やってやろうじゃないか。だが、目的は何だ。」
「これをお城の、できるだけ皇子に近い場所に届けてほしいのです。例えば、厨房や侍従の部屋などにね。」
私は、荷馬車から小さな木箱を取り出した。
中には、私が昨夜のうちに用意しておいたものが二つ入っている。
一つは、青白く光る不思議な液体が入った小瓶。
『虹色の涙』のポーションとは比べ物にならない。
光る苔と薬草を混ぜ合わせただけの、ただ見た目が派手なだけの偽物の薬だ。
しかし、これに添えるもう一つが本物だった。
「そして、この手紙を一緒に。」
私が差し出した手紙には、こう書かれていた。
『病に苦しむ、気高き鷹ノ巣城の主君へ。
我らは、旅の薬師。
あなた様の苦しみを癒す、奇跡の薬を携えて参りました。
これは、ほんのしるし。
もし、本物の奇跡をお望みならば、明日の正午、城の門を開け我らを迎え入れよ。
我らは、あなた様の唯一の味方となる者。
――月の薬師団より』
「月の薬師団、ねえ。なかなか、詩的な名前じゃないか。」
リラが、面白そうに言った。
「ええ、少しは相手の心を引く名前でないと。ピップ、お願いできますか。」
「へへっ、任せておきな。あの程度の城、俺にかかれば庭を散歩するようなもんだぜ。」
ピップは、そう言うと黒い影のように森の中へ消えていった。
その動きは、本当にリスのように身軽で音一つ立てない。
彼なら、きっとうまくやってくれるだろう。
「さて、私たちは明日の正午まで、ここで待つだけですわ。」
「リリア、もしこの作戦が失敗したらどうする。」
ゼロ兄様が、低い声で尋ねた。
「その時は、その時よ。もっと面白い、別の作戦を考えればいいだけですわ。」
私の落ち着いた様子に、ゼロ兄様はあきれたようにため息をついた。
バルガスとリラも、この四歳の少女の度胸に改めて驚いているようだった。
私たちは、森の中で静かに夜が明けるのを待った。
フェンとノクスが、交代で私たちの周りを警戒してくれている。
そのおかげで、私は馬車の中でぐっすりと眠ることができた。
朝になり、ピップが何事もなかったかのように森から戻ってきた。
その手は、空っぽだ。
彼は、軽くあくびをしている。
「どうだった、ピップ。」
私が、小さな声で尋ねた。
「楽なもんさ。昨夜のうちに、厨房の裏口から忍び込んだ。食料庫の、一番目立つワイン樽の上に、例の箱を置いてきてやったぜ。あれなら、今朝には誰かが見つけているはずだ。」
ピップは、得意げに胸を張った。
これで、私たちの準備は全て整った。
あとは、相手がこちらの仕掛けた罠にどう食いついてくるかだ。
私たちは、馬車を森の中から引き出す。
そして、城へと続く街道の見える開けた場所で待機した。
城の見張り台から、私たちの馬車がはっきりと見えているはずだ。
『月の薬師団』と名乗る、怪しい一団が姿を現した。
城の中は、今ごろ大騒ぎになっているに違いない。
時間は、ゆっくりと流れていった。
太陽が、空の真上へと近づいてくる。
正午が、刻一刻と近づいていた。
バルガスが、緊張したようにゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。
彼の額には、汗が浮かんでいた。
「……本当に、門が開くのかね。」
「開きますわ、必ず。」
私は、自信を持って答えた。
病弱で、臆病。
そして、兄たちに怯えて砦に閉じこもっている皇子。
彼が、藁にもすがりたい気持ちでいることは間違いない。
そこに、『奇跡の薬』と『唯一の味方』という言葉が書かれた手紙が届いたのだ。
彼が、この誘いに乗らないはずがなかった。
そして、ついにその時が来た。
正午の鐘が、遠くの村からかすかに聞こえてくる。
それと、ほぼ同時だった。
ギイイイイ……。
重々しい、鉄がこすれるような音が響いた。
固く閉ざされていた、『鷹ノ巣城』の巨大な城門が、ゆっくりと開き始めたのだ。
「……開いた、本当に開いたぞ!」
バルガスが、興奮したように叫んだ。
リラとピップも、信じられないといった表情でその光景を見つめている。
ゼロ兄様だけが、つまらなそうに鼻を鳴らした。
城門の向こうから、一人の騎士が馬に乗ってこちらへやってくる。
その手には、白い旗が掲げられていた。
戦うつもりはない、というしるしだ。
騎士は、私たちの馬車の前で止まると、緊張した面持ちで口を開いた。
鎧が、太陽の光を反射している。
「『月の薬師団』の、方々でお間違いないかな。」
「はい、さようでございます。」
私が、馬車の窓から顔を出して答えた。
私の幼い姿を見て、騎士は一瞬だけひどく驚いた顔をした。
しかし、すぐに気を取り直して言葉を続ける。
彼は、咳を一つした。
「我が主、フランツ皇子殿下が、あなた方とお会いになるそうだ。ただし、城の中へ入れるのは、薬師団の代表者と、護衛の者一名のみ。そして、武器は全て置いてきてもらう。」
予想通りの、慎重な答えだった。
「分かりました、その条件を飲みましょう。」
私は、ためらうことなく答えた。
「おい、リリア。正気か。武器もなしに、敵の城へ二人きりで行くなんて。」
ゼロ兄様が、私の耳元でささやいた。
「大丈夫よ、兄様。私の本当の武器は、これなのですから。」
私は、自分の頭を指差してみせた。
そして、ゼロ兄様に向かってきっぱりと言う。
「兄様、護衛として私と一緒に来てください。」
「……チッ、分かったよ。お前の、好きにしろ。」
ゼロ兄様は、ぶっきらぼうにそう言う。
彼は、腰の剣を外してバルガスに預けた。
私も、フェンとノクスに馬車の留守番を頼む。
二匹は、とても心配そうな顔で私を見つめていた。
「いい子にしていてね。すぐに、戻ってくるから。」
私は、二匹の頭を優しく撫でた。
フェンの毛は、ふさふさだ。
ノクスの喉も、優しく撫でる。
そして、ゼロ兄様と共に馬を降りた。
「バルガス、ピップ、リラ。私たちが、もし日没までに戻らなかったら。その時は、計画通りこの城を捨てて王都へ戻りなさい。アーノルド殿下に、全てのことを報告するのよ。」
「リリア様、縁起でもないことを言わんでください。」
バルガスが、泣きそうな顔で言った。
「これは、最悪の場合の話よ。大丈夫、必ずうまくいきますわ。」
私は、仲間たちに力強い笑みを向けた。
そして、案内役の騎士と共に、開かれた城門へと向かって歩き出す。
城の中は、想像していたよりもずっと質素だった。
飾り気のあるものは、何一つない。
石がむき出しになった、冷たい廊下がどこまでも続いていた。
窓から差し込む光も、わずかだ。
すれ違う兵士たちの数も、驚くほど少ない。
しかし、その一人一人の目には、強い忠誠心の光が宿っていた。
彼らは、金や力ではなく、フランツ皇子という人間個人に仕えているのだ。
これは、少し予想外だった。
やがて、私たちは城の奥にある一つの小さな部屋へと案内された。
そこは、玉座の間のような立派な場所ではない。
書斎、と呼ぶべき部屋だった。
壁には、古い地図やたくさんの本がぎっしりと並んでいる。
部屋の真ん中には、大きな机が一つ。
そして、その向こう側に一人の青年が静かに座っていた。
彼が、三男のフランツ皇子。
年は、まだ十六か十七歳くらいだろうか。
噂に聞いていた通り、その体は細く顔色も少し青白い。
しかし、その瞳は違っていた。
気弱などでは、まったくない。
そこには、全てを見通すかのような、驚くほど冷静で知的な光が宿っていた。
彼は、病弱な学者のふりをしている、賢い狼だ。
私は、一目見てそれを理解した。
「……君が、『月の薬師団』の代表か。」
フランツ皇子が、静かな声で尋ねた。
その声は、細いが見事に鍛えられた鋼の糸のように、強い響きを持っていた。
「はい、殿下。私が、リリアと申します。この度は、お目にかかれて光栄ですわ。」
私は、優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をした。
フランツ皇子は、私の四歳の姿を見ても少しも驚いた様子を見せない。
ただ、じっと私を見つめている。
彼の隣には、白髪の老騎士が一人だけ、剣を握って控えていた。
部屋には、私たち四人だけだ。
「君が、この薬を送ってきたのだな。」
フランツ皇子は、机の上に置かれた偽物の薬瓶を指差した。
「はい、さようでございます。」
「フン、見事な偽物だ。こんなもので、この私をだませるとでも思ったのか。」
彼の冷たい言葉に、私の背後にいたゼロ兄様の空気がピリッと変わった。
しかし、私は慌てない。
むしろ、笑みを深くした。
「あら、偽物だとお気づきでしたか。さすがは、噂に違わぬ賢いお方ですわね。」
「お世辞は、よせ。本物の奇跡の薬、『虹色の涙』の噂は、私の耳にも届いている。君たちは、それを持っているのだろう。エルドラシア王国の、回し者め。」
フランツ皇子の言葉は、全てを言い当てていた。
彼は、私たちの正体にすでに気づいていたのだ。
最初から、全てお見通しだったというわけか。
これは、思った以上に手ごわい相手らしい。
「でしたら、話は早いですわね。」
私は、ふところから本物の『虹色の涙』のポーションが入った小瓶を取り出した。
七色に輝く液体が、薄暗い部屋の中で不思議な光を放つ。
フランツ皇子と、老騎士の目がその小瓶に釘付けになった。
「そうですわ、私たちはエルドラシア王国から参りました。そして、これが本物の『虹色の涙』です。」
フランツ皇子は、ゴクリと唾を飲んだ。
その瞳に、初めて抑えきれない欲望の色が浮かぶ。
「……それを、私にくれると。その代償は、何だ。」
「私の代償は、とてもシンプルですわ。」
私は、フランツ皇子の目をまっすぐに見つめ返した。
そして、はっきりと告げる。
「私は、あなたをガルディナ帝国の、次の皇帝にして差し上げますわ。」
切り立った崖の上に、しがみつくようにして建てられた灰色の城。
空を突くようなその姿は、近づく者を拒む強い意志を感じさせた。
城へと続く道は、細く険しい山道が一本だけだ。
その道も、いくつもの見張り台と頑丈な柵によって固く守られている。
あれを正面から突破するのは、戦いに慣れた軍隊であっても不可能だろう。
ましてや、私たちはたったの六人と二匹だ。
「……こいつは、思った以上に厄介な城だな。」
森の中に馬車を隠し、遠眼鏡で城の様子を見ていたゼロ兄様がため息まじりに言った。
その声には、珍しく困難を楽しむ色はない。
「どうするんだい、ボス。あんな場所、空でも飛ばなきゃ入れねえぜ。」
小柄な盗賊のピップが、木の枝に座って面白そうに言った。
彼は、こういう状況ほど燃えるタイプだ。
元傭兵のバルガスも、腕を組んで唸っている。
その顔は、とても険しい。
「ううむ、あの守りは本物だ。噂通りの、臆病な皇子様らしい。あれでは、こちらから話し合いを持ちかけることすらできんな。」
紅一点のリラも、美しい眉をひそめていた。
長い髪を、風が揺らしている。
「無理に近づけば、矢の的にされるのがオチね。どうするの、リリアちゃん。」
仲間たちの視線が、私に集まった。
彼らは、この絶望的な状況を私がどうやって乗り越えるのか見ている。
その目には、期待と好奇心が混じっていた。
私は、遠眼鏡から目を離した。
そして、にっこりと微笑んでみせた。
「ええ、本当に完璧な守りですわ。だからこそ、こちらの作戦がうまくいくのです。」
「作戦、だと?」
ゼロ兄様が、不思議そうな顔で私を見る。
「はい。あの城に閉じこもっているフランツ皇子は、噂によれば『病弱』で『気弱』。そして、二人の兄君にひどく怯えている、とのことでしたわね。」
「ああ、それがどうした。」
ゼロ兄様の声は、少し尖っていた。
「臆病で、怯えている人間が一番欲しいものは何だと思いますか?」
私の問いかけに、仲間たちは首をひねった。
森の木々が、風にざわめいている。
「そりゃ、金か、兵隊だろう。」
バルガスが、単純に答える。
「それもそうですが、もっと根本的なものですわ。それは、『安心』と『奇跡』よ。」
私は、きっぱりと言い切った。
私の言葉に、みんなが集中する。
「病弱な彼には、自分の体を癒す奇跡の薬を。臆病な彼には、自分を守ってくれる絶対的な力を。私たちは、その両方を彼に差し出すのです。」
「だが、どうやってだ。門が、閉まっているんだぞ。」
バルガスが、もどかしそうに言った。
「だから、正面から行く必要はないのですわ。」
私は、盗賊のピップに視線を向けた。
彼は、枝の上で楽しそうに足を振っている。
「ピップ、あなたにしかできない仕事があります。あの城に、こっそり忍び込んでほしいのです。」
「忍び込む!?」
ピップは、目を輝かせた。
不可能に思える挑戦ほど、彼の心をくすぐるものはないらしい。
「面白そうだ、やってやろうじゃないか。だが、目的は何だ。」
「これをお城の、できるだけ皇子に近い場所に届けてほしいのです。例えば、厨房や侍従の部屋などにね。」
私は、荷馬車から小さな木箱を取り出した。
中には、私が昨夜のうちに用意しておいたものが二つ入っている。
一つは、青白く光る不思議な液体が入った小瓶。
『虹色の涙』のポーションとは比べ物にならない。
光る苔と薬草を混ぜ合わせただけの、ただ見た目が派手なだけの偽物の薬だ。
しかし、これに添えるもう一つが本物だった。
「そして、この手紙を一緒に。」
私が差し出した手紙には、こう書かれていた。
『病に苦しむ、気高き鷹ノ巣城の主君へ。
我らは、旅の薬師。
あなた様の苦しみを癒す、奇跡の薬を携えて参りました。
これは、ほんのしるし。
もし、本物の奇跡をお望みならば、明日の正午、城の門を開け我らを迎え入れよ。
我らは、あなた様の唯一の味方となる者。
――月の薬師団より』
「月の薬師団、ねえ。なかなか、詩的な名前じゃないか。」
リラが、面白そうに言った。
「ええ、少しは相手の心を引く名前でないと。ピップ、お願いできますか。」
「へへっ、任せておきな。あの程度の城、俺にかかれば庭を散歩するようなもんだぜ。」
ピップは、そう言うと黒い影のように森の中へ消えていった。
その動きは、本当にリスのように身軽で音一つ立てない。
彼なら、きっとうまくやってくれるだろう。
「さて、私たちは明日の正午まで、ここで待つだけですわ。」
「リリア、もしこの作戦が失敗したらどうする。」
ゼロ兄様が、低い声で尋ねた。
「その時は、その時よ。もっと面白い、別の作戦を考えればいいだけですわ。」
私の落ち着いた様子に、ゼロ兄様はあきれたようにため息をついた。
バルガスとリラも、この四歳の少女の度胸に改めて驚いているようだった。
私たちは、森の中で静かに夜が明けるのを待った。
フェンとノクスが、交代で私たちの周りを警戒してくれている。
そのおかげで、私は馬車の中でぐっすりと眠ることができた。
朝になり、ピップが何事もなかったかのように森から戻ってきた。
その手は、空っぽだ。
彼は、軽くあくびをしている。
「どうだった、ピップ。」
私が、小さな声で尋ねた。
「楽なもんさ。昨夜のうちに、厨房の裏口から忍び込んだ。食料庫の、一番目立つワイン樽の上に、例の箱を置いてきてやったぜ。あれなら、今朝には誰かが見つけているはずだ。」
ピップは、得意げに胸を張った。
これで、私たちの準備は全て整った。
あとは、相手がこちらの仕掛けた罠にどう食いついてくるかだ。
私たちは、馬車を森の中から引き出す。
そして、城へと続く街道の見える開けた場所で待機した。
城の見張り台から、私たちの馬車がはっきりと見えているはずだ。
『月の薬師団』と名乗る、怪しい一団が姿を現した。
城の中は、今ごろ大騒ぎになっているに違いない。
時間は、ゆっくりと流れていった。
太陽が、空の真上へと近づいてくる。
正午が、刻一刻と近づいていた。
バルガスが、緊張したようにゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。
彼の額には、汗が浮かんでいた。
「……本当に、門が開くのかね。」
「開きますわ、必ず。」
私は、自信を持って答えた。
病弱で、臆病。
そして、兄たちに怯えて砦に閉じこもっている皇子。
彼が、藁にもすがりたい気持ちでいることは間違いない。
そこに、『奇跡の薬』と『唯一の味方』という言葉が書かれた手紙が届いたのだ。
彼が、この誘いに乗らないはずがなかった。
そして、ついにその時が来た。
正午の鐘が、遠くの村からかすかに聞こえてくる。
それと、ほぼ同時だった。
ギイイイイ……。
重々しい、鉄がこすれるような音が響いた。
固く閉ざされていた、『鷹ノ巣城』の巨大な城門が、ゆっくりと開き始めたのだ。
「……開いた、本当に開いたぞ!」
バルガスが、興奮したように叫んだ。
リラとピップも、信じられないといった表情でその光景を見つめている。
ゼロ兄様だけが、つまらなそうに鼻を鳴らした。
城門の向こうから、一人の騎士が馬に乗ってこちらへやってくる。
その手には、白い旗が掲げられていた。
戦うつもりはない、というしるしだ。
騎士は、私たちの馬車の前で止まると、緊張した面持ちで口を開いた。
鎧が、太陽の光を反射している。
「『月の薬師団』の、方々でお間違いないかな。」
「はい、さようでございます。」
私が、馬車の窓から顔を出して答えた。
私の幼い姿を見て、騎士は一瞬だけひどく驚いた顔をした。
しかし、すぐに気を取り直して言葉を続ける。
彼は、咳を一つした。
「我が主、フランツ皇子殿下が、あなた方とお会いになるそうだ。ただし、城の中へ入れるのは、薬師団の代表者と、護衛の者一名のみ。そして、武器は全て置いてきてもらう。」
予想通りの、慎重な答えだった。
「分かりました、その条件を飲みましょう。」
私は、ためらうことなく答えた。
「おい、リリア。正気か。武器もなしに、敵の城へ二人きりで行くなんて。」
ゼロ兄様が、私の耳元でささやいた。
「大丈夫よ、兄様。私の本当の武器は、これなのですから。」
私は、自分の頭を指差してみせた。
そして、ゼロ兄様に向かってきっぱりと言う。
「兄様、護衛として私と一緒に来てください。」
「……チッ、分かったよ。お前の、好きにしろ。」
ゼロ兄様は、ぶっきらぼうにそう言う。
彼は、腰の剣を外してバルガスに預けた。
私も、フェンとノクスに馬車の留守番を頼む。
二匹は、とても心配そうな顔で私を見つめていた。
「いい子にしていてね。すぐに、戻ってくるから。」
私は、二匹の頭を優しく撫でた。
フェンの毛は、ふさふさだ。
ノクスの喉も、優しく撫でる。
そして、ゼロ兄様と共に馬を降りた。
「バルガス、ピップ、リラ。私たちが、もし日没までに戻らなかったら。その時は、計画通りこの城を捨てて王都へ戻りなさい。アーノルド殿下に、全てのことを報告するのよ。」
「リリア様、縁起でもないことを言わんでください。」
バルガスが、泣きそうな顔で言った。
「これは、最悪の場合の話よ。大丈夫、必ずうまくいきますわ。」
私は、仲間たちに力強い笑みを向けた。
そして、案内役の騎士と共に、開かれた城門へと向かって歩き出す。
城の中は、想像していたよりもずっと質素だった。
飾り気のあるものは、何一つない。
石がむき出しになった、冷たい廊下がどこまでも続いていた。
窓から差し込む光も、わずかだ。
すれ違う兵士たちの数も、驚くほど少ない。
しかし、その一人一人の目には、強い忠誠心の光が宿っていた。
彼らは、金や力ではなく、フランツ皇子という人間個人に仕えているのだ。
これは、少し予想外だった。
やがて、私たちは城の奥にある一つの小さな部屋へと案内された。
そこは、玉座の間のような立派な場所ではない。
書斎、と呼ぶべき部屋だった。
壁には、古い地図やたくさんの本がぎっしりと並んでいる。
部屋の真ん中には、大きな机が一つ。
そして、その向こう側に一人の青年が静かに座っていた。
彼が、三男のフランツ皇子。
年は、まだ十六か十七歳くらいだろうか。
噂に聞いていた通り、その体は細く顔色も少し青白い。
しかし、その瞳は違っていた。
気弱などでは、まったくない。
そこには、全てを見通すかのような、驚くほど冷静で知的な光が宿っていた。
彼は、病弱な学者のふりをしている、賢い狼だ。
私は、一目見てそれを理解した。
「……君が、『月の薬師団』の代表か。」
フランツ皇子が、静かな声で尋ねた。
その声は、細いが見事に鍛えられた鋼の糸のように、強い響きを持っていた。
「はい、殿下。私が、リリアと申します。この度は、お目にかかれて光栄ですわ。」
私は、優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をした。
フランツ皇子は、私の四歳の姿を見ても少しも驚いた様子を見せない。
ただ、じっと私を見つめている。
彼の隣には、白髪の老騎士が一人だけ、剣を握って控えていた。
部屋には、私たち四人だけだ。
「君が、この薬を送ってきたのだな。」
フランツ皇子は、机の上に置かれた偽物の薬瓶を指差した。
「はい、さようでございます。」
「フン、見事な偽物だ。こんなもので、この私をだませるとでも思ったのか。」
彼の冷たい言葉に、私の背後にいたゼロ兄様の空気がピリッと変わった。
しかし、私は慌てない。
むしろ、笑みを深くした。
「あら、偽物だとお気づきでしたか。さすがは、噂に違わぬ賢いお方ですわね。」
「お世辞は、よせ。本物の奇跡の薬、『虹色の涙』の噂は、私の耳にも届いている。君たちは、それを持っているのだろう。エルドラシア王国の、回し者め。」
フランツ皇子の言葉は、全てを言い当てていた。
彼は、私たちの正体にすでに気づいていたのだ。
最初から、全てお見通しだったというわけか。
これは、思った以上に手ごわい相手らしい。
「でしたら、話は早いですわね。」
私は、ふところから本物の『虹色の涙』のポーションが入った小瓶を取り出した。
七色に輝く液体が、薄暗い部屋の中で不思議な光を放つ。
フランツ皇子と、老騎士の目がその小瓶に釘付けになった。
「そうですわ、私たちはエルドラシア王国から参りました。そして、これが本物の『虹色の涙』です。」
フランツ皇子は、ゴクリと唾を飲んだ。
その瞳に、初めて抑えきれない欲望の色が浮かぶ。
「……それを、私にくれると。その代償は、何だ。」
「私の代償は、とてもシンプルですわ。」
私は、フランツ皇子の目をまっすぐに見つめ返した。
そして、はっきりと告げる。
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