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第68話 砂塵の魔境と破産の宣告書
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西方のオアシス都市「エル・ナハ」を目指し、魔導列車『デザート・ライナー』が荒野を疾走していた。
窓の外には、見渡す限りの茶褐色の世界が広がっている。
かつては緑豊かだったという伝承が残る大地も、今はひび割れ、生命の気配など微塵も感じさせない死の世界だ。
外気温は四十度を超え、巻き上げられる砂塵が視界を遮っている。
だが、車内は別世界だ。
最新鋭の空調魔法が完璧に稼働し、春の木漏れ日のような快適な室温が保たれている。
私は最高級の革張りシートに深く身を預け、氷の浮かんだグラスを傾けていた。
「リリア様。間もなく、西方の第一の難所である『沈黙の砂丘』に差し掛かります」
隣に座る護衛騎士のレオン様が、窓の外を睨みながら報告してくる。
彼の金色の髪には、微塵の乱れもないが、その碧眼には隠しきれない緊張の色が漂っていた。
無理もない。
『沈黙の砂丘』は、微細な砂が嵐のように吹き荒れ、旅人の命どころか魂まで削り取ると言われる魔の領域だ。
普通の馬車であれば、車軸に砂が入り込み、数分で動けなくなり、そのまま砂に埋もれてミイラになるのがオチだろう。
「砂丘、ですか。魔導エンジンの防砂結界の出力レベルは?」
「はい。ガラム技師長が開発した『風の盾・改』が正常に作動中。砂粒一つ、通しません」
「素晴らしいわ。無駄な停止は、それだけで利益を損なう最大の罪ですものね」
私は満足げに頷き、手元の書類に目を落とした。
起工式から半年。
私の計画した「西国開拓線」は、常識を嘲笑うようなスピードで延伸を続け、ついに砂漠の心臓部へと到達しようとしていた。
このレールの先には、黄金を生む果樹園と、手付かずの鉱脈が待っている。
止まっている暇など、一秒たりともないのだ。
「わんっ! お外、まっ茶色です! あの中で遊んだら、お風呂が大変そうです!」
「にゃあ。私は、リリアの隣のこの涼しい場所から一歩も動かないわよ。外は地獄、ここは天国だもの」
足元で、フェンとノクスがくつろいでいる。
フェンは窓の外を興味津々に眺め、ノクスは私の足に頭を擦り付けて甘えていた。
二匹の毛並みは、過酷な旅路にあっても宝石のように輝いている。
最高級の食事とケアを与えているのだから、当然だ。
ズズズ……と、微かな振動が伝わってきた。
列車が砂丘地帯へと突入したのだ。
窓の外の景色が、一瞬にして茶色の壁に塗り替えられる。
バチバチバチ!と、結界に砂礫が衝突する音が激しく響いた。
視界はゼロ。
並の神経の持ち主なら、悲鳴を上げているところだろう。
だが、列車は速度を落とすどころか、さらに加速した。
魔導エンジンが唸りを上げ、砂の海を力ずくでねじ伏せていく。
「リリア、予定通りだ。現地の偵察部隊から、面白い報告が入ったぞ」
天井の装飾の陰から、黒い影が音もなく降りてきた。
ゼロ兄様だ。
彼の黒装束には、砂の一粒もついていない。
相変わらず、人間離れした隠密スキルだ。
「ご苦労様、兄様。それで、西方の『砂の主』たちは、どんな歓迎準備をしてくれているのかしら?」
「ああ。このエリアを牛耳るザハール侯爵を筆頭に、五人の領主が秘密の地下室で会合を開いている」
「奴らは、お前の作った灌漑システムと鉄道を、武力で奪い取る算段を立てているようだぞ」
「武力で、ですか。……本当に、学習能力のない人たちね」
私は手元のグラスをテーブルに置き、呆れ混じりの溜息をついた。
既得権益を守るために、新しい技術を盗もうとする。
自分たちで開発する努力もせず、他人の成果を力で奪えばいいと考える。
それは、私が最も軽蔑する「非効率」で「低俗」な思考回路だ。
文明人としてのレベルが低すぎて、怒りすら湧いてこない。
「兄様。彼らがどこから資金を調達しているか、突き止めたかしら?」
「軍隊を動かすには、莫大なお金がかかるはずですもの」
「シオン王国の亡命商人たちだ。以前、お前にコケにされた連中が、恨みを晴らそうと資金提供しているらしい」
「なるほど。点と線が繋がったわ。私の邪魔をするゴミを、まとめて処分できる絶好の機会ね」
私は手元の新しい帳簿を開き、彼らの名前をサラサラと書き込んだ。
ザハール侯爵、グエン伯爵、商人マルコ……。
名前を書くたびに、彼らの運命が確定していく。
デスノートではない。
これは、経済的な死刑執行書だ。
「相手が軍隊を動かすというのなら、私は『経済』という名の猛毒を流すだけですわ」
「彼らの領地で流通している通貨を、一晩で紙屑に変えてあげる」
「アークライト銀行の信用力とネットワークを使い、彼らの資産を市場から抹殺するのです」
私が指を鳴らすと、控えていたセバスチャンが即座に通信機を起動した。
王都のカシアンへ、暗号化された指令が飛ぶ。
ザハール一派の関連口座の凍結、手形の不渡り処理、そして担保物件の即時競売。
物理的な攻撃よりも遥かに速く、そして残酷に、彼らの首は絞められていく。
「リリア様。間もなく、エル・ナハの駅舎が見えてまいります」
セバスチャンの静かな声で、私は思考を現実に戻した。
砂嵐の向こうに、巨大なドーム状の建物がぼんやりと浮かび上がってくる。
それは、この半年の間に私が突貫工事で建設させた、西方の物流拠点だ。
砂漠の中にそびえ立つ近代的な駅舎は、まるで異世界の神殿のように威容を誇っていた。
キィィィィン……プシュゥゥゥッ!
列車が減速し、重厚な音を立ててホームに滑り込む。
窓の外には、すでに歓迎とは程遠い、殺気立った集団が待ち構えていた。
数百人の武装した私兵たち。
彼らは槍や剣を構え、列車を取り囲むように展開している。
その中心に、熊のような髭面の巨漢が立っていた。
ザハール侯爵だ。
彼は腕を組み、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
自分の庭に獲物が入ってきたとでも思っているのだろう。
「ごきげんよう、侯爵。これほど熱烈なお出迎えをいただけるとは、感謝いたしますわ」
重厚な扉が開き、私は熱風と共にホームへと降り立った。
純白のドレスに、日除けのつば広帽子。
戦場には似つかわしくない、優雅な少女の姿。
だが、その背後に控えるレオン様とゼロ兄様、そして二匹の聖獣が放つ圧力は、数百人の兵士を圧倒していた。
「ようこそ、死に場所へ。アークライトの小娘よ」
ザハール侯爵が、野太い声を張り上げた。
周囲の兵士たちが、一斉に武器を鳴らして威嚇する。
「このエル・ナハは、代々我ら一族が支配してきた土地だ。貴様のような商人が、勝手な真似をすることは許さん!」
「その列車も、灌漑施設も、すべて置いていってもらおうか。命が惜しければな!」
単純明快な脅し文句。
私は、扇で口元を隠し、くすりと笑った。
「この暑さで、頭が茹だってしまったのですか? 侯爵」
「まずは、我が屋敷で冷たい水でも飲んで頭を冷やした方がよろしくてよ」
「減らず口を! ここには水などない! あるのは貴様の血だけだ!」
「お誘いありがとうございます。でも、水なら自分のものがありますの」
私はセバスチャンに合図を送り、持ち込んだクーラーボックスを開けさせた。
中には、氷でキンキンに冷やされた、アークライト特製のレモネード。
ガラスの瓶が、冷気で白く曇っている。
私は一本を手に取り、栓を抜いて一気に飲み干した。
喉を鳴らして飲むその姿に、渇ききった兵士たちの視線が釘付けになる。
喉がゴクリと鳴る音が、あちこちから聞こえてきた。
「ぷはっ! 生き返りますわ!」
「侯爵。お話の前に、一つお見せしたいものがございますの」
「なんだ? また、あのおもちゃのような鉄の塊か? それとも命乞いの手紙か?」
「いいえ。あなたの領地の、明日の『残高』ですわ」
私は懐から、一通の赤い封筒を取り出した。
それは、アークライト銀行の頭取印が押された、最高レベルの「資産差し押さえ執行通知書」だ。
私はそれを、ザハールの足元にひらりと投げ捨てた。
「な、何だと……!?」
ザハールが拾い上げ、中身を見る。
彼の目が、信じられないほど大きく見開かれた。
「貴様、何をふざけたことを! 借金の返済期限は、まだ半年も先のはずだ!」
「ふざけてなどいませんわ。あなたの借金、私が全ての債権者から買い取りましたの」
「契約書の『期限の利益喪失条項』第15条をお読みになって? 『債権者が著しく信用を損なう行為をした場合、即時の全額返済を求めることができる』」
「私への敵対行為は、この上なく信用を損なう行為ですわね」
私は一歩前へ進み、彼を見下ろすように告げた。
「現時刻をもって、このエル・ナハの土地、水利権、そしてあなたの屋敷」
「すべては、アークライト商会の所有物となりますわ」
「ば、馬鹿な! そんな紙切れ一枚で、俺の領地が奪えるものか!」
「やれ! このふざけた小娘を八つ裂きにしろ!」
ザハールが絶叫し、兵士たちに命令を下した。
だが、誰も動かない。
兵士たちは、互いに顔を見合わせ、戸惑っている。
「兵士の皆さん。あなた方への給料も、このザハール侯爵の口座から支払われるはずでしたわね」
「ですが、その口座はすでに凍結されています。空っぽですわ」
「彼のために剣を振るっても、一カッパーも手に入りませんよ? それでも、命を懸けますか?」
私の言葉が、兵士たちの戦意を完全にへし折った。
彼らは武器を捨て、次々とその場に座り込んでいく。
金の切れ目は、縁の切れ目。
傭兵や私兵なんて、そんなものだ。
「貴様ら! 裏切るのか! 俺は侯爵だぞ! 砂の主だぞ!」
ザハールが喚き散らすが、その声は虚しく砂漠の風に消えていく。
私は、呆然とする彼に近づき、冷酷に微笑んだ。
「さあ、案内してくださる? 私の『新しい屋敷』へ」
私は優雅に歩み出し、道を開けた兵士たちの間を通り抜けた。
フェンが「わふっ」と勝ち誇ったように鳴き、ザハールを威嚇する。
ノクスも、彼の足元でわざとらしく尻尾を振って、その無様な姿をあざ笑った。
「リリア様、素晴らしい手際でございます」
レオン様が、感嘆の声を漏らしながら私の後ろに従う。
血を一滴も流さず、言葉と紙切れだけで、一つの領地を制圧したのだ。
騎士としての常識では計り知れない戦い方に、彼は改めて畏怖の念を抱いているようだった。
「経済とは、戦争の代用品ではありません。戦争そのものですわ」
私は前を見据えたまま答えた。
西方の支配権は、こうして一瞬にして私の手中に落ちた。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
私は、この渇いた大地に、本当の「豊かさ」と「美食」を植え付けるつもりだ。
破壊された畑を再生し、新しい果樹を植え、鉄道で世界中へ送り出す。
その利益で、さらに領民を豊かにし、私の財布も潤す。
完璧なサイクルだ。
そのためには、まず自分へのご褒美が必要だ。
勝利の味は、甘いものに限る。
「セバスチャン。夕食は、砂漠のオアシスで採れたデーツのケーキをお願い」
「生地にはブランデーをたっぷり染み込ませて、濃厚にお願いね」
「かしこまりました。最高級の蜂蜜と、冷たいクリームを添えて用意いたします」
私は夕日に赤く染まる砂漠を見つめ、これからの忙しくも楽しい日々を想った。
数字の力は、どんな剣よりも鋭く、どんな魔法よりも確実だ。
世界を私の色に染める旅は、さらに加速していく。
私の足元には、黄金に輝くレールが、どこまでも続いていた。
窓の外には、見渡す限りの茶褐色の世界が広がっている。
かつては緑豊かだったという伝承が残る大地も、今はひび割れ、生命の気配など微塵も感じさせない死の世界だ。
外気温は四十度を超え、巻き上げられる砂塵が視界を遮っている。
だが、車内は別世界だ。
最新鋭の空調魔法が完璧に稼働し、春の木漏れ日のような快適な室温が保たれている。
私は最高級の革張りシートに深く身を預け、氷の浮かんだグラスを傾けていた。
「リリア様。間もなく、西方の第一の難所である『沈黙の砂丘』に差し掛かります」
隣に座る護衛騎士のレオン様が、窓の外を睨みながら報告してくる。
彼の金色の髪には、微塵の乱れもないが、その碧眼には隠しきれない緊張の色が漂っていた。
無理もない。
『沈黙の砂丘』は、微細な砂が嵐のように吹き荒れ、旅人の命どころか魂まで削り取ると言われる魔の領域だ。
普通の馬車であれば、車軸に砂が入り込み、数分で動けなくなり、そのまま砂に埋もれてミイラになるのがオチだろう。
「砂丘、ですか。魔導エンジンの防砂結界の出力レベルは?」
「はい。ガラム技師長が開発した『風の盾・改』が正常に作動中。砂粒一つ、通しません」
「素晴らしいわ。無駄な停止は、それだけで利益を損なう最大の罪ですものね」
私は満足げに頷き、手元の書類に目を落とした。
起工式から半年。
私の計画した「西国開拓線」は、常識を嘲笑うようなスピードで延伸を続け、ついに砂漠の心臓部へと到達しようとしていた。
このレールの先には、黄金を生む果樹園と、手付かずの鉱脈が待っている。
止まっている暇など、一秒たりともないのだ。
「わんっ! お外、まっ茶色です! あの中で遊んだら、お風呂が大変そうです!」
「にゃあ。私は、リリアの隣のこの涼しい場所から一歩も動かないわよ。外は地獄、ここは天国だもの」
足元で、フェンとノクスがくつろいでいる。
フェンは窓の外を興味津々に眺め、ノクスは私の足に頭を擦り付けて甘えていた。
二匹の毛並みは、過酷な旅路にあっても宝石のように輝いている。
最高級の食事とケアを与えているのだから、当然だ。
ズズズ……と、微かな振動が伝わってきた。
列車が砂丘地帯へと突入したのだ。
窓の外の景色が、一瞬にして茶色の壁に塗り替えられる。
バチバチバチ!と、結界に砂礫が衝突する音が激しく響いた。
視界はゼロ。
並の神経の持ち主なら、悲鳴を上げているところだろう。
だが、列車は速度を落とすどころか、さらに加速した。
魔導エンジンが唸りを上げ、砂の海を力ずくでねじ伏せていく。
「リリア、予定通りだ。現地の偵察部隊から、面白い報告が入ったぞ」
天井の装飾の陰から、黒い影が音もなく降りてきた。
ゼロ兄様だ。
彼の黒装束には、砂の一粒もついていない。
相変わらず、人間離れした隠密スキルだ。
「ご苦労様、兄様。それで、西方の『砂の主』たちは、どんな歓迎準備をしてくれているのかしら?」
「ああ。このエリアを牛耳るザハール侯爵を筆頭に、五人の領主が秘密の地下室で会合を開いている」
「奴らは、お前の作った灌漑システムと鉄道を、武力で奪い取る算段を立てているようだぞ」
「武力で、ですか。……本当に、学習能力のない人たちね」
私は手元のグラスをテーブルに置き、呆れ混じりの溜息をついた。
既得権益を守るために、新しい技術を盗もうとする。
自分たちで開発する努力もせず、他人の成果を力で奪えばいいと考える。
それは、私が最も軽蔑する「非効率」で「低俗」な思考回路だ。
文明人としてのレベルが低すぎて、怒りすら湧いてこない。
「兄様。彼らがどこから資金を調達しているか、突き止めたかしら?」
「軍隊を動かすには、莫大なお金がかかるはずですもの」
「シオン王国の亡命商人たちだ。以前、お前にコケにされた連中が、恨みを晴らそうと資金提供しているらしい」
「なるほど。点と線が繋がったわ。私の邪魔をするゴミを、まとめて処分できる絶好の機会ね」
私は手元の新しい帳簿を開き、彼らの名前をサラサラと書き込んだ。
ザハール侯爵、グエン伯爵、商人マルコ……。
名前を書くたびに、彼らの運命が確定していく。
デスノートではない。
これは、経済的な死刑執行書だ。
「相手が軍隊を動かすというのなら、私は『経済』という名の猛毒を流すだけですわ」
「彼らの領地で流通している通貨を、一晩で紙屑に変えてあげる」
「アークライト銀行の信用力とネットワークを使い、彼らの資産を市場から抹殺するのです」
私が指を鳴らすと、控えていたセバスチャンが即座に通信機を起動した。
王都のカシアンへ、暗号化された指令が飛ぶ。
ザハール一派の関連口座の凍結、手形の不渡り処理、そして担保物件の即時競売。
物理的な攻撃よりも遥かに速く、そして残酷に、彼らの首は絞められていく。
「リリア様。間もなく、エル・ナハの駅舎が見えてまいります」
セバスチャンの静かな声で、私は思考を現実に戻した。
砂嵐の向こうに、巨大なドーム状の建物がぼんやりと浮かび上がってくる。
それは、この半年の間に私が突貫工事で建設させた、西方の物流拠点だ。
砂漠の中にそびえ立つ近代的な駅舎は、まるで異世界の神殿のように威容を誇っていた。
キィィィィン……プシュゥゥゥッ!
列車が減速し、重厚な音を立ててホームに滑り込む。
窓の外には、すでに歓迎とは程遠い、殺気立った集団が待ち構えていた。
数百人の武装した私兵たち。
彼らは槍や剣を構え、列車を取り囲むように展開している。
その中心に、熊のような髭面の巨漢が立っていた。
ザハール侯爵だ。
彼は腕を組み、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
自分の庭に獲物が入ってきたとでも思っているのだろう。
「ごきげんよう、侯爵。これほど熱烈なお出迎えをいただけるとは、感謝いたしますわ」
重厚な扉が開き、私は熱風と共にホームへと降り立った。
純白のドレスに、日除けのつば広帽子。
戦場には似つかわしくない、優雅な少女の姿。
だが、その背後に控えるレオン様とゼロ兄様、そして二匹の聖獣が放つ圧力は、数百人の兵士を圧倒していた。
「ようこそ、死に場所へ。アークライトの小娘よ」
ザハール侯爵が、野太い声を張り上げた。
周囲の兵士たちが、一斉に武器を鳴らして威嚇する。
「このエル・ナハは、代々我ら一族が支配してきた土地だ。貴様のような商人が、勝手な真似をすることは許さん!」
「その列車も、灌漑施設も、すべて置いていってもらおうか。命が惜しければな!」
単純明快な脅し文句。
私は、扇で口元を隠し、くすりと笑った。
「この暑さで、頭が茹だってしまったのですか? 侯爵」
「まずは、我が屋敷で冷たい水でも飲んで頭を冷やした方がよろしくてよ」
「減らず口を! ここには水などない! あるのは貴様の血だけだ!」
「お誘いありがとうございます。でも、水なら自分のものがありますの」
私はセバスチャンに合図を送り、持ち込んだクーラーボックスを開けさせた。
中には、氷でキンキンに冷やされた、アークライト特製のレモネード。
ガラスの瓶が、冷気で白く曇っている。
私は一本を手に取り、栓を抜いて一気に飲み干した。
喉を鳴らして飲むその姿に、渇ききった兵士たちの視線が釘付けになる。
喉がゴクリと鳴る音が、あちこちから聞こえてきた。
「ぷはっ! 生き返りますわ!」
「侯爵。お話の前に、一つお見せしたいものがございますの」
「なんだ? また、あのおもちゃのような鉄の塊か? それとも命乞いの手紙か?」
「いいえ。あなたの領地の、明日の『残高』ですわ」
私は懐から、一通の赤い封筒を取り出した。
それは、アークライト銀行の頭取印が押された、最高レベルの「資産差し押さえ執行通知書」だ。
私はそれを、ザハールの足元にひらりと投げ捨てた。
「な、何だと……!?」
ザハールが拾い上げ、中身を見る。
彼の目が、信じられないほど大きく見開かれた。
「貴様、何をふざけたことを! 借金の返済期限は、まだ半年も先のはずだ!」
「ふざけてなどいませんわ。あなたの借金、私が全ての債権者から買い取りましたの」
「契約書の『期限の利益喪失条項』第15条をお読みになって? 『債権者が著しく信用を損なう行為をした場合、即時の全額返済を求めることができる』」
「私への敵対行為は、この上なく信用を損なう行為ですわね」
私は一歩前へ進み、彼を見下ろすように告げた。
「現時刻をもって、このエル・ナハの土地、水利権、そしてあなたの屋敷」
「すべては、アークライト商会の所有物となりますわ」
「ば、馬鹿な! そんな紙切れ一枚で、俺の領地が奪えるものか!」
「やれ! このふざけた小娘を八つ裂きにしろ!」
ザハールが絶叫し、兵士たちに命令を下した。
だが、誰も動かない。
兵士たちは、互いに顔を見合わせ、戸惑っている。
「兵士の皆さん。あなた方への給料も、このザハール侯爵の口座から支払われるはずでしたわね」
「ですが、その口座はすでに凍結されています。空っぽですわ」
「彼のために剣を振るっても、一カッパーも手に入りませんよ? それでも、命を懸けますか?」
私の言葉が、兵士たちの戦意を完全にへし折った。
彼らは武器を捨て、次々とその場に座り込んでいく。
金の切れ目は、縁の切れ目。
傭兵や私兵なんて、そんなものだ。
「貴様ら! 裏切るのか! 俺は侯爵だぞ! 砂の主だぞ!」
ザハールが喚き散らすが、その声は虚しく砂漠の風に消えていく。
私は、呆然とする彼に近づき、冷酷に微笑んだ。
「さあ、案内してくださる? 私の『新しい屋敷』へ」
私は優雅に歩み出し、道を開けた兵士たちの間を通り抜けた。
フェンが「わふっ」と勝ち誇ったように鳴き、ザハールを威嚇する。
ノクスも、彼の足元でわざとらしく尻尾を振って、その無様な姿をあざ笑った。
「リリア様、素晴らしい手際でございます」
レオン様が、感嘆の声を漏らしながら私の後ろに従う。
血を一滴も流さず、言葉と紙切れだけで、一つの領地を制圧したのだ。
騎士としての常識では計り知れない戦い方に、彼は改めて畏怖の念を抱いているようだった。
「経済とは、戦争の代用品ではありません。戦争そのものですわ」
私は前を見据えたまま答えた。
西方の支配権は、こうして一瞬にして私の手中に落ちた。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
私は、この渇いた大地に、本当の「豊かさ」と「美食」を植え付けるつもりだ。
破壊された畑を再生し、新しい果樹を植え、鉄道で世界中へ送り出す。
その利益で、さらに領民を豊かにし、私の財布も潤す。
完璧なサイクルだ。
そのためには、まず自分へのご褒美が必要だ。
勝利の味は、甘いものに限る。
「セバスチャン。夕食は、砂漠のオアシスで採れたデーツのケーキをお願い」
「生地にはブランデーをたっぷり染み込ませて、濃厚にお願いね」
「かしこまりました。最高級の蜂蜜と、冷たいクリームを添えて用意いたします」
私は夕日に赤く染まる砂漠を見つめ、これからの忙しくも楽しい日々を想った。
数字の力は、どんな剣よりも鋭く、どんな魔法よりも確実だ。
世界を私の色に染める旅は、さらに加速していく。
私の足元には、黄金に輝くレールが、どこまでも続いていた。
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異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。
一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。
ハンナ・キャロライン・バーディナ 22歳
バーディナ伯爵家令嬢
✖️
ウィルバート・アドルファス・キングスフォード 26歳
キングスフォード公爵
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