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第83話 究極の氷結牛肉と未知なるスパイス
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アークライト鉄道の北方線は、分厚い雪雲を切り裂き、予定通りの時刻にアイゼン要塞駅のプラットホームへと滑り込んだ。
車窓の外は、凶暴な北風が吹き荒れ、視界を白く塗りつぶす猛吹雪だ。
しかし、私がくつろぐ特注の専用車両の中は、巨大な魔導エンジンから発せられる余熱を完璧に循環させるシステムにより、小春日和のような快適な温度に保たれていた。
私は以前よりも少しだけ高くなった視線で、窓ガラスにへばりつく雪の結晶を退屈そうに眺めている。
カシアンが横でデータを示す。
「リリア様。北方線の本格稼働により、アイゼン領からの毛皮および鉱石の流通量が、前年比で劇的な伸びを見せております」
「ええ。この鉄の道があれば、雪に閉ざされた極寒の大地も、ただの巨大な資源の貯蔵庫に変わる。王都の貴族たちは、高品質な北の毛皮を求めて、私の銀行に惜しみなく金貨を積み上げるわ」
私は最高級の革張りソファに深く身を沈め、西方の果樹園で採れた完熟マンゴーの果汁をたっぷりと使ったジュースを一口飲んだ。
グラスの中で、アークライト領で切り出された純度の高い氷がカランと涼しげな音を立てる。
「セバスチャン、準備はいいかしら。アイゼン候への手土産、抜かりはないわね?」
「もちろんでございます、リリア様。西方の完熟マンゴーを、時間凍結の魔法を応用した特製の木箱に詰め、もぎたての鮮度を保ったままご用意してございます」
セバスチャンが、完璧な動作で美しい装飾の施された木箱を抱え直した。
私はグラスを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「行くわよ、フェン、ノクス」
「わんっ!雪です!リリアさま、ぼくが冷たい風を全部吹き飛ばしてあげます!」
若狼のサイズにまで逞しく成長したフェンが、やる気満々に銀色の尻尾を激しく振った。
彼の美しい毛並みは、車内の魔導ランプの光を反射して神々しく輝いている。
「にゃあ。私は寒いのは嫌いだけど、美味しいものが待っているなら付き合ってあげるわ。毛皮がパサつかないように、早く中に入りましょう」
ノクスがしなやかな動きで私の肩に飛び乗り、金色の瞳を細めて外の様子を伺った。
プシュゥゥゥッという重厚な排気音と共に、列車の分厚い扉がゆっくりと開く。
一瞬で、ナイフのように鋭く冷たい空気が車内に流れ込んできたが、私が身に纏う魔力障壁がそれを完全に遮断する。
「ようこそ、リリア殿!この極寒の最果てへ、よくぞ再び足を運んでくれた!」
ホームには、アイゼン候の地響きのような大きな声が響き渡った。
彼は巨大な熊の毛皮を無造作に纏い、豪快な笑みを浮かべて私の前に歩み寄ってくる。
「ご機嫌よう、アイゼン候。北方線の最終稼働テストの視察を兼ねて、ご挨拶に伺いましたわ」
私は優雅にスカートの裾を持ち上げ、吹雪の中でも微塵も揺るがない完璧なカーテシーを披露した。
「ガハハ!テストなど不要だ!お前が引いたこの鉄の道のおかげで、我が領の物流は去年の五倍にまで跳ね上がったぞ!倉庫が空になるほどの勢いだ!」
候は私の小さな手を、壊れ物を扱うように、それでいて深い敬意を込めて力強く握った。
「五倍、ですか。私の計算では、来月には六倍に到達する予定ですわ。アークライト商会の物流網は、まだ本気を出していませんもの」
私は事務的な口調で、さらなる利益の向上を平然と予告した。
「六倍だと!?お前の頭の中にある数字は、魔法よりも恐ろしいな。……だが、それは後でゆっくり聞こう。さあ、城の中へ入ってくれ。今日はとっておきの『珍味』を用意してあるのだ!」
珍味。
その言葉を聞いた瞬間、私の中の美食センサーがレッドゾーンを振り切って激しく反応した。
「珍味、ですか。それは、私の舌を満足させるだけの価値があるものと期待してもよろしいのかしら?」
「うむ!北の最果てに存在する、絶対零度の氷の洞窟。そこで数十年という歳月をかけて極限まで熟成された『氷結牛肉』だ!」
氷の洞窟で数十年熟成。
そのフレーズに、私の知的好奇心と食欲が同時に爆発した。
「熟成……。超低温状態を維持することで酵素分解を極限まで遅らせ、細胞内の旨味成分を凝縮させたということかしら。それは非常に興味深いわね」
私はセバスチャンに目配せをし、アイゼン候に案内されるまま、重厚な石造りの要塞の中へと足を踏み入れた。
要塞の廊下には松明が等間隔に置かれ、北の武骨で冷ややかな空気が漂っている。
やがて案内された大食堂には、壁一面を占めるほどの巨大な暖炉が赤々と燃え盛っていた。
そして、重厚なオーク材のテーブルの中央に、それは鎮座していた。
見たこともないほど分厚く、巨大な肉の塊。
完全に凍りついたその表面には、細かな氷の結晶がびっしりと張り付き、暖炉の炎の光を受けてダイヤモンドのようにキラキラと乱反射している。
赤身の深い色合いと、雪のように白い脂身のコントラストが、暴力的なまでの存在感を放っていた。
「これが氷結牛肉……。カシアン、成分分析の準備を」
「リリア様、すでに完了しております。通常の最高級牛肉に比べ、旨味成分であるアミノ酸の含有量が三倍に達しています。数十年の時間が生み出した、まさに自然の奇跡とも呼べる数値です」
カシアンの報告に、私は思わず唇を舐めた。
「素晴らしいわ。素材のポテンシャルを、北の大地が極限まで引き出したのね」
「さあ、リリア殿!この肉を、お前が持ってきた西方の果実と合わせてみようではないか!」
候が、少年のように目を輝かせて楽しそうに提案してきた。
私はセバスチャンに合図を送り、マンゴーの入った木箱を開けさせた。
鮮やかなオレンジ色の完熟果実が姿を現すと、武骨な大食堂の中に、南国の甘く芳醇な香りが一気に広がった。
「このマンゴーの暴力的なまでの甘みと酸味が、熟成肉の濃厚な旨味をどう引き立てるか。実験の開始ね」
私はアイゼン要塞の料理長を呼び寄せ、鋭い指示を飛ばした。
「その凍った肉を、限界まで薄く、向こう側が透けるほど極薄にスライスしなさい」
料理長が巨大な刃を振るう。
凍ったままの肉は、ナイフが通るたびにシャリッ、シャリッという繊細で心地よい音を立て、美しいロゼ色の薄切り肉となって皿の上に並べられていった。
私はボウルを取り寄せ、完熟マンゴーの果肉を裏ごしして滑らかなピューレ状にする。
そこに、シオン王国から取り寄せた最高級の長期熟成醤油を垂らし、アークライト領で開発した特製のスパイスオイルを数滴ブレンドした。
黄金色と漆黒が混ざり合い、照りのある美しいソースが完成する。
「出来上がりましたわ。アークライト流、氷結牛肉のマンゴー醤油ソース添えです」
私は銀のフォークを手に取り、美しくサシの入った極薄の肉の一片を、特製ソースにたっぷりと絡めた。
そして、一切の躊躇なく、それをゆっくりと口へと運んだ。
「……っ!!」
舌の上に乗せた瞬間、私の脳髄を強烈な電撃が貫いた。
極薄にスライスされた肉の氷が、口内の体温で瞬時に溶け出す。
それと同時に、数十年かけて凝縮された致死量のアミノ酸が、旨味の津波となって味蕾を容赦なく蹂躙した。
そこに、マンゴーの爽やかな酸味が重なり、脂の重さを完璧に消し去っていく。
果実の圧倒的な甘みと、醤油の深く重厚なコクが、肉の野生味を見事にまとめ上げ、未知なる味覚の宇宙を構築していた。
「美味しい……!この食感と温度のコントラスト、私の計算を遥かに超えているわ」
噛む必要さえない。舌の上で溶けて消える瞬間の余韻が、さらに次の一口を強烈に渇望させる。
私は無言のまま夢中になって、二口目、三口目と肉を食べ進めた。
「わんっ!はぐはぐ!リリアさま、お肉が冷たくて、でも口の中ですぐにとろけて、ほっぺたが落ちそうです!」
フェンも専用の銀の皿に盛られた肉を、歓喜の声を上げながら豪快に平らげている。
「にゃあ。このソースの配合、天才的ね。マンゴーの甘みが肉の脂を上品に洗練させているわ。魚料理にも応用できそうだから、レシピを私の脳内にもメモしておいてちょうだい」
ノクスも目を細めて満足げに喉を鳴らし、私の袖を前足でトントンと叩いた。
「ガハハハハ!リリア殿がここまで喜んでくれるとはな!これぞ、北の極寒と西の太陽の完璧な融合だ!」
アイゼン候は、私と同じように特製ソースを絡めた肉を口に運び、あまりの美味さに感極まったように叫んだ。
「ええ。このメニュー、最高の一皿だわ。すぐにアークライト鉄道の一等食堂車で、数量限定の特別メニューとして提供しましょう。一皿、金貨三枚で飛ぶように売れるわ」
私は究極の美食に感動している最中にも、即座に原価計算を終わらせ、完璧な販売価格を設定していた。
「リ、リリア殿、美味い肉を食っている最中にまで商売の話か!お前のその底知れぬ強欲さには、呆れるのを通り越して清々しいぞ!」
候は巨大なジョッキに注がれたエールを掲げ、豪快に笑い飛ばした。
大食堂には、私たちの至福の時間がゆったりと流れていた。
しかし、その完璧に調和した穏やかな空気を引き裂くように、作戦会議室に残っていたカシアンが、手元の魔導通信機を激しく点滅させながら部屋に駆け込んできた。
彼の顔には、平素の冷静さを破るほどの緊迫感が浮かんでいる。
「リリア様!先ほど、列車内でゼロ殿から報告のあった南のポルトゥス港の件で、緊急の追加報告です!」
カシアンの緊迫した声に、私は手に持っていた銀のフォークを静かに皿に置いた。
「巨大な所属不明船の件ね。動きがあったの?」
「はい!あの船が、ついにポルトゥスの中央埠頭に接岸いたしました!そして、彼らが積んでいる荷物の正体が判明しました。彼らは未知の海域から、膨大な量の『スパイス』を持ち込んできたとのことです!」
スパイス。
その言葉を聞いた瞬間、私のアメジストの瞳が、獲物を定めた肉食獣のようにギラリと危険な光を放った。
スパイスは、アークライト商会が現在最も力を入れている、莫大な利益を生む高付加価値商品の柱だ。
それが未知の海域から大量に持ち込まれたとなれば、市場のバランスが根底から覆る可能性がある。
しかし同時に、それは私の食卓に新たな革命をもたらす「未知の食材」の宝庫でもあるということだ。
「新しい利益の匂い……。そして、私のまだ知らない極上の香辛料」
私はナプキンで口元を拭い、指先でテーブルをリズミカルに叩きながら、瞬時に思考のギアを最高速へと切り替えた。
私の経済圏に勝手に入り込んで来た闖入者は、その持てる財産の全てを私の帳簿に差し出さなければならない。
「アイゼン候。本当に申し訳ないけれど、この素晴らしい食事は、ここまでのようね」
私は椅子から優雅に立ち上がり、マントを翻した。
「ええっ!もう行くのか、リリア殿!まだ極上のワインを開けていないというのに!」
候が名残惜しそうに引き留めるが、私の足はすでに扉へと向かっていた。
「ええ。私の庭に勝手に入り込んできたネズミは、一番美味しいところを抱え込んでいるうちに、丸ごと捕獲してあげなければなりませんから」
私の瞳には、冷徹な支配者としての光と、果てしない美食への渇望が同居していた。
「レオン様、直ちに出発の準備を。列車の魔導エンジンの出力を限界まで引き上げ、最大速度で南へ向かいますわよ」
「はっ!直ちに全車両の配置につきます!」
レオンが力強く敬礼し、騎士たちに鋭い指示を飛ばす。
私はアイゼン候に軽く会釈をし、足早に大食堂を後にした。
「わんっ!リリアさま、次は南の海ですね!スパイシーなお肉、楽しみです!」
「にゃあ。どんな香りのするお宝が積んであるのか、私の鼻で鑑定してあげるわ」
頼もしい相棒たちを引き連れ、私は再び鉄の道へと向かった。
猛烈な雪の嵐が吹き荒れる中、アークライト・エクスプレスの重厚な汽笛が、新たな獲物を求めて高く、そして鋭く鳴り響いた。
黄金のレールは、止まることなく南へと私を導いていく。
車窓の外は、凶暴な北風が吹き荒れ、視界を白く塗りつぶす猛吹雪だ。
しかし、私がくつろぐ特注の専用車両の中は、巨大な魔導エンジンから発せられる余熱を完璧に循環させるシステムにより、小春日和のような快適な温度に保たれていた。
私は以前よりも少しだけ高くなった視線で、窓ガラスにへばりつく雪の結晶を退屈そうに眺めている。
カシアンが横でデータを示す。
「リリア様。北方線の本格稼働により、アイゼン領からの毛皮および鉱石の流通量が、前年比で劇的な伸びを見せております」
「ええ。この鉄の道があれば、雪に閉ざされた極寒の大地も、ただの巨大な資源の貯蔵庫に変わる。王都の貴族たちは、高品質な北の毛皮を求めて、私の銀行に惜しみなく金貨を積み上げるわ」
私は最高級の革張りソファに深く身を沈め、西方の果樹園で採れた完熟マンゴーの果汁をたっぷりと使ったジュースを一口飲んだ。
グラスの中で、アークライト領で切り出された純度の高い氷がカランと涼しげな音を立てる。
「セバスチャン、準備はいいかしら。アイゼン候への手土産、抜かりはないわね?」
「もちろんでございます、リリア様。西方の完熟マンゴーを、時間凍結の魔法を応用した特製の木箱に詰め、もぎたての鮮度を保ったままご用意してございます」
セバスチャンが、完璧な動作で美しい装飾の施された木箱を抱え直した。
私はグラスを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「行くわよ、フェン、ノクス」
「わんっ!雪です!リリアさま、ぼくが冷たい風を全部吹き飛ばしてあげます!」
若狼のサイズにまで逞しく成長したフェンが、やる気満々に銀色の尻尾を激しく振った。
彼の美しい毛並みは、車内の魔導ランプの光を反射して神々しく輝いている。
「にゃあ。私は寒いのは嫌いだけど、美味しいものが待っているなら付き合ってあげるわ。毛皮がパサつかないように、早く中に入りましょう」
ノクスがしなやかな動きで私の肩に飛び乗り、金色の瞳を細めて外の様子を伺った。
プシュゥゥゥッという重厚な排気音と共に、列車の分厚い扉がゆっくりと開く。
一瞬で、ナイフのように鋭く冷たい空気が車内に流れ込んできたが、私が身に纏う魔力障壁がそれを完全に遮断する。
「ようこそ、リリア殿!この極寒の最果てへ、よくぞ再び足を運んでくれた!」
ホームには、アイゼン候の地響きのような大きな声が響き渡った。
彼は巨大な熊の毛皮を無造作に纏い、豪快な笑みを浮かべて私の前に歩み寄ってくる。
「ご機嫌よう、アイゼン候。北方線の最終稼働テストの視察を兼ねて、ご挨拶に伺いましたわ」
私は優雅にスカートの裾を持ち上げ、吹雪の中でも微塵も揺るがない完璧なカーテシーを披露した。
「ガハハ!テストなど不要だ!お前が引いたこの鉄の道のおかげで、我が領の物流は去年の五倍にまで跳ね上がったぞ!倉庫が空になるほどの勢いだ!」
候は私の小さな手を、壊れ物を扱うように、それでいて深い敬意を込めて力強く握った。
「五倍、ですか。私の計算では、来月には六倍に到達する予定ですわ。アークライト商会の物流網は、まだ本気を出していませんもの」
私は事務的な口調で、さらなる利益の向上を平然と予告した。
「六倍だと!?お前の頭の中にある数字は、魔法よりも恐ろしいな。……だが、それは後でゆっくり聞こう。さあ、城の中へ入ってくれ。今日はとっておきの『珍味』を用意してあるのだ!」
珍味。
その言葉を聞いた瞬間、私の中の美食センサーがレッドゾーンを振り切って激しく反応した。
「珍味、ですか。それは、私の舌を満足させるだけの価値があるものと期待してもよろしいのかしら?」
「うむ!北の最果てに存在する、絶対零度の氷の洞窟。そこで数十年という歳月をかけて極限まで熟成された『氷結牛肉』だ!」
氷の洞窟で数十年熟成。
そのフレーズに、私の知的好奇心と食欲が同時に爆発した。
「熟成……。超低温状態を維持することで酵素分解を極限まで遅らせ、細胞内の旨味成分を凝縮させたということかしら。それは非常に興味深いわね」
私はセバスチャンに目配せをし、アイゼン候に案内されるまま、重厚な石造りの要塞の中へと足を踏み入れた。
要塞の廊下には松明が等間隔に置かれ、北の武骨で冷ややかな空気が漂っている。
やがて案内された大食堂には、壁一面を占めるほどの巨大な暖炉が赤々と燃え盛っていた。
そして、重厚なオーク材のテーブルの中央に、それは鎮座していた。
見たこともないほど分厚く、巨大な肉の塊。
完全に凍りついたその表面には、細かな氷の結晶がびっしりと張り付き、暖炉の炎の光を受けてダイヤモンドのようにキラキラと乱反射している。
赤身の深い色合いと、雪のように白い脂身のコントラストが、暴力的なまでの存在感を放っていた。
「これが氷結牛肉……。カシアン、成分分析の準備を」
「リリア様、すでに完了しております。通常の最高級牛肉に比べ、旨味成分であるアミノ酸の含有量が三倍に達しています。数十年の時間が生み出した、まさに自然の奇跡とも呼べる数値です」
カシアンの報告に、私は思わず唇を舐めた。
「素晴らしいわ。素材のポテンシャルを、北の大地が極限まで引き出したのね」
「さあ、リリア殿!この肉を、お前が持ってきた西方の果実と合わせてみようではないか!」
候が、少年のように目を輝かせて楽しそうに提案してきた。
私はセバスチャンに合図を送り、マンゴーの入った木箱を開けさせた。
鮮やかなオレンジ色の完熟果実が姿を現すと、武骨な大食堂の中に、南国の甘く芳醇な香りが一気に広がった。
「このマンゴーの暴力的なまでの甘みと酸味が、熟成肉の濃厚な旨味をどう引き立てるか。実験の開始ね」
私はアイゼン要塞の料理長を呼び寄せ、鋭い指示を飛ばした。
「その凍った肉を、限界まで薄く、向こう側が透けるほど極薄にスライスしなさい」
料理長が巨大な刃を振るう。
凍ったままの肉は、ナイフが通るたびにシャリッ、シャリッという繊細で心地よい音を立て、美しいロゼ色の薄切り肉となって皿の上に並べられていった。
私はボウルを取り寄せ、完熟マンゴーの果肉を裏ごしして滑らかなピューレ状にする。
そこに、シオン王国から取り寄せた最高級の長期熟成醤油を垂らし、アークライト領で開発した特製のスパイスオイルを数滴ブレンドした。
黄金色と漆黒が混ざり合い、照りのある美しいソースが完成する。
「出来上がりましたわ。アークライト流、氷結牛肉のマンゴー醤油ソース添えです」
私は銀のフォークを手に取り、美しくサシの入った極薄の肉の一片を、特製ソースにたっぷりと絡めた。
そして、一切の躊躇なく、それをゆっくりと口へと運んだ。
「……っ!!」
舌の上に乗せた瞬間、私の脳髄を強烈な電撃が貫いた。
極薄にスライスされた肉の氷が、口内の体温で瞬時に溶け出す。
それと同時に、数十年かけて凝縮された致死量のアミノ酸が、旨味の津波となって味蕾を容赦なく蹂躙した。
そこに、マンゴーの爽やかな酸味が重なり、脂の重さを完璧に消し去っていく。
果実の圧倒的な甘みと、醤油の深く重厚なコクが、肉の野生味を見事にまとめ上げ、未知なる味覚の宇宙を構築していた。
「美味しい……!この食感と温度のコントラスト、私の計算を遥かに超えているわ」
噛む必要さえない。舌の上で溶けて消える瞬間の余韻が、さらに次の一口を強烈に渇望させる。
私は無言のまま夢中になって、二口目、三口目と肉を食べ進めた。
「わんっ!はぐはぐ!リリアさま、お肉が冷たくて、でも口の中ですぐにとろけて、ほっぺたが落ちそうです!」
フェンも専用の銀の皿に盛られた肉を、歓喜の声を上げながら豪快に平らげている。
「にゃあ。このソースの配合、天才的ね。マンゴーの甘みが肉の脂を上品に洗練させているわ。魚料理にも応用できそうだから、レシピを私の脳内にもメモしておいてちょうだい」
ノクスも目を細めて満足げに喉を鳴らし、私の袖を前足でトントンと叩いた。
「ガハハハハ!リリア殿がここまで喜んでくれるとはな!これぞ、北の極寒と西の太陽の完璧な融合だ!」
アイゼン候は、私と同じように特製ソースを絡めた肉を口に運び、あまりの美味さに感極まったように叫んだ。
「ええ。このメニュー、最高の一皿だわ。すぐにアークライト鉄道の一等食堂車で、数量限定の特別メニューとして提供しましょう。一皿、金貨三枚で飛ぶように売れるわ」
私は究極の美食に感動している最中にも、即座に原価計算を終わらせ、完璧な販売価格を設定していた。
「リ、リリア殿、美味い肉を食っている最中にまで商売の話か!お前のその底知れぬ強欲さには、呆れるのを通り越して清々しいぞ!」
候は巨大なジョッキに注がれたエールを掲げ、豪快に笑い飛ばした。
大食堂には、私たちの至福の時間がゆったりと流れていた。
しかし、その完璧に調和した穏やかな空気を引き裂くように、作戦会議室に残っていたカシアンが、手元の魔導通信機を激しく点滅させながら部屋に駆け込んできた。
彼の顔には、平素の冷静さを破るほどの緊迫感が浮かんでいる。
「リリア様!先ほど、列車内でゼロ殿から報告のあった南のポルトゥス港の件で、緊急の追加報告です!」
カシアンの緊迫した声に、私は手に持っていた銀のフォークを静かに皿に置いた。
「巨大な所属不明船の件ね。動きがあったの?」
「はい!あの船が、ついにポルトゥスの中央埠頭に接岸いたしました!そして、彼らが積んでいる荷物の正体が判明しました。彼らは未知の海域から、膨大な量の『スパイス』を持ち込んできたとのことです!」
スパイス。
その言葉を聞いた瞬間、私のアメジストの瞳が、獲物を定めた肉食獣のようにギラリと危険な光を放った。
スパイスは、アークライト商会が現在最も力を入れている、莫大な利益を生む高付加価値商品の柱だ。
それが未知の海域から大量に持ち込まれたとなれば、市場のバランスが根底から覆る可能性がある。
しかし同時に、それは私の食卓に新たな革命をもたらす「未知の食材」の宝庫でもあるということだ。
「新しい利益の匂い……。そして、私のまだ知らない極上の香辛料」
私はナプキンで口元を拭い、指先でテーブルをリズミカルに叩きながら、瞬時に思考のギアを最高速へと切り替えた。
私の経済圏に勝手に入り込んで来た闖入者は、その持てる財産の全てを私の帳簿に差し出さなければならない。
「アイゼン候。本当に申し訳ないけれど、この素晴らしい食事は、ここまでのようね」
私は椅子から優雅に立ち上がり、マントを翻した。
「ええっ!もう行くのか、リリア殿!まだ極上のワインを開けていないというのに!」
候が名残惜しそうに引き留めるが、私の足はすでに扉へと向かっていた。
「ええ。私の庭に勝手に入り込んできたネズミは、一番美味しいところを抱え込んでいるうちに、丸ごと捕獲してあげなければなりませんから」
私の瞳には、冷徹な支配者としての光と、果てしない美食への渇望が同居していた。
「レオン様、直ちに出発の準備を。列車の魔導エンジンの出力を限界まで引き上げ、最大速度で南へ向かいますわよ」
「はっ!直ちに全車両の配置につきます!」
レオンが力強く敬礼し、騎士たちに鋭い指示を飛ばす。
私はアイゼン候に軽く会釈をし、足早に大食堂を後にした。
「わんっ!リリアさま、次は南の海ですね!スパイシーなお肉、楽しみです!」
「にゃあ。どんな香りのするお宝が積んであるのか、私の鼻で鑑定してあげるわ」
頼もしい相棒たちを引き連れ、私は再び鉄の道へと向かった。
猛烈な雪の嵐が吹き荒れる中、アークライト・エクスプレスの重厚な汽笛が、新たな獲物を求めて高く、そして鋭く鳴り響いた。
黄金のレールは、止まることなく南へと私を導いていく。
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異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。
一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。
ハンナ・キャロライン・バーディナ 22歳
バーディナ伯爵家令嬢
✖️
ウィルバート・アドルファス・キングスフォード 26歳
キングスフォード公爵
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