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第4話 最強の保冷剤、空から宅配される
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空を割り、氷の礫を引き連れて飛来したそれは、この世の終わりを象徴するような巨体だった。
全長は五十メートルを優に超えているだろう。
全身を覆う鱗は、磨き上げられたサファイアのように冷徹な輝きを放っている。
翼が一度はためくたびに、大気が悲鳴を上げ、視界の端から世界が白く塗り潰されていくのが見えた。
王都にいた頃、図鑑で見たことがある。
あれは確か、天候すら操ると言われる最上位の魔物だ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃッ! 氷竜……! 伝説の厄災、アズール・ヘイズがなぜこんな場所に!?」
若返ったばかりのアルバスが、無様な悲鳴を上げて庭の芝生に尻もちをついた。
彼の手から銀のフォークが滑り落ち、カランと乾いた音を立てて転がる。
さっきまで「貴女様に永遠の忠誠を」とか格好いいことを言っていた賢者様の顔は、今や土色に変色し、歯の根が合わずにガタガタとカスタネットのような音を奏でていた。
「お、終わった……。私の人生、若返ってからわずか数十分で幕を閉じるのか……!」
「この森も、私も、すべてが凍りついて砕け散る……! あれは国一つを単騎で滅ぼす『動く天災』なのですぞ!」
「あら、そんなに騒がなくても大丈夫よ。ちょっとお客さんが来ただけでしょ?」
私は呆れた声を出しながら、優雅にティーカップをソーサーに置いた。
空を見上げると、美しい流線型を描く巨大なトカゲ――氷竜と目が合う。
確かに、彼が近づくにつれて周囲の気温が急降下していくのが肌感覚でわかった。
先ほどまで私の魔力で咲き誇っていた色とりどりの花々が、一瞬で霜に覆われ、ガラス細工のように硬直していく。
吸い込む空気が肺の奥を凍らせるほどに冷たく、鋭い刃物のように喉を刺激した。
しかし、不思議なことに私の周囲だけは無風だ。
私の肌に、その致死性の冷気が届くことはない。
私の内側から溢れる生命の熱が、半径一メートルの空間を常に春のような陽だまりに保っているからだ。
無自覚に垂れ流している魔力が、勝手にオートガード機能として働いているらしい。
便利な体質に産んでくれた両親に感謝しなくてはならない。
もっとも、その両親には捨てられたわけだが。
「グオオオオオオン!!」
氷竜が鼓膜を破るような咆哮を上げた。
その衝撃波だけで、邸宅の裏手にあった巨木がバキバキと音を立ててへし折れ、なぎ倒される。
アルバスが「ひぃッ!」と短い悲鳴を上げて、テーブルの下に潜り込んだ。
「エルナ様! 何を優雅にお茶を飲んでおられるのですか! 逃げてください!」
「あれを喰らえば魂まで氷結します! 防御魔法など紙同然に貫通する絶対零度のブレスですぞ!」
「逃げる? どうして? あんなに立派な氷の魔石、冷蔵庫代わりに最高じゃない」
私は本気でそう思い、小首を傾げた。
これからの生活で、生鮮食品を保存するための冷気が欲しかったところなのだ。
アルバスが作ってくれた料理も、作り置きができれば家事の手間が省ける。
あの氷竜のブレスを浴びせ続ければ、地下室を永久凍土の貯蔵庫に改造できるかもしれない。
夏場にはかき氷も食べ放題だ。
シロップは、庭に生えている果実を絞ればいい。
イチゴ、レモン、メロン。
想像しただけで喉が鳴る。
「……正気ですか!? あれを『家電』扱いする人間なんて、歴史上どこにもおりませんぞ!」
「そう? でも、向こうから来てくれたんだもの。有効活用しないと勿体ないわ」
私がそんな「家事の段取り」と「デザートの献立」を考えていると、膝の上のクロが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
私の視線が、自分以外の「ペット候補」に向いているのが気に入らないらしい。
嫉妬深い子だ。
クロは私の腕から飛び降りると、空中に向かってトテトテと歩き出した。
重力など存在しないかのように、彼は虚空を踏みしめて上昇していく。
その背中からは、ゆらゆらと陽炎のような黒いオーラが立ち上っていた。
「ワンッ!(生意気なトカゲだ)」
クロの一吠えが、空気をビリビリと震わせる。
だが、上空の氷竜から見れば、クロなどゴミ粒のような存在に過ぎないだろう。
氷竜は嘲笑うかのように鼻からプシュッと凍気を吹き出し、大きく息を吸い込んだ。
喉の奥で、青白い魔力の渦が凝縮されていく。
「く、来るぞ! 世界を終わらせる『終焉の吐息(アブソリュート・ゼロ)』だ!」
「結界だ! ありったけの防御結界を張れぇぇ!」
アルバスが杖を振り回し、何重もの魔法陣を展開しようとする。
しかし、その手は震えてまともに印を結べていない。
頼りない賢者様だ。
次の瞬間、氷竜の口から閃光が放たれた。
「キィィィィィィィン!!」
大気が凍りつく音が響き、視界のすべてが真っ白な光に包まれる。
万物を停止させる絶対零度の奔流。
触れたもの全ての時間を止める、死の光線。
それが私の邸宅を飲み込もうとした、その時だった。
クロが、あくび交じりに前足を小さく一振りした。
ただ、それだけ。
蚊を払うような、無造作な動作。
パリンッ!
世界が割れる音がした。
氷竜の放った極大ブレスが、クロの肉球に触れた瞬間、物理法則を無視してガラスのように砕け散ったのだ。
熱力学も、魔力保存の法則も関係ない。
ただ「邪魔だ」というクロの意志一つで、事象そのものがキャンセルされた。
切り裂かれたブレスの残骸が、キラキラとした光の粉になって周囲に降り注ぐ。
ダイヤモンドダストのようで綺麗だわ、と私は呑気に見惚れていた。
「……は?」
アルバスが間の抜けた声を出し、口をポカンと開けている。
上空の氷竜もまた、事態が飲み込めずに動きを止めていた。
「キュウゥ……?」
氷竜の喉から、情けない鳴き声が漏れる。
彼は自慢の必殺技が、子犬の「お手」一発で無効化されたことに、理解が追いついていない様子だ。
その隙を見逃すクロではない。
彼は黒い雷光を纏い、瞬きする間に氷竜の眉間まで接近した。
そして、その小さな肉球で、教育的指導と言わんばかりに「ペシッ」と軽く叩く。
ドォォォォォン!!
隕石が衝突したような、凄まじい轟音が響き渡った。
巨大な氷竜の体が、弾丸のように垂直に叩き落とされ、地面に激突する。
あまりの衝撃に、邸宅の裏山が半分ほど崩落し、大量の雪煙と土砂が舞い上がった。
地響きでテーブルの上のティーカップがカタカタと揺れる。
「……え、ええええええ!?」
「神話級のドラゴンが……デコピン一発で墜落した……!?」
アルバスが口を全開にして、顎が外れそうな勢いで固まっている。
彼の常識は、今日だけで何度粉砕されれば気が済むのだろう。
私は砂埃を優雅に手で払いながら、クレーターの底でピクピクしている氷竜の元へ歩み寄った。
ズシン、ズシン。
巨大なクレーターの縁に立つと、底の方で氷竜が目を回してひっくり返っていた。
あの威厳ある姿はどこへやら。
舌を出し、白目を剥いている姿は、なんだか愛嬌すら感じる。
クロは氷竜の鼻先に着地し、「これくらいで勘弁してやる」と言わんばかりに毛繕いをしていた。
「あーあ、可哀想に。痛かったわよねえ」
私はクレーターの斜面を滑り降り、氷竜の巨大な頭に手を触れた。
ひんやりとしていて気持ちがいい。
夏場に抱き枕にしたら最高だろうな、と改めて思う。
「……グ、グゥ……」
私の手に触れられた瞬間、氷竜がビクリと震えて意識を取り戻した。
彼の誇り高い瞳は、今や恐怖と絶望に染まり、涙目で私を見上げている。
目の前にいる小さな子犬が、生物としての格が違う「捕食者」であることを理解したのだろう。
そして、その飼い主である私が、彼にとって絶対不可侵の存在であることも。
「大丈夫よ、怖くないわ。あなた、今日からうちの子になる?」
私がニッコリと微笑むと、氷竜の身体から敵意という敵意が抜け落ちていく。
同時に、私の掌から温かい光が流れ込み、彼が受けたダメージを一瞬で修復した。
私の魔力は、破壊するよりも生かす方に特化しているらしい。
打撲も骨折もなかったことになり、ついでに鱗のツヤまで良くなっていく。
ついでに、彼の魂に刻まれていた「人間に害をなす」という本能的な衝動も、綺麗さっぱり浄化されてしまったようだ。
「……グオォン(あ、温かい……ママ……?)」
氷竜が甘えるような声を出し、私の頬に巨大な鼻先を擦り付けてきた。
ザラザラしていて少し痛いが、犬が甘噛みしてくるようなものだろう。
「あら、甘えん坊さんね。いい子いい子」
「ヒィッ……! 氷竜アズールが、子猫のように喉を鳴らしている……!」
クレーターの縁から恐る恐る覗き込んでいたアルバスが、信じられないものを見る目で呟く。
彼はガクガクと震えながら、何かブツブツと祈りの言葉を捧げていた。
「もう……これは夢だ。私はまだ夢を見ているのだ」
「伝説の厄災がペット化するなんて、神話にも記述がない……」
「アルバス、そこで独り言を言ってないで、手伝ってちょうだい」
私が声をかけると、アルバスはハッとして直立不動の姿勢をとった。
「は、はいっ! 何なりと! 解体しますか? それとも剥製に?」
「違うわよ。この子のために、お部屋を作ってあげたいの」
私は氷竜の首筋を撫でながら、これからの計画を口にした。
「この子、とっても冷たくて気持ちいいのよ。だから、裏庭に大きな洞窟を掘って、そこに住んでもらいましょう」
「そうすれば、夏場も冷房いらずだし、食材も腐らないわ」
「そうだ。あなた、ちょうどいいわ。うちの冷房担当として雇ってあげる」
私が提案すると、氷竜は嬉しそうに「クルックー」と鳩のような声で鳴いた。
どうやら採用通知に喜んでいるらしい。
かつての厄災は、今や主人の機嫌を伺う大きなトカゲに成り下がっている。
実に平和的な解決だ。
「グ……グゥゥ……(御意に、女神様……)」
「よしよし。お給料は、この森で採れる美味しい果物でいいかしら?」
氷竜が激しく首を縦に振る。
クロが横から「僕の果物だぞ」と唸るが、私は「仲良くしなさい」とたしなめた。
「アルバス、彼のために裏庭に大きな氷の洞窟を作ってあげて」
「中には氷のベッドと、遊具も置いてあげてね」
「は、はいいっ! ただちに、ただちに全力で取り掛かります!」
アルバスは半泣きになりながら杖を構えた。
主人の無茶振りに応えるのが執事の務めだと、自分に言い聞かせているようだ。
彼は狂ったように土木魔法を連射し、裏山を掘り返し始めた。
「土よ、穿て! 岩よ、砕け! 神獣様の犬小屋(?)建設だぁぁ!!」
アルバスの必死な作業を横目に、私はクロを抱き上げた。
そのフワフワの首筋に顔を埋め、深呼吸をする。
太陽の匂いと、獣の匂いが混じり合った、安心する香り。
「ありがとう、クロ。あなたのおかげで、素敵な家族が増えたわ」
「これで夏場も快適に過ごせるわね」
クロは「ワフッ」と短く鳴き、私に褒められたことを誇示するように尻尾を振った。
彼にとって氷竜など、道端の石ころ以下の存在なのだろう。
あくまで私の役に立つ道具が増えた、程度にしか思っていないようだ。
その傲慢さが、また可愛い。
さて、冷気の確保ができたところで、次はいよいよ本命の計画だ。
汗をかいたわけではないが、いろいろと動いて少し身体が埃っぽくなった気がする。
今の私に必要なのは、極上のリラックスタイムだ。
王宮にいた頃は、たらいに溜めたぬるま湯で身体を拭くだけだった。
冬場なんて、寒さで震えながらの行水だった。
けれど、今は違う。
ここには無限の魔力と、それを叶える土地がある。
「お風呂……入りたいわね」
ふと、視界の隅に浮かんでいる謎の文字盤に意識を向けた。
そこには【ハピネスポイント:5000達成】という文字が輝いている。
クロが氷竜を倒したことで、ボーナスポイントが入ったらしい。
そして、その下には魅力的なアイコンが点滅していた。
『建設:聖泉の風呂』
私は迷わず、そのボタンを心の中でタップした。
システムとか詳しいことはよく分からないけれど、欲しいと願えば叶うのがこの森のルールらしい。
クロがまた何か不思議な力を使ってくれるのだろうか。
「クロ、お願いしてもいい?」
私が問いかけると、クロは「任せろ」と言わんばかりに遠吠えをした。
その声に応えるように、大地が呼応する。
すると、邸宅の地下から地響きが鳴り響き、黄金の光が噴き出した。,,,,
全長は五十メートルを優に超えているだろう。
全身を覆う鱗は、磨き上げられたサファイアのように冷徹な輝きを放っている。
翼が一度はためくたびに、大気が悲鳴を上げ、視界の端から世界が白く塗り潰されていくのが見えた。
王都にいた頃、図鑑で見たことがある。
あれは確か、天候すら操ると言われる最上位の魔物だ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃッ! 氷竜……! 伝説の厄災、アズール・ヘイズがなぜこんな場所に!?」
若返ったばかりのアルバスが、無様な悲鳴を上げて庭の芝生に尻もちをついた。
彼の手から銀のフォークが滑り落ち、カランと乾いた音を立てて転がる。
さっきまで「貴女様に永遠の忠誠を」とか格好いいことを言っていた賢者様の顔は、今や土色に変色し、歯の根が合わずにガタガタとカスタネットのような音を奏でていた。
「お、終わった……。私の人生、若返ってからわずか数十分で幕を閉じるのか……!」
「この森も、私も、すべてが凍りついて砕け散る……! あれは国一つを単騎で滅ぼす『動く天災』なのですぞ!」
「あら、そんなに騒がなくても大丈夫よ。ちょっとお客さんが来ただけでしょ?」
私は呆れた声を出しながら、優雅にティーカップをソーサーに置いた。
空を見上げると、美しい流線型を描く巨大なトカゲ――氷竜と目が合う。
確かに、彼が近づくにつれて周囲の気温が急降下していくのが肌感覚でわかった。
先ほどまで私の魔力で咲き誇っていた色とりどりの花々が、一瞬で霜に覆われ、ガラス細工のように硬直していく。
吸い込む空気が肺の奥を凍らせるほどに冷たく、鋭い刃物のように喉を刺激した。
しかし、不思議なことに私の周囲だけは無風だ。
私の肌に、その致死性の冷気が届くことはない。
私の内側から溢れる生命の熱が、半径一メートルの空間を常に春のような陽だまりに保っているからだ。
無自覚に垂れ流している魔力が、勝手にオートガード機能として働いているらしい。
便利な体質に産んでくれた両親に感謝しなくてはならない。
もっとも、その両親には捨てられたわけだが。
「グオオオオオオン!!」
氷竜が鼓膜を破るような咆哮を上げた。
その衝撃波だけで、邸宅の裏手にあった巨木がバキバキと音を立ててへし折れ、なぎ倒される。
アルバスが「ひぃッ!」と短い悲鳴を上げて、テーブルの下に潜り込んだ。
「エルナ様! 何を優雅にお茶を飲んでおられるのですか! 逃げてください!」
「あれを喰らえば魂まで氷結します! 防御魔法など紙同然に貫通する絶対零度のブレスですぞ!」
「逃げる? どうして? あんなに立派な氷の魔石、冷蔵庫代わりに最高じゃない」
私は本気でそう思い、小首を傾げた。
これからの生活で、生鮮食品を保存するための冷気が欲しかったところなのだ。
アルバスが作ってくれた料理も、作り置きができれば家事の手間が省ける。
あの氷竜のブレスを浴びせ続ければ、地下室を永久凍土の貯蔵庫に改造できるかもしれない。
夏場にはかき氷も食べ放題だ。
シロップは、庭に生えている果実を絞ればいい。
イチゴ、レモン、メロン。
想像しただけで喉が鳴る。
「……正気ですか!? あれを『家電』扱いする人間なんて、歴史上どこにもおりませんぞ!」
「そう? でも、向こうから来てくれたんだもの。有効活用しないと勿体ないわ」
私がそんな「家事の段取り」と「デザートの献立」を考えていると、膝の上のクロが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
私の視線が、自分以外の「ペット候補」に向いているのが気に入らないらしい。
嫉妬深い子だ。
クロは私の腕から飛び降りると、空中に向かってトテトテと歩き出した。
重力など存在しないかのように、彼は虚空を踏みしめて上昇していく。
その背中からは、ゆらゆらと陽炎のような黒いオーラが立ち上っていた。
「ワンッ!(生意気なトカゲだ)」
クロの一吠えが、空気をビリビリと震わせる。
だが、上空の氷竜から見れば、クロなどゴミ粒のような存在に過ぎないだろう。
氷竜は嘲笑うかのように鼻からプシュッと凍気を吹き出し、大きく息を吸い込んだ。
喉の奥で、青白い魔力の渦が凝縮されていく。
「く、来るぞ! 世界を終わらせる『終焉の吐息(アブソリュート・ゼロ)』だ!」
「結界だ! ありったけの防御結界を張れぇぇ!」
アルバスが杖を振り回し、何重もの魔法陣を展開しようとする。
しかし、その手は震えてまともに印を結べていない。
頼りない賢者様だ。
次の瞬間、氷竜の口から閃光が放たれた。
「キィィィィィィィン!!」
大気が凍りつく音が響き、視界のすべてが真っ白な光に包まれる。
万物を停止させる絶対零度の奔流。
触れたもの全ての時間を止める、死の光線。
それが私の邸宅を飲み込もうとした、その時だった。
クロが、あくび交じりに前足を小さく一振りした。
ただ、それだけ。
蚊を払うような、無造作な動作。
パリンッ!
世界が割れる音がした。
氷竜の放った極大ブレスが、クロの肉球に触れた瞬間、物理法則を無視してガラスのように砕け散ったのだ。
熱力学も、魔力保存の法則も関係ない。
ただ「邪魔だ」というクロの意志一つで、事象そのものがキャンセルされた。
切り裂かれたブレスの残骸が、キラキラとした光の粉になって周囲に降り注ぐ。
ダイヤモンドダストのようで綺麗だわ、と私は呑気に見惚れていた。
「……は?」
アルバスが間の抜けた声を出し、口をポカンと開けている。
上空の氷竜もまた、事態が飲み込めずに動きを止めていた。
「キュウゥ……?」
氷竜の喉から、情けない鳴き声が漏れる。
彼は自慢の必殺技が、子犬の「お手」一発で無効化されたことに、理解が追いついていない様子だ。
その隙を見逃すクロではない。
彼は黒い雷光を纏い、瞬きする間に氷竜の眉間まで接近した。
そして、その小さな肉球で、教育的指導と言わんばかりに「ペシッ」と軽く叩く。
ドォォォォォン!!
隕石が衝突したような、凄まじい轟音が響き渡った。
巨大な氷竜の体が、弾丸のように垂直に叩き落とされ、地面に激突する。
あまりの衝撃に、邸宅の裏山が半分ほど崩落し、大量の雪煙と土砂が舞い上がった。
地響きでテーブルの上のティーカップがカタカタと揺れる。
「……え、ええええええ!?」
「神話級のドラゴンが……デコピン一発で墜落した……!?」
アルバスが口を全開にして、顎が外れそうな勢いで固まっている。
彼の常識は、今日だけで何度粉砕されれば気が済むのだろう。
私は砂埃を優雅に手で払いながら、クレーターの底でピクピクしている氷竜の元へ歩み寄った。
ズシン、ズシン。
巨大なクレーターの縁に立つと、底の方で氷竜が目を回してひっくり返っていた。
あの威厳ある姿はどこへやら。
舌を出し、白目を剥いている姿は、なんだか愛嬌すら感じる。
クロは氷竜の鼻先に着地し、「これくらいで勘弁してやる」と言わんばかりに毛繕いをしていた。
「あーあ、可哀想に。痛かったわよねえ」
私はクレーターの斜面を滑り降り、氷竜の巨大な頭に手を触れた。
ひんやりとしていて気持ちがいい。
夏場に抱き枕にしたら最高だろうな、と改めて思う。
「……グ、グゥ……」
私の手に触れられた瞬間、氷竜がビクリと震えて意識を取り戻した。
彼の誇り高い瞳は、今や恐怖と絶望に染まり、涙目で私を見上げている。
目の前にいる小さな子犬が、生物としての格が違う「捕食者」であることを理解したのだろう。
そして、その飼い主である私が、彼にとって絶対不可侵の存在であることも。
「大丈夫よ、怖くないわ。あなた、今日からうちの子になる?」
私がニッコリと微笑むと、氷竜の身体から敵意という敵意が抜け落ちていく。
同時に、私の掌から温かい光が流れ込み、彼が受けたダメージを一瞬で修復した。
私の魔力は、破壊するよりも生かす方に特化しているらしい。
打撲も骨折もなかったことになり、ついでに鱗のツヤまで良くなっていく。
ついでに、彼の魂に刻まれていた「人間に害をなす」という本能的な衝動も、綺麗さっぱり浄化されてしまったようだ。
「……グオォン(あ、温かい……ママ……?)」
氷竜が甘えるような声を出し、私の頬に巨大な鼻先を擦り付けてきた。
ザラザラしていて少し痛いが、犬が甘噛みしてくるようなものだろう。
「あら、甘えん坊さんね。いい子いい子」
「ヒィッ……! 氷竜アズールが、子猫のように喉を鳴らしている……!」
クレーターの縁から恐る恐る覗き込んでいたアルバスが、信じられないものを見る目で呟く。
彼はガクガクと震えながら、何かブツブツと祈りの言葉を捧げていた。
「もう……これは夢だ。私はまだ夢を見ているのだ」
「伝説の厄災がペット化するなんて、神話にも記述がない……」
「アルバス、そこで独り言を言ってないで、手伝ってちょうだい」
私が声をかけると、アルバスはハッとして直立不動の姿勢をとった。
「は、はいっ! 何なりと! 解体しますか? それとも剥製に?」
「違うわよ。この子のために、お部屋を作ってあげたいの」
私は氷竜の首筋を撫でながら、これからの計画を口にした。
「この子、とっても冷たくて気持ちいいのよ。だから、裏庭に大きな洞窟を掘って、そこに住んでもらいましょう」
「そうすれば、夏場も冷房いらずだし、食材も腐らないわ」
「そうだ。あなた、ちょうどいいわ。うちの冷房担当として雇ってあげる」
私が提案すると、氷竜は嬉しそうに「クルックー」と鳩のような声で鳴いた。
どうやら採用通知に喜んでいるらしい。
かつての厄災は、今や主人の機嫌を伺う大きなトカゲに成り下がっている。
実に平和的な解決だ。
「グ……グゥゥ……(御意に、女神様……)」
「よしよし。お給料は、この森で採れる美味しい果物でいいかしら?」
氷竜が激しく首を縦に振る。
クロが横から「僕の果物だぞ」と唸るが、私は「仲良くしなさい」とたしなめた。
「アルバス、彼のために裏庭に大きな氷の洞窟を作ってあげて」
「中には氷のベッドと、遊具も置いてあげてね」
「は、はいいっ! ただちに、ただちに全力で取り掛かります!」
アルバスは半泣きになりながら杖を構えた。
主人の無茶振りに応えるのが執事の務めだと、自分に言い聞かせているようだ。
彼は狂ったように土木魔法を連射し、裏山を掘り返し始めた。
「土よ、穿て! 岩よ、砕け! 神獣様の犬小屋(?)建設だぁぁ!!」
アルバスの必死な作業を横目に、私はクロを抱き上げた。
そのフワフワの首筋に顔を埋め、深呼吸をする。
太陽の匂いと、獣の匂いが混じり合った、安心する香り。
「ありがとう、クロ。あなたのおかげで、素敵な家族が増えたわ」
「これで夏場も快適に過ごせるわね」
クロは「ワフッ」と短く鳴き、私に褒められたことを誇示するように尻尾を振った。
彼にとって氷竜など、道端の石ころ以下の存在なのだろう。
あくまで私の役に立つ道具が増えた、程度にしか思っていないようだ。
その傲慢さが、また可愛い。
さて、冷気の確保ができたところで、次はいよいよ本命の計画だ。
汗をかいたわけではないが、いろいろと動いて少し身体が埃っぽくなった気がする。
今の私に必要なのは、極上のリラックスタイムだ。
王宮にいた頃は、たらいに溜めたぬるま湯で身体を拭くだけだった。
冬場なんて、寒さで震えながらの行水だった。
けれど、今は違う。
ここには無限の魔力と、それを叶える土地がある。
「お風呂……入りたいわね」
ふと、視界の隅に浮かんでいる謎の文字盤に意識を向けた。
そこには【ハピネスポイント:5000達成】という文字が輝いている。
クロが氷竜を倒したことで、ボーナスポイントが入ったらしい。
そして、その下には魅力的なアイコンが点滅していた。
『建設:聖泉の風呂』
私は迷わず、そのボタンを心の中でタップした。
システムとか詳しいことはよく分からないけれど、欲しいと願えば叶うのがこの森のルールらしい。
クロがまた何か不思議な力を使ってくれるのだろうか。
「クロ、お願いしてもいい?」
私が問いかけると、クロは「任せろ」と言わんばかりに遠吠えをした。
その声に応えるように、大地が呼応する。
すると、邸宅の地下から地響きが鳴り響き、黄金の光が噴き出した。,,,,
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かつて観光地で石を磨き、アクセサリーを作り、人に喜ばれる仕事をしていた人生。何も持たない今だからこそ、もう一度「自分の手で生きる」ことを選び、あの人が住む商業国家スペイラ帝国へ向かう決意をする。
国境への道中、盗賊に襲われるが、護衛兵ロドリゲスの活躍で難を逃れる。彼の誠実な態度に、エマは「守られる価値のある存在」として扱われたことに胸を打たれた。
スペイラ帝国では身分に縛られず働ける。エマは前世の技術を活かし、石を磨いてアクセサリーを作る小さな露店を始める。石に意味を込めた腕輪やペンダントは人々の心を掴み、体験教室も開かれるようになる。伯爵夫人だった頃よりも、今の方がずっと「生きている」と実感していた。
ある朝、ロドリゲスが市場を訪れ、エマの作ったタイガーアイの腕輪を購入する。ところがその夜、彼は驚いた様子で戻り、腕輪が力を一・五倍に高める魔道具だと判明したと告げる。エマ自身は無意識だったが、彼女の作るアクセサリーには確かな力が宿っていた。
後日二人は食事に出かけ、エマは自分が貴族の妻として離縁された過去を打ち明ける。ロドリゲスは強く憤り、「最悪な貴族だ」と彼女と一緒になって怒ってくれた。その気持ちが、エマにとって何よりの救いだった。彼は次に防御力を高める腕輪を依頼し、冒険者ギルドで正式な鑑定を受けるよう勧める。
翌日、冒険者ギルドで鑑定を行った結果、エマの腕輪は高い防御効果を持つことが判明。さらに彼女自身を鑑定すると、なんと「付与特化型聖女」であることが明らかになる。聖女が付与した魔道具は現実の力として強く発現するのだ。
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