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第82話 極上のフルーツサンドと未知なる巨大船
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西方の平定から数週間。エル・ナハの街は、かつてないほどの熱気と活気に包まれていた。
三つの小国が私に差し出した富が、黄金のレールを通じてこのオアシス都市へと止めどなく流入している。
街の大通りには、昨日まで砂漠の民が見たこともなかったような東方の絹や北方の毛皮、王都の最新の魔導具が所狭しと並べられていた。
それら全てが、アークライト商会の刻印が押された紙幣で取引されている。
私が構築した完全な経済循環。
武力ではなく、圧倒的な資本と物流によって、この西方の地は完全に私の支配下で呼吸をしていた。
私は、新設された巨大なドーム状の駅舎、『アークライト・セントラル駅』のホームの中央に立っている。
目の前には、漆黒の流線型ボディを持つ最新型の魔導機関車が、重厚な蒸気の音を響かせながら発車の時を待っていた。
王都の職人たちに夜通しで作らせた、私の専用特別車両だ。
その圧倒的な質量と威容に、ホームにいる商人や労働者たちは畏怖の眼差しを向けている。
「リリア様。北方のアイゼン候より、至急の親書が届いております」
隣に控えていた筆頭監査役のカシアンが、銀色のお盆に乗せた書類を差し出してきた。
その横には、西方の氷室で極限まで冷やされた、完熟フルーツジュースのグラスが添えられている。
私は純銀の縁取りがされたグラスを受け取り、琥珀色の液体を揺らした。
氷がカラン、と涼しげな音を立てる。
「アイゼン候?あの頑固な武人の侯爵様が、自分から手紙を寄越すなんて珍しいこと」
私は冷たいジュースを一口飲んだ。
果実の強烈な甘みと爽やかな酸味が、砂漠の熱気で疲労した脳細胞に直接染み渡っていく。
「はい。表向きは軍事的な連絡を装っておりますが、実態は全く異なります」
カシアンが、感情の欠落した声で報告する。
「先般、我が商会が北方へ送った西方のレモンとマンゴー。あれの美味しさに、侯爵をはじめとする北の将兵たちがすっかり取り憑かれたようです」
カシアンが封を切った親書には、力強い筆跡でこう綴られていた。
『至至急、アイゼン領の特産品を西方の果実と交換したい。アークライト鉄道の臨時便を頼む』
私は、喉の奥でくすりと笑った。
「あの氷のような老人を、南国の果実の甘みで完全に骨抜きにしてしまったようね」
「全くその通りでございます。彼らはもはや、アークライトの運ぶ食材なしでは、一日の活力を維持できない体になっております」
北の極寒を生き抜くための濃厚な肉と、西の太陽をたっぷりと浴びた果実。
この二つが私の路線上で結びつけば、さらに莫大な利益を生む新しい美食が完成する。
「面白いわ。カシアン、すぐに北方行きの臨時貨物列車を最大編成で用意なさい。西方の倉庫にある果実を、全て積み込むのよ」
「帰り便には、アイゼン領で熟成された最高級のチーズとバターを満載させるの。空の貨車を走らせるような無駄は、一秒たりとも許さないわよ」
私の矢継ぎ早な指示に、カシアンは銀縁の眼鏡を中指で押し上げ、深く一礼した。
「承知いたしました。物流の最適化と利益の最大化は、私の最も得意とするところ。直ちにダイヤを再編し、臨時便を走らせます」
カシアンは手帳に素早く数式と指示を書き込み、駅長室へと足早に向かっていった。
私はグラスを部下に渡し、特別車両の重厚な扉を開けさせた。
車内は、外の熱気が嘘のように、快適な春の温度に保たれている。
床には最高級のペルシャ絨毯が敷き詰められ、壁は磨き上げられたマホガニー材だ。
私は中央の豪奢なソファに、深く身を沈めた。
足元では、若狼サイズにまで逞しく成長したフェンが、私の膝に顎を乗せて甘えてくる。
その美しい銀色の毛並みは、車内の魔導ランプの光を浴びてキラキラと輝いていた。
窓際の特等席では、漆黒の毛並みを持つ魔猫ノクスが、流れるような動作で毛繕いをしている。
「リリアさま、また雪山へ行くのですか。ここは暖かいですが、北はちょっと寒そうです」
フェンが少し心配そうに、銀色の耳をぴくぴくと動かした。
「大丈夫よ、フェン。この列車の中は、私の設計した魔導エンジンで常に完璧な温度が保たれているもの」
「それに、今回はあのアイゼン候が、とっておきの『珍味』を用意して私たちを待っているそうよ」
珍味、という言葉を聞いた瞬間。
二匹の瞳が、全く同時にギラリと怪しい光を放った。
「珍味!にゃあ、それは聞き捨てならない言葉ね。早く出発しましょう、リリア」
ノクスがしなやかに飛び降り、私の膝の上に乗って喉をゴロゴロと鳴らした。
「わんっ!ぼくも、北の美味しいお肉がいっぱい食べたいです!」
ガタッ、と心地よい振動が足元から伝わり、列車がゆっくりと、しかし圧倒的なトルクで動き出す。
窓の外の景色が、徐々に速度を上げながら後方へと流れ始めた。
私は手元の路線図を広げ、さらなる計画を練り始める。
「ただ運ぶだけでは芸がないわ。カシアンが戻ったら、『アークライト・コールドチェーン』の本格稼働を指示しなければ」
独り言のように呟いた私に、いつの間にか戻ってきていたカシアンが反応した。
「コールドチェーン、でございますか?それは、どのようなシステムでしょう」
「氷の魔導具を組み込んだ特殊な冷蔵車両を連結し、生鮮食品を大陸中に届ける新事業よ」
私は、完璧な利益計画の全貌を語り始めた。
「温度管理を徹底すれば、鮮度の落ちやすい海産物や、西方の熟れた果実も、腐らせることなく数日かけて運べる」
「これが完成すれば、海のない内陸の寂れた村でも、水揚げされたばかりの新鮮なお刺身が食べられるようになるのよ」
私の言葉に、カシアンは絶句した。
「生きたままの鮮度を、内陸まで……。それが実現すれば、食料の市場価値は根底から覆ります。常識を破壊する、恐るべき構想です」
「ふふ、夢が広がるわね。世界中の食卓を、私が豊かにしてあげる。そして、その対価として大陸中の富を私の金庫に集めるの」
私は自分でも驚くほど、この果てしない商売のゲームを楽しんでいる。
前世の狭いオフィスでの経理事務は、ただの単調な作業でしかなかった。
けれど今は、私の引く線の一本一本が、世界の地図を書き換え、誰かの胃袋を満たし、私の絶対的な権力を強固なものにしている。
そして何より、私の美食への果てしない欲求を満たしてくれるのだ。
数時間後、列車は西方の乾いた平原を抜け、徐々に標高を上げ始めた。
車窓の景色は、黄金色の砂漠から、針葉樹の深い緑へと鮮やかに変わっていく。
「リリア様、軽食の準備が整いました。本日の試作品でございます」
控えめなノックと共に、執事のセバスチャンが銀のワゴンを押して入ってきた。
そのワゴンから漂う甘く芳醇な香りに、私の食欲中枢が激しく刺激される。
「待っていたわ、セバスチャン。今日のおやつは、何かしら」
「西方の太陽をたっぷり浴びた完熟マンゴーを、特別に手配したパンで挟んだ『フルーツサンド』でございます」
セバスチャンが恭しく銀のドームを開けた。
そこに乗っていたのは、まるで宝石箱のように美しい断面を持つサンドイッチだった。
真っ白な生クリームの海の中に、鮮やかなオレンジ色の果肉が隙間なく埋もれている。
パンは、アイゼン領の寒冷地で育った最高級の小麦を使用し、極限までふんわりと柔らかく焼き上げられた特注品だ。
「まあ、なんて美しい切り口なの。黄金色のマンゴーが、クリームの白にこれほど映えるとは」
私は一切れを指でつまみ、そっと口へと運んだ。
「……っ!最高だわ」
口に入れた瞬間、パンのわずかな塩気が、完熟マンゴーの暴力的なまでの甘みを完璧に引き立てた。
生クリームはあえて甘さを抑えてあり、果実のフレッシュな酸味がダイレクトに舌の上で弾ける。
冷やされた果肉からジュワリと溢れ出す濃厚な果汁が、クリームと混ざり合い、口の中を一瞬で南国の楽園に変えてしまった。
「セバスチャン、これよ。これがアークライト鉄道の旅の、最大の醍醐味になるわ」
私は興奮冷めやらぬまま、即座に商品化の指示を出す。
「ブランド名は『アークライト・トレイン・サンド』。一等車両の乗客にはウェルカムスイーツとして提供し、二等車両では車内販売の目玉商品にしなさい」
「価格は銀貨三枚。少し高めでも、この味なら飛ぶように売れるわ」
「畏まりました。各車両での販売ラインと、製造工程の標準化を即座に構築いたします」
セバスチャンは私の指示を完璧に理解し、深く一礼した。
私は満足して、二切れ目のサンドイッチに手を伸ばした。
待ちきれない様子で足元をうろうろしているフェンとノクスにも、小さく切り分けたマンゴーの果肉をたっぷりと分け与える。
「わんっ!はぐはぐ!あまくて冷たくて、ほっぺたが落ちそうです!」
フェンは歓喜の声を上げながら、あっという間に果肉を飲み込んだ。
「にゃあ。このクリームの滑らかさ、なかなかの出来栄えね。合格点の味よ」
ノクスも目を細め、ピンク色の舌で器用にクリームを舐め取っている。
私たちは、時速百二十キロで移動する最高級の空間の中で、至福の時間を過ごしていた。
外の世界がどれほど激動していようとも、私のこのティータイムを邪魔することは誰にもできない。
やがて、窓の向こうに、雪を被った北の山脈がその巨大な姿を現し始めた。
空気が少しずつ冷たさを帯び、車窓ガラスの端が白く曇り始めている。
アイゼン候が待つ、あの武骨な雪の要塞まで、あと数時間の距離だ。
あそこで私を待っているのは、一体どんな未知の美味しさなのだろう。
想像するだけで、胸の高鳴りが抑えきれない。
私はフルーツサンドの最後の一口を、名残惜しそうに飲み込んだ。
そして、冷たいダージリンティーで口の中をすっきりとリセットする。
その時だった。
車内の壁に設置された、暗号通信用の魔導具が、低く鋭い警告音を鳴らした。
赤いランプが点滅し、緊急の事態を知らせている。
カシアンが素早く通信機を操作し、音声をつないだ。
スピーカーから響いてきたのは、裏社会の情報を統括するゼロ兄様の、少し焦ったような声だ。
「リリア。少し厄介な情報が入ったぞ。南のポルトゥス港の沖合で、正体不明の『巨大な船』が目撃された」
「正体不明の船?」
私は紅茶のカップをソーサーに置き、冷ややかな声で聞き返した。
「ああ。掲げている旗印は見たこともない模様だ。船体の構造も、これまでのどの国の造船技術とも全く違う。未知の勢力かもしれん」
ゼロ兄様の報告に、車内の空気が一瞬だけピリッと張り詰めた。
カシアンもセバスチャンも、表情を硬くして次の指示を待っている。
「未知の勢力……。私の支配する海域に、挨拶もなしに入り込んでくるなんて、随分と無作法な連中ね」
私の眉が、ピクリと不快げに動いた。
「私の航路と物流を邪魔するようなら、ただの鉄屑に変えて海底に沈めてあげるわよ」
私は窓の外、遥か南の空を鋭く睨みつけた。
私が構築した完璧な経済圏。
そこに異物を混入させることは、私の最も嫌悪する行為だ。
物語は、私の知らない新たな局面を迎えようとしていた。
だが、私の関心は数秒後には、全く別のところへと向かっていた。
未知の国。
未知の文化。
それはつまり、私のまだ知らない、全く新しい食材が存在するということではないのか。
「ゼロ兄様」
私は、抑えきれない好奇心を声に乗せて問いかけた。
「その巨大な船の厨房からは、何か美味しい匂いはしているかしら?」
私の突拍子もない問いに、通信機の向こうでゼロ兄様が一瞬絶句したのが分かった。
数秒の沈黙の後、深く呆れたようなため息がスピーカーから漏れ聞こえてくる。
「……お前らしいな。国の一大事かもしれないというのに、頭の中は食い物のことばかりか」
「当たり前でしょう。未知のスパイスや、珍しいお肉が積んであるかもしれないのよ。それを見過ごす手はないわ」
「まあいい。お前のその強欲さには、もう慣れた。すぐに裏のネットワークを使って、船の積荷の調査を進めておく」
ブツッ、と通信が切れた。
私はゆっくりと革張りの椅子から立ち上がり、窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
そこには、六歳の少女の愛らしさなど微塵もない。
あるのは、次の莫大な利益と極上の美食を狙う、貪欲な支配者の顔だ。
「新しい敵が現れるというのなら、その財産を丸ごと私のものにするための、新しい帳簿を用意するまでだわ」
私は不敵な笑みを浮かべた。
三つの小国が私に差し出した富が、黄金のレールを通じてこのオアシス都市へと止めどなく流入している。
街の大通りには、昨日まで砂漠の民が見たこともなかったような東方の絹や北方の毛皮、王都の最新の魔導具が所狭しと並べられていた。
それら全てが、アークライト商会の刻印が押された紙幣で取引されている。
私が構築した完全な経済循環。
武力ではなく、圧倒的な資本と物流によって、この西方の地は完全に私の支配下で呼吸をしていた。
私は、新設された巨大なドーム状の駅舎、『アークライト・セントラル駅』のホームの中央に立っている。
目の前には、漆黒の流線型ボディを持つ最新型の魔導機関車が、重厚な蒸気の音を響かせながら発車の時を待っていた。
王都の職人たちに夜通しで作らせた、私の専用特別車両だ。
その圧倒的な質量と威容に、ホームにいる商人や労働者たちは畏怖の眼差しを向けている。
「リリア様。北方のアイゼン候より、至急の親書が届いております」
隣に控えていた筆頭監査役のカシアンが、銀色のお盆に乗せた書類を差し出してきた。
その横には、西方の氷室で極限まで冷やされた、完熟フルーツジュースのグラスが添えられている。
私は純銀の縁取りがされたグラスを受け取り、琥珀色の液体を揺らした。
氷がカラン、と涼しげな音を立てる。
「アイゼン候?あの頑固な武人の侯爵様が、自分から手紙を寄越すなんて珍しいこと」
私は冷たいジュースを一口飲んだ。
果実の強烈な甘みと爽やかな酸味が、砂漠の熱気で疲労した脳細胞に直接染み渡っていく。
「はい。表向きは軍事的な連絡を装っておりますが、実態は全く異なります」
カシアンが、感情の欠落した声で報告する。
「先般、我が商会が北方へ送った西方のレモンとマンゴー。あれの美味しさに、侯爵をはじめとする北の将兵たちがすっかり取り憑かれたようです」
カシアンが封を切った親書には、力強い筆跡でこう綴られていた。
『至至急、アイゼン領の特産品を西方の果実と交換したい。アークライト鉄道の臨時便を頼む』
私は、喉の奥でくすりと笑った。
「あの氷のような老人を、南国の果実の甘みで完全に骨抜きにしてしまったようね」
「全くその通りでございます。彼らはもはや、アークライトの運ぶ食材なしでは、一日の活力を維持できない体になっております」
北の極寒を生き抜くための濃厚な肉と、西の太陽をたっぷりと浴びた果実。
この二つが私の路線上で結びつけば、さらに莫大な利益を生む新しい美食が完成する。
「面白いわ。カシアン、すぐに北方行きの臨時貨物列車を最大編成で用意なさい。西方の倉庫にある果実を、全て積み込むのよ」
「帰り便には、アイゼン領で熟成された最高級のチーズとバターを満載させるの。空の貨車を走らせるような無駄は、一秒たりとも許さないわよ」
私の矢継ぎ早な指示に、カシアンは銀縁の眼鏡を中指で押し上げ、深く一礼した。
「承知いたしました。物流の最適化と利益の最大化は、私の最も得意とするところ。直ちにダイヤを再編し、臨時便を走らせます」
カシアンは手帳に素早く数式と指示を書き込み、駅長室へと足早に向かっていった。
私はグラスを部下に渡し、特別車両の重厚な扉を開けさせた。
車内は、外の熱気が嘘のように、快適な春の温度に保たれている。
床には最高級のペルシャ絨毯が敷き詰められ、壁は磨き上げられたマホガニー材だ。
私は中央の豪奢なソファに、深く身を沈めた。
足元では、若狼サイズにまで逞しく成長したフェンが、私の膝に顎を乗せて甘えてくる。
その美しい銀色の毛並みは、車内の魔導ランプの光を浴びてキラキラと輝いていた。
窓際の特等席では、漆黒の毛並みを持つ魔猫ノクスが、流れるような動作で毛繕いをしている。
「リリアさま、また雪山へ行くのですか。ここは暖かいですが、北はちょっと寒そうです」
フェンが少し心配そうに、銀色の耳をぴくぴくと動かした。
「大丈夫よ、フェン。この列車の中は、私の設計した魔導エンジンで常に完璧な温度が保たれているもの」
「それに、今回はあのアイゼン候が、とっておきの『珍味』を用意して私たちを待っているそうよ」
珍味、という言葉を聞いた瞬間。
二匹の瞳が、全く同時にギラリと怪しい光を放った。
「珍味!にゃあ、それは聞き捨てならない言葉ね。早く出発しましょう、リリア」
ノクスがしなやかに飛び降り、私の膝の上に乗って喉をゴロゴロと鳴らした。
「わんっ!ぼくも、北の美味しいお肉がいっぱい食べたいです!」
ガタッ、と心地よい振動が足元から伝わり、列車がゆっくりと、しかし圧倒的なトルクで動き出す。
窓の外の景色が、徐々に速度を上げながら後方へと流れ始めた。
私は手元の路線図を広げ、さらなる計画を練り始める。
「ただ運ぶだけでは芸がないわ。カシアンが戻ったら、『アークライト・コールドチェーン』の本格稼働を指示しなければ」
独り言のように呟いた私に、いつの間にか戻ってきていたカシアンが反応した。
「コールドチェーン、でございますか?それは、どのようなシステムでしょう」
「氷の魔導具を組み込んだ特殊な冷蔵車両を連結し、生鮮食品を大陸中に届ける新事業よ」
私は、完璧な利益計画の全貌を語り始めた。
「温度管理を徹底すれば、鮮度の落ちやすい海産物や、西方の熟れた果実も、腐らせることなく数日かけて運べる」
「これが完成すれば、海のない内陸の寂れた村でも、水揚げされたばかりの新鮮なお刺身が食べられるようになるのよ」
私の言葉に、カシアンは絶句した。
「生きたままの鮮度を、内陸まで……。それが実現すれば、食料の市場価値は根底から覆ります。常識を破壊する、恐るべき構想です」
「ふふ、夢が広がるわね。世界中の食卓を、私が豊かにしてあげる。そして、その対価として大陸中の富を私の金庫に集めるの」
私は自分でも驚くほど、この果てしない商売のゲームを楽しんでいる。
前世の狭いオフィスでの経理事務は、ただの単調な作業でしかなかった。
けれど今は、私の引く線の一本一本が、世界の地図を書き換え、誰かの胃袋を満たし、私の絶対的な権力を強固なものにしている。
そして何より、私の美食への果てしない欲求を満たしてくれるのだ。
数時間後、列車は西方の乾いた平原を抜け、徐々に標高を上げ始めた。
車窓の景色は、黄金色の砂漠から、針葉樹の深い緑へと鮮やかに変わっていく。
「リリア様、軽食の準備が整いました。本日の試作品でございます」
控えめなノックと共に、執事のセバスチャンが銀のワゴンを押して入ってきた。
そのワゴンから漂う甘く芳醇な香りに、私の食欲中枢が激しく刺激される。
「待っていたわ、セバスチャン。今日のおやつは、何かしら」
「西方の太陽をたっぷり浴びた完熟マンゴーを、特別に手配したパンで挟んだ『フルーツサンド』でございます」
セバスチャンが恭しく銀のドームを開けた。
そこに乗っていたのは、まるで宝石箱のように美しい断面を持つサンドイッチだった。
真っ白な生クリームの海の中に、鮮やかなオレンジ色の果肉が隙間なく埋もれている。
パンは、アイゼン領の寒冷地で育った最高級の小麦を使用し、極限までふんわりと柔らかく焼き上げられた特注品だ。
「まあ、なんて美しい切り口なの。黄金色のマンゴーが、クリームの白にこれほど映えるとは」
私は一切れを指でつまみ、そっと口へと運んだ。
「……っ!最高だわ」
口に入れた瞬間、パンのわずかな塩気が、完熟マンゴーの暴力的なまでの甘みを完璧に引き立てた。
生クリームはあえて甘さを抑えてあり、果実のフレッシュな酸味がダイレクトに舌の上で弾ける。
冷やされた果肉からジュワリと溢れ出す濃厚な果汁が、クリームと混ざり合い、口の中を一瞬で南国の楽園に変えてしまった。
「セバスチャン、これよ。これがアークライト鉄道の旅の、最大の醍醐味になるわ」
私は興奮冷めやらぬまま、即座に商品化の指示を出す。
「ブランド名は『アークライト・トレイン・サンド』。一等車両の乗客にはウェルカムスイーツとして提供し、二等車両では車内販売の目玉商品にしなさい」
「価格は銀貨三枚。少し高めでも、この味なら飛ぶように売れるわ」
「畏まりました。各車両での販売ラインと、製造工程の標準化を即座に構築いたします」
セバスチャンは私の指示を完璧に理解し、深く一礼した。
私は満足して、二切れ目のサンドイッチに手を伸ばした。
待ちきれない様子で足元をうろうろしているフェンとノクスにも、小さく切り分けたマンゴーの果肉をたっぷりと分け与える。
「わんっ!はぐはぐ!あまくて冷たくて、ほっぺたが落ちそうです!」
フェンは歓喜の声を上げながら、あっという間に果肉を飲み込んだ。
「にゃあ。このクリームの滑らかさ、なかなかの出来栄えね。合格点の味よ」
ノクスも目を細め、ピンク色の舌で器用にクリームを舐め取っている。
私たちは、時速百二十キロで移動する最高級の空間の中で、至福の時間を過ごしていた。
外の世界がどれほど激動していようとも、私のこのティータイムを邪魔することは誰にもできない。
やがて、窓の向こうに、雪を被った北の山脈がその巨大な姿を現し始めた。
空気が少しずつ冷たさを帯び、車窓ガラスの端が白く曇り始めている。
アイゼン候が待つ、あの武骨な雪の要塞まで、あと数時間の距離だ。
あそこで私を待っているのは、一体どんな未知の美味しさなのだろう。
想像するだけで、胸の高鳴りが抑えきれない。
私はフルーツサンドの最後の一口を、名残惜しそうに飲み込んだ。
そして、冷たいダージリンティーで口の中をすっきりとリセットする。
その時だった。
車内の壁に設置された、暗号通信用の魔導具が、低く鋭い警告音を鳴らした。
赤いランプが点滅し、緊急の事態を知らせている。
カシアンが素早く通信機を操作し、音声をつないだ。
スピーカーから響いてきたのは、裏社会の情報を統括するゼロ兄様の、少し焦ったような声だ。
「リリア。少し厄介な情報が入ったぞ。南のポルトゥス港の沖合で、正体不明の『巨大な船』が目撃された」
「正体不明の船?」
私は紅茶のカップをソーサーに置き、冷ややかな声で聞き返した。
「ああ。掲げている旗印は見たこともない模様だ。船体の構造も、これまでのどの国の造船技術とも全く違う。未知の勢力かもしれん」
ゼロ兄様の報告に、車内の空気が一瞬だけピリッと張り詰めた。
カシアンもセバスチャンも、表情を硬くして次の指示を待っている。
「未知の勢力……。私の支配する海域に、挨拶もなしに入り込んでくるなんて、随分と無作法な連中ね」
私の眉が、ピクリと不快げに動いた。
「私の航路と物流を邪魔するようなら、ただの鉄屑に変えて海底に沈めてあげるわよ」
私は窓の外、遥か南の空を鋭く睨みつけた。
私が構築した完璧な経済圏。
そこに異物を混入させることは、私の最も嫌悪する行為だ。
物語は、私の知らない新たな局面を迎えようとしていた。
だが、私の関心は数秒後には、全く別のところへと向かっていた。
未知の国。
未知の文化。
それはつまり、私のまだ知らない、全く新しい食材が存在するということではないのか。
「ゼロ兄様」
私は、抑えきれない好奇心を声に乗せて問いかけた。
「その巨大な船の厨房からは、何か美味しい匂いはしているかしら?」
私の突拍子もない問いに、通信機の向こうでゼロ兄様が一瞬絶句したのが分かった。
数秒の沈黙の後、深く呆れたようなため息がスピーカーから漏れ聞こえてくる。
「……お前らしいな。国の一大事かもしれないというのに、頭の中は食い物のことばかりか」
「当たり前でしょう。未知のスパイスや、珍しいお肉が積んであるかもしれないのよ。それを見過ごす手はないわ」
「まあいい。お前のその強欲さには、もう慣れた。すぐに裏のネットワークを使って、船の積荷の調査を進めておく」
ブツッ、と通信が切れた。
私はゆっくりと革張りの椅子から立ち上がり、窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
そこには、六歳の少女の愛らしさなど微塵もない。
あるのは、次の莫大な利益と極上の美食を狙う、貪欲な支配者の顔だ。
「新しい敵が現れるというのなら、その財産を丸ごと私のものにするための、新しい帳簿を用意するまでだわ」
私は不敵な笑みを浮かべた。
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やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
姉の忘れ形見を育てたいだけなのに、公爵閣下の執着が重いんですが!?~まっすぐ突き進み系令嬢の公爵家再建計画
及川えり
ファンタジー
突然届いた双子の姉からの手紙。
【これをあなたが読んでいるころにはわたしはもう死んでいることでしょう。わたしのことは探さないでね。双子を引き取ってもらえないかしら?】
姉の遺言通り双子を育てようと姉の嫁ぎ先へと突入する。
双子を顧みなかったという元夫のウィルバート公爵に何とか双子を引き取れるよう掛け合うが、話の流れからそのまま公爵家に滞在して双子を育てる羽目に。
だが、この公爵家、何かおかしい?
異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。
一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。
ハンナ・キャロライン・バーディナ 22歳
バーディナ伯爵家令嬢
✖️
ウィルバート・アドルファス・キングスフォード 26歳
キングスフォード公爵
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