ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)

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第32話 賢い狼との密約

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私のあまりにも大胆な言葉に、部屋の空気は凍りついた。
フランツ皇子の隣に控えていた老騎士、クーノ卿が激しく反応した。

「小娘が、何を失礼なことを!」

クーノ卿は、即座に剣の柄に手をかけた。
その目には、私に対する強い怒りが浮かんでいる。
ゼロ兄様が、すっと一歩前に出た。
武器は持っていないが、その体からは老騎士を圧倒するほどの鋭い気が放たれる。
二人の間に、目に見えない火花が散った。

「待て、クーノ。」

その緊張を破ったのは、フランツ皇子の静かな声だった。

「剣を、収めろ。」

「しかし、殿下!この者たちは、あまりにも失礼です!」

「良いのだ。私は、彼女の言葉の続きが聞きたい。」

フランツ皇子は、クーノ卿を手で制した。
その青白い顔には、先ほどまでの冷静さを超えた強い好奇心が浮かんでいる。
彼は、椅子に深く座り直した。

「続けろ、リリアと言ったか。どうやって、この私を皇帝にすると言うのだ。この城に、閉じこもるしかできない、この私をな。」

彼の声には、自分を馬鹿にするような響きがあった。
だが、その瞳の奥は笑っていない。
彼は、私の言葉の真価を試しているのだ。

「殿下は、ご自分のことを『力のない、臆病な皇子』だと思っておいでですか。それは、大きな間違いですわ。」

私は、きっぱりと言い切った。
私の声は、部屋の中によく響いた。

「あなたのお二人の兄君、ゲオルグ皇子とルドヴィーク皇子。彼らは、確かに大きな軍隊と富を持っています。ですが、それは砂の上に建てた城のようなもの。見た目は立派ですが、とてももろいものですわ。」

「ほう、どういうことだ。」
フランツ皇子が、興味深そうに身を乗り出してきた。

「ゲオルグ皇子は、力ですべてを支配しようとしています。彼の軍隊は、領民から食料を奪い、逆らう者を殺すことしか知りません。そのようなやり方で、人々の心は決して得られません。それどころか、人々は彼を深く恨んでいます。今は、その力に怯えて従っています。しかし、一度でも彼が弱さを見せれば人々は一斉に彼に背を向けるでしょう。」

「次男のルドヴィーク皇子も、同じですわ。彼は、金ですべてを解決しようとしています。重い税をかけ、商人たちを無理やり従わせている。その結果、帝国の経済はすでに壊れる寸前です。物が流れなくなり、人々は明日のパンにも困っています。金で買った忠誠心は、金がなくなれば消えてしまいます。彼が、金を与えられなくなった時、彼に従う者はいなくなるでしょう。」

私の冷静な分析に、フランツ皇子もクーノ卿も言葉を失っていた。
四歳の子供が、帝国の国の様子をこれほど正確にわかっているとは信じられなかったのだろう。

「では、殿下。あなた様は、どうです。あなた様には、軍隊も金もありません。ですが、あなた様にはお二人の兄君が逆立ちしても手に入れられない、最強の武器がありますわ。」

「最強の、武器だと。」
皇子が、静かにつぶやいた。

「はい。それは、『民衆の希望』です。」

私は、はっきりと告げた。

「人々は、ゲオルグ皇子の暴力に怯えています。そして、ルドヴィーク皇子の欲深さに苦しんでいます。彼らは、この国を救ってくれる、真の指導者を心の底から待ち望んでいるのです。そして、亡きお母様の優しさと、あなた様の賢さを受け継いだフランツ殿下こそがその希望の光だと、彼らは噂し始めています。」

「……!」

フランツ皇子の目が、大きく見開かれた。
彼も、自分が民衆からそう見られているとは知らなかったのだろう。
クーノ卿も、驚いた顔をしている。

「ですが、殿下。希望だけでは、戦には勝てませんわ。希望を、現実に変えるための『力』が必要です。そして、私たち『月の薬師団』は、その力をご提供するために参りました。」

「力、だと。」
「それは、エルドラシア王国が、我らに軍隊を送ってくれるとでも言うのか。」
クーノ卿が、疑うような目で尋ねた。

「いいえ、もっと良いものですわ。」

私は、テーブルの上に『虹色の涙』のポーションを静かに置いた。
七色の光が、部屋の隅々まで照らし出す。
その光は、とても美しかった。

「これは、奇跡の薬。どんな重い傷も、一瞬で治すことができます。そして、私たちの仲間はこれを大量に作り出す技術を持っています。」

「なっ……!」

フランツ皇子とクーノ卿は、息をのんだ。
その薬が本物であることは、その神々しい光を見れば明らかだった。
皇子の手が、かすかに震えている。

「それだけでは、ありませんわ。私たちの一団は、ただの薬師ではありません。本当の姿は、エルドラシア王国で最も力のある大商人の集まりです。私たちには、この内乱で苦しむ人々を救うための、大量の食料があります。そして、殿下の軍隊を整えるための、莫大なお金も用意できますわ。」

私は、アーノルド殿下から預かった資金の力を、あえて自分の力として語った。
その方が、彼らをこちらに引き込みやすいからだ。

「ポーション、食料、そして金。」

フランツ皇子は、私の言葉を一つ一つ確かめるように繰り返した。
その瞳には、今までになかった熱い光が宿り始めていた。
彼が、どれほどこれらのものを欲していたか、その表情が示している。

「我々は、殿下にこれら全てをご提供いたします。殿下は、その力を使い民衆の救い主となるのです。ゲオルグ皇子の軍隊が、村を焼き払った後。あなたは、食料と薬を持って現れる。ルドヴィーク皇子の税に苦しむ街に、あなたは安い値段で穀物を売ってあげるのです。人々は、どちらを真の皇帝として選ぶでしょうか。答えは、明らかですわよね。」

私の言葉は、フランツ皇子の心に深く響いたようだった。
彼の青白い頬が、興奮でかすかに赤くなっている。
彼は、自分が勝利する未来の姿をはっきりと頭の中に描いていた。

「……見事な、作戦だ。リリア、君は恐ろしい子供だな。だが、君たちの目的はなんだ。タダで、これほどのものを私に差し出すわけがないだろう。」

フランツ皇子が、鋭い視線で私を見つめた。
彼が、賢い狼である証拠だ。
彼は、ちゃんと代償を求めてきた。

「はい、もちろん代償を求めますわ。私たちが望むのは、ただ一つ。殿下が、皇帝の座につかれた暁には、私たち『月の薬師団』――いえ、『エルドラシア王国』との間に、永遠の友好条約と、自由な貿易協定を結んでいただきたいのです。」

「貿易協定、だと。」
皇子が、聞き返した。

「左様ですわ。私たちは、あなた様の国と争いたいのではありません。共に、栄えていきたいのです。内乱が続けば、両国の民が苦しむだけ。しかし、あなた様のような賢明な方が皇帝となれば、両国はかつてないほどの繁栄を手にできるはずです。これは、あなた様の国を救うための、そして私たち自身の未来のための『投資』なのですわ。」

私の言葉を聞き終えたフランツ皇子は、しばらくの間黙り込んだ。
彼は、私の言葉の裏にある、エルドラシア王国の真の狙いを探っているようだった。
クーノ卿も、難しい顔で考え込んでいる。

重い沈黙が、部屋を支配した。
その沈黙を破ったのは、フランツ皇子の静かだが、力強い声だった。

「……良いだろう。その取引、乗った。」

彼は、椅子からゆっくりと立ち上がった。
そして、私に向かって右手を差し出す。
その細い手には、一国の未来を背負う王族としての覚悟がみなぎっていた。

「リリア・アークライト、君は今日から私のただ一人の『共犯者』だ。私に、力を貸してくれ。共に、この腐った帝国を内側から作り変えよう。」

その瞳は、もはや病弱な皇子のものではなかった。
それは、歴史に名を残すであろう、一人の若き皇帝の瞳だった。

私は、その手をためらうことなく握り返した。
私の小さな手が、彼の手にすっぽりと包まれる。

「はい、殿下。このリリア、命に代えてもあなた様を玉座へと導いてみせますわ。」

こうして、私とガルディナ帝国で最も賢い皇子との間に秘密の契約が結ばれた。
それは、この大陸の歴史を大きく塗り替えることになる、小さな第一歩だった。

「さて、殿下。私たちの契約は、成立しましたわね。では、さっそく最初の仕事に取り掛かりましょうか。」

私は、握った手を離すと、仕事の顔へと切り替わった。
フランツ皇子も、満足そうにうなずく。

「最初の仕事、か。何をすればいい。ゲオルグ兄上の、軍隊を叩くのか。」

「いいえ、違いますわ。私たちが、最初に叩くべき相手は、あなたのその『病弱で気弱な皇子』という、つまらない噂の方ですのよ。」

私の言葉に、フランツ皇子は不思議そうな顔をした。
私は、いたずらっぽく笑ってみせる。

「殿下には、これから派手な『お芝居』をしていただきますわ。帝国の全ての民衆を、あっと驚かせるような、最高の舞台をご用意いたします。」

「芝居、だと?」

「ええ。殿下が、いかに民衆を愛する慈悲深い指導者であるか。そして、二人の兄君がいかにひどい悪党であるか。それを、帝国の全ての人々に知らしめるための、壮大な情報操作を始めるのですわ。」

私の頭の中では、すでに次の計画が完璧に動き出していた。
フランツ皇子を、『民衆の救世主』として仕立て上げるための、巧妙な作戦が。
フランツ皇子は、私の言葉の意味をすぐに理解したようだった。
その口元に、私とよく似た賢そうな、そして少しだけ意地悪な笑みが浮かぶ。

「面白い。実に、面白い。君という共犯者を得て、私は本当に幸運だったようだ。」

彼との仕事は、思った以上に楽しいものになりそうだった。
私は、新たな挑戦が始まることに胸を躍らせていた。
私たちが、城を出る時が来た。
フランツ皇子とクーノ卿が、自ら城門まで私たちを見送ってくれた。

「リリア殿、これを持っていかれよ。」

クーノ卿が、私に一つの古い指輪を手渡した。
それは、鷹の紋章が刻まれた、銀の指輪だった。
少し、ひんやりとしている。

「それは、フランツ殿下に仕える者だけが持つ、忠誠の証だ。それがあれば、殿下の配下の者たちは、あなた様を我々と同等と認めるだろう。」

「ありがとうございます、クーノ卿。大切に、いたしますわ。」

私は、その指輪をしっかりと受け取った。
フランツ皇子も、私に向かって静かにうなずく。

「リリア、君の報告を楽しみに待っている。くれぐれも、気をつけてな。」

その声には、ビジネスパートナーに対する、確かな信頼がこもっていた。
私とゼロ兄様は、彼らに一礼すると城を後にした。

森の中で待っていた、仲間たちと合流する。
バルガスたちが、心配そうな顔で私たちに駆け寄ってきた。

「リリア様、ご無事で。一体、城の中はどうだったんですかい。」

「ええ、うまくいきましたわ。最高の、仕事相手を見つけてきました。さあ、王都へ戻りましょう。休んでいる暇は、ありませんわよ。」

私は、仲間たちに笑顔で言った。
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