ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)

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第69話 砂漠の黄金と黒い宝石の甘露

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西方の物流拠点「エル・ナハ」の支配権を、私が完全に掌握してから三日が経過した。
かつてこの地を「砂の王国」と称し、絶対的な権力者として君臨していたザハール侯爵。
彼は今、自身の屋敷の薄暗い客間で、魂の抜けた廃人のように座り込んでいるという報告が入っている。
昨日まで彼を支えていた地位、名誉、そして膨大な資産。
それら全てが、私という新たな支配者の手によって、一夜にして霧散したのだ。
物理的な暴力など、一切振るっていない。
ただ、数字という名の猛毒を、彼の経済圏に一滴垂らしただけ。
それだけで、一人の貴族の人生を完全に破壊し尽くすことができる。
これこそが、私がこの世界にもたらした「新しい戦争」の形だ。

「……ふう。ようやく、権利関係の整理が終わりましたわね」

私は、ザハール侯爵から接収したばかりの豪奢な執務室で、大きく息を吐いた。
目の前の巨大なマホガニーのデスクには、この西方の地における全ての「水利権」と「土地権利書」が、うず高く積まれている。
これら紙切れ一枚一枚が、将来的に生み出す利益を計算するだけで、私の脳内には心地よいドーパミンが溢れ出してくる。
窓の外からは、絶え間なく重低音が響いている。
私がアークライト商会の技術部を総動員して開始させた、「魔法灌漑システム」の建設工事の音だ。
巨大な魔導ドリルが大地を穿つその振動は、この乾いた土地が生まれ変わろうとする産声のようにも聞こえる。

「カシアン、聞こえて? 現地の労働者に対する給与体系の刷新プランだけれど」

私は耳元の魔導通信機を起動し、王都にいる腹心へ指示を飛ばした。
ノイズの向こうから、カシアンの緊張した、しかし明晰な声が返ってくる。

『はい、リリア様。感度良好です。ご指示を』

「これまでの、ザハール侯爵が行っていた奴隷的な固定給制度は即時廃止します。代わりに、完全歩合制の『成果報酬型』に移行なさい」
「収穫量に応じて、青天井で報酬を支払うの。やる気のある者には、アークライト銀行から超低金利での機材購入ローンも認めてあげて」

『……なるほど。労働者を「酷使」するのではなく、「自発的に働きたくなる」仕組みを作るのですね』

「ええ、その通りよ。人間という生き物は、恐怖で縛るよりも『利益』という希望を目の前にぶら下げた方が、死に物狂いで働くものなのです」
「彼らが稼げば稼ぐほど、私の懐には手数料と利息が転がり込んでくる。……完璧なシステムでしょう?」

『仰る通りです。リリア様の経営哲学には、いつも戦慄を覚えます』

カシアンの感嘆の声を聞きながら、私は通信を切った。
窓の外に広がる砂漠を見下ろす。
灼熱の太陽が照りつけるこの不毛の大地も、私の目には黄金を生み出す無限の畑に見えていた。
水さえあれば、ここは楽園になる。
そしてその「水」の蛇口を握っているのは、この私だ。

「リリア! 見つけたぞ! お前の計算通りだ!」

突然、執務室のドアが乱暴に開け放たれた。
飛び込んできたのは、全身を泥と砂にまみれさせたゼロ兄様だ。
普段は冷徹な影の支配者である彼が、珍しく少年のように目を輝かせている。

「あら、兄様。地下鉄の工事現場から戻られた作業員かと思いましたわ」
「ふふ、それで? 地下深くの水脈は見つかりましたか?」

「ああ、ドンピシャだ! お前が地図に引いた線の真下、地下三百メートルの岩盤の下に、とんでもない量の聖水が眠っていた!」
「掘り当てた瞬間、水柱が空まで吹き上がったぞ。……ほら、これを見ろ」

兄様が、大切そうに抱えていた布包みをデスクの上に広げた。
そこには、水滴を滴らせた一房の果実が横たわっている。
「デーツ」だ。
しかし、これまでこの地の市場で売られていた、乾燥してひび割れたような貧相なものとは、次元が違う。
一粒一粒が赤ん坊の拳ほどもあり、黒曜石のように艶やかに輝いている。
皮はパンパンに張り詰め、中には蜜がたっぷりと詰まっていることが見て取れた。

「これが……地底の聖水を吸って育った、『幻のデーツ』……」

私はゴクリと喉を鳴らし、その黒い宝石を一粒手に取った。
指先に伝わる重量感。
皮ごと、ゆっくりと口へと運ぶ。
プチッ、という皮が弾ける音と共に、濃厚な甘みが口の中いっぱいに爆発した。

「……んんっ!」

思わず、色っぽい声が漏れてしまう。
砂糖を焦がしたキャラメルのような香ばしさと、完熟した黒糖のような深いコク。
それでいて、後味には聖水由来の清涼感があり、決してくどくない。
ねっとりとした果肉が舌に絡みつき、脳髄を甘く痺れさせていく。

「素晴らしいわ……。これこそが、私が追い求めていた『西の至宝』ね」
「王都の貴族たちが食べている輸入物のドライフルーツなんて、これに比べたらただの木の皮だわ」

私は恍惚の表情で、種を吐き出した。
この味なら、いける。
私の脳内で、新たな商品開発の設計図が高速で組み上がっていく。

「このデーツを、アークライト鉄道の冷蔵車両で、鮮度を保ったまま王都へ直送する」
「そして、アークライト領の発酵バターとクルミを挟んで、『極上デーツ・バターサンド』として売り出すのよ」
「一箱、金貨一枚……いいえ、二枚でも飛ぶように売れるわ。私が保証する」

「お前は……。感動している最中にも、金勘定か」

兄様が呆れたように肩をすくめるが、その口元は笑っていた。
彼もまた、この果実が持つポテンシャルを理解しているのだ。

「わんっ! リリアさま! ぼくにも! そのあまいにおいのするやつ、ください!」
「にゃあ。私にも頂戴。最近、毛並みの艶が気になっていたのよ」

足元で、フェンとノクスが私のドレスを引っ張った。
フェンは尻尾をプロペラのように回し、ノクスは前足で私の膝をカリカリと掻いている。
二匹の瞳は、デスクの上のデーツに釘付けだ。

「はいはい、分かったわよ。お仕事のご褒美ね」

私はナイフでデーツの種を取り除き、二匹の口に放り込んでやった。
二匹は目を細め、幸せそうに咀嚼している。

「はぐはぐ! あまーい! お口の中が、天国です!」
「んぐ……。濃厚ね。これなら、美容にも良さそうだわ」

二匹の満足そうな姿を見て、私も自然と笑みがこぼれる。
美味しいものを食べる。
その単純で、かつ最強の幸福を守るために、私は戦っているのだ。

その時、廊下を走る慌ただしい足音が近づいてきた。
バンッ!と扉が開き、護衛のレオン様が血相を変えて飛び込んでくる。

「リリア様! 緊急事態です!」
「ザハール侯爵の残党と思われる集団が、水源地へ向かっています!」
「彼らは、新しく発見された『秘密の井戸』を破壊するつもりのようです!」

「秘密の井戸? ああ、兄様が掘り当てたばかりの、あの聖水の井戸ね」

私はナプキンで指先を拭い、冷ややかに目を細めた。
自分たちが独占できなくなったからといって、共有財産である井戸を壊そうとする。
「自分のものでないなら、誰にも渡さない」という、典型的な敗者の思考回路だ。
あまりにも浅ましく、そして非生産的な考え方に、怒りよりも哀れみが湧いてくる。

「レオン様。武力行使は無用ですわ」
「彼らは、追い詰められた野良犬のようなもの。吠えているだけです」

「し、しかし! 実際に爆薬を持っているという情報も!」

「構いません。彼らに、私の『警告』を伝えてきてください」

私は立ち上がり、窓の外の砂漠を見据えた。
私の声は、氷点下の冷気を帯びていた。

「『もし、その井戸に指一本でも触れたら』」
「『あなた方はもちろん、その親族、友人、関わりのある全ての人間のアークライト銀行の口座を、永久に凍結します』と」
「『この大陸で、パン一つ、水一杯買えない体にしてあげる』と、そうお伝えなさい」

「……っ! け、経済的な……死刑宣告ですか」

レオン様が、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
剣で斬られるよりも、魔法で焼かれるよりも恐ろしい、「社会的な抹殺」。
アークライト商会の経済圏が大陸を覆いつつある今、そこから排除されることは、文字通り「生きていけない」ことを意味する。

「行って。五分以内に片付くわ」

「は、はいっ! 直ちに!」

レオン様は弾かれたように敬礼し、風のように去っていった。
結果を見るまでもない。
金と未来を天秤にかけられれば、どんな狂信者でも正気に戻るものだ。
私の名前は今や、この西方において神の慈悲よりも、悪魔の契約書よりも重い意味を持っていた。

午後になり、太陽が少し傾き始めた頃。
私は、完成したばかりの灌漑施設の視察へと向かった。
巨大な水門が開かれ、地下から汲み上げられた聖水が、乾ききった大地へと解き放たれる。
ゴオォォォォ……ッという水音が、歓喜の歌のように響き渡った。
水路を通って、ひび割れた果樹園へと水が染み渡っていく。
死にかけていた木々が、水を吸い上げ、目に見えて生気を取り戻していくのが分かった。

「おお……! 水だ! 水が来たぞ!」
「奇跡だ! 砂漠に川ができた!」

集まっていた領民たちが、涙を流して歓声を上げた。
彼らは水路に駆け寄り、泥水を手ですくって飲み、互いに抱き合って喜んでいる。

「リリア様、万歳! 砂漠の女神様、万歳!」

熱狂的なコールが、砂漠の熱風に乗って私のもとへ届く。
私は日傘の下で、その光景を冷静に見下ろしていた。
女神? 馬鹿げている。
私はただ、投資対効果を最大化するために環境を整えただけだ。
彼らの感謝は心地よいが、私が欲しいのは信仰ではなく「果実」だ。

私は、一番近くにあったレモンの古木に歩み寄った。
そして、そっと幹に手を触れる。
体内の魔力を、指先から流し込んだ。
聖獣フェンリルの加護を受けた私の魔力は、植物の生体時間を操作し、成長を劇的に加速させる力がある。

「さあ、目覚めなさい。そして、たくさん実るのよ」
「私の利益のためにね」

ドクンッ、と木が脈動した。
次の瞬間、枯れかけていた枝から一斉に緑の葉が芽吹き、白い花が咲き乱れた。
そして、見る間に小さな緑の実が膨らみ、鮮やかな黄金色のレモンへと変わっていく。
たった数十秒の早回し映像のように、木はたわわな実をつけた。

「な、なんだこれは……!?」
「魔法だ! リリア様が、木に命を吹き込んだぞ!」

領民たちの驚愕の声が、さらに大きくなる。
私は、完熟したレモンを一つもぎ取り、香りを嗅いだ。
爽やかで、強烈な酸味の予感。
完璧だ。

「これで、第一段階は完了ね」

数ヶ月後には、ここから見渡す限りの果樹園が、黄金色に染まるだろう。
その全てが、私のアークライト商会の資産となる。

視察の帰り道、私は駅の構内に新設させた「オアシス・カフェテラス」で一休みすることにした。
ガラス張りの店内からは、建設中の鉄道と、活気あふれる街並みが見渡せる。
テーブルには、私がオーダーした特製パフェが運ばれてきた。
「西方の夕暮れ・シトラススペシャル」。
グラスの底には、レモンのゼリーとオレンジのムースが層を成している。
その上には、山盛りのバニラアイスと、宝石のようにカットされたデーツ。
仕上げに、削ったレモンの皮とミントが散らされている。

「んんっ……、冷たくて、甘くて、最高だわ」

スプーンで一口すくって食べると、砂漠の暑さで火照った体に、冷気が染み渡っていく。
柑橘の酸味とアイスの甘みが、口の中でワルツを踊るようだ。
デーツのねっとりとした食感が、良いアクセントになっている。
仕事の後の甘味は、脳細胞の一つ一つを修復してくれるような気がする。

「リリア様。王都から、アーノルド殿下の親書が届きました」

至福の時間を邪魔するように、セバスチャンが恭しく封筒を差し出した。
王家の紋章が入った、最高機密の封蝋がされている。
私はスプーンを置き、少しだけ不機嫌になりながら封を切った。
殿下からの手紙など、ろくな用件ではないに決まっている。

手紙の内容を目で追ううちに、私の眉間には深い皺が刻まれていった。
パフェの甘さが、急速に苦味へと変わっていく感覚。

「……ほう。北の国境付近で、大規模な『塩の闇取引』が行われている、と」
「私の敷いた鉄道網を避けて、裏ルートで塩を流しているネズミがいるようね」

「塩」は、人間が生きていく上で不可欠なミネラルであり、アークライト商会が独占的に扱う最重要戦略物資の一つだ。
それを、私の許可なく、私の管理外で取引する。
それは単なる密輸ではない。
私に対する、明確な「挑戦状」であり、私の利益を掠め取る「泥棒行為」だ。

「セバスチャン。明日の朝一番の列車で、北の国境へ向かうわ」

「せっかくの西方でのバカンスが、台無しですわね」
「バカンス? リリア様、あなたはここに来てから一秒たりとも休んでおりませんが」

セバスチャンが、呆れたように、しかし愛おしげに苦笑いを浮かべた。

「あら。私にとっては、不正な数字を正しい数字に書き換えることこそが、最高の休息ですのよ」

私は残りのパフェを一気に飲み込み、優雅に立ち上がった。
窓の外では、西方の大きな夕日が、砂漠の地平線に沈もうとしている。
その赤色は、私の胸の中で燃え上がった怒りの炎の色に似ていた。

「悪いネズミは、一匹残らず私の罠にかけてあげるわ」
「フェン、ノクス。次は北の国境よ。また忙しくなるわよ」

「わんっ! 雪山ですね! 毛皮の準備は万端です!」
「にゃあ。寒いのは嫌いだけど、リリアの『お掃除』は見ていてスカッとするから、付き合ってあげるわ」

二匹の相棒が、頼もしく答える。
私の進撃は、一瞬の淀みもなく、次なる戦場へと向けられた。
西方の繁栄は、すでに私の計算機の中に「完了済み」として書き込まれていた。
次は、北の雪原を、私の黄金のルールで染め上げる番だ。
私は不敵な笑みを浮かべ、北の方角を睨み据えた。
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