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第65話 極寒の断罪と紫水晶の冷菓
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猛吹雪が支配する「嘆きの谷」の白銀の世界を、一台の魔導ソリが切り裂いていく。
アークライト商会の技術部が総力を結集して開発した最新鋭機、「スノー・ヴァルキリー」だ。
流線型のボディはミスリル銀でコーティングされ、周囲には風雪を完全に遮断する結界が展開されている。
外気温は氷点下二〇度を下回っているはずだが、ソリの内部は春の陽だまりのような快適さだ。
最高速度は時速一二〇キロ。馬車なら三日はかかる険しい雪道を、私たちはわずか三十分で踏破しようとしていた。
「見えてきましたわ。……ああ、なんて非効率で美しくない光景でしょう」
私は革張りのシートに深く身を沈めたまま、重苦しい溜息をついた。
魔導ガラス越しに見えるのは、建設中の線路の上に無様に積み上げられた岩の山だ。
そして、その周囲で蟻のように蠢く数十人の男たち。
彼らは吹雪の中、手作業で岩を運ぶという前時代的な労働に汗を流している。
私の大切な資産である線路に土足で踏み入り、物理的な妨害工作という最も原始的な手段に訴えているのだ。
文明レベルが低すぎて、怒りよりも先に哀れみが湧いてくる。
「到着するぞ、リリア。準備はいいか」
隣に座るゼロ兄様が、愛用の短剣の柄に手を掛けた。
彼の瞳はすでに狩人の色を帯びている。
「ええ。ゴミ掃除の時間ですわね。私の時間を奪った罪、高くつくことを教えてあげましょう」
ソリが減速し、音もなく雪の上に停止した。
キャノピーが開き、私は優雅に雪原へと降り立つ。
真っ白な高級毛皮のコートを纏い、足元には特注の防寒ブーツ。
寒風が頬を撫でるが、私の身体を包む防御魔法が冷気を寄せ付けない。
「な、なんだ!? どこから現れやがった! この紋章……アークライト家の魔導具か!?」
作業をしていた男たちが、突然の来訪者に気づいて狼狽える。
その中心に、ひときわ豪華な、しかし趣味の悪い防寒具を着込んだ男が立っていた。
バーストン公爵の遠縁にあたる、グリーグ子爵だ。
王都の社交界では「腰巾着」として有名な彼だが、ここでは一丁前に盗賊団の首領のような顔をしている。
「よくもまあ、こんな僻地までご足労なことで。グリーグ子爵、王都の暖炉が恋しくはありませんの?」
私の透き通った声が、吹雪の音を切り裂いて彼らの耳に届く。
グリーグ子爵は私を認めると、顔を醜く歪めて下品な笑い声を上げた。
「ケッ、誰かと思えばアークライトの小娘か! わざわざ死にに来るとは、いい度胸だ! 俺たちから鉄道利権を独り占めした報いだ! この線路ごと、ここで埋めてやるよ!」
取り巻きの男たちも、武器を構えてジリジリと距離を詰めてくる。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが対峙しているのが、ただの子供ではなく、この国の経済を支配する怪物であるということに。
「……話が通じない相手というのは、本当にコストがかかりますわね」
私は手元の懐中時計を一瞥した。
ここまでの移動時間、そしてこれからの拘束時間。
私の時給換算で言えば、すでに彼らの全財産を没収しても足りないほどの損失が発生している。
「グリーグ子爵。単刀直入に申し上げますわ。そこに積み上げた岩、一つにつき銀貨十枚の撤去費用を請求します」
「はあ!? 何を寝言を言ってやがる!」
「ざっと見て百個……いえ、百二十個はありますわね。それに加えて、列車の運行遅延による機会損失、作業員への超過勤務手当、そして私の精神的苦痛に対する慰謝料。締めて、金貨五百枚。今すぐキャッシュで支払えるなら、命だけは見逃して差し上げますわ」
私は指を折りながら、淡々と数字を積み上げていく。
その数字は、彼らが一生かかっても払いきれない金額へと瞬く間に膨れ上がった。
私の宣告に、谷底が一瞬静まり返った。
次の瞬間、爆発的な嘲笑が巻き起こる。
「ギャハハハ! 聞いたかおい! 金貨五百枚だってよ! 頭がおかしくなったか、お嬢ちゃん! ここは戦場だぞ、商売ごっこは王都でやりな!」
グリーグ子爵が、唾を飛ばしながら剣を抜いた。
その切っ先が、私の喉元に向けられる。
「力ずくで分からせてやる! やれ! このガキを捕らえて、人質にするんだ!」
男たちが雄叫びを上げ、雪崩のように殺到してくる。
数十対一。常識的に考えれば、絶体絶命の状況だ。
だが、私には「最強」という言葉が服を着て歩いているような兄がいる。
「ゼロ兄様、出番よ。……五秒で終わらせて」
「注文が多いな。三秒で十分だ」
私の背後で黒い影が揺らいだ。
次の瞬間、視界からゼロ兄様の姿が消える。
ヒュンッ、という風を切る音が連続して響いたかと思うと、襲いかかってきた男たちが次々と雪の上に倒れ伏した。
誰も、兄様の動きを目で追うことすらできていない。
武器を握っていた手首を正確に打ち抜かれ、膝の関節を蹴り砕かれる。
悲鳴を上げる間もなく、彼らは戦闘不能に陥っていた。
「な、な……っ!?」
グリーグ子爵が、間抜けな声を上げて立ち尽くす。
彼の自慢の私兵団は、瞬きする間に雪原のオブジェと化していた。
そして彼の首筋には、いつの間にかゼロ兄様の冷たい短剣が突きつけられている。
「動くな。その脂肪の塊を切り落とされたくなければな」
「ひぃっ!? ま、待て! 乱暴はよせ! わ、私には王都の財務省に強力なコネがあるのだぞ! こんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
子爵は腰を抜かして雪の上にへたり込みながら、必死に虚勢を張った。
権力を笠に着る人間は、その権力が通用しない状況に置かれると途端に脆くなる。
「コネ? ああ、あの汚職まみれの役人たちのことかしら」
私は懐から、一通の羊皮紙を取り出した。
それは王都のカシアンから転送された、最新の粛清リストだ。
「彼らなら、昨日付けで全員クビにしましたわ。もちろん、あなたの商会との裏取引の証拠も添えて、司法局に突き出しておきました。今頃は王宮の地下牢で、あなたとの思い出話に花を咲かせているころじゃありませんこと?」
「そ、そんな……。嘘だ、嘘に決まっている! バーストン公爵家が黙っているはずがない!」
「公爵家? 彼らも今、それどころではありませんわよ。私が流した『グリーグ子爵が公爵家の名前を語って巨額の詐欺を働いた』という噂の火消しに追われていますから。あなた、一族からも切り捨てられましたのよ」
「あ、ああ……」
「さらにダメ押しをしてあげますわ。……カシアン、聞こえて?」
私は耳元に装着した魔導通信機を起動した。
ノイズ混じりの音と共に、王都にいるカシアンの冷徹な声がスピーカーから響く。
『はい、リリア様。感度良好です。グリーグ子爵家の資産状況について、最終報告をいたします。王都のメインバンク、及び関連する全ての金融機関における彼の口座を凍結しました。また、彼の屋敷、領地、馬車に至るまで、全債権の差し押さえ手続きが完了しております。現時刻をもちまして、彼の資産価値はマイナスです。路地裏の野良犬の方が、まだマシな生活水準と言えるでしょう』
無慈悲な宣告が、雪山にこだました。
グリーグ子爵の顔色は、もはや雪よりも白い。
昨日まで彼を支えていた権力、財産、未来。
その全てが、私の指先一つで消滅したのだ。
物理的な死よりも恐ろしい、社会的な死。
彼は口をパクパクと開閉させ、やがて糸が切れた人形のように雪の上へ突っ伏した。
「ゴミ拾いは、あなたたちにやってもらいますわ」
私は冷ややかな目で見下ろしながら、線路の上に積み上げられた岩山を指差した。
「今日から一ヶ月、この『嘆きの谷』の除雪と線路保守作業に従事しなさい。食事は一日一回の薄い粥だけ。もちろん、お給料は全額、損害賠償として没収よ。文句があるなら、この場で私の開発した新薬『虹色の涙・改』の臨床実験体になってもらっても構わないけれど? 副作用で全身が緑色になるかもしれませんけど」
私の悪魔的な提案に、倒れていた男たちが弾かれたように飛び起きた。
彼らはガタガタと震えながら、我先にと岩に群がり、必死の形相で運び始める。
かつて武器を持っていた手は、今や労働のための道具となった。
武力で解決しようとした愚か者たちが、労働の尊さと経済の恐ろしさを身をもって学ぶ。
なんて合理的で、教育的な解決策だろうか。
「リリア、お前は本当に……。敵に回すと、世界で一番恐ろしいな」
ゼロ兄様が、呆れたように短剣を収めながら呟いた。
その表情には、若干の引きつりが見える。
「あら。私はただ、不良債権化した人的資源の最適化を行っているだけですわ。彼らも、タダ飯ぐらいの貴族でいるより、社会の役に立てて本望でしょう?」
私は満足げに頷き、再び魔導ソリのスライドドアを開けた。
これで物流の動脈瘤は取り除かれた。
北の富は、再びスムーズに南へと流れ出すだろう。
アイゼン要塞に戻ると、主のアイゼン候が目を丸くして出迎えてくれた。
彼は巨大な戦斧を背負い、今まさに出陣しようとしていたところだったらしい。
「……もう、終わったのか? あそこには、腕利きの傭兵崩れもいたという報告だったが。リリア殿、君は一体何をしたのだ? 禁じられた古代魔法でも放ったのか?」
「いいえ。岩をどかすように、道理と数字を使って優しく説得してきましたわ」
私は涼しい顔で答え、コートをセバスチャンに預けた。
外の冷気で冷え切った体に、暖炉の熱が心地よく染み渡る。
「それよりも侯爵。働きすぎて、少し小腹が空きましたわ。セバスチャン、アイゼン領の特産品、山ブドウのアイスをお願いできるかしら」
「かしこまりました。最高級のフレッシュクリームを添えて、直ちにご用意いたします」
数分後、大広間のテーブルには美しい紫色の山が運ばれてきた。
暖炉の前で、キンキンに冷えたアイスを頂く。
この贅沢な温度差こそが、北国ならではの至高の楽しみだ。
私は銀のスプーンで、紫色の宝石をすくい上げた。
口に入れた瞬間、山ブドウ特有の野性味あふれる酸味と、クリームの濃厚な甘みが舌の上で溶け合う。
「んん……、最高だわ」
冷たさが脳を刺激し、疲れを一瞬で吹き飛ばしていく。
シャリッとした食感の中に、果実の皮の渋みがアクセントとして効いている。
王都の洗練されたスイーツとは違う、大地の力強さを感じる味だ。
「わんっ! つめたくて、あまくて、おいしいです!」
「にゃあ. この酸味が、クセになりそうね」
足元では、フェンとノクスも特製のアイスを夢中で舐めている。
二匹の舌が紫色に染まっているのが、なんとも愛らしい。
アイゼン候は、そんな私たちの様子を見て豪快に笑った。
「ガハハ! 気に入ってもらえて何よりだ。ただの田舎の菓子だが、素材だけは自信がある」
「ええ、この素材こそが『宝』なのですわ」
私はアイスを味わいながら、頭の中で組み立てていたさらなる拡大計画を話し始めた。
グリーグ子爵の一件で、北方の物流ルートにおける私の支配権は盤石なものとなった。
次は、そのパイプを太くする段階だ。
「侯爵。この鉄路を使って、アイゼン領に眠る『鉄』と『銀』を、王都へ大量に運び出す仕組みを作りましょう」
私は手元のナプキンに、簡易的な図を描いて見せた。
アイゼン領には、大陸有数の埋蔵量を誇る鉱山がある。
しかし、これまでは精錬技術の遅れと輸送コストの高さがネックとなり、細々と採掘するに留まっていた。
まさに、宝の持ち腐れ状態だ。
「私はここに、最新の魔導精錬所を建設する計画を持っています。王都から鉄道で最新の魔導炉と技術者を運び込み、現地で高純度のインゴットに精錬するのです。鉱石のまま運ぶよりも体積は十分の一になり、輸送コストは激減します。そして、製品としての価値は何倍にも跳ね上がります」
私は侯爵の目を真っ直ぐに見つめ、自信満々に断言した。
「これにより、侯爵の領地の収益は、現在の十倍……いえ、二十倍に跳ね上がりますわ」
「に、二十倍だと!? リリア殿、それはさすがに夢物語が過ぎるのではないか」
侯爵が、信じられないといった顔で身を乗り出した。
無理もない。
万年赤字に悩まされていた領地が、一夜にして黄金郷に変わるなどと言われて、即座に信じられるはずがない。
「数字は裏切りませんわ。アークライト商会の試算は、常に最低ラインで見積もっています。……ただし、条件があります」
私はスプーンを置き、商人としての鋭い眼差しを向けた。
「建設費用は全額私が持ちます。工場の運営と人事権も、全て私の商会が担当します。あなたはただ、場所と採掘権を提供するだけでいい。それだけで、上がってくる利益の二十パーセントを、何もしなくても受け取れるのです」
「に、二十パーセント……」
侯爵がゴクリと喉を鳴らした。
彼にとってのリスクはゼロ。
それでいて、領地は潤い、民の雇用も守られる。
断る理由など、どこにもない提案だ。
「分かった。……いや、頼む! リリア殿、このアイゼンの未来を、君に託そう!」
侯爵は、私の手を取って力強く握りしめた。
その手は武人のようにゴツゴツとしていたが、確かな温かさがあった。
彼にとって私は、もはや単なる協力者ではない。
勝利と富を約束する、絶対的な守護神となっていた。
外ではいつの間にか吹雪が止み、雲の切れ間から満天の星空が顔を覗かせている。
北極星が、鋭い光を放っていた。
明日の朝一番の列車には、私の承認印が押された精錬所の設計図と、大量の建築資材が積み込まれるだろう。
そして帰り便には、最高級の山ブドウのアイスが満載され、王都の貴族たちを唸らせることになる。
私の野望は、雪の下で芽吹く植物のように、静かに、しかし確実に根を広げている。
世界を、私の望む形に書き換える。
そのためのペンは、すでに私の手の中にあった。
そしてそのインクとなるのは、無限に生み出される金貨と、美味しい料理だ。
「リリア様、明朝の発車準備、全て整いました。機関車の整備も万端、王都への到着予定時刻に遅れはありません」
セバスチャンの完璧な報告を聞きながら、私は深い眠りに就くことにした。
ふかふかのベッドに沈み込むと、フェンが足元に、ノクスが枕元に寄り添ってくる。
二匹の体温が、心地よい眠気を誘う。
夢の中では、世界中の美味しいものが、私の引いたレールの上を行き交っていた。
東の海からは新鮮な魚が、西の砂漠からは甘い果実が、そして北からは極上の肉と乳製品が。
それらが一つの巨大なテーブルに集まり、世界規模の晩餐会が開かれている。
その中心で、私はナイフとフォークを手に、高らかに笑っているのだ。
明日もまた、新しい利益との出会いが待っている。
そう思うと、窓の外を吹き抜ける冷たい夜風さえも、心地よい子守唄のように感じられた。
アークライト商会の技術部が総力を結集して開発した最新鋭機、「スノー・ヴァルキリー」だ。
流線型のボディはミスリル銀でコーティングされ、周囲には風雪を完全に遮断する結界が展開されている。
外気温は氷点下二〇度を下回っているはずだが、ソリの内部は春の陽だまりのような快適さだ。
最高速度は時速一二〇キロ。馬車なら三日はかかる険しい雪道を、私たちはわずか三十分で踏破しようとしていた。
「見えてきましたわ。……ああ、なんて非効率で美しくない光景でしょう」
私は革張りのシートに深く身を沈めたまま、重苦しい溜息をついた。
魔導ガラス越しに見えるのは、建設中の線路の上に無様に積み上げられた岩の山だ。
そして、その周囲で蟻のように蠢く数十人の男たち。
彼らは吹雪の中、手作業で岩を運ぶという前時代的な労働に汗を流している。
私の大切な資産である線路に土足で踏み入り、物理的な妨害工作という最も原始的な手段に訴えているのだ。
文明レベルが低すぎて、怒りよりも先に哀れみが湧いてくる。
「到着するぞ、リリア。準備はいいか」
隣に座るゼロ兄様が、愛用の短剣の柄に手を掛けた。
彼の瞳はすでに狩人の色を帯びている。
「ええ。ゴミ掃除の時間ですわね。私の時間を奪った罪、高くつくことを教えてあげましょう」
ソリが減速し、音もなく雪の上に停止した。
キャノピーが開き、私は優雅に雪原へと降り立つ。
真っ白な高級毛皮のコートを纏い、足元には特注の防寒ブーツ。
寒風が頬を撫でるが、私の身体を包む防御魔法が冷気を寄せ付けない。
「な、なんだ!? どこから現れやがった! この紋章……アークライト家の魔導具か!?」
作業をしていた男たちが、突然の来訪者に気づいて狼狽える。
その中心に、ひときわ豪華な、しかし趣味の悪い防寒具を着込んだ男が立っていた。
バーストン公爵の遠縁にあたる、グリーグ子爵だ。
王都の社交界では「腰巾着」として有名な彼だが、ここでは一丁前に盗賊団の首領のような顔をしている。
「よくもまあ、こんな僻地までご足労なことで。グリーグ子爵、王都の暖炉が恋しくはありませんの?」
私の透き通った声が、吹雪の音を切り裂いて彼らの耳に届く。
グリーグ子爵は私を認めると、顔を醜く歪めて下品な笑い声を上げた。
「ケッ、誰かと思えばアークライトの小娘か! わざわざ死にに来るとは、いい度胸だ! 俺たちから鉄道利権を独り占めした報いだ! この線路ごと、ここで埋めてやるよ!」
取り巻きの男たちも、武器を構えてジリジリと距離を詰めてくる。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが対峙しているのが、ただの子供ではなく、この国の経済を支配する怪物であるということに。
「……話が通じない相手というのは、本当にコストがかかりますわね」
私は手元の懐中時計を一瞥した。
ここまでの移動時間、そしてこれからの拘束時間。
私の時給換算で言えば、すでに彼らの全財産を没収しても足りないほどの損失が発生している。
「グリーグ子爵。単刀直入に申し上げますわ。そこに積み上げた岩、一つにつき銀貨十枚の撤去費用を請求します」
「はあ!? 何を寝言を言ってやがる!」
「ざっと見て百個……いえ、百二十個はありますわね。それに加えて、列車の運行遅延による機会損失、作業員への超過勤務手当、そして私の精神的苦痛に対する慰謝料。締めて、金貨五百枚。今すぐキャッシュで支払えるなら、命だけは見逃して差し上げますわ」
私は指を折りながら、淡々と数字を積み上げていく。
その数字は、彼らが一生かかっても払いきれない金額へと瞬く間に膨れ上がった。
私の宣告に、谷底が一瞬静まり返った。
次の瞬間、爆発的な嘲笑が巻き起こる。
「ギャハハハ! 聞いたかおい! 金貨五百枚だってよ! 頭がおかしくなったか、お嬢ちゃん! ここは戦場だぞ、商売ごっこは王都でやりな!」
グリーグ子爵が、唾を飛ばしながら剣を抜いた。
その切っ先が、私の喉元に向けられる。
「力ずくで分からせてやる! やれ! このガキを捕らえて、人質にするんだ!」
男たちが雄叫びを上げ、雪崩のように殺到してくる。
数十対一。常識的に考えれば、絶体絶命の状況だ。
だが、私には「最強」という言葉が服を着て歩いているような兄がいる。
「ゼロ兄様、出番よ。……五秒で終わらせて」
「注文が多いな。三秒で十分だ」
私の背後で黒い影が揺らいだ。
次の瞬間、視界からゼロ兄様の姿が消える。
ヒュンッ、という風を切る音が連続して響いたかと思うと、襲いかかってきた男たちが次々と雪の上に倒れ伏した。
誰も、兄様の動きを目で追うことすらできていない。
武器を握っていた手首を正確に打ち抜かれ、膝の関節を蹴り砕かれる。
悲鳴を上げる間もなく、彼らは戦闘不能に陥っていた。
「な、な……っ!?」
グリーグ子爵が、間抜けな声を上げて立ち尽くす。
彼の自慢の私兵団は、瞬きする間に雪原のオブジェと化していた。
そして彼の首筋には、いつの間にかゼロ兄様の冷たい短剣が突きつけられている。
「動くな。その脂肪の塊を切り落とされたくなければな」
「ひぃっ!? ま、待て! 乱暴はよせ! わ、私には王都の財務省に強力なコネがあるのだぞ! こんなことをして、ただで済むと思っているのか!」
子爵は腰を抜かして雪の上にへたり込みながら、必死に虚勢を張った。
権力を笠に着る人間は、その権力が通用しない状況に置かれると途端に脆くなる。
「コネ? ああ、あの汚職まみれの役人たちのことかしら」
私は懐から、一通の羊皮紙を取り出した。
それは王都のカシアンから転送された、最新の粛清リストだ。
「彼らなら、昨日付けで全員クビにしましたわ。もちろん、あなたの商会との裏取引の証拠も添えて、司法局に突き出しておきました。今頃は王宮の地下牢で、あなたとの思い出話に花を咲かせているころじゃありませんこと?」
「そ、そんな……。嘘だ、嘘に決まっている! バーストン公爵家が黙っているはずがない!」
「公爵家? 彼らも今、それどころではありませんわよ。私が流した『グリーグ子爵が公爵家の名前を語って巨額の詐欺を働いた』という噂の火消しに追われていますから。あなた、一族からも切り捨てられましたのよ」
「あ、ああ……」
「さらにダメ押しをしてあげますわ。……カシアン、聞こえて?」
私は耳元に装着した魔導通信機を起動した。
ノイズ混じりの音と共に、王都にいるカシアンの冷徹な声がスピーカーから響く。
『はい、リリア様。感度良好です。グリーグ子爵家の資産状況について、最終報告をいたします。王都のメインバンク、及び関連する全ての金融機関における彼の口座を凍結しました。また、彼の屋敷、領地、馬車に至るまで、全債権の差し押さえ手続きが完了しております。現時刻をもちまして、彼の資産価値はマイナスです。路地裏の野良犬の方が、まだマシな生活水準と言えるでしょう』
無慈悲な宣告が、雪山にこだました。
グリーグ子爵の顔色は、もはや雪よりも白い。
昨日まで彼を支えていた権力、財産、未来。
その全てが、私の指先一つで消滅したのだ。
物理的な死よりも恐ろしい、社会的な死。
彼は口をパクパクと開閉させ、やがて糸が切れた人形のように雪の上へ突っ伏した。
「ゴミ拾いは、あなたたちにやってもらいますわ」
私は冷ややかな目で見下ろしながら、線路の上に積み上げられた岩山を指差した。
「今日から一ヶ月、この『嘆きの谷』の除雪と線路保守作業に従事しなさい。食事は一日一回の薄い粥だけ。もちろん、お給料は全額、損害賠償として没収よ。文句があるなら、この場で私の開発した新薬『虹色の涙・改』の臨床実験体になってもらっても構わないけれど? 副作用で全身が緑色になるかもしれませんけど」
私の悪魔的な提案に、倒れていた男たちが弾かれたように飛び起きた。
彼らはガタガタと震えながら、我先にと岩に群がり、必死の形相で運び始める。
かつて武器を持っていた手は、今や労働のための道具となった。
武力で解決しようとした愚か者たちが、労働の尊さと経済の恐ろしさを身をもって学ぶ。
なんて合理的で、教育的な解決策だろうか。
「リリア、お前は本当に……。敵に回すと、世界で一番恐ろしいな」
ゼロ兄様が、呆れたように短剣を収めながら呟いた。
その表情には、若干の引きつりが見える。
「あら。私はただ、不良債権化した人的資源の最適化を行っているだけですわ。彼らも、タダ飯ぐらいの貴族でいるより、社会の役に立てて本望でしょう?」
私は満足げに頷き、再び魔導ソリのスライドドアを開けた。
これで物流の動脈瘤は取り除かれた。
北の富は、再びスムーズに南へと流れ出すだろう。
アイゼン要塞に戻ると、主のアイゼン候が目を丸くして出迎えてくれた。
彼は巨大な戦斧を背負い、今まさに出陣しようとしていたところだったらしい。
「……もう、終わったのか? あそこには、腕利きの傭兵崩れもいたという報告だったが。リリア殿、君は一体何をしたのだ? 禁じられた古代魔法でも放ったのか?」
「いいえ。岩をどかすように、道理と数字を使って優しく説得してきましたわ」
私は涼しい顔で答え、コートをセバスチャンに預けた。
外の冷気で冷え切った体に、暖炉の熱が心地よく染み渡る。
「それよりも侯爵。働きすぎて、少し小腹が空きましたわ。セバスチャン、アイゼン領の特産品、山ブドウのアイスをお願いできるかしら」
「かしこまりました。最高級のフレッシュクリームを添えて、直ちにご用意いたします」
数分後、大広間のテーブルには美しい紫色の山が運ばれてきた。
暖炉の前で、キンキンに冷えたアイスを頂く。
この贅沢な温度差こそが、北国ならではの至高の楽しみだ。
私は銀のスプーンで、紫色の宝石をすくい上げた。
口に入れた瞬間、山ブドウ特有の野性味あふれる酸味と、クリームの濃厚な甘みが舌の上で溶け合う。
「んん……、最高だわ」
冷たさが脳を刺激し、疲れを一瞬で吹き飛ばしていく。
シャリッとした食感の中に、果実の皮の渋みがアクセントとして効いている。
王都の洗練されたスイーツとは違う、大地の力強さを感じる味だ。
「わんっ! つめたくて、あまくて、おいしいです!」
「にゃあ. この酸味が、クセになりそうね」
足元では、フェンとノクスも特製のアイスを夢中で舐めている。
二匹の舌が紫色に染まっているのが、なんとも愛らしい。
アイゼン候は、そんな私たちの様子を見て豪快に笑った。
「ガハハ! 気に入ってもらえて何よりだ。ただの田舎の菓子だが、素材だけは自信がある」
「ええ、この素材こそが『宝』なのですわ」
私はアイスを味わいながら、頭の中で組み立てていたさらなる拡大計画を話し始めた。
グリーグ子爵の一件で、北方の物流ルートにおける私の支配権は盤石なものとなった。
次は、そのパイプを太くする段階だ。
「侯爵。この鉄路を使って、アイゼン領に眠る『鉄』と『銀』を、王都へ大量に運び出す仕組みを作りましょう」
私は手元のナプキンに、簡易的な図を描いて見せた。
アイゼン領には、大陸有数の埋蔵量を誇る鉱山がある。
しかし、これまでは精錬技術の遅れと輸送コストの高さがネックとなり、細々と採掘するに留まっていた。
まさに、宝の持ち腐れ状態だ。
「私はここに、最新の魔導精錬所を建設する計画を持っています。王都から鉄道で最新の魔導炉と技術者を運び込み、現地で高純度のインゴットに精錬するのです。鉱石のまま運ぶよりも体積は十分の一になり、輸送コストは激減します。そして、製品としての価値は何倍にも跳ね上がります」
私は侯爵の目を真っ直ぐに見つめ、自信満々に断言した。
「これにより、侯爵の領地の収益は、現在の十倍……いえ、二十倍に跳ね上がりますわ」
「に、二十倍だと!? リリア殿、それはさすがに夢物語が過ぎるのではないか」
侯爵が、信じられないといった顔で身を乗り出した。
無理もない。
万年赤字に悩まされていた領地が、一夜にして黄金郷に変わるなどと言われて、即座に信じられるはずがない。
「数字は裏切りませんわ。アークライト商会の試算は、常に最低ラインで見積もっています。……ただし、条件があります」
私はスプーンを置き、商人としての鋭い眼差しを向けた。
「建設費用は全額私が持ちます。工場の運営と人事権も、全て私の商会が担当します。あなたはただ、場所と採掘権を提供するだけでいい。それだけで、上がってくる利益の二十パーセントを、何もしなくても受け取れるのです」
「に、二十パーセント……」
侯爵がゴクリと喉を鳴らした。
彼にとってのリスクはゼロ。
それでいて、領地は潤い、民の雇用も守られる。
断る理由など、どこにもない提案だ。
「分かった。……いや、頼む! リリア殿、このアイゼンの未来を、君に託そう!」
侯爵は、私の手を取って力強く握りしめた。
その手は武人のようにゴツゴツとしていたが、確かな温かさがあった。
彼にとって私は、もはや単なる協力者ではない。
勝利と富を約束する、絶対的な守護神となっていた。
外ではいつの間にか吹雪が止み、雲の切れ間から満天の星空が顔を覗かせている。
北極星が、鋭い光を放っていた。
明日の朝一番の列車には、私の承認印が押された精錬所の設計図と、大量の建築資材が積み込まれるだろう。
そして帰り便には、最高級の山ブドウのアイスが満載され、王都の貴族たちを唸らせることになる。
私の野望は、雪の下で芽吹く植物のように、静かに、しかし確実に根を広げている。
世界を、私の望む形に書き換える。
そのためのペンは、すでに私の手の中にあった。
そしてそのインクとなるのは、無限に生み出される金貨と、美味しい料理だ。
「リリア様、明朝の発車準備、全て整いました。機関車の整備も万端、王都への到着予定時刻に遅れはありません」
セバスチャンの完璧な報告を聞きながら、私は深い眠りに就くことにした。
ふかふかのベッドに沈み込むと、フェンが足元に、ノクスが枕元に寄り添ってくる。
二匹の体温が、心地よい眠気を誘う。
夢の中では、世界中の美味しいものが、私の引いたレールの上を行き交っていた。
東の海からは新鮮な魚が、西の砂漠からは甘い果実が、そして北からは極上の肉と乳製品が。
それらが一つの巨大なテーブルに集まり、世界規模の晩餐会が開かれている。
その中心で、私はナイフとフォークを手に、高らかに笑っているのだ。
明日もまた、新しい利益との出会いが待っている。
そう思うと、窓の外を吹き抜ける冷たい夜風さえも、心地よい子守唄のように感じられた。
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