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第66話 鉄路の凱旋と黄金の果実への渇望
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北の大地での一仕事を終えた私は、再び魔導列車『アークライト・ゼロ』の最上級スイート車両に身を沈めていた。
王宮の寝室さえも凌駕するほどの豪華さを誇るこの空間は、私の計算し尽くされた設計によって、揺れなど微塵も感じさせない快適な移動要塞となっている。
窓の外では、見渡す限りの白銀の世界が、まるで早回しの活動写真のように後方へと飛び去っていく。
かつて馬車で数週間を要した死の雪道を、わずか数時間で駆け抜けるこの速度。
これこそが、私がこの世界にもたらした「文明」という名の暴力的なまでの利便性だ。
「リリア様。アイゼン領から積み込みました試作品、『雪原カモの極上レバーパテ』でございます」
セバスチャンが、音もなく銀のワゴンを運んできた。
テーブルの上に置かれたのは、陶器の器に詰められた薄紅色のペーストと、薄くスライスされ、カリカリに焼かれたバゲットだ。
香ばしい小麦の香りと、濃厚な肉の匂いが混ざり合い、私の食欲中枢を直接殴りつけてくる。
私は銀のナイフを手に取り、パテをたっぷりとすくい上げた。
滑らかな感触が指先に伝わる。
それを熱々のバゲットに塗りつけ、優雅に口へと運んだ。
「……んっ!」
舌の上に乗せた瞬間、濃厚な旨味の爆弾が炸裂した。
雪原カモ特有の、鉄分を含んだ力強いレバーの風味が、黒胡椒のピリッとした刺激と共に鼻腔を突き抜ける。
臭みなど微塵もない。
あるのは、生命力そのものを凝縮したような、圧倒的なコクと甘みだけだ。
隠し味に使われているブランデーの香りが、後味を驚くほど上品にまとめている。
私は咀嚼しながら、その完成度の高さに思わず目を細めた。
「素晴らしいわ、セバスチャン。冷めても風味が落ちないどころか、むしろ味が馴染んで深みが増している。これなら、車内販売の目玉商品として十分に通用するわね」
「左様でございますか。料理長も喜びましょう」
「ええ。ですが、ただ売るだけでは面白くありませんわ」
私はナプキンで口元を拭い、手元の魔法端末――魔石を埋め込んだ計算機兼メモ帳――を取り出した。
素早く利益率を計算し、販売戦略を構築していく。
「このパテには、『北の守護神・アイゼン候が愛した至高の酒肴』という仰々しいキャッチコピーをつけなさい。そして、一日限定五十個、一人一個までという購入制限を設けるの」
「限定、でございますか? 工場をフル稼働させれば、一日に千個は製造可能ですが」
「駄目よ。人は、いつでも買えるものには価値を感じない生き物なの。手に入らないかもしれないという焦燥感と、手に入れた時の優越感。それこそが、商品の味を何倍にも美味しく感じさせる最高のスパイスなのですから」
私の言葉に、セバスチャンは感服したように深く頭を下げた。
需要と供給をコントロールし、消費者の心理すらも支配下に置く。
これこそが、アークライト商会が短期間で巨万の富を築き上げた秘訣だ。
「わんっ! リリアさま、そのいいにおいのするパン、ぼくもたべたいです!」
「にゃあ。私には、パテだけを頂戴。パンは糖質が気になるわ」
足元で、フェンとノクスが私のドレスを引っ張った。
退屈な移動時間に飽きていた二匹も、この芳醇な香りには抗えないようだ。
「はいはい。お行儀よくしていたご褒美よ」
私は二匹専用の皿に、たっぷりとパテを盛り付けてやった。
フェンは尻尾を振って食らいつき、ノクスは舌なめずりをしながら優雅に舐め取る。
世界最強クラスの聖獣と魔獣が、レバーパテ一つでこれほど幸せそうな顔をするのだ。
食の力とは、やはり偉大である。
列車は時速百キロを超える速度を維持したまま、南へとひた走る。
窓の外の景色は、いつしか雪原の白から、湿地帯の茶色へ、そして豊かな草原の緑へと劇的に変化していた。
季節すらも置き去りにするこの速度感に、私は征服者としての快感を覚える。
この鉄路が繋がったことで、北の資源と南の富は、私の手のひらの上で完全に循環を始めたのだ。
「リリア様。間もなく、王都アウレリア中央駅に到着いたします」
セバスチャンの報告と同時に、列車の汽笛が高らかに鳴り響いた。
ポォォォォォォォォォォッ!!
それは、王の帰還を告げるファンファーレのように、王都の空気を震わせた。
列車が巨大なドーム状の駅舎へと滑り込む。
窓の外を見ると、ホームには溢れんばかりの人だかりができていた。
彼らはアークライト商会の旗を振り、熱狂的な眼差しでこちらの車両を見つめている。
「リリア様、万歳! アークライト商会、万歳!」
「北の英雄のお帰りだ!」
地鳴りのような歓声が、分厚い防音ガラスを突き抜けて聞こえてきた。
私は窓越しに彼らを見下ろし、冷めた思考で群衆を観察する。
彼らは私を崇拝しているが、私にとって彼らは、私の商品を消費し、私の富を増やすための「優良な顧客」に過ぎない。
顧客満足度を高め、彼らの財布の紐を緩め続けること。
それが、私に課せられた使命であり、最大の楽しみでもある。
「相変わらずの熱狂ぶりですな。リリア様の一挙手一投足が、この国の経済を動かしている証拠です」
護衛のレオン様が、窓の外を見て感嘆のため息を漏らした。
彼の金色の髪が、車内の照明を受けてきらりと光る。
「ええ。彼らの期待に応えるためにも、次の『商品』を用意してあげなくてはなりませんわね」
列車が完全に停止し、扉が開く。
私はフェンとノクスを従え、堂々とした足取りでホームへと降り立った。
瞬間、歓声が爆発的に大きくなる。
私は群衆に向けて、練習通りの完璧な営業スマイルを向けながら、迎えの馬車へと乗り込んだ。
馬車の中に入ると、すぐにセバスチャンが一通の封筒を差し出してきた。
王家の紋章が押された、最高級の羊皮紙だ。
「アーノルド殿下からの招待状でございます。『帰国早々ですまないが、土産話を聞かせてほしい』とのことです」
「やれやれ。あの王子様も、相変わらず耳が早いですわね。私が到着する秒数まで計算していたのかしら」
私は苦笑しながら封筒を開けた。
中身は予想通り、即時の参内を求める内容だった。
休む暇などない。
だが、それこそが私の望むところだ。
時は金なり。
立ち止まっている時間があるなら、一秒でも早く次の利益を生み出さなければならない。
「王宮へ向かって。殿下に、最高に景気のいい報告をして差し上げるわ」
私はドレスを着替え、髪を整え直すと、再び馬車を走らせた。
王宮の門をくぐり、慣れ親しんだ回廊を進む。
案内されたのは、いつもの『白薔薇の間』だ。
扉を開けると、アーノルド殿下が窓辺に立ち、王都の街並みを眺めていた。
彼は私の足音に気づくと、ゆっくりと振り返り、美しい顔に笑みを浮かべた。
「おかえり、リリア。君がいない間、王都の空気は少し澱んでいて退屈だったよ」
「殿下、ご機嫌よう。お待たせいたしましたわ。北の空気と、莫大な税収をお土産に持ってまいりました」
私はテーブルの上に、分厚い報告書をドサリと置いた。
殿下は目を丸くしてその書類を手に取り、パラパラとページをめくる。
そこに並んでいる数字を見て、彼は愉快そうに声を上げて笑った。
「……ははは! これは凄い。北国の収益が、昨対比で三倍か。しかも、来期の予測では五倍になると?」
「ええ、間違いありませんわ。鉄道による輸送コストの削減と、精錬所の稼働による付加価値の向上。それらが、机上の空論ではなく現実の数字として証明されました」
私は胸を張り、自信満々に説明を加えた。
これまで捨て値で取引されていた鉄鉱石が、現地で高純度のインゴットに加工されることで、どれほどの利益を生むか。
そして、新鮮なまま運ばれるようになった海産物やジビエが、王都の市場でどれほどの高値で取引されているか。
全ては、私の描いたシナリオ通りだ。
「君は本当に、石ころをお金に変える錬金術師だな。いや、それ以上か」
「いいえ。私はただ、そこに眠っている価値を掘り起こし、適切な場所に運んだだけですわ。無駄をなくし、効率を最大化する。それが商売の基本ですもの」
「無駄をなくす、か。君の口から聞くと、それが世界を変える魔法の言葉に聞こえるよ」
殿下は報告書を置き、真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳の奥には、次の展開を期待する好奇心と、為政者としての鋭い光が宿っている。
「それで? 北を制圧した君は、次はどこを狙っているのかな。その貪欲な瞳は、すでに次の獲物を捉えているように見えるが」
「ご明察ですわ、殿下」
私は立ち上がり、壁に貼られた大陸全土の巨大な地図の前に歩み寄った。
そして、迷うことなくその指先を「西」の方角へと向けた。
そこには、広大な砂漠地帯と、その先に点在するオアシス都市が描かれている。
「次は、西の果実を狙いますわ」
「西……? あそこは、数年に一度の大干ばつに見舞われ、今は作物が壊滅状態だと聞いているぞ。投資する価値などあるのか?」
殿下が怪訝そうな顔をする。
常識的に考えれば、死にかけている土地に金を注ぎ込むのは愚策だ。
だが、常識の逆を行くところにこそ、本当の勝機はある。
「だからこそ、ですわ。干ばつで苦しむ領主たちは今、喉から手が出るほど『水』と『資金』を欲しています。彼らの足元を見るには、絶好の機会ですわ」
私は、頭の中で組み立てていた壮大な計画を披露した。
「私はそこに、アークライト商会の技術と資金を総動員して、『魔法の灌漑システム』を建設します」
「地下深くの水脈から水を汲み上げ、砂漠の大地に血管のように水路を張り巡らせるのです。水を失った土地に水を与えれば、そこは瞬く間に緑の楽園へと変わります」
私の言葉に、殿下が息を呑む気配がした。
「そして、その見返りとして……その土地で採れる全ての果実、レモンやオレンジ、デーツといった農産物の販売権を、未来永劫独占するのです」
「救済を装った、完全な経済支配……か。相変わらず、君のやり方は恐ろしいほど合理的だな」
殿下は呆れたように、しかし確かな敬意を込めて溜息をついた。
「ええ。西のレモンやオレンジが、鉄道に乗って新鮮なまま王都へ運ばれるようになれば、食文化は劇的に進化しますわ」
「レモンを使った爽やかなタルト、オレンジの香りがするチョコレート、デーツの濃厚な甘みを生かした新しい焼き菓子……。想像するだけで、お腹が空いてきませんこと?」
私はにっこりと、無邪気な六歳の少女の仮面を被って笑ってみせた。
だがその言葉の裏には、大陸の物流を完全に掌握し、全ての食卓を私の支配下に置くという、底知れぬ野望が渦巻いている。
殿下は私のその本質を見抜き、もはや抗うことを諦めたように肩をすくめた。
「分かった。君の好きにするといい。西への鉄道延伸許可証と、開発に関する全権委任状をすぐに用意させよう」
「感謝いたします、殿下。……ああ、そうですわ。一つ、大事なことを忘れておりました」
私は帰り支度を始めようとして、ふと思い出したように足を止めた。
「北のアイゼン候から、今回の成功を祝して、最高級の『雪原カモ』を一千羽、王宮へ寄贈させましたわ」
「今夜の晩餐会で、ぜひ皆様に振る舞ってくださいませ。……もちろん、私の商会の宣伝も兼ねて、ね」
「一千羽だと!? ははは、相変わらず規模がおかしいな。分かった、最高のシェフを用意して、君の宣伝に協力しよう」
殿下は愉快そうに笑い、私を見送った。
王宮を出る頃には、空は鮮やかな茜色に染まっていた。
心地よい疲労感と共に、私は馬車に乗り込む。
北の次は、西。
私の休む暇などない。
やりたいことは山ほどあり、世界にはまだ私の知らない「美味しいもの」が溢れているのだ。
「フェン、ノクス。次は砂漠の探検よ。少し暑いけれど、飛び切り美味しいジュースのために頑張りましょうね」
「わんっ! あついのは、ぼくの風魔法ですずしくします! じゅーす、たのしみです!」
「にゃあ。キンキンに冷えた果実……。想像しただけで喉が鳴るわね」
二匹の相棒も、私の野望に付き合う気満々だ。
フェンは頼もしく胸を張り、ノクスは期待に目を輝かせている。
馬車が屋敷に向かって走り出す中、私は手帳を開き、次の目標金額を書き込んだ。
数字は嘘をつかない。
私の計算式に間違いがなければ、西方の開発によって得られる利益は、北方のそれをさらに上回るはずだ。
世界が私の色に染まり、全ての美味しいものが私のもとに集まってくる。
そんな未来を夢見て、私は小さく唇を舐めた。
屋敷に到着すると、セバスチャンが門の前で待ち構えていた。
彼の表情は、いつもの冷静な執事の顔だが、その目には次なる仕事への予感が宿っている。
「リリア様、お帰りなさいませ。……早速ですが、西方より『お客様』がお見えです」
「あら、仕事が早いわね」
「はい。西のオアシス都市からの特使、バジル殿と名乗る方が、応接室でお待ちです」
セバスチャンの報告に、私の口角が自然と吊り上がる。
向こうから飛び込んでくるとは、好都合だ。
これなら、交渉の手間が大幅に省ける。
「いいわ。最高に甘いレモネードを飲みながら、彼らの『泣き言』を聞いてあげましょうか」
私はマントを翻し、屋敷の中へと足を踏み入れた。
西への扉は、今まさに開かれようとしている。
私の手の中には、砂漠を黄金の畑に変えるための、完璧な「数字」が揃っているのだから。
王宮の寝室さえも凌駕するほどの豪華さを誇るこの空間は、私の計算し尽くされた設計によって、揺れなど微塵も感じさせない快適な移動要塞となっている。
窓の外では、見渡す限りの白銀の世界が、まるで早回しの活動写真のように後方へと飛び去っていく。
かつて馬車で数週間を要した死の雪道を、わずか数時間で駆け抜けるこの速度。
これこそが、私がこの世界にもたらした「文明」という名の暴力的なまでの利便性だ。
「リリア様。アイゼン領から積み込みました試作品、『雪原カモの極上レバーパテ』でございます」
セバスチャンが、音もなく銀のワゴンを運んできた。
テーブルの上に置かれたのは、陶器の器に詰められた薄紅色のペーストと、薄くスライスされ、カリカリに焼かれたバゲットだ。
香ばしい小麦の香りと、濃厚な肉の匂いが混ざり合い、私の食欲中枢を直接殴りつけてくる。
私は銀のナイフを手に取り、パテをたっぷりとすくい上げた。
滑らかな感触が指先に伝わる。
それを熱々のバゲットに塗りつけ、優雅に口へと運んだ。
「……んっ!」
舌の上に乗せた瞬間、濃厚な旨味の爆弾が炸裂した。
雪原カモ特有の、鉄分を含んだ力強いレバーの風味が、黒胡椒のピリッとした刺激と共に鼻腔を突き抜ける。
臭みなど微塵もない。
あるのは、生命力そのものを凝縮したような、圧倒的なコクと甘みだけだ。
隠し味に使われているブランデーの香りが、後味を驚くほど上品にまとめている。
私は咀嚼しながら、その完成度の高さに思わず目を細めた。
「素晴らしいわ、セバスチャン。冷めても風味が落ちないどころか、むしろ味が馴染んで深みが増している。これなら、車内販売の目玉商品として十分に通用するわね」
「左様でございますか。料理長も喜びましょう」
「ええ。ですが、ただ売るだけでは面白くありませんわ」
私はナプキンで口元を拭い、手元の魔法端末――魔石を埋め込んだ計算機兼メモ帳――を取り出した。
素早く利益率を計算し、販売戦略を構築していく。
「このパテには、『北の守護神・アイゼン候が愛した至高の酒肴』という仰々しいキャッチコピーをつけなさい。そして、一日限定五十個、一人一個までという購入制限を設けるの」
「限定、でございますか? 工場をフル稼働させれば、一日に千個は製造可能ですが」
「駄目よ。人は、いつでも買えるものには価値を感じない生き物なの。手に入らないかもしれないという焦燥感と、手に入れた時の優越感。それこそが、商品の味を何倍にも美味しく感じさせる最高のスパイスなのですから」
私の言葉に、セバスチャンは感服したように深く頭を下げた。
需要と供給をコントロールし、消費者の心理すらも支配下に置く。
これこそが、アークライト商会が短期間で巨万の富を築き上げた秘訣だ。
「わんっ! リリアさま、そのいいにおいのするパン、ぼくもたべたいです!」
「にゃあ。私には、パテだけを頂戴。パンは糖質が気になるわ」
足元で、フェンとノクスが私のドレスを引っ張った。
退屈な移動時間に飽きていた二匹も、この芳醇な香りには抗えないようだ。
「はいはい。お行儀よくしていたご褒美よ」
私は二匹専用の皿に、たっぷりとパテを盛り付けてやった。
フェンは尻尾を振って食らいつき、ノクスは舌なめずりをしながら優雅に舐め取る。
世界最強クラスの聖獣と魔獣が、レバーパテ一つでこれほど幸せそうな顔をするのだ。
食の力とは、やはり偉大である。
列車は時速百キロを超える速度を維持したまま、南へとひた走る。
窓の外の景色は、いつしか雪原の白から、湿地帯の茶色へ、そして豊かな草原の緑へと劇的に変化していた。
季節すらも置き去りにするこの速度感に、私は征服者としての快感を覚える。
この鉄路が繋がったことで、北の資源と南の富は、私の手のひらの上で完全に循環を始めたのだ。
「リリア様。間もなく、王都アウレリア中央駅に到着いたします」
セバスチャンの報告と同時に、列車の汽笛が高らかに鳴り響いた。
ポォォォォォォォォォォッ!!
それは、王の帰還を告げるファンファーレのように、王都の空気を震わせた。
列車が巨大なドーム状の駅舎へと滑り込む。
窓の外を見ると、ホームには溢れんばかりの人だかりができていた。
彼らはアークライト商会の旗を振り、熱狂的な眼差しでこちらの車両を見つめている。
「リリア様、万歳! アークライト商会、万歳!」
「北の英雄のお帰りだ!」
地鳴りのような歓声が、分厚い防音ガラスを突き抜けて聞こえてきた。
私は窓越しに彼らを見下ろし、冷めた思考で群衆を観察する。
彼らは私を崇拝しているが、私にとって彼らは、私の商品を消費し、私の富を増やすための「優良な顧客」に過ぎない。
顧客満足度を高め、彼らの財布の紐を緩め続けること。
それが、私に課せられた使命であり、最大の楽しみでもある。
「相変わらずの熱狂ぶりですな。リリア様の一挙手一投足が、この国の経済を動かしている証拠です」
護衛のレオン様が、窓の外を見て感嘆のため息を漏らした。
彼の金色の髪が、車内の照明を受けてきらりと光る。
「ええ。彼らの期待に応えるためにも、次の『商品』を用意してあげなくてはなりませんわね」
列車が完全に停止し、扉が開く。
私はフェンとノクスを従え、堂々とした足取りでホームへと降り立った。
瞬間、歓声が爆発的に大きくなる。
私は群衆に向けて、練習通りの完璧な営業スマイルを向けながら、迎えの馬車へと乗り込んだ。
馬車の中に入ると、すぐにセバスチャンが一通の封筒を差し出してきた。
王家の紋章が押された、最高級の羊皮紙だ。
「アーノルド殿下からの招待状でございます。『帰国早々ですまないが、土産話を聞かせてほしい』とのことです」
「やれやれ。あの王子様も、相変わらず耳が早いですわね。私が到着する秒数まで計算していたのかしら」
私は苦笑しながら封筒を開けた。
中身は予想通り、即時の参内を求める内容だった。
休む暇などない。
だが、それこそが私の望むところだ。
時は金なり。
立ち止まっている時間があるなら、一秒でも早く次の利益を生み出さなければならない。
「王宮へ向かって。殿下に、最高に景気のいい報告をして差し上げるわ」
私はドレスを着替え、髪を整え直すと、再び馬車を走らせた。
王宮の門をくぐり、慣れ親しんだ回廊を進む。
案内されたのは、いつもの『白薔薇の間』だ。
扉を開けると、アーノルド殿下が窓辺に立ち、王都の街並みを眺めていた。
彼は私の足音に気づくと、ゆっくりと振り返り、美しい顔に笑みを浮かべた。
「おかえり、リリア。君がいない間、王都の空気は少し澱んでいて退屈だったよ」
「殿下、ご機嫌よう。お待たせいたしましたわ。北の空気と、莫大な税収をお土産に持ってまいりました」
私はテーブルの上に、分厚い報告書をドサリと置いた。
殿下は目を丸くしてその書類を手に取り、パラパラとページをめくる。
そこに並んでいる数字を見て、彼は愉快そうに声を上げて笑った。
「……ははは! これは凄い。北国の収益が、昨対比で三倍か。しかも、来期の予測では五倍になると?」
「ええ、間違いありませんわ。鉄道による輸送コストの削減と、精錬所の稼働による付加価値の向上。それらが、机上の空論ではなく現実の数字として証明されました」
私は胸を張り、自信満々に説明を加えた。
これまで捨て値で取引されていた鉄鉱石が、現地で高純度のインゴットに加工されることで、どれほどの利益を生むか。
そして、新鮮なまま運ばれるようになった海産物やジビエが、王都の市場でどれほどの高値で取引されているか。
全ては、私の描いたシナリオ通りだ。
「君は本当に、石ころをお金に変える錬金術師だな。いや、それ以上か」
「いいえ。私はただ、そこに眠っている価値を掘り起こし、適切な場所に運んだだけですわ。無駄をなくし、効率を最大化する。それが商売の基本ですもの」
「無駄をなくす、か。君の口から聞くと、それが世界を変える魔法の言葉に聞こえるよ」
殿下は報告書を置き、真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳の奥には、次の展開を期待する好奇心と、為政者としての鋭い光が宿っている。
「それで? 北を制圧した君は、次はどこを狙っているのかな。その貪欲な瞳は、すでに次の獲物を捉えているように見えるが」
「ご明察ですわ、殿下」
私は立ち上がり、壁に貼られた大陸全土の巨大な地図の前に歩み寄った。
そして、迷うことなくその指先を「西」の方角へと向けた。
そこには、広大な砂漠地帯と、その先に点在するオアシス都市が描かれている。
「次は、西の果実を狙いますわ」
「西……? あそこは、数年に一度の大干ばつに見舞われ、今は作物が壊滅状態だと聞いているぞ。投資する価値などあるのか?」
殿下が怪訝そうな顔をする。
常識的に考えれば、死にかけている土地に金を注ぎ込むのは愚策だ。
だが、常識の逆を行くところにこそ、本当の勝機はある。
「だからこそ、ですわ。干ばつで苦しむ領主たちは今、喉から手が出るほど『水』と『資金』を欲しています。彼らの足元を見るには、絶好の機会ですわ」
私は、頭の中で組み立てていた壮大な計画を披露した。
「私はそこに、アークライト商会の技術と資金を総動員して、『魔法の灌漑システム』を建設します」
「地下深くの水脈から水を汲み上げ、砂漠の大地に血管のように水路を張り巡らせるのです。水を失った土地に水を与えれば、そこは瞬く間に緑の楽園へと変わります」
私の言葉に、殿下が息を呑む気配がした。
「そして、その見返りとして……その土地で採れる全ての果実、レモンやオレンジ、デーツといった農産物の販売権を、未来永劫独占するのです」
「救済を装った、完全な経済支配……か。相変わらず、君のやり方は恐ろしいほど合理的だな」
殿下は呆れたように、しかし確かな敬意を込めて溜息をついた。
「ええ。西のレモンやオレンジが、鉄道に乗って新鮮なまま王都へ運ばれるようになれば、食文化は劇的に進化しますわ」
「レモンを使った爽やかなタルト、オレンジの香りがするチョコレート、デーツの濃厚な甘みを生かした新しい焼き菓子……。想像するだけで、お腹が空いてきませんこと?」
私はにっこりと、無邪気な六歳の少女の仮面を被って笑ってみせた。
だがその言葉の裏には、大陸の物流を完全に掌握し、全ての食卓を私の支配下に置くという、底知れぬ野望が渦巻いている。
殿下は私のその本質を見抜き、もはや抗うことを諦めたように肩をすくめた。
「分かった。君の好きにするといい。西への鉄道延伸許可証と、開発に関する全権委任状をすぐに用意させよう」
「感謝いたします、殿下。……ああ、そうですわ。一つ、大事なことを忘れておりました」
私は帰り支度を始めようとして、ふと思い出したように足を止めた。
「北のアイゼン候から、今回の成功を祝して、最高級の『雪原カモ』を一千羽、王宮へ寄贈させましたわ」
「今夜の晩餐会で、ぜひ皆様に振る舞ってくださいませ。……もちろん、私の商会の宣伝も兼ねて、ね」
「一千羽だと!? ははは、相変わらず規模がおかしいな。分かった、最高のシェフを用意して、君の宣伝に協力しよう」
殿下は愉快そうに笑い、私を見送った。
王宮を出る頃には、空は鮮やかな茜色に染まっていた。
心地よい疲労感と共に、私は馬車に乗り込む。
北の次は、西。
私の休む暇などない。
やりたいことは山ほどあり、世界にはまだ私の知らない「美味しいもの」が溢れているのだ。
「フェン、ノクス。次は砂漠の探検よ。少し暑いけれど、飛び切り美味しいジュースのために頑張りましょうね」
「わんっ! あついのは、ぼくの風魔法ですずしくします! じゅーす、たのしみです!」
「にゃあ。キンキンに冷えた果実……。想像しただけで喉が鳴るわね」
二匹の相棒も、私の野望に付き合う気満々だ。
フェンは頼もしく胸を張り、ノクスは期待に目を輝かせている。
馬車が屋敷に向かって走り出す中、私は手帳を開き、次の目標金額を書き込んだ。
数字は嘘をつかない。
私の計算式に間違いがなければ、西方の開発によって得られる利益は、北方のそれをさらに上回るはずだ。
世界が私の色に染まり、全ての美味しいものが私のもとに集まってくる。
そんな未来を夢見て、私は小さく唇を舐めた。
屋敷に到着すると、セバスチャンが門の前で待ち構えていた。
彼の表情は、いつもの冷静な執事の顔だが、その目には次なる仕事への予感が宿っている。
「リリア様、お帰りなさいませ。……早速ですが、西方より『お客様』がお見えです」
「あら、仕事が早いわね」
「はい。西のオアシス都市からの特使、バジル殿と名乗る方が、応接室でお待ちです」
セバスチャンの報告に、私の口角が自然と吊り上がる。
向こうから飛び込んでくるとは、好都合だ。
これなら、交渉の手間が大幅に省ける。
「いいわ。最高に甘いレモネードを飲みながら、彼らの『泣き言』を聞いてあげましょうか」
私はマントを翻し、屋敷の中へと足を踏み入れた。
西への扉は、今まさに開かれようとしている。
私の手の中には、砂漠を黄金の畑に変えるための、完璧な「数字」が揃っているのだから。
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