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第89話 紫極のオムレツと愚かなる妨害工作
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朝の光が港の屋敷に差し込む。カシアンが私の前に立つ。
彼の手には一枚の報告書がある。それは紫のスパイスの分析結果だ。
「結論から言うと、この紫の粒は、市場の勢力図を塗り替える劇薬になるわ」
カシアンは銀縁の眼鏡を中指で押し上げ、報告書の数字を読み上げる。
その声には、平素の冷静さを破るほどの微かな興奮が混じっていた。
「リリア様、驚くべき結果です。このスパイスの魔力含有量は、王都で流通している最高級の香辛料のさらに三倍以上に達しています。これほどの高濃度、人間の体に取り込んでも問題ないのか疑うレベルです」
不純物は一切検出されず、香りの成分が極限まで凝縮されている。
私が一目見て確信した通り、サッカラム連合の連中はこの途方もない宝を「禁忌」などという馬鹿げた理由で倉庫の奥底に腐らせていたのだ。
「魔力そのものが重要なのではないわ、カシアン。この成分の真価は、舌の細胞を強制的に覚醒させる点にあるのよ。味覚の解像度を限界まで引き上げ、食材の持つ旨味を何倍にも錯覚させる。まさに魔法の粉だわ」
私は椅子から優雅に立ち上がった。
窓の外には、サッカラム連合から接収した巨大な金属船が朝日を浴びて停泊している。
あの船の奥で震えているであろうメル司祭には、経営という概念が決定的に欠落していた。
ただ古い伝統に胡坐をかき、自国に眠る資源の価値すら理解できない無能な経営者だ。
「セバスチャン、朝食の準備をして。あの紫の粒を使うのよ」
私が声をかけると、控えの間にいたセバスチャンが即座に一礼した。
「かしこまりました。厨房にはすでに指示を出してございます」
私はマントを翻し、食堂へと続く長い廊下を歩き出した。
足元では、フェンとノクスが私の歩調に合わせてついてくる。
フェンは美しい銀色の尻尾をちぎれんばかりに振っていた。彼は私が生み出す美味しいものの予感に誰よりも敏感だ。
「わんっ! あまくてピリッとする、ふしぎなにおいがします! おなかがぺこぺこです!」
聖獣の研ぎ澄まされた鼻は決して裏切らない。
「にゃあ。贅沢な朝食になりそうね。でも、リリアならこれくらい当然だわ」
ノクスもしなやかな足取りで進みながら、喉をゴロゴロと鳴らした。
彼女もまた、私の提供する極上の美食の虜となっている。
私は厨房の重厚な木製の扉を勢いよく蹴り開けた。
王都から呼び寄せた私のお抱え料理長が、驚いてこちらを振り返る。
彼の視線は、私の手に握られた小さな木箱に釘付けになっていた。
「リリア様、本日の献立は予定通り、アークライト領から取り寄せた大ぶりのトリュフを使ったオムレツでございますが」
「それに、この『アメジスト・ペッパー』を加えるの。配合比率は卵液に対して正確に一パーセント。それ以上でもそれ以下でも駄目よ」
私は紫の粉末が入った木箱を彼に差し出した。
料理長は、中身の正体を悟ったのか、震える両手でそれを受け取る。
「こ、これ一粒で、金貨数枚の価値がある古代の香辛料……。リリア様、正気でございますか。朝食のオムレツにこれを使うなど、王侯貴族でも考えつかない暴挙です」
「美味しく食べることに、正気も狂気も関係ありませんわ。私の舌を満足させるために、その粉の香りを極限まで引き出しなさい」
私は一切の反論を許さない声で言い放ち、食堂の上座に用意された席に腰を下ろした。
ノクスが軽やかに飛び乗り、私の膝の上で丸くなる。
厨房の向こうで、心地よい調理の音が響き始めた。
最高級のバターが熱い鉄板の上で瞬時に溶け、黄金色の細かい泡を作る。
そこに、濃厚なコクを持つ特製の卵液が流し込まれた。
ジューッという暴力的なまでに食欲を刺激する音が、広々とした食堂に響き渡る。
分厚くスライスされた漆黒のトリュフが、半熟の卵の中で美しく躍る。
そして仕上げに、料理長が極度の緊張の中で紫の粉末をパラリと振りかけた。
その瞬間、食堂の空気が一気に変異した。
トリュフの持つ重厚な土の香りが、紫のスパイスが放つ高貴で鮮烈な花の香りに完全に包み込まれ、未体験のアロマとなって鼻腔を貫く。
「完成いたしました、リリア様。アークライト流、紫極のオムレツでございます」
セバスチャンが恭しい手つきで、純白の皿を私の前に置いた。
オムレツは完璧な半熟状態で、表面はつるりとした黄金色に輝き、微かな紫色の斑点が宝石のように散りばめられている。
私は純銀のフォークを手に取り、その柔らかい肌に躊躇いなく刃を入れた。
切れ目から、とろりとした卵の中身とトリュフの黒い欠片が溢れ出す。
湯気と共に立ち昇る香りに眩暈を覚えながら、私はそれを一口、口へと運んだ。
「……っ! 素晴らしいわ」
咀嚼した瞬間、脳が直接揺さぶられるような強烈な衝撃が走った。
トリュフの持つ暴力的なまでの旨味が、紫のスパイスの刺激によって限界を超えて跳ね回る。
このスパイスは決して辛いわけではない。ただ、味覚を極限まで鋭敏にし、食材の輪郭を異常なまでに際立たせるのだ。
卵の持つ本来の甘みとバターの塩気が、今まで味わったことがないほど鮮明に感じられる。
噛むたびに新しい味が弾け、快楽物質が脳を支配していく。
「合格ね。これ一皿で、王都の貴族たちなら金貨十枚は余裕で払うわ」
私は無心になって、二口目、三口目とフォークを動かし続けた。
足元では、フェンも自分専用の銀の皿に顔を突っ込み、夢中になって食らいついている。
「わんっ! はぐはぐ! おなかのなかが、ぽかぽかします! ちからがわいてきます!」
彼の美しい銀色の毛並みが、微かに光を帯びて輝き始めた。
スパイスの細胞活性化成分が血流を劇的に促し、魔力を高めている証拠だ。
食事を終え、ダージリンティーで口の中をすっきりとリセットした私は、セバスチャンに指示を出した。
「あの無能なメル司祭を、ここへ呼び出しなさい」
数分後、レオンに連れられてメルが食堂に姿を現した。
彼は昨日突きつけられた現実の前に完全に萎縮し、顔色は土気色で、金色の杖を突く手は小刻みに震えている。
「……お呼びでしょうか、リリア様」
「ええ。あなた方の国が隠し持っていた『アメジスト・ペッパー』。今朝のオムレツの味付けに使わせてもらったわ」
私が事実を告げると、メルは目を見開き、口をパクパクと開閉させた。
「あ、あの神聖なる禁忌の香辛料を、ただのオムレツに使うとは……。罰当たりな」
「ただのオムレツではありません。私の計算によって、付加価値を十倍以上に引き上げた究極の商品よ。腐らせておくよりよほど有意義だわ」
私はナプキンで優雅に口を拭い、経営者としての冷徹な顔に戻って彼を見据えた。
「結論を言いなさい。サッカラム連合の無駄な祈祷、全て廃止したかしら」
「そ、それは……伝統でございます。民の心の支えなのです」
「祈りで腹は膨れませんわ。その魔力を全て生産ラインに回しなさい」
私はメルの見苦しい言い訳を一刀両断にした。
合理性の欠片もない行動は、資源の浪費であり、利益に対する反逆だ。
「抽出効率を九割まで上げなさい。不合格なら、融資を全て引き揚げるわ」
「ゆ、融資の引き揚げ……!?」
「ええ。そうすればあなたの国は今月中に不渡りを出し、国家破産よ。民は飢え、暴動が起き、あなたは首を括るしかなくなるわね」
私のおどしに、メルは顔を青くして床に膝をついた。
もはや彼に、反論する気力もプライドも残っていない。
「わ、分かりました。アークライト商会の指示に従います……」
「よろしい。カシアン、彼に新しい製造工程の帳簿を渡しなさい」
カシアンが一歩歩み出た。
彼は完璧に整理された、分厚い数字の束をメルの目の前に突きつけた。
メルの目はそれを見て完全に泳いだ。彼のような旧時代の人間には、理解することすら不可能なほど精密な計算式がびっしりと書き込まれているのだ。
その時、私の背後に控えていたセバスチャンが一歩前に出て、耳元で低く囁いた。
「リリア様。王都から連絡です。ライバルギルドが動き出しました」
私の眉が、ぴくりと不快げに動いた。
「砂糖菓子連盟の生き残りね。懲りない人たちだわ」
「彼らは虹の蜜の輸入を阻止するため、港の関税に働きかけています。多額の賄賂を渡し、荷留めを画策しているとのことです」
「非効率で、見え透いた嫌がらせね。そんなもので私の物流が止まるとでも?」
私は鼻で笑い、紅茶のカップをソーサーに置いた。
「関税局の主要メンバーは、既にアークライト銀行から別荘購入のための多額の融資を受けているわ。彼らは完全に私の借金漬けの優良顧客よ。連盟の安っぽい賄賂で動くわけがないじゃない」
「仰る通りです。連盟は、自分たちが誰の土俵で相撲を取っているのか全く理解していないようです」
「ゴミ拾いの準備が必要ね。セバスチャン、列車のダイヤを早めて」
「かしこまりました。一時間後には出発可能でございます」
私は椅子から立ち上がった。
フェンが私のマントを咥えて運んでくる。
「わんっ! またお掃除ですね。ぼくが露払いになります!」
「にゃあ。王都のパフェも、この紫の粉をかければ無敵だわ。早く帰って味見したいわね」
ノクスが私の肩に飛び乗り、長い尻尾を揺らした。彼女は新しい商売の絶対的な成功を確信している。
私は振り返り、書類の山を前にして完全に呆然としているメル司祭を一瞥した。
「司祭様。しっかり働きなさい。あなたの国は私の資産なのですから。赤字は一カッパーたりとも許さないわよ」
私はそれだけ言い残し、食堂を後にした。
大理石の床に響く私の足音は、王都のスイーツ市場を完全に支配するための行進曲だ。
私の頭の中は既に、王都での販売戦略で一杯になっていた。
アークライト鉄道の巨大な駅舎へ向かうと、そこには黒い巨体が待っていた。
最新鋭の魔導機関車『アークライト・エクスプレス』だ。
その圧倒的な質量と威容は、私の野望を乗せて大陸を駆ける鋼鉄の獣にふさわしい。
「リリア様、ご乗車の準備が整いました。護衛の配置も完了いたしました」
ホームで待機していたレオンが、力強く敬礼して報告した。彼の背後には、一切の隙もない王宮騎士団の精鋭たちがずらりと並んでいる。
「行きましょう。私の利益を邪魔する者に、数字の恐ろしさを教えるわ」
私はエスコートを受けながら、特別車両のタラップを上がった。
車内の床には最高級のペルシャ絨毯が敷き詰められ、足を踏み入れるだけで心地よい感触が伝わってくる。
定刻通りに、列車が重厚な蒸気の音と共にゆっくりと動き出した。
車輪がレールを叩く音が響き始めた。
窓の外の港町の景色が、徐々に速度を上げながら後方へと流れていく。
私は革張りのソファに深く身を沈め、手帳を開いてカカオの相場を確認した。
「カシアン、王都に到着するまでに、連盟の役員リストを洗いなさい」
「承知いたしました。既に彼らの隠し口座の特定に入っております」
「一円の漏れもなく、全て私の金庫に書き換えてあげるわ。市場を乱した代償は、破産と路地裏での生活で支払ってもらう」
私は冷徹にペンを走らせた。
数字の暴力は、どんな剣よりも鋭く、相手の急所を的確にえぐり取る。
フェンは私の足元で丸くなった。彼は列車の心地よい振動が好きなようだ。
ノクスは窓の外を眺めている。彼女の金色の瞳は、獲物を探す捕食者の目のままでいる。
物語は常に私の指先で踊っている。王都のスイーツ市場は、間もなく私の色に染まる。
虹色の蜜と紫の宝石。それらが合わさった時、誰も抗えない。
私は冷めた紅茶を一口飲んだ。次の駅には、新しい利益が待っている。
車内販売のメニューを確認する。改善の余地がまだ三カ所ある。
「ガラムに伝えなさい。冷蔵車両の温度管理が〇・五度高いわ」
「直ちに調整させます。リリア様の基準は絶対でございますから」
カシアンが筆記する。私の細かな指摘が、商会の品質を支えている。
二匹は力強く鳴いた。私の進撃は、一秒の淀みもなく続いていく。
彼の手には一枚の報告書がある。それは紫のスパイスの分析結果だ。
「結論から言うと、この紫の粒は、市場の勢力図を塗り替える劇薬になるわ」
カシアンは銀縁の眼鏡を中指で押し上げ、報告書の数字を読み上げる。
その声には、平素の冷静さを破るほどの微かな興奮が混じっていた。
「リリア様、驚くべき結果です。このスパイスの魔力含有量は、王都で流通している最高級の香辛料のさらに三倍以上に達しています。これほどの高濃度、人間の体に取り込んでも問題ないのか疑うレベルです」
不純物は一切検出されず、香りの成分が極限まで凝縮されている。
私が一目見て確信した通り、サッカラム連合の連中はこの途方もない宝を「禁忌」などという馬鹿げた理由で倉庫の奥底に腐らせていたのだ。
「魔力そのものが重要なのではないわ、カシアン。この成分の真価は、舌の細胞を強制的に覚醒させる点にあるのよ。味覚の解像度を限界まで引き上げ、食材の持つ旨味を何倍にも錯覚させる。まさに魔法の粉だわ」
私は椅子から優雅に立ち上がった。
窓の外には、サッカラム連合から接収した巨大な金属船が朝日を浴びて停泊している。
あの船の奥で震えているであろうメル司祭には、経営という概念が決定的に欠落していた。
ただ古い伝統に胡坐をかき、自国に眠る資源の価値すら理解できない無能な経営者だ。
「セバスチャン、朝食の準備をして。あの紫の粒を使うのよ」
私が声をかけると、控えの間にいたセバスチャンが即座に一礼した。
「かしこまりました。厨房にはすでに指示を出してございます」
私はマントを翻し、食堂へと続く長い廊下を歩き出した。
足元では、フェンとノクスが私の歩調に合わせてついてくる。
フェンは美しい銀色の尻尾をちぎれんばかりに振っていた。彼は私が生み出す美味しいものの予感に誰よりも敏感だ。
「わんっ! あまくてピリッとする、ふしぎなにおいがします! おなかがぺこぺこです!」
聖獣の研ぎ澄まされた鼻は決して裏切らない。
「にゃあ。贅沢な朝食になりそうね。でも、リリアならこれくらい当然だわ」
ノクスもしなやかな足取りで進みながら、喉をゴロゴロと鳴らした。
彼女もまた、私の提供する極上の美食の虜となっている。
私は厨房の重厚な木製の扉を勢いよく蹴り開けた。
王都から呼び寄せた私のお抱え料理長が、驚いてこちらを振り返る。
彼の視線は、私の手に握られた小さな木箱に釘付けになっていた。
「リリア様、本日の献立は予定通り、アークライト領から取り寄せた大ぶりのトリュフを使ったオムレツでございますが」
「それに、この『アメジスト・ペッパー』を加えるの。配合比率は卵液に対して正確に一パーセント。それ以上でもそれ以下でも駄目よ」
私は紫の粉末が入った木箱を彼に差し出した。
料理長は、中身の正体を悟ったのか、震える両手でそれを受け取る。
「こ、これ一粒で、金貨数枚の価値がある古代の香辛料……。リリア様、正気でございますか。朝食のオムレツにこれを使うなど、王侯貴族でも考えつかない暴挙です」
「美味しく食べることに、正気も狂気も関係ありませんわ。私の舌を満足させるために、その粉の香りを極限まで引き出しなさい」
私は一切の反論を許さない声で言い放ち、食堂の上座に用意された席に腰を下ろした。
ノクスが軽やかに飛び乗り、私の膝の上で丸くなる。
厨房の向こうで、心地よい調理の音が響き始めた。
最高級のバターが熱い鉄板の上で瞬時に溶け、黄金色の細かい泡を作る。
そこに、濃厚なコクを持つ特製の卵液が流し込まれた。
ジューッという暴力的なまでに食欲を刺激する音が、広々とした食堂に響き渡る。
分厚くスライスされた漆黒のトリュフが、半熟の卵の中で美しく躍る。
そして仕上げに、料理長が極度の緊張の中で紫の粉末をパラリと振りかけた。
その瞬間、食堂の空気が一気に変異した。
トリュフの持つ重厚な土の香りが、紫のスパイスが放つ高貴で鮮烈な花の香りに完全に包み込まれ、未体験のアロマとなって鼻腔を貫く。
「完成いたしました、リリア様。アークライト流、紫極のオムレツでございます」
セバスチャンが恭しい手つきで、純白の皿を私の前に置いた。
オムレツは完璧な半熟状態で、表面はつるりとした黄金色に輝き、微かな紫色の斑点が宝石のように散りばめられている。
私は純銀のフォークを手に取り、その柔らかい肌に躊躇いなく刃を入れた。
切れ目から、とろりとした卵の中身とトリュフの黒い欠片が溢れ出す。
湯気と共に立ち昇る香りに眩暈を覚えながら、私はそれを一口、口へと運んだ。
「……っ! 素晴らしいわ」
咀嚼した瞬間、脳が直接揺さぶられるような強烈な衝撃が走った。
トリュフの持つ暴力的なまでの旨味が、紫のスパイスの刺激によって限界を超えて跳ね回る。
このスパイスは決して辛いわけではない。ただ、味覚を極限まで鋭敏にし、食材の輪郭を異常なまでに際立たせるのだ。
卵の持つ本来の甘みとバターの塩気が、今まで味わったことがないほど鮮明に感じられる。
噛むたびに新しい味が弾け、快楽物質が脳を支配していく。
「合格ね。これ一皿で、王都の貴族たちなら金貨十枚は余裕で払うわ」
私は無心になって、二口目、三口目とフォークを動かし続けた。
足元では、フェンも自分専用の銀の皿に顔を突っ込み、夢中になって食らいついている。
「わんっ! はぐはぐ! おなかのなかが、ぽかぽかします! ちからがわいてきます!」
彼の美しい銀色の毛並みが、微かに光を帯びて輝き始めた。
スパイスの細胞活性化成分が血流を劇的に促し、魔力を高めている証拠だ。
食事を終え、ダージリンティーで口の中をすっきりとリセットした私は、セバスチャンに指示を出した。
「あの無能なメル司祭を、ここへ呼び出しなさい」
数分後、レオンに連れられてメルが食堂に姿を現した。
彼は昨日突きつけられた現実の前に完全に萎縮し、顔色は土気色で、金色の杖を突く手は小刻みに震えている。
「……お呼びでしょうか、リリア様」
「ええ。あなた方の国が隠し持っていた『アメジスト・ペッパー』。今朝のオムレツの味付けに使わせてもらったわ」
私が事実を告げると、メルは目を見開き、口をパクパクと開閉させた。
「あ、あの神聖なる禁忌の香辛料を、ただのオムレツに使うとは……。罰当たりな」
「ただのオムレツではありません。私の計算によって、付加価値を十倍以上に引き上げた究極の商品よ。腐らせておくよりよほど有意義だわ」
私はナプキンで優雅に口を拭い、経営者としての冷徹な顔に戻って彼を見据えた。
「結論を言いなさい。サッカラム連合の無駄な祈祷、全て廃止したかしら」
「そ、それは……伝統でございます。民の心の支えなのです」
「祈りで腹は膨れませんわ。その魔力を全て生産ラインに回しなさい」
私はメルの見苦しい言い訳を一刀両断にした。
合理性の欠片もない行動は、資源の浪費であり、利益に対する反逆だ。
「抽出効率を九割まで上げなさい。不合格なら、融資を全て引き揚げるわ」
「ゆ、融資の引き揚げ……!?」
「ええ。そうすればあなたの国は今月中に不渡りを出し、国家破産よ。民は飢え、暴動が起き、あなたは首を括るしかなくなるわね」
私のおどしに、メルは顔を青くして床に膝をついた。
もはや彼に、反論する気力もプライドも残っていない。
「わ、分かりました。アークライト商会の指示に従います……」
「よろしい。カシアン、彼に新しい製造工程の帳簿を渡しなさい」
カシアンが一歩歩み出た。
彼は完璧に整理された、分厚い数字の束をメルの目の前に突きつけた。
メルの目はそれを見て完全に泳いだ。彼のような旧時代の人間には、理解することすら不可能なほど精密な計算式がびっしりと書き込まれているのだ。
その時、私の背後に控えていたセバスチャンが一歩前に出て、耳元で低く囁いた。
「リリア様。王都から連絡です。ライバルギルドが動き出しました」
私の眉が、ぴくりと不快げに動いた。
「砂糖菓子連盟の生き残りね。懲りない人たちだわ」
「彼らは虹の蜜の輸入を阻止するため、港の関税に働きかけています。多額の賄賂を渡し、荷留めを画策しているとのことです」
「非効率で、見え透いた嫌がらせね。そんなもので私の物流が止まるとでも?」
私は鼻で笑い、紅茶のカップをソーサーに置いた。
「関税局の主要メンバーは、既にアークライト銀行から別荘購入のための多額の融資を受けているわ。彼らは完全に私の借金漬けの優良顧客よ。連盟の安っぽい賄賂で動くわけがないじゃない」
「仰る通りです。連盟は、自分たちが誰の土俵で相撲を取っているのか全く理解していないようです」
「ゴミ拾いの準備が必要ね。セバスチャン、列車のダイヤを早めて」
「かしこまりました。一時間後には出発可能でございます」
私は椅子から立ち上がった。
フェンが私のマントを咥えて運んでくる。
「わんっ! またお掃除ですね。ぼくが露払いになります!」
「にゃあ。王都のパフェも、この紫の粉をかければ無敵だわ。早く帰って味見したいわね」
ノクスが私の肩に飛び乗り、長い尻尾を揺らした。彼女は新しい商売の絶対的な成功を確信している。
私は振り返り、書類の山を前にして完全に呆然としているメル司祭を一瞥した。
「司祭様。しっかり働きなさい。あなたの国は私の資産なのですから。赤字は一カッパーたりとも許さないわよ」
私はそれだけ言い残し、食堂を後にした。
大理石の床に響く私の足音は、王都のスイーツ市場を完全に支配するための行進曲だ。
私の頭の中は既に、王都での販売戦略で一杯になっていた。
アークライト鉄道の巨大な駅舎へ向かうと、そこには黒い巨体が待っていた。
最新鋭の魔導機関車『アークライト・エクスプレス』だ。
その圧倒的な質量と威容は、私の野望を乗せて大陸を駆ける鋼鉄の獣にふさわしい。
「リリア様、ご乗車の準備が整いました。護衛の配置も完了いたしました」
ホームで待機していたレオンが、力強く敬礼して報告した。彼の背後には、一切の隙もない王宮騎士団の精鋭たちがずらりと並んでいる。
「行きましょう。私の利益を邪魔する者に、数字の恐ろしさを教えるわ」
私はエスコートを受けながら、特別車両のタラップを上がった。
車内の床には最高級のペルシャ絨毯が敷き詰められ、足を踏み入れるだけで心地よい感触が伝わってくる。
定刻通りに、列車が重厚な蒸気の音と共にゆっくりと動き出した。
車輪がレールを叩く音が響き始めた。
窓の外の港町の景色が、徐々に速度を上げながら後方へと流れていく。
私は革張りのソファに深く身を沈め、手帳を開いてカカオの相場を確認した。
「カシアン、王都に到着するまでに、連盟の役員リストを洗いなさい」
「承知いたしました。既に彼らの隠し口座の特定に入っております」
「一円の漏れもなく、全て私の金庫に書き換えてあげるわ。市場を乱した代償は、破産と路地裏での生活で支払ってもらう」
私は冷徹にペンを走らせた。
数字の暴力は、どんな剣よりも鋭く、相手の急所を的確にえぐり取る。
フェンは私の足元で丸くなった。彼は列車の心地よい振動が好きなようだ。
ノクスは窓の外を眺めている。彼女の金色の瞳は、獲物を探す捕食者の目のままでいる。
物語は常に私の指先で踊っている。王都のスイーツ市場は、間もなく私の色に染まる。
虹色の蜜と紫の宝石。それらが合わさった時、誰も抗えない。
私は冷めた紅茶を一口飲んだ。次の駅には、新しい利益が待っている。
車内販売のメニューを確認する。改善の余地がまだ三カ所ある。
「ガラムに伝えなさい。冷蔵車両の温度管理が〇・五度高いわ」
「直ちに調整させます。リリア様の基準は絶対でございますから」
カシアンが筆記する。私の細かな指摘が、商会の品質を支えている。
二匹は力強く鳴いた。私の進撃は、一秒の淀みもなく続いていく。
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突然届いた双子の姉からの手紙。
【これをあなたが読んでいるころにはわたしはもう死んでいることでしょう。わたしのことは探さないでね。双子を引き取ってもらえないかしら?】
姉の遺言通り双子を育てようと姉の嫁ぎ先へと突入する。
双子を顧みなかったという元夫のウィルバート公爵に何とか双子を引き取れるよう掛け合うが、話の流れからそのまま公爵家に滞在して双子を育てる羽目に。
だが、この公爵家、何かおかしい?
異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。
一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。
ハンナ・キャロライン・バーディナ 22歳
バーディナ伯爵家令嬢
✖️
ウィルバート・アドルファス・キングスフォード 26歳
キングスフォード公爵
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